表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
非天  作者: 山中一郎
5/42

2-2

「ひゃっひゃっひゃぁはははははっはっはっは!!!」


 気の触れた笑い声が鉄屑の街に鳴り響く。グアラザ自治領から荒野を隔て、数百キロは離れたその街で、男が一人腹を抱えて笑っている。


「本気で挑む気かよ!!そんな体で!そんなおもちゃで!!」


「ド低能の猿の癖に!知っとけって!身の程ってやつを!!」


 瓦礫の中に聳え立つ摩天楼。グアラザ自治領中央塔に劣るとしても、空に現れ始めた暗雲に勇壮な形を浮かべるのは、元サントリデロ政府ビル。その屋上に彼はいた。


「ひぃいあっはっはっはっはっはははは!!」


「ああ!ああっ!!!」


「せめて!せめて、あのビジョウのクズを、そこから引き離してくれればなぁ!!」


「ははっははっはひゃっひゃひゃひゃひはははは!!!」


 笑い声は止むことなく虚ろな街に響き続け、けれどもそれは突然に、ぴたりと止まって空気が変わる。


「まあ、無理か」


 男の顔は笑顔から打って変わって、至極冷めた物に変貌していた。およそ人の物とは思えぬ感情の移り変わりを見せる彼は、恐らくもう狂っているに違いない。


「精々やってみなよ。そっちに行って、見ててやるからさ」


 元サントリデロ政府ビルの屋上から見える景色には、地平線の果てまで続く荒野と、うっすら見える大樹と巨塔の形だけ。見える筈もないグアラザ自治領を、男はどうやってかそこから観察し続けていた。

 空を覆い始めた雲は地上に影を落としてゆっくりと、グアラザ自治領へ伸びていく。滅多に変わることのないこの星の天気が、今日に限って表情を変えていく。

 ボロ布を纏う男は黄金の両目で空を見上げて、ぼそりと一言発すると。


「非天の男。原始人が、俺達人間相手にどこまでやれるのか」


 男の姿は、瞬時にしてその街から消えていた。








 超振動するヴィブロブレードの刀身が火花を散らし、金の杖にぶつかり続ける。バンボがどれだけ力を入れてもビジョウの杖はびくともせずに、耳を引き裂く金属音が広場に響く。

 ビジョウがバンボを杖で押すと、バンボの体は軽々と押し飛ばされて。地面に転がるバンボはすぐさま立ち上がり、距離を取りながらビジョウの周りを走り出す。

 弾倉に弾を込め直し、バンボが銃を構えると、仮面のモニターに銃口から着弾点への予測弾道が表示された。

 バンボは走ることで攪乱しつつ、ビジョウに狙いを定め銃を撃った。しかし、ビジョウは素早く足を運び、身を逸らせて弾を避ける。

 バンボが続けざまに弾を撃つ。出し惜しみはしていられない。弾倉に込められた残りの弾丸五発を全部、ビジョウに向けて撃ち出した。


「まるで話にならない」


 次々に飛来する弾丸を避けて見せた挙句、最後の一発をビジョウは杖で弾いて見せた。

 バンボの左腕のガン・ウィンチが、ビジョウの背後に球状ユニットを射出する。弾丸と同等のスピードで飛ぶユニットを一瞬で止め、ビジョウを通り過ぎた位置に固定すると、バンボはワイヤーを自身ごと巻き取らせ、宙を高速で移動する。

 バンボはヴィブロブレードのスイッチを入れ、巻き取られていく進行上、擦れ違いざまに、振動する刀身をビジョウの背中に肉薄させようと振るものの、それすらもビジョウはかわしてしまう。


