第六話 幻の恋 その七
「バンボ……、私は……」
エメルダの異形と化した腕は、土と木材で作られた壁を容易に砕く。もはや人の物ではない怪力を振るうエメルダに捕まれば、それは死を意味する。
バンボは壁に開けられた穴を通って、狭い屋内から屋外へと跳び出した。
外ではもう、エメルダが建物を破壊するのを見て恐慌状態に陥った人々が避難を始めている。
「私は……、あの日、ビジョウに……」
うわ言のように呟くエメルダは、バンボを追って屋外に出た。
四つんばいになってバンボに鬼の顔を向けるエメルダの動きは、既に獣のそれに変わってしまっていて。
「……」
変わり果てたエメルダの姿に、バンボは息を呑んだ。
全身が肥大化し、血の色に等しい肌の色をしたエメルダの体は、先日バンボが遭遇したダツエバとそっくりで。
「ビジョウに、私は、こんな姿に……」
エメルダの腕がバンボに向け振るわれる。巨体に似つかわしくない瞬間的速度で繰り出される拳を避けきれず、バンボは右半身を殴られ地面を激しく転がった。
「マスター。至急撤退してください。この個体は先日の怪物より小さな個体ですが、人間の運動能力を遥かに上回る力を持っています」
「だったらどうした!ここで逃げられるか!!ランムリア様が近くにいるんだぞ!!それに、エメルダが……!」
立ち上がったバンボは右半身を引きずりながらガン・ウィンチを射出する。バンボは建物の上へと上がり、ガン・ウィンチを使って屋根から屋根へ飛び移りながら、エメルダの足を狙って銃を撃つ。
「あいつの動きを止める!!それからとっつかまえて、あいつの治し方を調べればいい!!」
ガン・ウィンチに体を曳かせる素早いバンボの動きに、エメルダはバンボの姿を追いきれない。バウンド弾も利用した全方向からの射撃によって、次々とエメルダの両足に銃弾が撃ちこまれていく。
「痛い……!痛い!!」
エメルダが悲鳴を上げる度、バンボは強く目をつむりたくなる衝動に駆られた。昔のエメルダの姿を思い出すまいと、バンボは必死に体を動かした。
バンボは右半身の痛みが取れてくると、屋上から跳び上がり、ガン・ウィンチの曳く力を乗せてエメルダの背中に蹴りを撃った。
エメルダが体のバランスを失って倒れると、バンボはガン・ウィンチのワイヤーをエメルダの首に巻きつけようとした。
「痛いっ!!痛いっっ!!痛いっっっ!!!」
けれど、倒れたはずのエメルダが突如暴れ出し、ワイヤーを掴んだ。
「なに!?」
エメルダが倒れていたとはいえ、バンボは怪物と化したエメルダの生命力を見誤った。既にエメルダの足が治癒していたことに、バンボは気付けていなかった。
エメルダにワイヤーごと体を引かれ、バンボは地面に叩きつけられた。
バンボは急いでワイヤーを巻き戻そうとしたが、エメルダは続いてワイヤーを振り回し、バンボの体を建物や地面に叩きつける。
エメルダの動きの隙を突き、バンボは一気にワイヤーを巻き取った。エメルダの手に握られたワイヤーは、バンボをエメルダの下へ引き寄せる。
エメルダの足下に降りたバンボは、すぐさまエメルダの足をヴィブロブレードで切りつけた。
倒れたエメルダにバンボは再びワイヤーを巻き付けて捕えようとしたが、エメルダの怒りに満ちた目に危険を感じて、急いでエメルダから離れた。
数歩離れた所から見て、バンボは気付く。
数秒前にバンボが切り裂いたエメルダの足が、目に見える速度で回復していっていた。
「もう治ってやがる……。そんなのありかよ……」
「お腹が空いた……。喉が渇いた……。もう、嫌……。もう嫌……!!」
エメルダの体の周囲に赤く輝く鱗粉が噴き出した。揺らめくその鱗粉に、バンボは見覚えがあった。
