第七話 迷い子二人 その四
フリューゲルの機銃が地面を穿つ。スペシメンの体は人間と同等の大きさしかなく、その上動きは人間より素早い。
「速い。速いが……」
アンリが操縦桿を倒し、フリューゲルを加速、前進させた。
フリューゲルの機体を使った体当たり。スペシメンの進行する場所を先読みし、高速度のフリューゲルがスペシメンの背中に突き刺さった。
「捉えられない程ではない」
スペシメンが地面に埋まり、その胴体は潰されていた。しかし、まだ頭部は健在だ。
フリューゲルが離れると、スペシメンの体は急速に再生していき、腕が治るとすぐにその場から這いずって移動を始めた。
フリューゲルの機銃が火を吹き、スペシメンへと銃弾を撃ち込むものの、銃弾によるダメージを上回る速度でスペシメンの体は回復していく。
「だったら……!」
スペシメンが腕を伸長させ、滑空するフリューゲルの装甲を掴んだ。
しかし、アンリは操縦桿を操り、フリューゲルの機体を横に回転させて、それをいとも容易く振り払う。
「“焼いて”やる」
フリューゲルの機体下部のハッチが開き、そこから出てきたのは一発の焼夷弾。正確には、三十発の焼夷弾を束ねた、一束の束焼夷弾である。
落とされた束焼夷弾は空中で拡散し、スペシメンの頭上を中心に周囲百メートル程度に降り注いだ。
焼夷弾の燃料が着火され、スペシメンごと周囲を炎に包み込む。スペシメンは悲鳴を上げながら炎の中を這いずっていた。
人を恐怖に縮み上がらせ獲物として食らう化物が、全身を焼け爛れさせ、釣り上げられた魚の如くのたうち回る。
正に圧倒。
アンリはフリューゲルを操り、スペシメンに一切反撃を許さず、窮地にまで追い込んだ。
「……、ははっ」
アンリは笑った。カラサキの見下した言葉の数々を思い出しながら。
――――俺は勝てる。スペシメンにも、ビジョウにも。非天の男なんて尚更だ。
焼け落ちて行くスペシメンの体を見て、アンリは勝利を確信し、フリューゲルの機銃をスペシメンに向けた。
けれど、スペシメンはまだ、生きている。
スペシメンはアンリが両手で耳を抑える程の大声で悲鳴を上げ、“何か”を呼んだ。
一方、ランムリアは追ってくるバンボから逃げ続け、人がいなくなった街中を走っていた。
「ランムリア様! 待ってください! ランムリア様!!」
背後から聞こえてくるのはバンボの声。ランムリアはその声に追い立てられて、狭い道へと逃げ込んでいく。
物陰に隠れ、ランムリアはバンボが遠くへ行くのを待った。
辺りに何の音も聞こえなくなると、ランムリアは物陰から出て、そこから離れようとした。
すると、何処かから、獣ような唸り声がランムリアの耳に届いて。
ランムリアが音の出所を探して辺りを見渡すと、彼女の頭上から液体が落下してきた。
見上げてみれば、そこには――――
建物の壁に張り付き、唾液を口から零れさせる、もう一匹のスペシメンがいた。
大きさは先程現れたスペシメンよりも少し小さい程度。しかし、それでも人を何人も喰らったのが分かる程に、その口の周りは赤く濡れていた。
「ひ……っ」
恐怖に委縮したランムリアに、スペシメンが飛び掛かった。咄嗟に後ずさったランムリアの正面に着地したスペシメンは、ランムリアに牙を剥く。
「来ないで、来ないで……」
ランムリアの動きを見ながら、スペシメンは一歩ずつ距離を狭めて行き、ランムリアの目の前までやって来ると、口を開け、ランムリアへと迫った。
「嫌……、嫌!!」
スペシメンの牙がランムリアを捕える直前、スペシメンの体がみしりと、大きく歪んだ。
スペシメンの腹部に突き刺さったのは、バンボの右脚。
ガン・ウィンチの巻き取る力を乗せた、流星の如き一撃がスペシメンを蹴り飛ばした。
地面に転がるも、すぐに体勢を立て直したスペシメンが、ランムリアとの間に立ち塞がるバンボを睨んだ。
仮面を被ったバンボは、スペシメンへ向けてヴィブロブレードを構える。
「この人に近づくな」
そして、スペシメンが左腕を五メートル程の長さにまで伸ばし、バンボを掴もうとすると、バンボはヴィブロブレードでそれを迎え切った。
切り取られた左腕に構わず、スペシメンはバンボに突進を食らわせた。バンボは痛みに歯を食いしばり、スペシメンを蹴り飛ばした。