「お前の一年は、お前に何の成果も与えなかったようだ」


 球状ユニットの空中固定を解除し、着地しようとしたバンボにビジョウが人ならぬ速度で追いつき、バンボの頭を掴んだ。

 そして、そのままバンボの頭を、地面が抉れる程に激しく叩き落とした。


「地に這いつくばるお前が、どんなに努力しても届くことはない」


 ビジョウが頭を掴む力が強くなる。頭蓋が軋む音が聞こえてくる。

 強烈な痛みに、バンボは悲鳴を上げた。強く揺さぶられた脳は平衡感覚を失い、バンボの視界が大きく揺れる。

 後頭部を掴まれたまま、バンボはビジョウに持ち上げられ、宙に吊るされた。


「天とは遠き神の領域であるからして、お前の如何なる足掻きも意味を成さない」


 頭の痛みは増していき、仮面が警告音を鳴らし始める。モニターに赤味が差して、バンボに身の危険を知らせる。


「非天の男よ。お前は少し弱すぎる」


 鳴りやまぬ骨伝導で伝わる警告音の狭間から、確かにバンボの耳に届いたのは、ビジョウの嘲笑う声だった。言葉の間に小さく混ざったその嘲笑を、彼は聞き逃さなかった。

 バンボの後頭部を掴むビジョウの手首を、バンボの両手が掴まえた。


「お?」


「弱いだなんだと……!」


 爪を当て、全霊の力を以てビジョウの手首に突き立てた。


「何様の……、つもりだぁああああああああああ……!!」


 深く深く、刺し貫かんと突き立てた。

 手首に痛みを感じ、ビジョウがバンボを投げ飛ばす。地面を転がったバンボは息を荒げ、よろめきながら立ち上がろうとしている。

 警告音は鳴りやんで、モニターの色も元に戻った。頭痛と吐き気は収まらないが、バンボ青年はそれでも立ち上がる。


「勝つのは……、俺だ……!」


 ビジョウは己の手首に付いた爪の跡をまじまじと眺め、言った。


「確かに。お前の爪があともう少し長ければ、お前の勝ちだったかもしれん」


 ビジョウが左手に持つ金の杖の先を、バンボに向ける。


「だが、そうではなかった。天に見放されたな。非天よ」


 杖の支柱の部分の表面を覆っていた金属が、欠片となって周りに浮かび、中に隠されていた細長い鉄心が剥き出しになった。鉄心の周りには、白い鱗粉が纏わり欠片を宙に浮かばせ、鉄心からは青い光が迸る。

 それは稲妻。

 身を焦がす電流が杖の周りに荒ぶって。


「アーカーシャ!!」


 バンボの声に反応し、仮面のアーカーシャがとあるプログラムを起動する。画面の右上に流れる、プログラム処理のログに表示された名前は、“リアライズシステム”。

 ビジョウの金の杖から放たれた稲妻が、瞬間的速さでバンボに向かう。

 その一瞬、その直前に、アーカーシャの起動したリアライズシステムが、バンボの周囲に纏わっていた白い鱗粉を急激に増殖させた。

 稲妻は鱗粉に阻まれ、その威力を散らしていく。青い光が激しく散らばる中、バンボは再び駆け出した。


「金属を含むリアライズシステムを盾にするか。そうやって使う物ではないんだがな」


 モニターにビジョウが持つ、金の杖の情報が表示された。アーカーシャのデータベースに存在していた、その杖の詳細は。


「射電兵器、金剛杵こんごうしょ。外部装甲の内側に隠された針状の装置は、充電された電力を目標に向かい放電します。秒速二百キロで迫る電流に直接触れれば即死は免れません。また、この武装は前回の戦闘時に使われていた物と同一だと思われます」


