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非天  作者: 山中一郎
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第八話  過去 -サントリデロにて-     その四


 インドラジットの基地にある、フライエの部屋へ来たバンボは、そこで待っていたフライエからこう告げられた。

「この前の盗賊退治、ご苦労だったね。少しは実戦にも慣れたかい?」

「どうですかね……。また傷だらけになったんで、まだまだです」

「だらしないねえ。これからも、どんどん現場に出て経験を積んでもらうよ。まあ、今はそのことはいい。実は、今日からあんたに頼みたいことがあるんだ」

「なんですか?」

 バンボの後ろで部屋の扉が開いた。バンボが振り向くと、そこには――――

「フライエ~。僕の研究室どこだっけ~?」

 頭皮が見えるくらいの薄い白髪を生やした、年老いた男性がいた。

 大人の声でありながら、子供のようなイントネーションで弱弱しく話すその男性は、バンボが初めて見る人物だった。

「ああ、“ドクター”。今からこいつと一緒に案内してあげるよ。ほら、バンボ。この人に挨拶しな」

 ドクターと呼ばれたその老人は、朗らかな笑顔をバンボに向けていた。

「“ドクター”!」

「はい?」

「僕は“ドクター”だよ! よろしく!」

「あ、どうも……。バンボ・ソラキです」

 ドクターはバンボの手を握り、嬉しそうにぶんぶんと激しく振った。

「この間の盗賊退治の時に死んだマサキって男は知ってるかい? そいつがこの人の世話役だったんだが、死んじまったら世話は焼けない。そこで、今日からあんたにこの人の面倒を見てやって欲しいって訳さ」

「僕がですか……?」

「いや、そんなに大したことじゃないよ。下の世話もちょっとは自分でできるし、飯も普通に食べられる。単に空いてる時間に話し相手になってやってくれればいい。あと、散歩に付き合ったりね」

「まあ、そういうことなら……」

 バンボとフライエの話す横で、ドクターはフライエの机の上にあった本に落書きを始めた。

「こら! 本に何か書くんじゃないって言っただろ!」

「あっはははははは!」

 ドクターはフライエに叱られても笑っていた。

 老人でありながらも子供のようなドクターのその様に、バンボは乾いた笑いを浮かべた。

 その後、フライエと共に、バンボはドクターを研究室というバンボの知らない場所へと案内した。

「ドクターは散歩の時以外、建物の中から出したらいけないよ。この人は、すぐどっかにふらふら歩いて行ってのたれ死んじまうからね」

 ドクターの研究室には、バンボが見たこともない機械が大量に置かれていた。小さな液晶モニターやら、それにコードで繋がれたキーボード等、バンボが見ても訳の分からない物ばかりだった。

「フライエさん、ドクターはどういう人なんですか?」

「ああ。この人はね、ずっと昔からサントリデロにいるんだ。いつからかは知らないが、私が来るよりもずっと前からここにいて、ずっと自分の研究と並行して、技術開発に協力してくれてるらしい。この研究室と道具も全部自分で作ったんだとさ」

 バンボは思わず部屋を見回した。いくつもの実験器具や、壊れた機械の部品を集めて作ったと思われる複雑な機械。部屋を埋め尽くすほどのそれらを作るには、一体どれだけの時間と労力がかかったのだろう。

 バンボは彼をただの痴呆老人かと思っていたが、このドクターなる人物は相当な重要人物だったのだ。

「私が初めて会った頃にはもうこんな調子でねぇ。自分が何のためにこんな熱心に研究してるのかも分かってないみたいなんだ」

「ひょっとして、本名も分からないから“ドクター”なんですか?」

「そういうことだ。昔、そう呼ばれてたってことは覚えてるらしい」

「ねえねえ! そんなことより見てよこれ! ほら!」

 ドクターが自慢げにバンボに叩いて見せたのは、人間大の大きさの透明なガラス容器。その中には、白い鱗粉が二本の渦を作りながら緩やかに舞っていた。

「なんですか? これ」

「これはね、リアライズシステムっていうんだ! リアライズシステムは西暦二一五六年にミスターⅢが発明した画期的な機械生命体でね、限定された空間内の重力を人の意志で操作することができるんだよ! 上から重力を働かせて疑似的な無重力空間を作り出したり、周りの物を集めたりできるんだ! 白く光ってて綺麗だろう!? 本当は目に見えないくらい小さいんだけど、たくさん集まってる所だけがこうやって目に見えてるんだ!」

「は、はぁ……」

「それでねそれでね! このワイヤーは僕の特製でね、そのリアライズシステムを混ぜ込んで原子間の結合を強化してるんだ! 何があっても切れないんだよ! それから、今ここで渦巻いてるこれは――――」