「マスター。あの鱗粉はビジョウが以前纏っていた物と非常に似ています。リアライズシステムと同じく、微粒子状の機械生命体かと」
「ビジョウ……!!」
鱗粉の噴出が止まると、エメルダは何処かへと駆け出した。
壁を蹴って、縦横無尽に街を駆け回るエメルダをバンボは追うが、その速さはバンボにも到底追いつけるものではない。
各種センサーで周囲を探っていたアーカーシャはバンボに告げた。
「エメルダはマスターの周囲五十メートル以内の区域を走り回っているようです。何か仕掛けてくるつもりかもしれません」
「何かって、何を!!?」
「分かりません。しかし、これは――――」
そして、エメルダが上空からバンボの近くに戻り、轟音と共にバンボの背後に降り立った。
「多数の熱源反応有り。地面、建造物外壁、所々に謎の生命体の存在が見られます。モニターに位置を表示しますので、近づかないように御注意を」
「意味分かんねえよ!!」
バンボがエメルダから距離を取ろうと、ガン・ウィンチで空を飛ぶ。そして、バンボが建物の壁に近づいた時だ。
「!?」
バンボは左足に激痛を感じ、直感でワイヤーの巻き取りを止めた。
バンボが見てみれば、彼の左足が得体の知れない“何か”に噛みつかれていた。
壁に張り付いた円盤状の肉塊から伸びた、牙を生やした口がバンボの左足にがっちりと噛みついていたのだ。
「ぐっ……ぬっ……、気持ちわりいな!!」
ワイヤーで宙にぶら下がったまま、バンボは足に食いつく肉塊の口をヴィブロブレードで切り飛ばそうとした。
しかし、そうしている間に、すぐ後ろに迫ったエメルダの拳がバンボに向けて構えられていて。
咄嗟に振り返り、バンボはエメルダの拳を間一髪で避けた。
エメルダの拳は建物の壁を突き破り、そこに張り付いていた肉塊がバンボの足にぶら下がった。
バンボは急ぎヴィブロブレードで肉塊の口を切り落とし、ワイヤーを巻き取って屋上へ上がった。
バンボの足にはまだ、肉塊の牙がしつこく食い込んでいる。
毒はないようだったが、左足は重症を負ってしまった。バンボは痛みと、力の入らない左足に舌打ちをする。
「うおっ……」
屋上にも円盤状の肉塊は所々に張り付いていた。肉塊は牙を剥いて、目の前を通る獲物を待ち構えているようだった。
「どうやらこの肉塊はエメルダの設置した罠のようです。この一帯を罠だらけの巣に変えて、獲物を捕らえるのだと思われます。幸い、ランムリアは既に戦闘圏外へ脱出しています」
「そうか……」
仮面のモニターには、アーカーシャが赤い光で肉塊の場所を分かりやすく表示してくれている。仮面のモニターは周囲の構造物をある程度透視することができ、透視した先にある肉塊にもアーカーシャは赤くマーキングしてくれていた。バンボの脳波を読み取ることで、アーカーシャのモニター機能はハンズフリーで操作できる。
バンボは周囲を見渡し、壁越しにもいくつか肉塊の設置された場所を確認した。
「待て、エメルダは何処だ!?」
バンボがいくら探しても、エメルダの姿が見えない。
「……、まずい!!」
バンボが勘付いた時には、もうバンボの足下は崩れていた。
崩れた屋上の床からエメルダの巨大な両腕が伸びて、バンボの体を掴もうとする。
「あの子も、“呪われて”いる!!」
バンボはガン・ウィンチを使って落下位置を大きく逸らし、エメルダの両腕と噛み付きをかわした。
バンボはエメルダの背中に落ちて、そのまま背中にしがみつく。
バンボを振り解こうとするエメルダは室内を暴れ回ったが、バンボは決して離れなかった。何故なら、これがもう最後のチャンスであると彼は分かっていたからだ。
