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非天  作者: 山中一郎
24/42

第六話  幻の恋     その六



 バンボたちが壁画を見に行ってから、五日後。

 とある空き家で、バンボとランムリアは昼間から時間を潰していた。

 今日はエメルダが遊びに来るとのことで、ランムリアは朝からそわそわと楽しみな様子を見せている。

 前日、ランムリアが「できたら今日は、台所のある空き家が良いです」と申し訳なさそうにバンボに頼んだ。何故かと言えば、エメルダがランムリアに料理を教えてくれると約束したからだ。


「今日はエメルダさんがいろんなことを教えてくれるって言ってました!」


「そうなんですか。でもあいつ、たまによく分かんないこと言いますからねぇ。相変わらず」


 頬杖を突きつつ、バンボはエメルダのことを楽しそうに話す。

 その様子を見て、ランムリアはバンボに一つ、どうしても尋ねておきたかったことを尋ねた。


「バンボとエメルダさんは……、その……、どんな関係だったんですか……?」


「どんなって……、なんというか……」


「……。好き……、だったんですか?」


 バンボの顔が爆発した。正しくは、爆発的に表情筋が上下した。


「好き……!だった……、と、言いますか……!!」


「好きだったんですか!?」


「そういうのとは!違うんじゃないかなぁーっと、思って……、いるんですがね!」


「何ですかその顔は!!好きだったんでしょう!?」


「……、まあ、そうなのかもしれません……」


 意地でも食い下がるランムリアに、バンボは観念した。

 ランムリアがここまで積極的になるのがバンボにはいまいちよく分からなかったが、思い出話として笑い飛ばすのもいいかもしれないと、バンボは口を割った。


「でもまあ……、エメルダの方は僕のことを何とも思っていなかったみたいですし、僕もあれ以上の関係になろうと思いはしませんでした」


「そうなんですか?」


「ええ。子供の頃のことですから、当時は恋愛感情なんて理解もしてませんでした。結局後になって、“ああ、あれはもしかして初恋だったのかも”って、そう思ったくらいです」


「初恋……」


 何処となく哀愁を含んでいるような笑顔で語るバンボを、ランムリアは複雑な想いで見つめていた。

 そして、ランムリアはバンボが言った“初恋”という単語に、少し胸をときめかせ。


「ですがまあ、初恋なんて叶うもんじゃないとよく言いますから。そのことはあんまり気にしてませんでしたけどね」


 ――――“初恋なんて叶うもんじゃない”。


 明るく笑って見せるバンボが言った、その一言がやたらとランムリアの胸に引っかかって。

 ランムリアも笑ってくれるだろうと思っていたバンボは、真面目な顔で考え込むランムリアに少し焦った。


「……、ランムリア様?」


「バンボは……」


 それから、バンボとランムリアは。


「バンボは……、今、好きな人はいるんですか?」


 思わずランムリアが言ってしまったその一言に、双方、暫し硬直することになったのであった。


「……」


 バンボは笑顔のままで。


「……」


 ランムリアは口を開いたままで。

 互いが完全に頭の中が真っ白になったまま、沈黙の時間は流れて行って。


「こんにちわー」


 空き家のドアをノックするエメルダの声に、二人は我に返ったのであった。














「バ、バンボは、少し上で待っていてください!」


「そうだね。その方がいいかな」


 何故かエメルダとランムリアの二人に追い出されたバンボは、屋上でぼんやりと空を眺めていた。

 先程のランムリアの言葉の意味は、どう考えてもランムリアがバンボに気があるような、そんな流れであった気がしてならなくて。

 けれど、「そんな馬鹿な」とバンボは頭の中で“気のせい”だと自分に言い聞かせていた。

 一方で、悶々とするバンボの真下では、ランムリアとエメルダが楽しそうに台所について。

 先日の冷たい雰囲気とは違い、エメルダは穏やかな瞳でランムリアと談笑していた。


「さて、何を作ってみる?何か覚えたい料理とかある?」


「えっと……、それじゃあ、スープとか!」


「スープ?そんなのでいいの?」


「はい。前にお義母様やバンボが作ってくれたスープが美味しくて。人参と玉ねぎが入ってる塩味のやつなんですけど、それをお返しに作ってあげたいんです」


「ふーん……。じゃあ、一緒に作ってみようか。美味しくなるように私が手伝ってあげる」


「ありがとうございます!」


 食材は多くはないが、バンボが買っておいた食材の中に必要な物は揃っていた。ランムリアは火の焚き方からエメルダに学び、包丁をおっかなびっくりに握りながら野菜を切っていく。