「きりがないね。その辺にしときな。バンボ。ちなみに今ドクターが言ったことは全部最重要機密だ。私とササニシキ以外の誰にも言うんじゃないよ」

「分かりました。え、あの、でも、僕はそろそろ訓練が……」

「ああ、そうだった。時間を取らせて悪かったね。行ってきな」

 バンボはフライエとドクターに一礼してから、研究室を出て行った。

 電灯の薄い灯りの下、ドクターがフライエにぼそりと零した。

「随分と、暗い目をした子だねぇ」

「そうさね。あの子はいつだって悩んでる。自分のやりたいことと、自分の力量の差に苦しんでる。そりゃあ、あんな暗い顔にもなるさ」

「いいじゃないか。若者とはかくあるべきだよ。悩んで答えを見つけて行かなきゃ、大人にはなれない」

「そうなんだけどね……。私としては、もう少し若者らしく恋愛でもして欲しいんだよ」

「彼には、いい相手がいるのかい?」

 ドクターはフライエの顔と紙に目線を往復させながら、紙に羽ペンで何かを描き始めた。フライエが似顔絵でも描いているのか思って覗いて見ると、何故かそこに描かれていたのは、積まれた石の絵だった。

「バンボが意識してるだろうなってのは、一人いるね」

 ドクターが笑顔になり、ペンを動かす手が速くなった。

「同い年か年下? それとも、年上かい?」

「年上だよ。片思いさ」

「そうか……。じゃあ、上手くいかないだろうね……。何かに打ち込む若者には、恋愛を両立させるのは難しい。若い女の子は自分より上の人に目が行きがちだから、年上相手は特にね」

「同感だよ。取り分け奥手だからねぇ、バンボは」

 ドクターは描き上げた絵を置いて、寂しそうに目を細めた。

「失恋もまた青春だ。先に苦しさを知っておけば、きっと、彼は次に好きになった人を大事にできるよ」

「へぇ……。今日は珍しく、やけにしっかりと話すじゃないか。……、ドクター。あんた、昔何かあったのかい?」

「ん? んー……、よく思い出せないなぁ……」

 ドクターは真剣に記憶を蘇らそうと頭を捻っていたが、次第に飽きて研究室の機械を弄り始めた。






 基地の外に出たバンボは、訓練に向かう途中、ぼぅっと空を見上げるエメルダを見つけた。

「エメルダ!」

 エメルダの名を呼んで、バンボは彼女に駆け寄って。物憂げな瞳をバンボに向けたエメルダは、慈しむような微笑み。

「さっきの、何の用だった?」

「なんか、前の世話役が死んじゃったから、俺に変な爺さんの面倒見ろってさ」

「えー、何それ」

 エメルダは可笑しそうに笑ったけれど、バンボにはエメルダの目に暗い感情が潜んでいるように見えた。

「バンボは、フライエに信用されてるね。すごいじゃん。どんどん強くなってるし」

「いや、気まぐれで選んだだけだろ……、俺なんて……」

 エメルダがバンボの頭に手を乗せた。優しくバンボを撫でるエメルダの顔は、まるで母親のようで。

「エメルダ……?」

 バンボは恥ずかしさよりも、不思議な感覚を強く持った。なんとなく、エメルダが遠くに行ってしまうような、そんな不安がバンボの心に見え隠れした。

「ほら、そろそろ行かなくていいの? 訓練あるんでしょ?」

「あ……、うん……」

 エメルダに言われて、バンボは走り出した。

 ふと、バンボが走りながら振り返ると、エメルダはまた遠くの青空を見上げていて。バンボは胸にこびりついた不安を忘れようと、必死に足を動かした。






 そして、その一週間後。エメルダはインドラジットを抜けた。

 “ただの家出”程度に思われていた彼女の失踪は、しかし、サントリデロが終わるその日まで続くこととなってしまった。

 エメルダが姿を消して三日も経つと、心配したフライエたちがエメルダを探し始めたが、彼女が見つかることはなく。フライエもササニシキも、エメルダを止めなかったことを深く後悔した。

 エメルダがいなくなり、バンボは胸に風穴が空いたかのような心地で日々を送った。エメルダとまた会えるような気がして、誰もいなくなった空き小屋で一人過ごしてみたり、ふと無性に会いたくなって街中を探し回って見たりもした。

 けれど、バンボがエメルダを見つけることはなく。

 時は流れ、バンボの中でもエメルダという存在が思い出だけのものに変わっていき――――

 そうして、バンボ・ソラキの初恋は終わった。






 エメルダがいなくなってから、数か月後のことだった。

 バンボがフライエの買い物に付き添って、サントリデロの大通りを歩いていると、彼らの向かいで悲鳴が上がった。

「泥棒だ!! 誰か、そいつを止めてくれ!!」

 慌てながらも人の波に流される男と、鞄を握って人混みを掻き分け逃げて行く男をバンボは視界に捉える。

 フライエはやれやれといった口調で、バンボに言った。

「バンボ。行ってやんな」

「分かりました」

 バンボが人混みを縫って走り出し、逃げる男を追いかけた。

 流れる人の歩みを丁寧に避けていくバンボの俊敏な身のこなしを見るや、泥棒の顔色がたちまち変わる。このままでは掴まると思ったのか、泥棒は大通りを外れて、廃屋の割れた窓に飛び込んだ。

