2-2
「ひゃっひゃっひゃぁはははははっはっはっは!!!」
気の触れた笑い声が鉄屑の街に鳴り響く。グアラザ自治領から荒野を隔て、数百キロは離れたその街で、男が一人腹を抱えて笑っている。
「本気で挑む気かよ!!そんな体で!そんなおもちゃで!!」
「ド低能の猿の癖に!知っとけって!身の程ってやつを!!」
瓦礫の中に聳え立つ摩天楼。グアラザ自治領中央塔に劣るとしても、空に現れ始めた暗雲に勇壮な形を浮かべるのは、元サントリデロ政府ビル。その屋上に彼はいた。
「ひぃいあっはっはっはっはっはははは!!」
「ああ!ああっ!!!」
「せめて!せめて、あのビジョウのクズを、そこから引き離してくれればなぁ!!」
「ははっははっはひゃっひゃひゃひゃひはははは!!!」
笑い声は止むことなく虚ろな街に響き続け、けれどもそれは突然に、ぴたりと止まって空気が変わる。
「まあ、無理か」
男の顔は笑顔から打って変わって、至極冷めた物に変貌していた。およそ人の物とは思えぬ感情の移り変わりを見せる彼は、恐らくもう狂っているに違いない。
「精々やってみなよ。そっちに行って、見ててやるからさ」
元サントリデロ政府ビルの屋上から見える景色には、地平線の果てまで続く荒野と、うっすら見える大樹と巨塔の形だけ。見える筈もないグアラザ自治領を、男はどうやってかそこから観察し続けていた。
空を覆い始めた雲は地上に影を落としてゆっくりと、グアラザ自治領へ伸びていく。滅多に変わることのないこの星の天気が、今日に限って表情を変えていく。
ボロ布を纏う男は黄金の両目で空を見上げて、ぼそりと一言発すると。
「非天の男。原始人が、俺達人間相手にどこまでやれるのか」
男の姿は、瞬時にしてその街から消えていた。
超振動するヴィブロブレードの刀身が火花を散らし、金の杖にぶつかり続ける。バンボがどれだけ力を入れてもビジョウの杖はびくともせずに、耳を引き裂く金属音が広場に響く。
ビジョウがバンボを杖で押すと、バンボの体は軽々と押し飛ばされて。地面に転がるバンボはすぐさま立ち上がり、距離を取りながらビジョウの周りを走り出す。
弾倉に弾を込め直し、バンボが銃を構えると、仮面のモニターに銃口から着弾点への予測弾道が表示された。
バンボは走ることで攪乱しつつ、ビジョウに狙いを定め銃を撃った。しかし、ビジョウは素早く足を運び、身を逸らせて弾を避ける。
バンボが続けざまに弾を撃つ。出し惜しみはしていられない。弾倉に込められた残りの弾丸五発を全部、ビジョウに向けて撃ち出した。
「まるで話にならない」
次々に飛来する弾丸を避けて見せた挙句、最後の一発をビジョウは杖で弾いて見せた。
バンボの左腕のガン・ウィンチが、ビジョウの背後に球状ユニットを射出する。弾丸と同等のスピードで飛ぶユニットを一瞬で止め、ビジョウを通り過ぎた位置に固定すると、バンボはワイヤーを自身ごと巻き取らせ、宙を高速で移動する。
バンボはヴィブロブレードのスイッチを入れ、巻き取られていく進行上、擦れ違いざまに、振動する刀身をビジョウの背中に肉薄させようと振るものの、それすらもビジョウはかわしてしまう。
「お前の一年は、お前に何の成果も与えなかったようだ」
球状ユニットの空中固定を解除し、着地しようとしたバンボにビジョウが人ならぬ速度で追いつき、バンボの頭を掴んだ。
そして、そのままバンボの頭を、地面が抉れる程に激しく叩き落とした。
「地に這いつくばるお前が、どんなに努力しても届くことはない」
ビジョウが頭を掴む力が強くなる。頭蓋が軋む音が聞こえてくる。
強烈な痛みに、バンボは悲鳴を上げた。強く揺さぶられた脳は平衡感覚を失い、バンボの視界が大きく揺れる。
後頭部を掴まれたまま、バンボはビジョウに持ち上げられ、宙に吊るされた。
「天とは遠き神の領域であるからして、お前の如何なる足掻きも意味を成さない」
頭の痛みは増していき、仮面が警告音を鳴らし始める。モニターに赤味が差して、バンボに身の危険を知らせる。
「非天の男よ。お前は少し弱すぎる」
鳴りやまぬ骨伝導で伝わる警告音の狭間から、確かにバンボの耳に届いたのは、ビジョウの嘲笑う声だった。言葉の間に小さく混ざったその嘲笑を、彼は聞き逃さなかった。
