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非天  作者: 山中一郎
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第八話  過去 -サントリデロにて-     その三


 バンボがサントリデロに来てから二年目のある日、兵士訓練を終えたバンボは、いつも通りにフライエと道場に向かった。道場の前にはエメルダが待っていて、バンボたちがやって来るのを見て、軽く手を振った。

「まずは飯を食わないとねぇ。バンボ、教えてやるから手伝ってくれるかい?」

「はい」

 道場には簡単な炊事場が備えられていて、フライエはそこに肉や野菜を持ち込み、自分とバンボたちの夕食をこしらえ始めた。

「エメルダ。あんたも手伝いな。何度も教えてやっただろう」

「え……。はーい」

 口答えをしかけたエメルダは、フライエの目を見て慌てて返事を変えた。

 炊事場に三人で入ると少し狭く、バンボはフライエに頼まれて肉を切りながら、肩に当たるエメルダの背中の感触に頬を染めた。

「エメルダ! ちゃんと大根洗わなかっただろう! 土が付いたままだよ!」

「あれ? ごめん」

「仕様のない子だよ! 腹壊しても知らないよ!」

 フライエに叱られたエメルダは、平気な様を装っているつもりだったのかもしれないが、バンボにはやはり落ち込んでいるように見えて。

 バンボは何かエメルダに声をかけてあげようとしたけれど、バンボは何も言葉を思いつかなかったし、何より恥ずかしかったので、結局エメルダに何も言ってあげられなかった。

 出来上がったのは、甘辛い味付けの肉野菜炒めと白米、それから塩味の野菜スープ。

 野菜スープはエメルダが作った物で、その中に入っている野菜はどれも不恰好に切られており、彼女の不慣れさが見て取れた。

「バンボの方が包丁に慣れてるじゃないか」

 ふと、フライエがそんなことを言ってみれば、エメルダは途端にむきになって。

「それは……! だって、バンボはいつも訓練でナイフとか振り回してるでしょ! だから――――」

「どうだろうねぇ。一応簡単な料理も寺子屋で教えてるはずだけど」

「あ! そういう話に持ってくんだ!? 言っとくけど、あのヤマモトとかいう先生、料理の授業めちゃくちゃ適当だったから! 別に私がサボってたのが悪い訳じゃないから!」

「やっぱりサボったんだね! あんた、いい加減にしな!」

 バンボも先日あった調理実習のことを思い出し、エメルダの話に乗った。

「そういえば確かに、この間の料理の授業、あの先生ほとんど何も教えてくれなかったな」

「あれ、本当かい? あいつも仕様がないねえ。どうも自分の考えを子供に押し付けたがる。こっちで決めた教育方針も聞きやしない」

 バンボはそれを聞いて、ほっとした。フライエがヤマモトと同じような価値観を持っていないとはっきり分かったことは、バンボを安心させた。

「しかし、酷い形だねぇ」

 フライエが改めて、スープに入っている厚みと形が不揃いな人参にけちをつける。すると、エメルダは軽く口を尖らせた。

「しつこ……っ!」

 流石に何かエメルダに言ってあげなくてはと、バンボは思って。スープを飲んでから、言った。

「いや、でも、美味しいから……」

 エメルダの顔がぱっと華やぐのを、バンボは見た。

「ほら!」

「はは! あとは見た目さえよければ完璧だね!」

「むかつく!」

 フライエに散々馬鹿にされ、エメルダは悔しそうにバンボが作った肉野菜炒めを睨んでいた。

 バンボの特訓が始まると、いつも道場の隅で、バンボがボロボロになっていく様を見ていたエメルダが、その日はこそこそと姿を消した。

 恐らく、エメルダは炊事場に行ったのであろうということは、バンボにも容易に想像できた。事実、エメルダはフライエに馬鹿にされ、悔しくなって包丁の練習をしに行ったのだった。

 休憩中、フライエはエメルダがいない隙に、バンボにこんな話をし始めた。

「バンボ。あんたに話しておきたいことがある。これは、この支部では私以外に誰も知らない話だ」

 バンボは思わず口を半開きにさせていた。他の誰も知らないようなことを、フライエが自分に教える意味が分からなくて。

 当時のバンボには、それだけ彼がフライエに信頼され、期待を寄せられていることの証だという発想はできなかった。

「ビジョウ・グアラザには、一人娘がいる。母親が誰かは分からないが、ビジョウはグアラザ自治領中央塔で、誰にも知られないようにあのお方を育てているんだよ」

 それは。

「ケアン・ランスヘルム。それが、あのお方の名前だ。もっとも、私はあの人に“ランムリア”というもう一つの名を付けたがね」

 それは将来、バンボが守ることになる、一人の少女の話だった。

「私は以前、ランスヘルム自治領で夫と共に領主として街を治めていた。でも、ランスヘルムにやって来たビジョウに立場を追われた上に、私は中央塔に連れて行かれ、まだ産まれたばかりだったランムリア様の世話をするよう命じられた。ビジョウは赤ん坊の育て方を知らなかったんだろうさ。私は育児だけじゃなく、ランムリア様のしつけや教育まで、全てをビジョウから任された。奇妙なことに、ビジョウはランムリア様のことに関しては、私に何の指図もしてこなかった。本当に、心優しい立派な女性にするようにとだけ念を押されてね」

