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非天  作者: 山中一郎
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3-1 雨上がり、青春の扉が軋みだす

 目の前で焼却炉の中で火が上がるのを、現実感を失くした脳が認識した。

 火葬場であるこの建物に、俺以外の、バンボ・ソラキ以外の人影はない。街の中のゴミ捨て場に建てられた、忘れられたこの施設に人が来ることは珍しい。

 年に一度、あるかないかの雨が降っているこの日に、こんな辛気臭い場所に来る奴なんて、尚更。

 鉄工房に帰った後、せめてきちんと、フジナミさんを埋葬してあげたかったから。人目を避けながらこの火葬場までやって来た。

 鉄工房から持ってきた果実酒を、焼却台に乗せたフジナミさんの遺体に一瓶持たせて。俺はなけなしの力で焼却台を押したんだ。

 焼却炉に遺体を入れる時、フジナミさんの暗い両目と目が合った。瞼を下ろしてあげようとしたけれど、死んでから時間が経った体は硬直し、生気を失った目は、そのまま開いたままになってしまった。

 フジナミさんを灰に変えていく火を眺めながら、俺は建物の隅に座り込んだ。

 身体はもう動かない。血は止まっても、体中の刺し貫くような痛みは止まらない。息が辛い。意識もはっきりしなくなってきた。そうだ、俺は。

 俺は、負けた。

 ビジョウ・グアラザに負け、大切なものを失くした。

 もう何度目だろうか。ビジョウに全てを奪われるのは。

 十年以上前、子供の頃にビジョウに両親を殺され、弟のアンリとも離れ離れになった。

 いつも泣いていたアンリ。

 俺のたった一人の肉親。今は何処にいるのだろう。元気にしているだろうか。アンリをランスヘルム自治区のとある夫婦に、里子として引き取られて以来、一度も連絡を取っていない。

 弟の様子に興味がない訳じゃない。ただ、そういう約束なだけだ。

 アンリと別れた後に行きついたのは、サントリデロ工業都市。近年急速に発展しているという噂は本当で、そこかしこに見たことのない機械が並んでいた。

 働き口を探して訪れたあの街で出会った、あの人。俺に知識と闘い方を教えてくれたあの人。

 フライエ・ランスヘルム。

 それがあの人の名前だった。厳しいけど、母親の様に接してくれた。ビジョウに対抗する反政府組織を率いていたフライエさんは、俺達が救うべき人の存在を教えてくれた。

 ケアン・ランスヘルムという名の、ビジョウの娘。フライエさんはランムリア様と呼んでいた。

 ランムリア様はビジョウに監禁されていると言う。ビジョウはランムリア様に異常な執着を持ち、自分の手から離れぬように塔の中に閉じ込め、自由を奪っているのだと、そう言っていた。

 ランムリア様のために、フライエさんは闘い続けていた。ビジョウをこの世から消し去るために、サントリデロで身を隠しながら、戦力を整え続けていた。

 それも、サントリデロにやって来たビジョウの手によって、何もかも無に帰した。ビジョウがサントリデロに降らせた死の雪は、周りの酸素を奪うことで形成され、あの時サントリデロにいた人たちを、俺とラスターを除いて全員殺してしまった。

 当然、フライエさんも。仲間だった人たちも、あの頭のおかしなドクターも。俺が好きだった、あの人も。

 皆、死んでしまった。

 そして、今日。俺はフジナミさんを失った。家族を失ったあの人は、最後に俺を息子のようだと言ってくれた。俺は絶対に忘れない。あの人が言ってくれた言葉も、一緒に過ごしたことも、絶対に。

 焼却炉の火がぱちぱちと鳴る音が、無性に悲しく聞こえてきた。

 フジナミさんの体がこの世から消えていく。

 フジナミさんの存在が、この世から失われてしまったかのように感じられて。もう二度と、あの人の声は聞けないのだと、気が付いて。

 俺は泣いていた。

 泣いて、泣いて。次第に意識は、薄れていった。








第三話 雨上がり、青春の扉が軋みだす








 件の粛清の翌日、昼間のこと。グアラザ自治領中央塔。その一室で。

 ケアン・ランスヘルムは携帯端末の画面を見つめ、ベッドに腰掛け、何かを思案し続けていた。端末上部のスイッチを押し、画面を付けては消して、付けては消して。

 ケアンは何やら意を決したように画面に指を添えて、メールの送信画面を開いたは良いものの。結局また画面を消して溜息を吐き、羽毛の詰まった掛布団の上に背中から沈み込んだ。

 そんな折、部屋の扉がノックされる音に跳び起きたケアンは、携帯端末をローブの首本から手を入れて、内側のポケットに隠した。


「入るよ。ケアン」


 扉の向こうから聞こえた声に、ケアンは笑って扉に駆け寄って、暗証番号をパネルに入力して自動扉を開けた。

 横にスライドしていく扉の先には、ビジョウ・グアラザがいた。法衣の首元をしっかりと締め、紫と金の袈裟を首に掛ける彼の服装は、綺麗に整えられている。


「お父様!」


 ケアンは機嫌良くビジョウを部屋に入れ、窓辺に歩いて行くビジョウの後ろを付いて歩いた。

 ビジョウは窓から外を覗き、遠く下に見える街並みを一望した後、ケアンの方へと振り返った。背後に隠したその手には、一輪の花が揺れていて。隠し持っていたその花をケアンに差し出し、ビジョウは言った。