バンボの後頭部を掴むビジョウの手首を、バンボの両手が掴まえた。
「お?」
「弱いだなんだと……!」
爪を当て、全霊の力を以てビジョウの手首に突き立てた。
「何様の……、つもりだぁああああああああああ……!!」
深く深く、刺し貫かんと突き立てた。
手首に痛みを感じ、ビジョウがバンボを投げ飛ばす。地面を転がったバンボは息を荒げ、よろめきながら立ち上がろうとしている。
警告音は鳴りやんで、モニターの色も元に戻った。頭痛と吐き気は収まらないが、バンボ青年はそれでも立ち上がる。
「勝つのは……、俺だ……!」
ビジョウは己の手首に付いた爪の跡をまじまじと眺め、言った。
「確かに。お前の爪があともう少し長ければ、お前の勝ちだったかもしれん」
ビジョウが左手に持つ金の杖の先を、バンボに向ける。
「だが、そうではなかった。天に見放されたな。非天よ」
杖の支柱の部分の表面を覆っていた金属が、欠片となって周りに浮かび、中に隠されていた細長い鉄心が剥き出しになった。鉄心の周りには、白い鱗粉が纏わり欠片を宙に浮かばせ、鉄心からは青い光が迸る。
それは稲妻。
身を焦がす電流が杖の周りに荒ぶって。
「アーカーシャ!!」
バンボの声に反応し、仮面のアーカーシャがとあるプログラムを起動する。画面の右上に流れる、プログラム処理のログに表示された名前は、“リアライズシステム”。
ビジョウの金の杖から放たれた稲妻が、瞬間的速さでバンボに向かう。
その一瞬、その直前に、アーカーシャの起動したリアライズシステムが、バンボの周囲に纏わっていた白い鱗粉を急激に増殖させた。
稲妻は鱗粉に阻まれ、その威力を散らしていく。青い光が激しく散らばる中、バンボは再び駆け出した。
「金属を含むリアライズシステムを盾にするか。そうやって使う物ではないんだがな」
モニターにビジョウが持つ、金の杖の情報が表示された。アーカーシャのデータベースに存在していた、その杖の詳細は。
「射電兵器、金剛杵。外部装甲の内側に隠された針状の装置は、充電された電力を目標に向かい放電します。秒速二百キロで迫る電流に直接触れれば即死は免れません。また、この武装は前回の戦闘時に使われていた物と同一だと思われます」
「へし折ってやる!!」
バンボは銃の弾倉に弾を込めてから、左手の親指を左回りに回し、手をぐっと握る。そして、今度は親指を右回りに大きく回す。
高さ一メートルもない宙を飛び、バンボは加速する。
ビジョウから少し離れた場所へ飛び、そこからまたユニットを射出し直して新たな支点を作る。
宙に固定された球状ユニットと、ワイヤーを巻き取るウィンチに引っ張られ、バンボの体が宙に弧を描く。
描く弧の先にいるのは、ビジョウ。
銃を撃ちながら、高速度と遠心力を乗せて向かいくるバンボの蹴りを、ビジョウは最小限の動きで弾を避けつつ、片手で受け止めた。
「軽いな」
「ああ!?」
そのままビジョウに振り払われたバンボが、地面にぶつかり大きく跳ねる。モニターの映像にノイズが走り、アーカーシャが警告音をあげた。
「マスター、限界です。これ以上の戦闘は――――」
「黙ってろ!!」
バンボは落下と傷の痛みを掻き消す様に叫んで、仮面を上にずらして血を吐き出した。仮面を戻すとすぐにナイフを構え、ビジョウに向かう。
「お前は自分が何してるか分かってるのかぁ?」
バンボが振るうナイフを避けながら、ビジョウは頬を吊り上げ笑っていた。
「もし、万が一。まずないことだが、俺が死んだらこの世界はどうなると思う?」
何度も何度もバンボのナイフは振るわれる。
「そこで見ている奴らも、この星に生きる誰もが、お前でさえも、本当は分かっている」
ビジョウに向けて、バンボは凄まじい速さでナイフを振るう。
「俺がいなくなれば、この世界は成り立たない。誰も俺の代わりを果たせない。俺ほど上手に世界を統率できるやつはいない。だって俺はすごいんだぁ。そしてお前らはみんな馬鹿」
なのに、ビジョウにはかすりもしない。
ビジョウは笑顔を崩さない。
「俺のいないこの世界に秩序はない。原始人のお前たちにまともな政府は築けない。それが恐いんだ、本当は。だから……」