 正直な所、バンボにとってそれはあまり聞きたい話ではなかった。

 ビジョウの人間らしい、それも父親としての一面など、バンボには鬱屈した感情をもたらす唾棄すべき情報に過ぎず。

 むしろバンボは、そのランムリアという少女をどうにかビジョウへの復讐に利用できはしないかと考え始めた。

「ビジョウの娘を育てろと言われて、私は躊躇ったよ。一体、どんな恐ろしい子供なのかと思ってね」

 ビジョウに近づくために使えないか。使えないのなら、いっそ殺してビジョウに見せつけてやろうか。

 バンボは、そんなことばかり考えていたけれど。

「けどね、あのお方を育てていく内に、私は分かったんだよ。ランムリア様は、ビジョウのような化け物なんかじゃない。ビジョウの娘とは信じられない程可愛らしく、心優しい、なにより普通の人間だってね」

「普通……? 心優しい……?」

 バンボにはフライエが何を言っているのか分からなかった。あのビジョウの娘が心優しいはずがない。

 フライエの正気すら疑ったバンボは、フライエに尋ねた。

「それは、フライエさんがそう育てたからじゃないんですか?」

「……、そうかもね。でも、ランムリア様が産まれながらの正直者だというのは、私は確信してるよ。あのお方と一緒に過ごしたのは五年程でしかなかったけど、私にはそう思えたのさ。元々私には子供がいなかったからね。ただ、それだけ可愛く思えただけだったのかもしれない」

 フライエがランムリアのことを語る顔は、自慢の娘を話す母親のようで。バンボは少し、ランムリアに嫉妬した。

「これは、誰にでも話せる事じゃない。ビジョウの娘と聞けば、目の色を変える連中はいくらでもいる。ランムリア様の素性を、できるだけ多くの人に知られないようにしてあげたいんだよ」

「どうして……、僕にそんな話を?」

 フライエはバンボと目を合わせた。フライエのその目は、至極真剣であった。

「バンボ。あんたには、私の同志になってもらいたいのさ。ランムリア様をビジョウの呪縛から解き放つためのね」

「ビジョウの呪縛……。ですか……?」

「ああ。ビジョウは何かを企んでる。それが何かは分からないが、ランムリア様を使ってビジョウは何かをする気なんだ。そして、ランムリア様はそれを知らない。ビジョウが心穏やかな紳士だと、尊敬すべき父親だと思い込まされたまま、ビジョウの企む何かに利用されているんだよ」

 少しずつではあったけれど、バンボの中で、ランムリアに対する想いが変わっていった。

 この世で最も信用する人に騙され続ける一生を送っているのだと思うと、バンボはランムリアのことが哀れに思えてきてしまう。

「ビジョウはランムリア様を不幸にする。近い未来、奴はランムリア様に本性を見せるでしょう。幸い、ランムリア様は良識のあるお人に成長なされた。しかし、それ故にランムリア様は苦悩なさるに違いない」