「へし折ってやる!!」


 バンボは銃の弾倉に弾を込めてから、左手の親指を左回りに回し、手をぐっと握る。そして、今度は親指を右回りに大きく回す。

 高さ一メートルもない宙を飛び、バンボは加速する。

 ビジョウから少し離れた場所へ飛び、そこからまたユニットを射出し直して新たな支点を作る。

 宙に固定された球状ユニットと、ワイヤーを巻き取るウィンチに引っ張られ、バンボの体が宙に弧を描く。

 描く弧の先にいるのは、ビジョウ。

 銃を撃ちながら、高速度と遠心力を乗せて向かいくるバンボの蹴りを、ビジョウは最小限の動きで弾を避けつつ、片手で受け止めた。


「軽いな」


「ああ!?」


 そのままビジョウに振り払われたバンボが、地面にぶつかり大きく跳ねる。モニターの映像にノイズが走り、アーカーシャが警告音をあげた。


「マスター、限界です。これ以上の戦闘は――――」


「黙ってろ!!」


 バンボは落下と傷の痛みを掻き消す様に叫んで、仮面を上にずらして血を吐き出した。仮面を戻すとすぐにナイフを構え、ビジョウに向かう。


「お前は自分が何してるか分かってるのかぁ?」


 バンボが振るうナイフを避けながら、ビジョウは頬を吊り上げ笑っていた。


「もし、万が一。まずないことだが、俺が死んだらこの世界はどうなると思う?」


 何度も何度もバンボのナイフは振るわれる。


「そこで見ている奴らも、この星に生きる誰もが、お前でさえも、本当は分かっている」


 ビジョウに向けて、バンボは凄まじい速さでナイフを振るう。


「俺がいなくなれば、この世界は成り立たない。誰も俺の代わりを果たせない。俺ほど上手に世界を統率できるやつはいない。だって俺はすごいんだぁ。そしてお前らはみんな馬鹿」


