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非天  作者: 山中一郎
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第八話  過去 -サントリデロにて-     その二

「なるほど。それで弟と別れて、サントリデロに来たって訳だ」

 インドラジットのサントリデロ支部の基地で食事を与えられたバンボは、空腹を満たそうと食事にがっついていた。フライエに尋ねられ、身の上を語ったバンボに、フライエは表情を変えはしなかった。

「ビジョウを殺すと言ったね。あれ、本気かい?」

 フライエにそう聞かれると、バンボは食事の手を一旦止めて、考え込んだ。

「本気……。本気だ。でも……、正直どうしたらいいのか分からない……。勝てるのかも、分からない……」

「普通に考えれば、無理だね。あいつは人間に殺せるようなやつじゃない」

「……」

 バンボが黙ると、フライエも黙った。フライエはバンボの言葉を静かに待ち続けた。

 やがて、バンボは声を震わせながら、フライエに言った。

「でも……、でもさ。やっぱり、むかつくよ。今もあいつが何処かで笑ってるかと思うと、無性にむかつくんだ」

 その目は怒りに満ちていた。バンボの中に渦巻く怒りは、両親の殺された姿を思い出し、留まることなく膨らんでいく。

「だから、俺は強くなりたい。ビジョウをぶっとばせるくらいに、強く」

 フライエはバンボのその言葉を聞いて、バンボが気付かない程小さな笑みを見せた。

「ビジョウを殺すなら、並大抵の努力じゃ済まないってことは分かってるだろうね?」

 バンボはフライエに頷いた。

「そうかい。だったら、私があんたを鍛えてやる。ビジョウを殺す道も示してやるよ。あんたは今日から、私たちの仲間だ」

「仲間……」

「私はフライエ。あんたの名前は?」

「……。バンボ。バンボ・ソラキ」

「よろしく。バンボ」

 フライエの笑顔が、バンボの中で亡き母の笑顔と重なった。

 バンボは無性に恥ずかしくなって、顔を赤くしながらフライエから目を逸らし、スープを飲んだ。

「今日は疲れただろう。それを食べ終わったら、寝るところへ案内してやるよ」

 フライエはそう言った後で、頭を掻きながら困った様子を見せた。

 フライエの所々での仕草が、どれも女性らしくないようにバンボは思えた。何処となく豪快さを持つフライエは、父親に受けるような畏怖の念もバンボに抱かせた。

「おーい! ササニシキ! どっかに空いてる部屋はなかったかね!?」

 フライエに呼ばれてやって来た屈強なその男は、慌てて部下と共に基地の空き部屋を調べた。

「すみません、フライエさん。どの部屋も荷物やら汚れてやらで……」

「はぁ? だらしがないねえ。私も手伝うから、今度掃除するよ!」

「は! 申し訳ありません!」

 ササニシキは図体に似合わず、フライエの顔色を恐々と窺がっていた。

「仕方ないね。それじゃあ、今晩はあんたの姪が使ってる部屋に泊めさせることにするか」

 フライエがやれやれと腰を上げると、ササニシキは慌てた。

「エ、エメルダのとこですか!? うちの姪っ子を、そんな何処の馬の骨とも分からない男と寝させる気ですかい!?」

「人聞きの悪いことをでかい声で……。男って言ったって、こんな子供じゃないか。馬鹿馬鹿しい」

 フライエに連れられてその場を去ったバンボは、ササニシキの鋭い視線が背中に刺さるのを感じた。






 翌日。バンボのインドラジットでの生活が始まった。

 インドラジットのサントリデロ支部では、構成員の子供や拾われた子供たちが教育を受ける、“寺子屋”という制度があった。

 寺子屋では、読み書きや計算、道徳や当時の政治の仕組み等が教えられていた。

 フライエに言いつけられ、バンボもこの寺子屋に通うこととなった。

 当時十歳だったバンボは、初等部と呼ばれる、六歳から十二歳の子供が通う部屋に入れられた。

 しかし、バンボには一つ問題があった。

「おい見てみろよ! こいつ、十歳のくせにひらがなの練習してるぞ!」

 初等部の寺子屋には二十人くらいの子供が集まっており、皆同じ部屋で授業を受ける。六歳から十二歳まで、様々な年齢の子がいる。

 運の悪いことに、当時はバンボ以外には、六歳の頃からそこで教育を受けていた子しかいなかった。

 途中から入って来たバンボは当然、十歳でありながら、本来六歳の子が受ける教育から始めなくてはならない。

 そんなバンボは、子供たちからすれば恰好のいじめの的だった。

「気持ち悪ぅ~! 頭悪ぅ~! 馬鹿みてぇ~!」

「かっちゃんちげーよ! 馬鹿なんだよこいつ!」

「私ね、私ね、お父さんに聞いたよ! この人、よそ者の不良だから一緒にいたらいけないんだって!」

 教壇の椅子に座っていた教師が、バンボを見て騒ぎ立てる子たちを小突いた。