左足が動かせなくなった今、これ以上戦闘を続けるのは不可能。不可能なら、殺されるだけだ。
だからこそ、バンボは――――
「ごめん、ごめんな……。エメルダ……」
これで終わらせるつもりで、ヴィブロブレードを構えた。
「本当に、ごめん……!」
そして、バンボはエメルダの首にブレードを当て、その首を切り裂いた。
バンボがエメルダの背中から落ち、床を転がった。
バンボは埃っぽい部屋の空気にむせながら、首が半分以上切り離され、床に倒れたエメルダを見た。
――――なんで、なんでこんなことになったんだ。折角、また会えたのに。
――――なんで、俺がお前を――――
胸に寂しさが込み上げてくるのが分かった。
動かなくなったエメルダに、バンボは無性に悲しくなる自分を感じた。
昔必死になって追いかけた、エメルダの笑顔を思い出して、バンボは――――
目を閉じようと、したけれど。
バンボはそうしなかった。
何故なら、バンボは見てしまったからである。
「……!?」
離れてぶら下がる首を、何故か動いた両手で掴んで、体に付けなおすエメルダを。
首を切り離されて尚、平然と生きている化け物を。
「こいつ……!!」
逃げられなかった。バンボは恐怖に囚われ、エメルダが振るった腕を避けることができなかった。
バンボはエメルダの腕に弾き飛ばされ、室内の机にぶつかり激しく脇腹を打った後、床に倒れた。
「あの子も私と同じ……、ケアンもビジョウに“呪われて”いる!」
「なに……?」
、
エメルダは頭を抱え、苦しそうにバンボに言った。まだ、彼女の理性は残っているらしかった。
「あの子もいずれは、こうなる!!あの子の体にも、私と同じ“赤い粉”が入っている!!」
「まさか……」
――――まさか。まさか――――
「あの子も私と同じ――――!!」
――――ランムリア様も、いつかこんな風になってしまうのか?
「化物だ!!!」
エメルダは巨大な拳を振り上げ、バンボに殴りかかった。
バンボは右足の力だけで跳び退いたが、狭い室内ではそれ以上の回避行動が取れなかった。バンボは運よく近くに窓を見つけ、そこから外へ逃げようとしたものの。
「逃げるな!!」
エメルダの腕から噴き出たのは、鱗粉ではなく、血だった。
巨大な血の奔流がバンボを壁に押し付ける。仮面が血に染まり、バンボの視界が閉ざされた。
「回避行動を!危険です!マスター!!」
アーカーシャの声が聞こえた後に、バンボの体に衝撃が走った。
バンボは回避行動を取れずに、エメルダの拳で壁ごと殴り飛ばされた。
強烈な一撃をもろに受け、バンボは隣の建物の壁を破り、その中に転がった。
体中の骨が軋むのを感じた。自分から流れ出した血が、静かに床に溜まっていくのを見た。
全身が狂おしい程に痛み、傷付いた体を動かす気力も残っていない。
――――終わった。
何処かへ行ってしまったランムリアのことを、バンボは想った。
――――やっぱり、俺はあの人を守ってやれなかった。こんな中途半端に終わるなら、迎えになんて行くんじゃなかった。
――――どうか、どうかあの人が――――
瓦礫の落ちる音が響く中、バンボは己の最期を覚悟して――――
――――幸せに、なれますように――――
エメルダがバンボを持ち上げ、口へ運んで行く最中。苦しみと恐怖で、バンボの意識は途切れた。
「流石の非天の男も、今回ばかりは絶体絶命らしい」
気に食わない声が聞こえてきて、バンボが目を開けると、そこにはコッパーの姿があった。
コッパーはいつものようにりんごを片手に、倒れたバンボの前に立っている。
頭上から差し込む光を見るに、そこは地下空洞であると思われた。