 バンボは窓枠に手足を掛けて素早く廃屋の屋根に這い上り、泥棒が廃屋の裏口から別の通りに出る所を見つけた。

 泥棒を追い、バンボが建物の屋根から屋根へ飛び移る。高さ三メートル程の家々が続く上を、ローブを翻して駆けて行く。

 泥棒が袋小路に入った所で、バンボは泥棒の背後に飛び降りた。

「くそ! なんだお前……!」

 冷静さを欠いた泥棒がバンボに鞄を投げた時、泥棒の運命は決まってしまう。

 バンボは泥棒に向かって足を踏み出し、投げられた鞄を掴みながら、その勢いで泥棒の頭に上段蹴りを打ち込んだ。

「あ……、あ……?」

 泥棒は白目を向きながら地に倒れ、呆気なく意識を失った。

「……、よし」

 バンボは足と手首を回して、己の身体能力に感じる手応えを噛み締めた。

「まあまあの動きだ。そこで調子に乗るんじゃないよ」

 鞄を盗まれた男とのんびり歩いてきたフライエは、正に調子に乗りかけていたバンボの心に釘を打った。

「ありがとう! 助かったよ!」

 バンボから鞄を受け取り、男はお礼を言って去って行く。その後ろ姿を見送りながら、フライエはバンボにりんごを一つ投げ渡した。

「よくやったね。動きはまだまだだけど、人助けができたことは上出来さ」

 嬉しそうに微笑むフライエに褒められて、バンボは少し照れながらりんごをかじる。

「……、ありがとうございます」

 フライエと共にインドラジット支部に戻ってきたバンボは、見張り役の男に腕を引っ張られ、屋内に戻されているドクターと目が合った。

 見張り役の男に放してもらったドクターは、バンボに「あはあは」と変な笑い方をしながら近寄った。

「カニ!」

「……、は?」

「カニ!」

 バンボが困った視線をフライエに向ける。フライエも訳が分からないといった風に首を振った。

「ドクター、“カニ”って何?」

 ドクターが両手でピースをしながら、満面の笑みのままピースを作る指でバンボの腹を突っついた。

「いてっ。いてっ。ちょっ、何すんだあんた」

「しりとりしよう! カニ!」

 ――――なんだ、しりとりか。でも、“カニ”ってなんだ?

「じゃあ……、肉!」

「クジラ!」

「……」

 ――――だから、なんだよそれ。

 バンボは聞いたこともない単語ばかり挙げてくるドクターに辟易し、とっとと彼を部屋に戻すことに決めた。

 荒野の広がるこの星に海はなく、お地蔵様から流れる川しか棲む場所のない水生生物の種類は、限りなく少ない。

 つまり、この星には、カニもクジラも存在しないのである。

「よしドクター、俺の負けだ。あんたはしりとり強すぎるからな。そろそろ部屋に戻ろうや」

「分かった!」

 意気揚々と屋内に戻るドクターを意外そうに見つめるのは、ドクターを引っ張っていた見張り役の男。あっさりドクターを部屋に帰したバンボに感心しているらしかった。

「はー。慣れたもんだ」

「寺子屋が休みの日は、いつもドクターの面倒を見てもらってるからね。ドクターもバンボを気に入ってるみたいだ」

 フライエがバンボとドクターに微笑ましさを抱く。バンボとドクターが親子のようだと、フライエが二人を見つめていると――――

 バンボがふと、立ち止まった。

 建物の中に入る直前に、入口の前で地面をつついていた鳩が、バンボとドクターの目の前で飛び立ったのだ。バンボは鳩を目で追い、彼の目はそのまま鳩が飛んで行く青空に釘づけにされた。

「どうしたの? バンボ君」

 ドクターが振り返り、一緒になって空を見る。空を羽ばたく鳥を見る。

「鳩だ」

「……」

 バンボは飛び去った鳩の姿が見えなくなっても、見上げる顔を下げはしなかった。

「俺たちもあんな風に自由だったら、いちいち狭苦しい想いをしなくて済むんだろうな」

 心の底から口を通して出てきたバンボの感想は、ドクターの顔に父親のような温かい表情を浮かべさせた。

 ドクターはバンボに目を向けて、言った。

「若者が鳥を見上げて自由を想うのは、いつの時代でも同じなんだねぇ」

 バンボがドクターの方へ目を下ろす。バンボの目には、微かに涙が浮かんでいる。

「鳥は飛べるけど、僕のご飯を作ることはできないよ」

「……?」

「バンボ君は飛べないけど、僕のご飯を作ることができる。それが、自由と責任というものだ」

 バンボはきょとんとしてドクターを見つめた。ドクターの言葉はバンボにとって余りにも唐突で、理解し切れない物だった。

「……。んー……、よく分かんないな。ドクター、あんたの話、難しいよ」

「直にそうでもなくなるさ。君なら大丈夫」

「ははっ、あんがとさん」

 ドクターは建物の中へと入って行った。バンボもそれについて行こうとしたけれど、バンボは足を動かす前に、もう一度空を見上げていた。


 いなくなってしまった、あの人のことを思い出して。


 バンボは飛び去った鳩の姿を青空に探し、何処にもその姿がないことを認めると、涙を拭いて、足を踏み出した。







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