 なのに、ビジョウにはかすりもしない。

 ビジョウは笑顔を崩さない。


「俺のいないこの世界に秩序はない。原始人のお前たちにまともな政府は築けない。それが恐いんだ、本当は。だから……」


「ごちゃごちゃうるせえ!」


「皆、本心では俺に死んで欲しいなんて思っていないんだよなぁ。お前も同じだ」


「黙ってろ!!!」


 大きく振りかぶり、バンボはナイフをビジョウに向けて突き出した。

 でも。


「負けるべくして、お前は負ける。それがお前の運命であり……」


 ビジョウは杖を軽く振るい、バンボの手からナイフを叩き落としてしまった。


「お前は恐らく、俺に挑まずにはいられない。サントリデロの時のように、誰かを助けずにはいられない。負け続ける運命だ。永遠に天に手を伸ばす、天にあらぬ非天の男」


 ビジョウが杖から電流を放ち、バンボを狙う。バンボは後ろに下がりながら、鱗粉を増殖させて電流を食い止める。

 次々に放たれる稲妻をなんとか鱗粉でかわしながら、バンボが銃に弾を込めていく。


「何処にだって、何時の時代にだっている。負けるために生まれてきた、負けることが役目である人種。それが、お前だ」


 焼け焦げた色が点々と残るステージの上、バンボは叫ぶ。


「どいつもこいつも、ごちゃごちゃうるせえんだよ!!」


 ガン・ウィンチが射出され、ビジョウの二歩手前で固定される。

 バンボが地を蹴り、ワイヤーが体を引く力を乗せて全速力でビジョウに迫り、その顔面に蹴りを打った。

 流星のようなその動きに皆が目を見張り、驚愕していた。

 しかし、ビジョウは。

 ビジョウは全く動じなかった。

 銃弾と同等の速度で跳んだであろうバンボの蹴りを、衝撃に足を地面に滑らせながらも、体勢を崩さず掌で受け止めていた。

 ビジョウの至近距離に着地したバンボは、銃を構えてビジョウを睨む。

 空中に投影された巨大なディスプレイは、バンボとビジョウの戦いを映し続ける。グアラザ自治領に住む全員に、定点カメラから送られる彼らの映像を見せ続ける。


「お前がどれだけ強いか知らねえが!」


 バンボの叫ぶ声が、世界に響く。


「お前がどれだけ偉いか知らねえが!!」


 一人の青年の心の声が、曇りがかった空に鳴り渡って。


「勝つのは、俺だ!!!」


 続き、連続して発砲音が六回、硝煙と共に空気に染み入る。








「そうか」


「勝つのはお前か」


「じゃあ、証明してみせろ」


 ビジョウは一歩として動いてはいなかった。バンボの撃った弾丸を、一つもかわしはしなかった。バンボの狙いは正確で、弾丸は全てビジョウに向けて飛んでいた。

 しかし、六発の弾丸、その全てがビジョウの体に着弾する直前で、ビジョウの周りに浮遊する白い鱗粉に包まれて、空中に停止していた。

 超然と佇むビジョウの姿に、バンボを含め、グアラザ自治領にいる全ての人が恐怖した。

 白い鱗粉の正体を知るバンボ以外の人間には、何が起こっているのかすら分かりはしない。

 白い鱗粉、リアライズシステムと呼ばれるそれは、自己増殖する微粒子状の機械生命体だ。予めコンピュータ端末から入力された命令に従い、重力を操ることで様々な機能を発現させる装置だ。

 リアライズシステムは人の脳波を読み取り、訓練を積むことで手足のように動かすことができる。その習得は極めて困難。バンボはリアライズシステムを手に入れて一年、欠かさぬ日々の鍛練の成果を未だ得られていなかった。

 バンボがリアライズシステムを使ってできるのは、ガン・ウィンチのワイヤー先端の球状ユニットを、宙に固定させる程度のことだけ。しかも、それは球状ユニットが、自動で殆どの重力調整を行ってくれるからこそ、できているのだ。

 だが、ビジョウは。ビジョウはリアライズシステムを自在に操り、空を浮かび、武器に転用し、銃弾を受け止めて見せた。

 銃弾を受け止めるためには、鱗粉から強大な重力を発生させて、銃弾の運動を止める必要がある。

 それがどれだけ精密な制御を要するか、バンボは知っていた。


「リアライズシステムは、鱗粉一つ一つから重力を発生させる物です。簡潔に説明すれば、重力は物を引く力。ビジョウは、鱗粉に体や銃弾を強く引かせることで、宙に浮き、宙に銃弾を固定しているようです」