「あれ?なんか……、涙が……」


「玉ねぎだからね。知らなかった?玉ねぎは切ると目に染みるの」


 エメルダに笑い混じりの説明をされながらも、ランムリアは目が痛くて仕様がない。

 バンボもこんな思いをしながらご飯を作ってくれていたのかと思うと、ランムリアはやはり頑張ろうと思うのだった。


「玉ねぎはゆっくり煮込んで甘みを出すの。灰汁をちゃんと取りながらね」


 ランムリアは真剣にエメルダの教えを聞き、頭に叩き込んだ。

 ランムリアの指には、野菜を切る時に失敗してできた切り傷を塞ぐために布がいくつも巻かれていた。布に血を滲ませ、指を動かすたびに痛みを感じながらも、ランムリアは決して弱音を吐かなかった。


「私、いつもバンボに迷惑かけてばっかりなんです」


 野菜が煮えるのを待つ間、黙ったままでいるのが気まずくなったランムリアは、話を始めた。

 それは、ランムリアが胸の内に抱えてきた想い。

 エメルダになら話してもいいと思ったから、ランムリアはそれを話した。


「私はずっと家から出たことがなかったから、知らないことばかりで……。いろいろバンボに教えてもらって、いろんな所に連れて行ってもらって……。バンボは本当に優しくて、だから、私も何かお返ししてあげたいんです」


「信用されてるんだ、あいつ」


 エメルダは窓から外を眺めていたので、ランムリアからはエメルダの表情は見えなかったが、その表情は――――


「でも、案外あいつ、嘘吐きかもしれないよ?」


「いいえ!バンボは素敵な人です!バンボは、私に嘘なんて絶対に吐きません!」


「ふーん……」


 明るさがすっかり失せて、怒りすら感じる冷たい瞳をした、険しい物で。


「お父様は私にずっと嘘を吐いていました。いつも世界は平和だなんて言ってたのに、実際は外がこんな辛い世界だなんて……。子供も大人も、みんな苦しんでる……。お父様が苦しめてるんです……。こんなの、絶対におかしいのに……」


 口調に熱が入ってきたランムリアが、エメルダの様子の変化に気付くはずもなく。ランムリアは溜めるに溜めてきた言葉を止められない。


「でも……、お父様だって、話せばきっと考えを変えてくれると思うんです」


「あなたを閉じ込めていたような人なのに?」


 ランムリアの感情を、エメルダは煽った。ランムリアからさらに言葉を引き出そうと、火に油を注ぐように。


「それも、きっと何かお父様なりの考えがあったんです。だって、私にとってお父様は本当に心優しい人でした。いつだって穏やかで、仕事熱心で、優しくて……」


 必死に語るランムリアを、エメルダは呆れた顔で見ていた。とても冷たい目で、ランムリアの横顔を見つめていた。


「私には、あなたの話を聞いてくれるとは思えないけど」


 エメルダの口調には、苛立ちが混じり始めていく。彼女の中にある怒りが、溢れ出しそうに声に表れて。


「そんなこと……、そんなこと、ありません!お父様だって、きっと分かってくれると信じてます!!」


「……」


「私……」


 そして、ランムリアは語る。彼女がずっと心の底で望んできた未来。あまりにも淡い、ランムリアの願い。

 あるはずのない、明るい未来の話を。


「私、いつか、バンボやお父様、それにお義母様と一緒にご飯を食べてみたいんです。みんなで一緒に、お話しながら仲良くご飯を食べて、バンボのことお父様に紹介して、それから……」