地上から、何かが暴れる音がしてきた。
ぱらぱらと落ちてくる土に、すぐ近くの地上にエメルダがいることが伝わってくる。
バンボはすぐに理解する。
エメルダからバンボを助け、ここに運んできたのは、コッパーであると。
こんな芸当ができるのは、この男しか考えられない。
「またお前か……」
「あの赤い鱗粉の名は、サンサーラ・システム。リアライズシステムの技術を流用してビジョウが作り出した悪魔の発明だ」
コッパーは至極真面目な表情でバンボに語る。ビジョウの名が出た途端、バンボも顔つきを変えた。
「細胞単位で生物の仕組みを作り変えるあのシステムは、どうやらビジョウもまだ扱いきれていないらしい。実に不安定で暴走しがちだ」
コッパーはバンボに見えるようにりんごを上に投げ、手の平から白い鱗粉を噴出させた。
リアライズシステムである。
コッパーの手の周囲に纏わった鱗粉に包まれ、りんごの落下速度が至極ゆっくりとしたものに変わる。
「サンサーラ・システムは暴走すると、人体を化物のようにぐちゃぐちゃに変異させる。精神状態も滅茶苦茶だ。リアライズシステムは増幅した脳波を感知して動作するが、サンサーラ・システムもそれと同じだ」
りんごを手につかむと、コッパーは自分の頭を指でつついた。
「頭だよ。非天の男。脳を狙え。脳を潰せば、全身のサンサーラ・システムは機能を停止する」
「それは……、もう、殺すしかないってことか?」
「そうだ。やつらの体全体から、増殖し続けるサンサーラ・システムを消し去り休眠状態にするには、お前のそのナイフじゃ一秒間に一億回以上切りつける必要がある。そんなことは到底不可能だ。脳を潰して殺すしかない」
バンボは息を呑んだ。
エメルダを救うことはできないと、コッパーに断言されて。
「助けられないのか……?」
「無理だ。サンサーラ・システムを操作できるのは、今も昔もビジョウだけだ」
コッパーは本当のことを言っていると、バンボには思えた。
そう思いたくなかったけれど、コッパーの話には作り話とは思えない説得力があった。
「コッパー……、お前はなんで俺を助ける?」
コッパーは地上の裂け目から覗く、青い空を見上げた。
バンボもそれにつられて、空を仰ぐ。
「俺はたまたまそこにいて、面白そうだから、お前を助けてやってるのさ。本当にお前に勝ち目がなけりゃ、俺はお前を見捨てるよ。俺の見ていない所で、お前が勝手に死ぬのも知ったことじゃない。つまりは暇つぶしだ。単なるな」
コッパーが呟いた言葉は、バンボを納得させる物ではなかったけれど。
「逃げるな!!逃げるな!!!私から!!逃げるな!!!」
叫びに近い声は、エメルダの声。
地上の裂け目から地下空洞を覗いたエメルダが、バンボの居場所を突き止めた。
「ただ一つ、もっともらしい理由を挙げるとすれば――――」
よろけながら立ち上がるバンボに、コッパーはそこから消え去る前に、最後に一つだけ付け加えた。
「非天の男。俺もお前と同じく、サントリデロの崩壊で夢を失ったのさ」
地面の天井の崩落と共に、エメルダはバンボの前に落下した。
未だ左足が動かないバンボは、右足だけで立ち、エメルダと対峙する。
「俺には、お前を救えない……」
バンボはナイフを右手に持って、スイッチを入れた。
刃が振動を始め、バンボはナイフを構えて。
「ごめん、エメルダ」
伸ばされたエメルダの腕を避け、バンボはガン・ウィンチで地上へと飛んだ。
一瞬バンボを見失ったエメルダも、すぐに地上へ上がろうと飛び上がる。
しかし、バンボはこのタイミングを待っていた。