「おい! そんなことを言っていいと思ってるのか!? ちゃんとバンボに謝れ!」

 教師の一喝により、子供たちは互いの顔を見合わせた後、バンボにしおらしい様子を作って謝った。教師に見えない角度から、バンボに小馬鹿にした笑みを向けながら。

「ごめんなさーい」

「ほら、バンボも。もういいな?」

 すると、バンボは。

「死ね」

 そう答え、教師に引きずられて廊下に連れ出された。

「バンボ、お前、自分が何を言ってるのか分かってるのか! あいつらも悩んで悩んで、反省して謝ったんだ! だったら、お前もそれを受け入れるのが筋だろうが!」

「言ってる意味が分かりません。あいつら適当に謝っただけじゃないですか。言うだけ言っといて、他人に軽く小突かれただけで終わりですか?」

「いいかバンボ! お前は野蛮な考えに染まり切っている! 自分が我慢して和を保つことも社会の一員として大切な能力だ! 今後一切、あんな口の利き方をするな!」

 教師は激昂して、最後にバンボの頭を掴みながら、念を押した。

「分かったな!?」







「ひとっつも分かんねえ」

 寺子屋から幾分離れた所にある空き小屋の軒先で、バンボは悪態を吐いた。

 地面に座るバンボの隣で、木箱に腰掛けるのは、エメルダ。

「あー、初等部のヤマモトだっけ? うざかったなー、あの先生。私あの人嫌い」

 そう言って、エメルダは大きく伸びをした。

 昨晩、エメルダの部屋に泊めてもらったバンボは、朝、部屋を出る時にエメルダからこの場所のことを聞いた。十三歳のエメルダは中等部で授業を受けるはずなのだが、「私、昼間はそこで授業サボってるから」と、悪びれもせずにそう言って見せた。

 担任教師のヤマモトに散々怒鳴られた後、バンボは休憩時間にこの空き家のことを思い出し、エメルダに会いに来たのであった。

「エメルダは本当に寺子屋行かないんだな」

「んー? まあねー。私が行くと寺子屋の男子共が色目つかってくるからさー」

「へぇ」

「あ、何それ! 言っとくけど本当だから! ほらほら、バンボも私が気になるでしょ?」

 エメルダにそうやってからかわれると、バンボは顔を赤くして俯いてしまった。げらげらと笑いながら、エメルダはバンボを突っついて。からかわれていることに怒りながらも、バンボは段々と機嫌を直していった。

「バンボもサボってここにいようよ。勉強なんてつまんないでしょ?」

「いや……。俺、勉強はするよ」

「えー?」

 バンボが少し悩んで答えると、エメルダはつまらなそうに脚をぱたぱたと揺らした。

「やっぱり、頭良くならないと、一人で生きていけないと思うし」

「ふーん。まあ、いいけどさ」

 どこからくすねてきたのか、エメルダは豆を地面に撒いて、鳩に餌をやった。

「じゃあ、俺そろそろ戻るから」

 休憩時間が終わる前に寺子屋に戻ろうと、バンボが立ち上がった。

 空き小屋から離れて行くバンボに、エメルダはからかうように、優しく言った。

「他のやつらにいじめられたら、またおいで。甘えんぼのバンボ君」

 それを聞くや、バンボは顔を赤くして振り返って。

「子供扱いすんな!」

 そう返したけれど、エメルダは腹を抱えて笑っていた。







「来たな問題児」

 その日の寺子屋の授業が全て終わると、バンボはフライエに言われていた通り、基地の傍にある“道場”にやって来た。

 畳という、バンボが見たことのない様式の床を持つ道場で彼を待っていたのは、エメルダの叔父であるササニシキだった。

「フライエさんにお前を兵の訓練に混ぜてやるよう言われている! 徹底的にしごいていくから覚悟しろ!」

「はい!」

「お? なんだ素直だな。ところでお前! バンボだったか? 貴様、昨夜はエメルダと寝たらしいな!」

「はい! 寝ました!」

「馬鹿野郎!!」

「痛っ!?」

 ササニシキがバンボを殴り飛ばした。バンボは訳が分からず、ササニシキに困惑した目を向けた。

「お前なぁ……、俺の可愛い可愛い姪になぁ……! 許さんぞぉおおおおおおおお!!」

「いい加減にしな」

 ササニシキの尻を蹴り、暴走を止めたのはフライエだった。何時の間にか道場に入って来ていたフライエは、呆れきった顔をしていた。

「あんたがそんなんだから、エメルダがいつまで経っても我が儘なままなんだよ」

「す、すみません……」

「ほら、とっとと始めな。そのために私ゃ仕事を切り上げてきたんだ」

「え? フライエさん、訓練を見学していくんですか?」

「そうだよ。そんでその後は、このハナタレを私が直々に鍛えてやるのさ」

 ササニシキは顔を青ざめさせてバンボの方を見た。

「こりゃあ……、すごいことになってきたな……。だがしかし! 俺も手加減はせんぞ! さあ行けバンボ! まずは外周二十周! コースは先に外で走ってる兵共について行って覚えろ! 置いて行かれないよう根性見せろよ!」