 ビジョウが悠々と歩き出す。微塵の恐れも抱かずに、バンボに近づいて行く。


「マスター。撤退してください」


 バンボは恐怖する手を必死に動かしながら、弾倉の空薬莢を捨て、弾を込め直した。荒くなる息を抑えることすら忘れ、近づいてくるビジョウに後ずさりながら銃を撃つ。

 一発。ビジョウの眉間の手前で止まり、勢い失くして地面に落ちて。

 二発。腹に向かった弾丸は金の杖に弾かれて。


「どうした?何を遊んでいる」


 三発。肩に当たる直前に、鱗粉が作る重力場に潰されて、ぐにゃりと形を変えて地に落ちた。


「俺に傷を付けてみろ。さもなければ、皆死ぬぞ」


「マスター。マスター」


 四発。銃口から頭を出した所でぴたりと銃弾は宙に止まる。


「俺に勝つんだろう?なあ?」


「逃げてください。マスター」


 五発目は、なかった。目前にまで近寄ったビジョウに銃身を掴まれ、バンボは銃から手を放した。


「この男は、強過ぎます」


 銃口からこぼれ落ちた弾丸が地面に転がる音が、アーカーシャの声が、遥か遠くに聞こえるようで。

 バンボは恐怖に囚われ、両足踏ん張り、立つのがやっとで。

 銃を投げ捨てたビジョウが、杖の柄から支柱に持ち替え、柄の部分でバンボを殴った。


「どうした」


 何度も繰り返し、バンボを殴る。全身血まみれになった彼を、執拗に。

 バンボは逃げない。逃げることは許されない。負けることも許されない。


「どうした」


 フジナミを助けなくてはいけないのだから。捕らわれた人たちを解放しなければならないのだから。


「どうした」


 けれど。彼にももう、どうしようもなくて。振るわれるビジョウの杖を、ただただ受け続け。


「どうした!!おいっ!!!」


 意識が飛びそうになりながら、それでもバンボは倒れずに。


「もう終わりか?なら、殺すか。こいつらを。裏切り者の恩知らず共を」


 ビジョウが金の杖の先端を、フジナミたちに向けた。杖の表面が浮遊して、本体の鉄心が剥き出しになり、電撃を纏う。

 中央塔の一角、部屋に備えられた窓から外を眺めようとしたケアンは、眼下に浮かぶ巨大ディスプレイを見つけた。

 外界からの音が遮断された部屋の中には、ディスプレイ映写装置から響く彼らの音声は届かなかったが、そこに映し出されている二人の男の姿をケアンは確かに見た。

 一人は領主であり父、ビジョウ・グアラザの姿であった。そして、もう一人は――――


「……、まさか……」


「お前の負けだ。非天の男」


 明滅するバンボの目と、赤く染まって警告するモニターに、フジナミの姿が映った。

 助けを乞うて、叫んでいた。助けてくれと、死にたくないと。

 バンボの拳が硬く握られ、大きく彼は踏み込んだ。

 痛みに感覚を失くしたバンボの体が、自然と動いた。

 怒りと、焦りと、彼の思い出が、体を動かした。

 全ての力を振り絞り、バンボの何もかもを乗せた拳が、ビジョウの頬へぶちかまされた。

 皆がその光景を目に焼き付けた。広場にいた者たちが。空中ディスプレイ越しに戦いを見ていた者たちが。ラスターも、ダストレイも。携帯端末を胸に掲げ、青ざめるケアンも。

 青年の想いが起こした奇跡を、しかと見た。

 誰もが、ビジョウにバンボの拳が突き刺さったのを確信した。

 最後の最後で、非天の男が神を称する怪物のような男に、遂に一撃を与えるに至ったのだと。


「!?」


 けれど、報いた一矢は幻想で。

 ビジョウは笑っていた。頬を吊り上げ笑っていた。頬を吊り上げる表情筋の力だけで、バンボの全てを懸けた拳を受け止めていた。


「終わりだな?」


 敗北を宣告されたバンボは、力尽きて地に伏した。

 武器もなくなり、体も動かず。

 止まない警告音も、アーカーシャの呼ぶ声も遠くなり、冷たい地面に身を添えた。

 こうして非天の男は、大多数の観衆が見守る中。再びビジョウ・グアラザに敗北を喫したのである。


「敗者には罰を!くれてやらんとなあ!!」


 ビジョウがバンボのローブを引きはがし、内側の衣服に手を掛けた。そして、両手でバンボの服もズボンも、下着までも引きちぎり、彼の血と傷だらけの裸体を衆目に曝した。

 顔の仮面だけ残されたバンボの後頭部を掴み上げ、彼の体を高く掲げてビジョウは笑う。


「見ろ!!これが俺に歯向かう者の末路だ!!愚かにも挑み、身の程を知った者の姿だ!!!」


「ビジョウ……!てめぇ……!ビジョウ………っ!」


 ディスプレイを通して、グアラザ自治領にいる者全員に、非天の男の醜態を曝す。仮面以外、一糸纏わぬ姿にされて、情けない姿を皆に見せられる。

 粛清会場の民衆の中に、その姿を見て笑う者がいた。何故彼らは笑うのか。本人たちにも分からない。否、分かろうとしない。

 笑いは広がっていく。点々と起こった笑いは広がって、広場の全員に伝染していった。

 皆が笑う。

 大人たちが、揃いも揃って彼を笑う。

 勇敢にもビジョウに立ち向かった非天の男を、指差し笑う。


「殺せ!殺せ!!ビジョウ!!」


 耐え難い恥辱に、バンボは悲痛に叫ぶ。そんなバンボにビジョウは、心底楽しそうに。


「絶対に、やだね」


 そう答えた。

 バンボの体を揺らしたり、振り回したりしながら、ステージの上をビジョウは歩き。

 やがて飽きると、立ち止まってバンボの頭を放した。


「さあ、それでは約束通り……」


 体から力が抜けていく。

 バンボにはもう、体力も気力も残されてはいない。グアラザ自治領の誰も彼もが、彼のこの醜態を忘れないだろう。ビジョウに逆らう者の末路、陰惨な粛清会場に現れた、眩く輝くかの存在感を放っていた非天の男は、今や皆の笑いものであった。