「ごちゃごちゃうるせえ!」
「皆、本心では俺に死んで欲しいなんて思っていないんだよなぁ。お前も同じだ」
「黙ってろ!!!」
大きく振りかぶり、バンボはナイフをビジョウに向けて突き出した。
でも。
「負けるべくして、お前は負ける。それがお前の運命であり……」
ビジョウは杖を軽く振るい、バンボの手からナイフを叩き落としてしまった。
「お前は恐らく、俺に挑まずにはいられない。サントリデロの時のように、誰かを助けずにはいられない。負け続ける運命だ。永遠に天に手を伸ばす、天にあらぬ非天の男」
ビジョウが杖から電流を放ち、バンボを狙う。バンボは後ろに下がりながら、鱗粉を増殖させて電流を食い止める。
次々に放たれる稲妻をなんとか鱗粉でかわしながら、バンボが銃に弾を込めていく。
「何処にだって、何時の時代にだっている。負けるために生まれてきた、負けることが役目である人種。それが、お前だ」
焼け焦げた色が点々と残るステージの上、バンボは叫ぶ。
「どいつもこいつも、ごちゃごちゃうるせえんだよ!!」
ガン・ウィンチが射出され、ビジョウの二歩手前で固定される。
バンボが地を蹴り、ワイヤーが体を引く力を乗せて全速力でビジョウに迫り、その顔面に蹴りを打った。
流星のようなその動きに皆が目を見張り、驚愕していた。
しかし、ビジョウは。
ビジョウは全く動じなかった。
銃弾と同等の速度で跳んだであろうバンボの蹴りを、衝撃に足を地面に滑らせながらも、体勢を崩さず掌で受け止めていた。
ビジョウの至近距離に着地したバンボは、銃を構えてビジョウを睨む。
空中に投影された巨大なディスプレイは、バンボとビジョウの戦いを映し続ける。グアラザ自治領に住む全員に、定点カメラから送られる彼らの映像を見せ続ける。
「お前がどれだけ強いか知らねえが!」
バンボの叫ぶ声が、世界に響く。
「お前がどれだけ偉いか知らねえが!!」
一人の青年の心の声が、曇りがかった空に鳴り渡って。
「勝つのは、俺だ!!!」
続き、連続して発砲音が六回、硝煙と共に空気に染み入る。
「そうか」
「勝つのはお前か」
「じゃあ、証明してみせろ」
ビジョウは一歩として動いてはいなかった。バンボの撃った弾丸を、一つもかわしはしなかった。バンボの狙いは正確で、弾丸は全てビジョウに向けて飛んでいた。
しかし、六発の弾丸、その全てがビジョウの体に着弾する直前で、ビジョウの周りに浮遊する白い鱗粉に包まれて、空中に停止していた。
超然と佇むビジョウの姿に、バンボを含め、グアラザ自治領にいる全ての人が恐怖した。
白い鱗粉の正体を知るバンボ以外の人間には、何が起こっているのかすら分かりはしない。
白い鱗粉、リアライズシステムと呼ばれるそれは、自己増殖する微粒子状の機械生命体だ。予めコンピュータ端末から入力された命令に従い、重力を操ることで様々な機能を発現させる装置だ。
リアライズシステムは人の脳波を読み取り、訓練を積むことで手足のように動かすことができる。その習得は極めて困難。バンボはリアライズシステムを手に入れて一年、欠かさぬ日々の鍛練の成果を未だ得られていなかった。
バンボがリアライズシステムを使ってできるのは、ガン・ウィンチのワイヤー先端の球状ユニットを、宙に固定させる程度のことだけ。しかも、それは球状ユニットが、自動で殆どの重力調整を行ってくれるからこそ、できているのだ。
だが、ビジョウは。ビジョウはリアライズシステムを自在に操り、空を浮かび、武器に転用し、銃弾を受け止めて見せた。
銃弾を受け止めるためには、鱗粉から強大な重力を発生させて、銃弾の運動を止める必要がある。
それがどれだけ精密な制御を要するか、バンボは知っていた。
「リアライズシステムは、鱗粉一つ一つから重力を発生させる物です。簡潔に説明すれば、重力は物を引く力。ビジョウは、鱗粉に体や銃弾を強く引かせることで、宙に浮き、宙に銃弾を固定しているようです」
ビジョウが悠々と歩き出す。微塵の恐れも抱かずに、バンボに近づいて行く。
「マスター。撤退してください」