「分かりました!」

 バンボが外に走って行くと、ササニシキはフライエに言った。

「随分、あの坊主に目を掛けているようですね」

「ああ。どうなるかは育ててみなきゃ分からないが、今日のあいつの様子を聞いた感じじゃ、中々悪くない」

「……。そうですか? 何やら上手くやれていないみたいですが……」

「そういう問題じゃないんだよ。ほめ過ぎかもしれないが、あいつにはね、世の中を変える素質がある」

「はぁ……」

 ササニシキはよく分からないといった顔をして、フライエと共に道場の外に出た。

「思い切りはよくないが、度胸がない訳じゃない。他人が決めたルールを疑う頭もある。ちゃんと育ててやれば、世界さえ変えていける人間だよ。あのバンボって子は」

 楽しそうに話すフライエを、ササニシキは珍しそうに見ていたが、段々とササニシキの顔はバンボに対する同情の色を見せ始めた。

「私にはよく分かりませんが、まあしかし、バンボには同情しますねぇ……。あんな餓鬼があんたのしごきを受けて、それこそ逃げ出しやしませんかね」

 すると、フライエは笑って、言った。

「そん時ゃ、そん時だ。始末は私がするさ」






 バンボが兵士訓練を終えると、時刻はもう夕方六時を過ぎていた。寺子屋が終わったのが二時頃。それから四時間近く、基礎体力作りに加えて、射撃や剣術を習い続け、まともに訓練について行くこともままならなかったバンボは、へとへとになっていた。

「やれやれ。すっかりバテてるね。本番はこれからだってのに」

 疲れ果てて地面に仰向けになって寝転んでいたバンボは、自分を見下ろすフライエに冷や汗をかいた。

「ま、まだ何かあるんですか……?」

「安心しな。体力作りはこれで終わりだ。こっからはひたすら苦痛を味わうことになるよ」

「もう体力の限界なんですが……」

「弱音を吐いてる暇があったらとっとと立ちな。道場に戻るよ」

 フライエはバンボの顔の横に水筒を置き、道場へと歩いて行った。

 バンボは暫し、信じられないと言った顔で夕暮れの空を見上げていたが、意を決すると、水筒の水を一気に飲み干してフライエの後を追った。羊の胃袋で作られた水筒の中の水は、気化熱でよく冷やされていて、美味しかった。

 道場の中では、フライエとエメルダがバンボを待っていた。

「エメルダ?」

「夕飯まで暇だから遊びに来たの」

「遊びじゃないって言ってんだろ! エメルダ、あんた今日も寺子屋サボったらしいね! そんなんじゃこの先、生きていけないよ!」

 フライエの怒鳴り声に、エメルダはびくりと身を震わせた。

「ほっとけっつーの……。大体、見てても良いってフライエが言ったんでしょ?」

「そうなんですか?」

「ああ。男は女が見ていた方が張り切るからね」

 バンボは胸の内を見透かされたような感覚に襲われ、軽く狼狽えた。

「さあ、始めようか。まずは……」

 気を抜いていたバンボは、回転した視界と、そのすぐ後に感じた左肩の激しい痛み、そしていつの間にか床に倒れていた自分に、何が起こったのか理解が追いつかなかった。

 一方、傍にいたエメルダは、驚きに目を見開いていた。彼女には、フライエが目にも留まらぬ速さでバンボの左肩を蹴り、バンボが宙を舞って床に落ちる様を見たのである。

穿星せんせい流ランスヘルム式空手。その威力と動きを体で覚えてもらう。全力で私の動きを見極めな。あんたの体がぶっ壊れる前にね」

「……っ! はい!!」

 四時間後、全身あざだらけになったバンボは畳の上に倒れた。

 時刻は、夜十時を超えていた。

「今日はこれくらいにしとこうか。明日からは先に飯を食うとしよう。そこで寝てな。飯を作ってきてやるよ」

「あ、ありがとうございました……」

 フライエが道場を出て行くと、エメルダが立ち上がり、バンボの所へやって来た。

「すごかったねー。流石フライエ。年寄りの女とは思えない」

「速すぎて全然動きが見えなかった……。体がいてえ……」

 しゃがんでバンボの頬を突くエメルダは、道場に入って来たササニシキに鬱陶しそうな目を向けた。

「エメルダ、ここにいたのか。いつまで起きてるつもりだ。もう寝なさい」

「……」

 エメルダはつんとした態度で返事をせず、道場に気まずい沈黙が流れた。

 ササニシキは空気を誤魔化すように、倒れたままのバンボに話しかけた。

「ど、どうだった? フライエさんの特訓は」

「見ての通りですよ……」

 バンボはフライエに無数のあざを作られ、全身が動かなくなるまで痛めつけられた。

 ササニシキは酷い有様のバンボに、笑いながら言った。

「それだけお前に期待してるのさ。フライエさんは」

「……。期待……」

 バンボの中には、不安があった。彼には、フライエの期待に応えられる自信が全くなくて。ただ、小さいけれど、彼の中に残っていた「強くなりたい」という気持ちだけが、彼を動かしていた。

 かくして、それから十年もの間続く、バンボの地獄の特訓の日々が始まった。




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