一昨日戦ったエメルダに比べれば、このスペシメンは遥かに弱い。バンボは短い間にそれを悟ったが、彼には一つ、問題があった。
スペシメンが再度突進を仕掛けてきた時、ランムリアはバンボの背後から、バンボが全身から血を流しているのを見た。
「バンボ……。その怪我は……」
「大丈夫です……。今ので少し、傷が開いただけで……」
バンボはそう言ったが、どう見ても危険な量の血が全身の傷口から流れ出し、足を伝って地面に溜まっていた。
エメルダとの戦いで負った傷は、未だ治り切ってはおらず。バンボはよろけながら、スペシメンの突進を受けた。
「バンボ!!」
バンボはスペシメンに突き飛ばされ、ランムリアの背後の壁にぶつかった。バンボの手からヴィブロブレードが地面に落ち、ランムリアの前に転がった。
地面に横たわるバンボに、ランムリアは思わず駆け寄って、バンボの服に滲む血の量に息を呑んだ。
「ランムリア様……、逃げてください……! 早く!!」
バンボの必死の叫びを掻き消すかのように、スペシメンが唸り声を上げ、ランムリアの腕を掴んだ。
スペシメンの牙が、ランムリアの肩に突き刺さる。ランムリアの口から悲鳴が漏れて、肩から血が流れ出した。
「ランムリア様!!」
バンボの目に映ったのは、スペシメンに牙を突き立てられたランムリアの姿。
その痛々しい姿に、バンボは思わず目を逸らしかけた。
「ごめんなさい、バンボ」
けれど、バンボは目を逸らしはしなかった。
何故ならば。
「私は、あなたのことを疑ってしまいました。私のために頑張ってくれていた、あなたのことを……。でも……、でも私は……、もう誰にも頼らない……!」
ランムリアの手には、バンボが落としたヴィブロブレードが握られていた。振動したままのヴィブロブレードを、ランムリアはスペシメンの首に向けて振り下ろした。
ランムリアがスペシメンの首を抉り、その血を浴びた。それでも、ランムリアの瞳は強く、真っ直ぐスペシメンに向けられていた。
「だから、私は戦います! あなたに守ってもらわなくても、自分の力で生きて行けるように!!」
スペシメンに殴られ、ランムリアの口から血が流れる。スペシメンの抵抗を受け、ランムリアが傷付いていく。
どんなに痛くても。どんなに辛くても。
それでもランムリアは、己の意志を高らかに、言い放った。
「私は、他の誰かじゃない、私自身で!! 自分の道を見つけます!!」
ランムリアのその瞳と、その言葉に。バンボは気高く、尊い意志を感じて――――
スペシメンが突き立てた牙をさらに食い込ませ、ランムリアの肩を噛み切ってしまう前に、バンボは立ち上がった。
スペシメンに押し倒され、ランムリアは肩に刺さった牙を通して、スペシメンの顎に力が込められたことを感じとり、背筋を凍らせた。
人を易々と食らう怪物にランムリアが敵うはずもなく、ランムリアは己が窮地に陥ったことを悟り、恐怖した。
「その人に……、近寄るなと……!」
その窮地を救うのは。
ランムリアを救うのは。バンボ。
「――――言ったはずだ!!」
死にかけの体に鞭打って、バンボ・ソラキがランムリアからヴィブロブレードを引っ手繰り、スペシメンの下顎を切った。
スペシメンは顎を切られ、危険を感じてランムリアから牙を離した。
バンボはスペシメンの顔を蹴り飛ばし、背後のランムリアに向け、言った。
「僕は……、あなたを守りますよ。例え、あなたが僕を必要としなくなっても」
スペシメンが起き上がる。切られたスペシメンの首と顎は、もう再生を始めている。
「あなたを外に連れ出したのは、僕だ。だから、僕はせめて、あなたを無事でいさせてあげたい」
バンボの体はもう、まともに動かすことも難しい。けれど、バンボにはまだ倒れることのできない理由がある。
スペシメンがバンボに掴みかかり、バンボがローブの下に隠した銃を抜く。
「これから、あなたが僕から離れてしまうのだとしても、僕は――――!」
スペシメンを左腕にわざと噛みつかせ、バンボは右腕に持つ銃の銃口を、スペシメンの頭に当てた。
「あなたが傍にいる今は! 僕は死んでもあなたを守る!!」