バンボは恐怖する手を必死に動かしながら、弾倉の空薬莢を捨て、弾を込め直した。荒くなる息を抑えることすら忘れ、近づいてくるビジョウに後ずさりながら銃を撃つ。
一発。ビジョウの眉間の手前で止まり、勢い失くして地面に落ちて。
二発。腹に向かった弾丸は金の杖に弾かれて。
「どうした?何を遊んでいる」
三発。肩に当たる直前に、鱗粉が作る重力場に潰されて、ぐにゃりと形を変えて地に落ちた。
「俺に傷を付けてみろ。さもなければ、皆死ぬぞ」
「マスター。マスター」
四発。銃口から頭を出した所でぴたりと銃弾は宙に止まる。
「俺に勝つんだろう?なあ?」
「逃げてください。マスター」
五発目は、なかった。目前にまで近寄ったビジョウに銃身を掴まれ、バンボは銃から手を放した。
「この男は、強過ぎます」
銃口からこぼれ落ちた弾丸が地面に転がる音が、アーカーシャの声が、遥か遠くに聞こえるようで。
バンボは恐怖に囚われ、両足踏ん張り、立つのがやっとで。
銃を投げ捨てたビジョウが、杖の柄から支柱に持ち替え、柄の部分でバンボを殴った。
「どうした」
何度も繰り返し、バンボを殴る。全身血まみれになった彼を、執拗に。
バンボは逃げない。逃げることは許されない。負けることも許されない。
「どうした」
フジナミを助けなくてはいけないのだから。捕らわれた人たちを解放しなければならないのだから。
「どうした」
けれど。彼にももう、どうしようもなくて。振るわれるビジョウの杖を、ただただ受け続け。
「どうした!!おいっ!!!」
意識が飛びそうになりながら、それでもバンボは倒れずに。
「もう終わりか?なら、殺すか。こいつらを。裏切り者の恩知らず共を」
ビジョウが金の杖の先端を、フジナミたちに向けた。杖の表面が浮遊して、本体の鉄心が剥き出しになり、電撃を纏う。
中央塔の一角、部屋に備えられた窓から外を眺めようとしたケアンは、眼下に浮かぶ巨大ディスプレイを見つけた。
外界からの音が遮断された部屋の中には、ディスプレイ映写装置から響く彼らの音声は届かなかったが、そこに映し出されている二人の男の姿をケアンは確かに見た。
一人は領主であり父、ビジョウ・グアラザの姿であった。そして、もう一人は――――
「……、まさか……」
「お前の負けだ。非天の男」
明滅するバンボの目と、赤く染まって警告するモニターに、フジナミの姿が映った。
助けを乞うて、叫んでいた。助けてくれと、死にたくないと。
バンボの拳が硬く握られ、大きく彼は踏み込んだ。
痛みに感覚を失くしたバンボの体が、自然と動いた。
怒りと、焦りと、彼の思い出が、体を動かした。
全ての力を振り絞り、バンボの何もかもを乗せた拳が、ビジョウの頬へぶちかまされた。
皆がその光景を目に焼き付けた。広場にいた者たちが。空中ディスプレイ越しに戦いを見ていた者たちが。ラスターも、ダストレイも。携帯端末を胸に掲げ、青ざめるケアンも。
青年の想いが起こした奇跡を、しかと見た。
誰もが、ビジョウにバンボの拳が突き刺さったのを確信した。
最後の最後で、非天の男が神を称する怪物のような男に、遂に一撃を与えるに至ったのだと。
「!?」
けれど、報いた一矢は幻想で。
ビジョウは笑っていた。頬を吊り上げ笑っていた。頬を吊り上げる表情筋の力だけで、バンボの全てを懸けた拳を受け止めていた。
「終わりだな?」
敗北を宣告されたバンボは、力尽きて地に伏した。
武器もなくなり、体も動かず。
止まない警告音も、アーカーシャの呼ぶ声も遠くなり、冷たい地面に身を添えた。
こうして非天の男は、大多数の観衆が見守る中。再びビジョウ・グアラザに敗北を喫したのである。
「敗者には罰を!くれてやらんとなあ!!」
ビジョウがバンボのローブを引きはがし、内側の衣服に手を掛けた。そして、両手でバンボの服もズボンも、下着までも引きちぎり、彼の血と傷だらけの裸体を衆目に曝した。
顔の仮面だけ残されたバンボの後頭部を掴み上げ、彼の体を高く掲げてビジョウは笑う。
「見ろ!!これが俺に歯向かう者の末路だ!!愚かにも挑み、身の程を知った者の姿だ!!!」
「ビジョウ……!てめぇ……!ビジョウ………っ!」