 頭を放されたバンボは地に倒れ、ビジョウはフジナミたち、捕らわれの十人に目を向けた。縛られて身動きのできない彼らは、ビジョウの笑顔に身を震わせる。


「ああー……、そうだな。おい、そこの君。ちょっとこっちへ」


 ステージの周りに広がる群衆の中、最前列にいた一人の男にビジョウが声をかける。男は驚きと恐怖でしどろもどろになりながらも、ビジョウに手招かれるままにステージへ上がる。


「そこの銃を拾いたまえ。そう、それだ」


 男はステージ上に落ちていた機関銃を拾った。暴徒鎮圧戦闘部隊の持っていた銃だ。


「それでこの罪人たちを撃ってくれ」


「……、は?え!?」


 男はうろたえる。銃を手にした彼を見つめるフジナミたちの目は怯えていた。


「あとは引き金を引くだけで撃てる状態になっている筈だ。さあ、やってくれ」


「でも……」


 背後のビジョウが彼の肩に置いた手は、逃がさない意志を持って強く食い込み。


「やめろ……」


 倒れるバンボの言葉が虚しく響く。


「やめさせろ……!ビジョウ……!」


 なかなか引き金を引けぬ男に、ビジョウは言った。


「やらんのなら、死ぬのはお前だ」


「あ……、ああぁ……」


 男は銃を構えた。そして、引き金に震える指をかけ。


「やめろぉおおおおおおおおおおおお!!!」


 機関銃から弾が放たれた。発砲音を鳴らして、男は恐怖に後押しされるがままに銃を左右に往復させて撃ち続け、捕らわれていた十人を撃ち殺してしまった。


「いい腕だ。君を新たな兵として迎え入れよう。よろしく頼むぞ」


「あ……、ああ…、はは、ははは……」


 男は弾の尽きた銃を落とし、恐怖から解放された安堵と、罪悪感に飲み込まれ膝を折った。

 ステージに流れる血が、ゆっくりゆっくりと広がって、やがてバンボの手に触れた。

 辺りが暗く陰っていき、皆が空を見上げると、雲が空一面を覆っていて、次第に雨が降り出した。

 静寂に包まれた粛清会場の人々が我に返り、その場を離れて行く。

 状況は終了したのである。“多少”の妨害はあったものの、粛清は行われ、果たされた。

 体が回復し、バンボがようやく立ち上がれるようになると、もう会場にビジョウの姿はなかった。そこには雨に打たれる捕らわれの死体と、傷付いた兵を片付けるジーロがいるだけで。

 ジーロの動かす重機は次々と呻く兵を摘まみ上げ、ゴミのように投げ捨てていく。

 そんなジーロの目に、一人だけ、かろうじて生き残った捕らわれの男が映った。銃弾が運良く縄に当たり、縄がほどけ、致命傷も避けられたのだろう。地面を這いずりながら、男は逃げ出そうとしていた。

 ジーロは笑い、重い足音を立てる重機を動かして、その男の前に立ち。

 男の顔が絶望に染まるのを眺めた後、重機の足でその男の体を踏み潰した。


 バンボはぼろぼろの体を引きずって、腹部から血を流すフジナミの下に辿り着く。

 冷たくなったフジナミの頬に手を当てて、バンボは裸のまま、雨に打たれるのもいとわずに。


「フジナミさん……」


 皺だらけの頬を撫でて、己の無力さを心の底から憎んだ。







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