そして、バンボは引き金を引き、スペシメンの頭部に零距離射撃を撃ちこんだ。
スペシメンの頭蓋を突き抜けて、銃弾は脳を撃ち抜いた。
スペシメンが絶叫し、バンボから離れて。
そのまま力なく地面に崩れ落ち、全身のサンサーラ・システムの機能を停止して、スペシメンは絶命した。
「バンボ! 大丈夫ですか!? バンボ!!」
地面に崩れ落ちたのは、バンボも同じく。
ランムリアはバンボの手当をしようとしたが、バンボの傷はどれも深く、彼女には止血の仕方も分からない。
「なんで……? どうして私は、何にも知らないの……?」
思考を止めかけたランムリアは、頭を振って気を持ち直した。今は悩んでいる場合ではないと、彼女にも分かっていたから。
ランムリアは倒れたバンボを背負い、バンボの重たさによろめきながらも、歩きながら大声で助けを呼び続けた。
「誰か!! 誰かいませんか!?」
途方に暮れかけたランムリアを救ったのは、バンボの胸元にしまわれたアーカーシャの一声である。
「ランムリア。この近くで、バンボとあなたの名前を呼んでいる人たちがいます。右の道から大通りへ出てください」
「アーカーシャ……!」
アーカーシャの声を聞いて、ランムリアは不意に感じた嬉しさに声を震わせた。バンボと共に一緒に過ごした、もう一人の変わった友人。
ランムリアは、自分が本当は寂しかったのだと、その時ようやく理解した。
「アーカーシャ、ごめんなさい……。私は……」
「いいえ。ランムリア。私もマスターも、あなたに怒ってなどいません。大体、いつまでもうじうじしていたマスターにも非はあるのです」
「そんな……。バンボは……」
「あまりマスターを甘やかしてはいけません。ランムリア。さあ、助けを呼んでください。ここからなら、あちらにあなたの声が聞こえます」
以前と変わらぬアーカーシャのその調子が、ランムリアには無性に嬉しくて。アーカーシャを信じて、ランムリアは何度も助けを呼ぶ声を張り上げた。
そして、ランムリアの声は、やがて彼女とバンボを探しに来た、ラスターやビクトロたちに届く。
「ちょ……っ! バンボさん! 大丈夫ですか!? バンボさん!!」
「お願いします! バンボを助けてあげてください!!」
「ケアン様……。あなたもなんて怪我を……。ケアン様、御心配なさらず。急いで我々の拠点に向かいましょう」
ランムリアはラスターたちに運ばれていく傷だらけのバンボを見て、己の無力さを思い知った。
あるのは決意だけで、自分には何もできないのだと、ランムリアは深く実感した。
溢れてくる涙を、空を見上げて必死に抑えるランムリアは、何処か遠くから鳴り響く、猛々しくもまるで助けを求めるかのような、悲しそうな怪物の叫び声を聞いた。
一匹の怪物が鳴いていた。
焼夷弾の炎に焼かれ、身を爛れさせていくそれは、体を再生させていきながらも、悶え苦しんでいた。
アンリ・ソラキは、コクピットの画面に映るスペシメンが、何かを呼ぶように咆哮を上げ続ける様に、冷ややかな視線を向けていた。
「どうした? お前は誰を呼んでいる」
スペシメンの声は、次第に弱弱しく、悲しみの色を含んだ物に変わっていく。
「仲間か? 家族か?」
アンリはそんなスペシメンに語りかけた。
フリューゲルの外部スピーカーから発される、変声機越しの彼の声は、地上で泣き続けるスペシメンにも聞こえているに違いない。
「……。来ないさ」
スペシメンの動きが止まる。
「助けは来ない。例え、仲間でも。例え、家族でも。どんなに呼んでも、助けは来ない」
炎に巻かれ、地に横たわり。
「そんなもんだ。見捨てられる時ってのは」
アンリの言っていることが分かっているかのように、スペシメンは悲しく呻き声を、一つ上げた。
「だから、戦うんだ」
けれど。
「俺たちは、戦わなきゃいけないんだ。一人で生きていけるように。最後まで……。自分の力で」
けれど、スペシメンはその目を見開いた。
スペシメンが炎の中で、力強く立ち上がる。
炎に焼かれても、スペシメンの体は炎よりも赤く、その生命力を全体から溢れ出させる。
赤き鱗粉、サンサーラ・システムがスペシメンの体から吹き出して、スペシメンの再生力を増幅させていく。