 フライエの目は真っ直ぐにバンボに向けられていた。バンボはそれを受けて、フライエが強い決意に動かされているのだと悟った。

「あのお方を、ビジョウの下から救い出さねばならない。それが私たちの生きる意味。あの人へ誓わなくてはならない忠誠だよ。バンボ」

 バンボには、フライエの期待が重く感じられた。例えフライエと共に背負うのだとしても、その責任は余りに重かった。

 悩んで。悩んで。

 そして、バンボは。

「……、分かりました」

 バンボは頷いていた。

 何故だっただろうか。バンボは見たこともないランムリアという少女のことと、フライエの決意を想うと、熱い感情が胸に湧き上がるのを感じた。

 ランムリア。ビジョウの娘。仇の娘。

 しかし、それでも。

 バンボはフライエと共に、ランムリアのために戦うことを受け入れたのであった。

「ありがとう……。バンボ……」

 バンボの返答を聞いたフライエは、涙を流してバンボを抱きしめた。

 フライエの胸に抱かれたバンボは、亡き母親のことを思い出し、懐かしい感覚に心を落ち着かせていった。






 サントリデロでの生活が五年目になった頃。

 中等部の授業を受けていたバンボは、相も変わらず周りに馴染めずにいた。

 休憩時間になると、寺子屋の男子がバンボの座る机に肘を乗せ、脅すような顔を作った。

「おいバンボ! 今日も墓掃除やっとけよ~! 今日俺当番だけどさ~。お前と違って忙しいからよ~」

「かっちゃん! 今日も女子たち来るってさ! 流石かっちゃん、モテるぅ~!」

「“かっちゃん”は止めろって言ってんだろ! 餓鬼じゃねーんだからよ!」

 バンボが机に手を叩きつけ、男子たちを黙らせた。

「ああ? なんだバンボ。口答えすんのか? フライエさんに気に入られてるからって調子こくなよ?」

「黙ってろ」

 バンボは一言そう言って、寺子屋から出て行った。

「かっちゃんどうする? バンボのやつ墓掃除しないかも」

「大丈夫だって。なんだかんだで放っとけばバンボが勝手に掃除するだろ。いつものことじゃん」

 外でたむろしていた女子たちが気味悪そうに、寺子屋から出てきたバンボから距離を取った。

 他の生徒たちは寺子屋が終わると、遊びに行く約束に花を咲かせる。しかし、バンボは一人そこから離れ、墓地へ向かった。

 ――――俺には、遊んでる暇なんてない。今日も訓練があるし、大体、あんな風に人を気持ち悪がるやつらと、仲良くする気なんてさらさらない。

「遊ぶ……。遊ぶ必要なんて……」

 誰にも聞き取れないくらいにくぐもった声で、バンボは呟いて。バンボは墓の掃除に行くことにした。

 まだ訓練が始まるまで時間が余っていたし、やはり、墓に運ばれているであろう死体をそのままにしておくのは、バンボには気が引けた。

 バンボが墓に着くと、いつも通り、そこには死体が積まれていた。その日は、四人分。

 焼却炉に火を起こし、死体を全部焼却台に載せ、焼却台を焼却炉に押し込んだ。

 バンボは倉庫からシャベルを持ち出し、遺灰を埋める穴を掘り始めた。

 バンボは一心不乱にシャベルを動かした。

 今も昔も、サントリデロに来るまでも、サントリデロに来てからも変わらぬ、気が狂いそうな程に窮屈な日常から逃避するように。

 ――――やらなくちゃいけないことをやっているだけなのに、どうしてこんなに苦しく感じるんだろう。

 ――――ビジョウを殺すために、俺はやるべきことをやっている。毎日飯も食えるし、寝る所だってある。何より、やりたいことのために頑張ることだってできる。俺は、充分自由だ。なのに。

 ――――なのに、どうして、こんなに息苦しく感じるんだろう。 

「今日もやってる。飽きもせず、よくこんな所に来る気になるね」

 せっせと土を放るバンボの所にやって来たのは、エメルダだった。

「また押し付けられたの? 寺子屋のやつらなんかより、バンボの方が強いでしょ? みんなボコボコにしてやればいいのに。そしたら、バンボにちょっかい出すやつなんていなくなると思うけど」

「……」

 エメルダの声が聞こえているはずなのに、バンボは返事をしなかった。

「意気地なし」

 ぴくりと、バンボの手の動きが少しの間だけ止まる。すぐにバンボは再び手を動かし始めたが、エメルダはそれを見て、呆れるような、少し嬉しいような、そんな笑みを浮かべて。

「バンボも放っとけば? 死体なんて、勝手に腐ってなくなるでしょ?」

「死体は腐ると疫病の元になる。ちゃんと火葬しとかないと、この辺にもっと死体が増えることになる」

「ふーん。なら、別に埋める必要なくない?」

「……。やっぱ、死んだら墓くらい作って欲しいもんだろ」

「どうかなぁ」

「いいんだよ。埋めるのは、俺がそうしたいだけだ」

 バンボが穴を掘り、それを横でエメルダが眺める。

「いいけどさ、早く終わらせておやつ食べようよ。さっき食堂から貰ってきたから」

「先に食ってていいよ。っていうかそれ、絶対勝手に持って来ただろ?」

「……。ここ臭いから嫌。早くあっち行こう? どうせなら、バンボも私と一緒がいいよねー?」

「……、別に」

 バンボは穴を掘り終えると、エメルダと一緒にいつもの空き小屋へ向かった。

「焼却炉は?」

「どうせ灰になるまで時間かかるから。訓練終わったら埋める」

「はー。頑張るなぁ、バンボは」

 少しずつエメルダの歩幅が小さくなっていき、遂にはエメルダは立ち止まってしまった。

「私も……、きっと、このままじゃ駄目だよね……」

 栗色の髪を手でかき上げ、物憂げに青空に目を向けるエメルダを、バンボは不思議そうに見つめた。

「……? エメルダ?」

 バンボの声に我に返ったエメルダは、持っていた袋からりんごを一つ取り出し、バンボに渡した。

「……、ありがとう」

 バンボがお礼を言うと、エメルダは満足そうに笑った。

 二人が点々と鉄屑が埋まる道を歩いていると、向かいの道からササニシキがやってきた。

 ササニシキはエメルダと一緒にいるバンボを見ると顔をしかめたが、なんとも思っていない風を装った。

「バンボ。フライエさんが呼んでたぞ。一緒に来い」

 バンボとエメルダが何かと思って顔を見合わせると、それを見てまたササニシキは顔をしかめさせた。




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