「この前、話していたハスの花が上手く咲いたんだ。これは私からの贈り物だよ」


 ケアンはビジョウから一輪の蓮華を受け取って、桃色から白色に先の方から変わっていく、美しい花弁のグラデーションに見惚れた。


「とても綺麗……」


 花を窓から見える青空にかざすケアンのローブが翻る。高貴な装飾を施された彼女の特注のローブは、体のラインを際立たせ、陽の光を受けて輝いていた。

 ビジョウは無邪気に花を愛でるケアンの背後で、彼女の美しさを嘗め回す様に見つめている。柔らかく膨らんだ胸元から引き締まったウエスト、滑らかなラインを描く腰へと目を移し、下卑た笑顔を浮かばせた。


「気に入ったか?後でカラサキに花瓶を持ってこさせよう。ここに飾ると良い」


「大事にしますね。ありがとうございます。お父様」


 ビジョウはケアンが振り返る前に、表情を優し気な物にさっと戻す。

 一方ケアンは、蓮華を眺める目をビジョウに向けると、暫く押し黙ってしまった。


「どうした?」


「……、あの……、お父様」


 恐る恐る尋ねるケアンに、ビジョウはできるだけ優しい顔を作って向き合った。ケアンは何かを言いづらそうにしながらも、必死に言葉を選んでいるようだった。


「昨日の……、あのディスプレイに映っていたのは……」


 ケアンがそこまで言った時点で、ビジョウは彼女が何を聞こうとしているのかを察した。昨日、粛清の様子を映した空中ディスプレイの映像を、この窓から見てしまったのだろう。


(可哀想なことをした。あんな汚らしい物を見るのは、この娘にはさぞ辛いことであっただろうに)


 ビジョウはそう思い、ケアンに言った。


「ああ、ああー……、あれか。あれはな、悪い人を懲らしめていたんだ。平和を守るためには、ああやって罰を与えてやる必要があるからね」


「罰……、ですか」


「そう、罰だ。悪いことをしたら、罰を受けなくちゃいけない。フライエも言っていただろう?」


 ケアンは思い出す。養母だったフライエとの思い出。

確かに、フライエには何度怒られたか知れない。貴重なガラス製のコップを割ってしまった時も、寝ているフライエの顔にインクで落書きをした時も。


「……」


 けれど。ケアンはどうにも釈然としない思いを抱えて黙り込んだ。ディスプレイに映っていたあの男性。仮面を被った人。恐らく、あれは。


「あの人が、カラサキさんの言っていた非天の男なんですか?」


 ビジョウは驚いた様子でケアンを見た。彼が任命した世話役以外、完全に他人から隔離されているケアンが、その名を知っていたとは。


「……。ああ、そうだよ。あの人は危ない人なんだ。外にはああいう危ない人がたくさんいる。あの時、裏でこの塔に侵入した悪い人もいたみたいだしね」


「そうなんですね……」


「どうした?ケアン」


 ケアンの沈痛な面持ちに、ビジョウも心配そうに彼女の様子を窺がった。


「あの……、この塔の外にはいろんな物があるんですよね?川とか、お店とか、動物とか」


「まあ、そうだね」


「私も何時か、外に出てもいいんですよね?」


 ビジョウの表情が固くなる。ケアンは真剣だ。外の世界に対する憧れを隠し切れずに、その声はビジョウに懇願するように震えていた。


「ああ。でも、今はまだ外の世界にはたくさん悪い人がいるからなぁ。そんな所にケアンを出す訳にはいかないよ」


 暫く思い悩んだ後、ケアンはビジョウに顔を向け、穏やかに微笑んだ。


「分かりました。お父様は本当に仕事に真剣なんですね」


「ああ。ケアンに何かあっては困る。そのためなら、いくらだって頑張れるさ」


「ふふ、ありがとうございます」


 嬉しそうにケアンが笑うと、ビジョウは彼女の顎に手を添えた。そして、じっとケアンの無垢な瞳を見つめて。


「……、お父様……?」


 小さく首を傾げたケアンから手を放して、ビジョウは踵を返した。


「明日で暫くこの部屋とはお別れだ。仕度はちゃんとしてあるか?」


 そして、部屋から出ていく前にケアンに尋ねて。


「あ、はい。一応は……」


「そうか。ランスヘルムは遠いから、必要な物はしっかり準備しておきなさい」


「分かりました。お父様」


 ビジョウが部屋から出ていき、自動扉が閉まると、ケアンは携帯端末を取り出した。“フライエ”という宛先への書きかけのメールを開いたままで、ケアンの表情は陰っていた。

 ケアンは悩んでいた。

 自分は、このまま何も知らぬまま、生きていていいのだろうか。

 突如、姿を消した養母の行方を知らぬままで。

 未だ知らぬ物で溢れている、外の世界の姿を、この目で直に見ぬままで。

 自分に端末を通して手紙をくれる、“誰か”に会わずにいるままで。

 ランスヘルム自治領へ移動しても、待っているのは今と変わらぬ、外に出ることを許されない室内生活。

 ケアンが思い出すのは、昨日、父であるビジョウと戦っていた、非天の男と思しき人のひたむきで悲壮な姿と、それと対照的な、弱者をいたぶるかのようなビジョウの姿である。

 ケアンの目に、次第に力がこもった。徐々に徐々に、その目には決意の色が表れていって。

 やがてケアンは意を決し、メールを一通書き上げて。それを“フライエ”の、バンボ・ソラキの端末に送信した。




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