ディスプレイを通して、グアラザ自治領にいる者全員に、非天の男の醜態を曝す。仮面以外、一糸纏わぬ姿にされて、情けない姿を皆に見せられる。
粛清会場の民衆の中に、その姿を見て笑う者がいた。何故彼らは笑うのか。本人たちにも分からない。否、分かろうとしない。
笑いは広がっていく。点々と起こった笑いは広がって、広場の全員に伝染していった。
皆が笑う。
大人たちが、揃いも揃って彼を笑う。
勇敢にもビジョウに立ち向かった非天の男を、指差し笑う。
「殺せ!殺せ!!ビジョウ!!」
耐え難い恥辱に、バンボは悲痛に叫ぶ。そんなバンボにビジョウは、心底楽しそうに。
「絶対に、やだね」
そう答えた。
バンボの体を揺らしたり、振り回したりしながら、ステージの上をビジョウは歩き。
やがて飽きると、立ち止まってバンボの頭を放した。
「さあ、それでは約束通り……」
体から力が抜けていく。
バンボにはもう、体力も気力も残されてはいない。グアラザ自治領の誰も彼もが、彼のこの醜態を忘れないだろう。ビジョウに逆らう者の末路、陰惨な粛清会場に現れた、眩く輝くかの存在感を放っていた非天の男は、今や皆の笑いものであった。
頭を放されたバンボは地に倒れ、ビジョウはフジナミたち、捕らわれの十人に目を向けた。縛られて身動きのできない彼らは、ビジョウの笑顔に身を震わせる。
「ああー……、そうだな。おい、そこの君。ちょっとこっちへ」
ステージの周りに広がる群衆の中、最前列にいた一人の男にビジョウが声をかける。男は驚きと恐怖でしどろもどろになりながらも、ビジョウに手招かれるままにステージへ上がる。
「そこの銃を拾いたまえ。そう、それだ」
男はステージ上に落ちていた機関銃を拾った。暴徒鎮圧戦闘部隊の持っていた銃だ。
「それでこの罪人たちを撃ってくれ」
「……、は?え!?」
男はうろたえる。銃を手にした彼を見つめるフジナミたちの目は怯えていた。
「あとは引き金を引くだけで撃てる状態になっている筈だ。さあ、やってくれ」
「でも……」
背後のビジョウが彼の肩に置いた手は、逃がさない意志を持って強く食い込み。
「やめろ……」
倒れるバンボの言葉が虚しく響く。
「やめさせろ……!ビジョウ……!」
なかなか引き金を引けぬ男に、ビジョウは言った。
「やらんのなら、死ぬのはお前だ」
「あ……、ああぁ……」
男は銃を構えた。そして、引き金に震える指をかけ。
「やめろぉおおおおおおおおおおおお!!!」
機関銃から弾が放たれた。発砲音を鳴らして、男は恐怖に後押しされるがままに銃を左右に往復させて撃ち続け、捕らわれていた十人を撃ち殺してしまった。
「いい腕だ。君を新たな兵として迎え入れよう。よろしく頼むぞ」
「あ……、ああ…、はは、ははは……」
男は弾の尽きた銃を落とし、恐怖から解放された安堵と、罪悪感に飲み込まれ膝を折った。
ステージに流れる血が、ゆっくりゆっくりと広がって、やがてバンボの手に触れた。
辺りが暗く陰っていき、皆が空を見上げると、雲が空一面を覆っていて、次第に雨が降り出した。
静寂に包まれた粛清会場の人々が我に返り、その場を離れて行く。
状況は終了したのである。“多少”の妨害はあったものの、粛清は行われ、果たされた。
体が回復し、バンボがようやく立ち上がれるようになると、もう会場にビジョウの姿はなかった。そこには雨に打たれる捕らわれの死体と、傷付いた兵を片付けるジーロがいるだけで。
ジーロの動かす重機は次々と呻く兵を摘まみ上げ、ゴミのように投げ捨てていく。
そんなジーロの目に、一人だけ、かろうじて生き残った捕らわれの男が映った。銃弾が運良く縄に当たり、縄がほどけ、致命傷も避けられたのだろう。地面を這いずりながら、男は逃げ出そうとしていた。
ジーロは笑い、重い足音を立てる重機を動かして、その男の前に立ち。
男の顔が絶望に染まるのを眺めた後、重機の足でその男の体を踏み潰した。
バンボはぼろぼろの体を引きずって、腹部から血を流すフジナミの下に辿り着く。
冷たくなったフジナミの頬に手を当てて、バンボは裸のまま、雨に打たれるのも厭わずに。
「フジナミさん……」
皺だらけの頬を撫でて、己の無力さを心の底から憎んだ。