第七話 迷い子二人 その一
“はじめ増して、ランムリア様。この機械の使いかたがよくわからなくて、読みづらかったなら、申し分けないです。”
わざわざ胸元にしまった携帯端末を見るまでもなく、思い出せる。
それは、初めてあの人からもらった手紙。
一年くらい前、塔にいた頃。
夜、部屋でベッドの布団に包まっていた時に、私の携帯端末にその手紙は届いた。
最初は、正直焦ってしまった。
彼が誰なのか分からなくて、お義母様以外の人から手紙が届くなんて思っていなくて。
私は自分でも何を書いているのか分からないくらい、ごちゃごちゃした頭で返事を送った。
“あなたは誰? お義母様はどうしたのですか?”
あんな取り乱した手紙を見て、あの人はどんな顔をしただろう。
笑った? それとも、呆れた?
“僕は、フライエさんの弟子の者です。ここ最近、フライエさんが仕事で忙しく、お返事をできないということで、僕が代わりにお手”
途中で途切れたその手紙が届いたすぐ後に、続けて手紙が端末に届いた。
“紙を書かせて頂くことになりました。すみません。なぜか途中で送ってしまいましたまる”
そのたどたどしい文面が、私が初めてこの携帯端末を使った時と同じような間違いをしていたから、私はちょっと可笑しくなって。
あの人に何か返事を書こうとしていたら、また手紙が届いた。
“事情があって名乗れないことをあ許し下さい。フライエさんから、ランムリア様のことはお聞きしています。ビジョウ.グアラザの娘であり、フライエさんの義理の娘であると。”
“お父様のことも御存知なんですか? もしかして、お父様のお知り合い?あ、それと、お義母様はお元気ですか? 質問ばかりでごめんなさい。お手紙は、ゆっくり書いて頂いてかまいません。私も、初めは難しくて、あなたみたいな文になってしまいました。”
“申しわけありませんやっぱり読みづらかったですよね! ビジョウとはシリアいと言うよりは、単に有名なだけといいますか。それより、フライエさんは元気です。今は、急用で遠くの街に行ってしまいましたが。”
それからも、私たちは何通か手紙をやり取りして、私は彼が私よりも少し年上で、礼儀正しい人なのだと、なんとなく分かってきて。「優しい人だな」って、そう思って。少し胸が温かくなった。
夜も更けてきて、うとうとと枕に顔を埋めた私は、彼におやすみの手紙を送った。
“私とたくさんお話してくれて、ありがとう。今日は眠くなってきたので、そろそろ寝ようと思います。”
その手紙の最後に付け加えようか悩んだ一文を、なんだか胸がくすぐったくなる感じがしつつ、私は書いた。
“よろしければ、またお話してくださいね。それでは、おやすみなさい。”
手紙を送った後、私は無性に恥ずかしくなってきて、ベッドにうつ伏せになって足をばたつかせた。
あんな気持ち、初めてだった。体が熱くて、わくわくして、胸がきゅっと締め付けられて。自然と顔が笑顔になっているのに自分で気が付いた時、彼からの返事が届いた。
“僕でよければ、ぜひまたお話しましょう。あなたのことをもっと知りたいです。それでは、おやすみなさい、ランムリア様。”
そう。それで、その手紙を読んだ時、私は。
「やだもう……、何? これ? 私、何か変」
私は笑いながら、自分でもどうしたらいいのか分からないくらい、胸の温かさが全身に溢れ出してきて。言葉にならずにそのまま溢れ出してきた嬉しさが、勝手に口から笑い声になって出てきて。
私は携帯端末を思い切り抱きしめながら、ベッドの上で一晩中、幸せな心地に悶えていた。
「馬鹿だったな」と、今では自分でそう思う。
あんな嘘ばかりの手紙で喜んでいた私は、世の中のことを、他人のことを何も知らない馬鹿な子供だった。
塔に暮らしていた頃の私という人間は、嘘で出来ていた。
お父様だけじゃなく、あの人にも、バンボにも嘘を吐かれていたと分かった今、私は自分がどれだけ間抜けな人間だったのかを理解した。
皆、私を騙していたんだ。
世界は幸せで溢れてなんていなくて、お義母様は死んでいて、バンボは私の味方なんかじゃなかった。
バンボは、お父様に復讐したいだけ。私のために、私を連れ出してくれた訳じゃない。バンボは、私を攫えばお父様が苦しむから、そうしただけ。
嘘を吐かない人なんていないのだと、私は知った。
だから、私はもう誰も信じない。信じたくない。
信用できる人なんて、この世には誰もいないんだ。信じられるのは自分だけで、味方なんて誰もいない。そうだ。だから、もう、これからは――――
私は、私の力だけで生きて行こう。きっと、本当は初めから、そうするしかなかったんだ。
第七話 迷い子二人
「おい、そこのお前。確か名前は……、アンリ・ソラキだったか?」
グアラザ自治領中央塔。その廊下を歩いているアンリを呼び止めたのは、ビジョウの側近であるカラサキという男だった。
ビジョウに似た薄ら笑いを浮かべるこの男が、アンリは嫌いであった。グアラザ自治領に来て初めてこの男に出迎えられた時、初対面であるにも関わらず、見下しきった目をしていたのはアンリにとって印象深い。
――――実に、むかつく男だ。
「なんでしょう? まだ仕事が残っているので、手短にお願いします」
「偉い口のきき方じゃないか。ええ? ランスヘルム自治領で領主になれそうだった所を、ビジョウ様に引き抜かれてここに連れてこられたのが、よっぽど不満だと見える」