地面の穴から出て来るエメルダを狙うのは簡単で、その上、地上で待ち構えていたバンボがガン・ウィンチでエメルダに迫った時、エメルダの体は身動きの取れない宙に在る。
エメルダは回避することもできず、ガン・ウィンチの曳く力とバンボの全体重を乗せた蹴りを横腹に受けた。
動かない左足のせいで助走を付けられなかった分威力は落ちるが、それでもエメルダの体は激しく地面を転がった。
「あなたは……、恐れている……」
エメルダは言った。エメルダからバンボへの、理性と狂気の混じり合った、贈る言葉。
バンボがバウンド弾でエメルダを攪乱しながら、ガン・ウィンチで距離を詰める。
「新しい一歩を踏み出すことを、恐れている。必ず後悔することになると、あなたは知っているから……」
バンボがエメルダの足下に滑り込み、エメルダの右脚をナイフで切り裂いて。そのまま続けてエメルダの左脚を狙ったバンボを、ある筈のないエメルダの三本目の腕が掴んだ。
エメルダの背中、元々は左肩甲骨があったであろう場所に、新たな腕が生えていた。その腕は細く、長く伸びて、バンボの左肩を掴んでいた。
「だから、あなたは最初の一歩を踏み出せない!いつもそうだった!!」
動きを制されたバンボは体のバランスを崩し、倒れた。
すぐにエメルダが振り向き、バンボに牙を剥く。
迫るエメルダの牙を両手で抑え、バンボが声を張り上げた。
「でも……、でも!!俺だって、ずっと頑張ってきたんだ!!なんとか踏み出そうと、その、最初の一歩ってやつを!!」
バンボはエメルダの口から少しずつ体をずらし、自分の体を横に転がして距離を取った。
「あなたは知らない!!」
エメルダの足が即座に再生し、立ち上がろうとしたバンボを強く蹴り飛ばす。
「踏み出した後の道のりを!!それがどんなに辛くて苦しいか!!どれだけ後悔することになるか!!」
「それでも……!!」
バンボは転がりながらガン・ウィンチを射出し、瞬時にエメルダの間合いに入り込む。
振動し続けるナイフを構え、バンボはエメルダに向かって全力で叫んだ。
「それでも、行きたかったから!!お前は出てったんじゃねえのかよ!!!」
エメルダの目が、大きく見開いた。
一瞬動きを止めたエメルダに、バンボは残された力を振りかざす。
「あなたには――――!」
バンボはもう一度、地面に倒れ込むようにしてエメルダの右脚を切った。そして、今度は背中から生えた腕も銃で撃ちぬき、エメルダの左脚を切り裂いた。
「あなたには、私の後悔は分からない……」
「お前の後悔なんて分からねえ!!けど――――!」
両足を切られて倒れたエメルダは、両腕で暴れ回り、バンボの接近を許さない。
バンボはガン・ウィンチを使って離れ、素早く銃弾を装填しなおして。
銃を構え、言った。
「あの時、自由を自分で手に入れるって言ったあんたは……、確かにかっこよかったよ」
バンボはエメルダに向け、全弾を撃ち込んだ。
エメルダは一度に大量の深手を負って、体の動きを止めた。
バンボが足を引きずりながら、動けなくなったエメルダに近寄って。
バンボは素早く銃弾の装填を行い、エメルダが回復する前に銃口を彼女の額に当てた。
「私……」
けれど、エメルダは。
「私……、かっこよかった……?バンボ……」
エメルダはもう、暴れることはなかった。
鬼の顔となってしまっても、涙を流す瞳には、バンボが憧れたかつてのエメルダの表情が見えた。
「ああ。かっこよかったよ。結局、ずっと忘れられなかった」
「そう……。よかった……」
そして、バンボは引き金を引く前に、エメルダと一つ、挨拶を交わして――――
「おやすみ……、バンボ」
「……、おやすみ。エメルダ」
引き金を引き、エメルダの人生に幕を降ろした。