スペシメンは叫んだ。生きる力に満ちた声で、高らかに。
アンリもそれに応え、叫ぶ。
「かかってこい! 最後まで、自分の力で生きてみろ!!」
スペシメンが跳んだ。建物の壁を蹴り、フリューゲルへ向かって。
アンリはすぐにフリューゲルのジェットを噴射させ、上昇させた。スペシメンはそのままではフリューゲルに手が届かないと分かると、腕を伸長させ、フリューゲルの装甲を掴んだ。
「掴まれたか!?」
スペシメンが腕を縮めて、フリューゲルに取り付いた。
スペシメンはフリューゲルの装甲を殴りつけ、激しく破壊していく。
激しく揺れるコクピットに警報が鳴り渡り、アンリはフリューゲルの機体を回転させた。スペシメンを振り払おうと、フリューゲルに空中で乱雑な回転運動をさせる。
だが、スペシメンは離れない。スペシメンは、決してその手を離さずに、フリューゲルの機体を打撃し続けた。
「なかなか、やる。本気だな……! 本当に、本当の、全力だ」
耳煩わしい警報を聞きながら、アンリは笑った。
「やるぞ、フリューゲル! こちらも全力を見せてやる!」
アンリがコクピットに備えられた、一本のレバーを引いた。
それはフリューゲルの持つ、“失われたはずの超技術”(ロストテクノロジー)のトリガー。
その名は、“Tempest Edge”(テンペスト・エッジ)。
機体の左右側面から、装甲下に収納されていた四本二対の棒が展開され、リアライズ・システムを噴出した。それぞれの棒には、噛み合う歯車状の刃が並んでいる。
そして、リアライズ・システムで棒の周囲に重力の渦を形成し、フリューゲルの左右に二本ずつ、内側に巻き込むように回転する竜巻が現れた。
直径十メートル、長さ十五メートルに及ぶ重力の渦であらゆる物を飲み込み、最硬の刃で押し潰す、破砕機だ。
テンペスト・エッジが展開したのを見るや、スペシメンは危険を感じて地上へと飛び降りた。
翼を失くした鉄の鳥。フリューゲルの左右に伸びる巨大な竜巻が、空に広がっていく。
グアラザ自治領中央塔。廊下の大窓から、ビジョウ・グアラザがそれを見た。面白そうに、頬を吊り上げて。
同じく、グアラザ自治領の民家の屋根に腰掛け、戦いを見ていたコッパーもまた、フリューゲルのその姿を見て、笑った。
「“ドクター”の作った、ビジョウへの切り札の一つ。今となっては、何の意味もない。だが……」
コッパーの見つめる先には、テンペスト・エッジを青空に広げるフリューゲル。フリューゲルのその様は、まるで巨大な翼を広げる鳥の如く。
「だが、その力は、確かにこの世界を砕き得る」
そして、アンリはスペシメンへ向け、フリューゲルを直進させた。
恐怖したスペシメンは咆哮を上げ、フリューゲルを威嚇する。スペシメンのその目は恐怖に囚われていたが、フリューゲルから逃げ切れないと悟ったのか、その目は意を決した鋭い物に変わった。
スペシメンが立ち向かう姿勢を見せると、アンリの目にも決意が宿る。熱く滾る、心の色が瞳に浮かぶ。
「受けられるものなら受けてみろ!! これが俺たちの力だ! どいつもこいつも、その目にしかと焼きつけろ!!」
フリューゲルが地面に急降下し、機体を横に回転させると、テンペスト・エッジが地面を抉る。フリューゲルに立ち向かうスペシメンへと、テンペスト・エッジが地面を引き裂きながら迫っていく。
スペシメンがフリューゲルの機体を殴り落とそうとした直前、アンリは操縦桿を傾け、機体を右にずらし、テンペスト・エッジの左翼をスペシメンへと振り抜いた。
「ぶっ潰せええええええええええええええええ!!」
無数の鱗粉から発せられる重力がスペシメンの体を飲み込み、鋼の刃が暴虐の限りを尽くして引き潰していく。
赤い鱗粉と、赤い血が激しく撒き散らされていく。
全身から全ての鱗粉が尽きるまで、スペシメンは体をテンペスト・エッジに引き潰されていき――――
大空へと舞い上がったフリューゲルが通った後には、スペシメンの体は粒になるまで分解され、跡形もなく消え去っていた。
「勝てる! 俺たちは勝てる!! スペシメンにも、ビジョウにも!!」
青く広がる空を飛び、アンリは空を舞う鳥たちに並んで、そう確信した。