「あなたこそ、近頃出された領主様からの指令に、随分手こずっているようじゃないですか」
カラサキの薄ら笑いに、小さく苦みが混ざる。この男が、ビジョウから何か重要な案件を任されていることをアンリは既に把握している。
恐らくは、ケアンもとい、ランムリアの捜索であろうということも想像がついていた。
「あまり調子に乗んじゃねえぞ……、糞餓鬼……」
カラサキの表情はあっさりと怒りに染まり、そのひょろ長い体をアンリに近づけてきた。
アンリを見下ろす目。カラサキは気に食わない目で、アンリを見下ろしている。
「お前はあの変な鉄の鳥でビジョウ様を殺すつもりでいるんだろうが、とんだ思い上がりだ」
ぞくり、と。アンリの背中に嫌な汗が伝った。
流石に、フリューゲルのことをビジョウに気付かれていないとまで楽観視していた訳ではなかったが、ここまで堂々と話題に出してくるとは思わなかった。
「……、何の話でしょう?」
「はっ。あくまで白を切るってか? どうやらスペシメン共を追ってるみたいじゃねえか。昨日運ばれてきたスペシメンの死体も熱心に調べてたらしいしよ」
昨日の夜、突如運ばれてきたスペシメンの死体を見た時、アンリは目を疑った。スペシメンを仕留められる人間が自分以外にいるということにも驚いたが、何より、その外見に。
サンサーラ・システムによる肉体の変異は少な目な個体で、元々の姿を少しだけ残していた。どうやら女性らしく、その頬には涙の跡が残っていた。
話には聞いていたが、スペシメンは本当に元は人間だったのだと、アンリは恐怖した。
全身の筋肉が異常に膨れ上がり、背中から三本目の腕を生やしているような怪物が、元々は普通に生きていた、ただの人間であったという恐ろしい事実。
――――あのスペシメンは、一体どんな想いで死んでいったのだろう。
それを考えるだけで、アンリは身の毛がよだつのを感じた。
「お前にゃビジョウ様はおろか、スペシメンだって殺せやしねえよ。昨日のあれを殺したのは、非天の男だそうだ。下手したらお前、あのコソ泥にも勝てねえんじゃねえのか?」
そう言って笑うカラサキの顔を見ていると、アンリは酷く苛ついた。
――――俺に屈辱を味あわせた非天の男。思い出すだけでも、腹立たしい。
――――許しはしない。そうだ。次にあった時は、この手で倒す。必ず……。
――――必ず、ぶち殺す。
「ぶち殺す」
「ああ?」
「っ!?」
――――しまった。
――――しまった。しまった。
思わず、アンリは思っていたことを声に出してしまった。カラサキはアンリを苛立たしそうに見下ろしている。
――――これは不味い。何とか、誤魔化さなくては……。
「ひゃっひゃっひゃ!! お前、まさか俺になら勝てるとでも思ってんのか? おい?」
だが、カラサキの反応はアンリの予想以上に軽い物だった。カラサキはアンリの肩を軽く叩いて、通り過ぎて去って行く。
「御目出度い奴だ。身の程知らずが」
そして、左腹部に激痛が走り、アンリは地面に跪いた。
何が起きたのか、何をされたのか、アンリには全く分からなかったが、アンリの左腹部からは血が噴き出していた。何か、刃物のような物で軽く切り裂かれているようだった。
――――いつの間に切られた? やつは武器を取り出すような動作を取ったか?
――――分からない。何も。奴が今、俺にどうやって傷を付けたのか。
傷の手当をする必要に迫られ、痛みを堪えてなんとか立ち上がったアンリの耳に、遠くからカラサキの笑い声が聞こえてきた。
既に、夜は明けていた。
バンボは闇夜の中を駆けずり回った挙句、朝日に照らされて彼方を見渡した。
そして今も、バンボは昼間の喧騒に包まれて、エメルダとの戦いで傷付いたままの体を引きずりながら、ランムリアの姿を探していた。
「マスター。これ以上の活動は命に関わります」
「分かってる……」
血の流し過ぎと、過労が祟って意識が朦朧としてくると、バンボは裏路地に入りそこに倒れた。
「ランムリア様……」
ランムリアがバンボから逃げ出したあの時の、ランムリアの悲しそうな瞳が、バンボの脳裏に焼き付いていた。
“だから、あなたは最初の一歩を踏み出せない! いつもそうだった!!”
「そうだ……。そうだな……。俺は結局、何にも変われちゃいない……」
――――もっと早く、ランムリア様に本当のことを伝えてあげていれば。
――――もっと早く、嘘を吐いていたことを謝っていれば。
バンボの胸に浮かぶのは、後悔ばかり。
今頃、ランムリアは何処にいるのか。無事でいるのか。
バンボは心配で仕様がなかったが、もう彼は動けなかった。
すると、突然バンボの懐にしまわれたアーカーシャが、大きな音で電子音を奏で始めた。
「おい、アーカーシャ……。何を……」
その電子音に誘われ、一人の少女が表通りから路地裏を覗いた。そして、その少女が倒れたバンボを見つけると、慌てて路地裏に入ってきた。
「大丈夫ですか!?」
バンボは駆け寄ってくるその少女を、虚ろな目で認識した。
「今、誰か呼んできますから!」
その小さな後姿に、バンボはその少女が、牧場で働くあのカンナという少女だと分かり、少しだけ安心して両目を閉じた。
新年あけましておめでとうございます。
今回から更新時間が19時に変更になりました。たまには時間を変えて読者を増やしたいおじさん。
バンボとランムリアの関係に転機が訪れる第七話。お楽しみ頂ければ幸いです。
それでは皆さん。今年も「非天」をよろしくお願い申し上げます。