昔のこと。
ずっとずっと、昔のことだった。
エメルダがサントリデロにいた頃。まだ、彼女が幸せだった頃。彼女が組織を抜ける、ずっと前。
フライエに廊下掃除を言いつけられていたエメルダは、掃除をサボって外をぶらついていた。
「あっ」
エメルダが見つけたのは、街中を羽ばたく鳩の群れだった。
鳩の群れはやがて地面に降り立って、地面をつつき始める。
これだけたくさんいるのだから、一羽くらい捕まえられるだろうと、エメルダは鳩の群れに近づこうとするけれど。
エメルダが一歩目を踏みしめた途端、鳩たちは空へと舞い上がってしまった。
エメルダは必死になって鳩を追いかける。
走って。
走って。
再び地面に降りた鳩の群れに追い付いた時には、エメルダは息を切らしている有様で。
「エメルダ!!」
遠くからエメルダを呼ぶのは、まだ少年の頃のバンボ。
走るエメルダを見かけて、彼女を追ってきたバンボは、嬉しそうにエメルダに駆け寄った。
そんなバンボを見るや、エメルダは笑い、バンボの肩を掴まえて、鳩の方へと押しやった。
「ほら、バンボ!捕まえて!!ほら、行け!!」
「えぇ~……」
嫌々ながらもバンボは鳩の群れに目を向けて、その足を踏み出そうとしたけれど。
「無理に決まってるって!!」
バンボは結局、一歩も踏み出すことなく早々に諦めて、エメルダの方へ振り返った。
「あれ~?捕まえられないの~?」
「じゃあやってみろよ!!無理だよあんなの!!」
むきになって怒るバンボを見て、エメルダは笑う。
「無理かどうかなんて、分からないでしょ?」
「無理だよ!絶対!!」
バンボがわめくと、鳩たちは驚いて、空の彼方へ飛び去って行った。
それを見たエメルダは、空を見上げたまま呟いた。
「私も……、遠くに行きたいなぁ……」
「遠く?」
「そう、遠く。この街を出て、もっと、もっっと遠く。グアラザ自治領まで」
「そんなに遠くに行って、どうするんだよ」
「会いたい人に会うの」
「ふーん……。でも、会ってどうするんだよ!それだけじゃ意味ないじゃん!」
バンボは楽しそうに語るエメルダの様子が気に食わないようで。エメルダの言うことに食って掛かった。
「そうだね……。でも、何もないかもしれないけど、何か変わるかもしれない」
「……。分かんねーこと言うなよ!」
エメルダの言葉を何度も頭の中で繰り返したバンボは、結局理解できずに憤慨した。
するとエメルダは、バンボに言った。
「ねえ、バンボ」
「んー?」
「私が帰ってきたら、ちゃんと私のこと出迎えてね?」
「当たり前だろ。エメルダは俺以外に友達いないもんな!」
エメルダがバンボの頭を小突く。
「ほら、試しに“おかえり”って言ってごらん?」
小突かれた頭を抱えるバンボは、嫌そうにエメルダを見上げた。
けれど、エメルダが少し寂しそうな顔をするのに気が付くと、バンボは恥ずかしそうに口を開くのだった。
「……、おかえり。エメルダ」
二人がした約束だ。
いつか、果たされる約束だ。
その後、別れは再び訪れるのだとしても。
「うん、よろしい」
――――おかえり。エメルダ。
エメルダは心が落ち着くのを感じた。
穏やかな風が吹いていて、爽やかな風の音が聞こえてきた。
「少し、疲れちゃった。昼寝でもしてくるね」
「はぁ?掃除は?」
ずっと昔のことだった。
「おやすみ、バンボ。それじゃあね」
「おい!」
そこはサントリデロの街角で。二人は確かに、そこにいた。
「……、ばいばい」
・
・
・
・
・
第六話 完
来週の更新はお休みします 代わりにツイッターでやってた各話のあらすじみたいなのをまとめて載せるかもしれません