「……、それから?」



 叶うはずのない、ランムリアの無知な願いを――――



「それから……、みんなで、世界中の人たちが幸せに暮らせるように、頑張っていけたらって……」



 その純真な想いから出た言葉は、エメルダの怒りの枷を外す。

 エメルダの胸に浮かび上がるのは、バンボやランムリアと過ごした穏やかな時間の思い出だった。彼女にしても、それは手放すには惜しいささやかな幸せであった。

 けれど、エメルダはそれを捨てると決めていた。

 いずれ捨てなくてはならないと分かっていたから。再び全てを捨てると決めていた。

 だからこそ、エメルダはまるで怒りなど感じていないかのような、静かな口調でランムリアに言うのだ。


「あなたのお父様っていうのは、ビジョウ・グアラザのこと?」


「え……?」


 ランムリアの表情に緊張が混じる。

 ランムリアのその様子から、エメルダには分かってしまった。

 彼女の予想は、当たっていたのだと。


「なら、あなたの本当の名前は……」


「なんで……」


「ケアン。あなたは、ケアン。ビジョウの娘。あの人が、誰よりも愛する人」


「どうして……、あなたが……」


「可哀想に……。なんにも知らない哀れな子。教えてあげる。あなたの知らないこと」


 エメルダの手がランムリアの頬に触れると、触れた場所に赤い鱗粉が舞い始めた。

 視界の隅にちらつく鱗粉が、ランムリアに得体の知れない恐怖をもたらす。


「バンボは何も教えてくれないんだね。バンボはあなたにたくさん嘘を吐いて、騙してる。だって、あなたは知らないんだもの。フライエが死んだこと」


「……っ!?」


 ランムリアがぴくりと身を震わせる。それから、ランムリアはエメルダの瞳を恐怖しながらじっと見つめた。

 段々と、ランムリアの目には涙が溜まって来ていた。


「フライエは死んだ。ビジョウが殺した。あなたの“お父様”が、フライエを殺したの。サントリデロという街ごと、たくさんの人を巻き添えにして」


「嘘……」


「全て本当。知ってる?どうしてバンボがビジョウと戦ってるのか。バンボはね、小さい頃にビジョウに両親を殺されたの。それから弟と離れ離れになって、一人で生きなくちゃならなくなった」


「お父様が……、お義母様を……、バンボの……」


「私は本当のことしか言わないよ。だって、本当のことが、あなたにとって一番辛いことなんだから」


「そんなこと……、する訳ない……」


「フライエがビジョウを殺そうとしていることも知らなかったんでしょう?何年も何年も、フライエとバンボはビジョウを殺すために戦ってきた。そんな人たちが、一緒に世界のために頑張れるはずなんてないでしょう?」


 逃げ出そうとするランムリアをエメルダが無理矢理押さえつける。ランムリアの顔を掴み、エメルダは自分の顔にランムリアの顔を近づけた。

 涙を流すランムリアの瞳を、怒りのままに睨み付けながら。


「私はビジョウを殺すためにここに来た!あいつに復讐するために!!」


 エメルダは自分のローブをはだけさせ、その生身をランムリアに見せた。

 太い血管が薄気味悪く浮き上がり、爛れた皮膚が惨たらしく広がっていた。所々に穴が開いた、醜く変わり果てた肉体がそこには在った。

 ランムリアが悲鳴を上げる前に、エメルダはランムリアの喉を強く掴む。


「ビジョウに憧れていた私が馬鹿だった!!あいつは一晩中私の体を好きにした挙句、私をこんな体にした!!」


 悲鳴を上げることができないランムリアは、外にいるバンボに助けを呼ぶこともできず。


「あなたに分かる!?目が覚めたら、知らない内に六年も経ってて!自分が化け物に変わっていて!知り合いもみんな死んでいた私の気持ちが!!全部ビジョウがやったの!!全部!あなたの父親が!!!」


 しかし、室内の二人の様子がおかしいことを察知したアーカーシャに誘われ、バンボが屋上から降りてきた。

 エメルダの大声を聞いて驚いたバンボは、エメルダに首を掴まれているランムリアの姿を見て、事態の危うさを察した。


「エメルダ……、お前、なにしてんだ!!?」


 バンボがエメルダの異様な体に動揺していると分かると、エメルダは自嘲気味に言った。


「私の体、まるで化け物みたいでしょう?でもね、見た目だけじゃない。私は本当に、化け物になったの」


 すると、途端にエメルダの頭が大きく変容した。肥大化し、口の端が大きく裂けて広がって、それは、その姿はまるで。


 ――――ダツエバと、同じだ。


 先日戦ったダツエバと、エメルダの姿がバンボの頭の中で重なった。

 バンボは呆けそうになった自分を奮い立たせ、ランムリアを頭から喰らおうと口を広げるエメルダへ銃を撃った。

 銃弾はエメルダの肩に当たり、エメルダは衝撃に倒れ、痛みに呻いた。


「大丈夫ですか!ランムリア様!!」


 ランムリアは恐怖と混乱に我を失い、差し伸べられたバンボの手を振り払う。

 バンボを見るランムリアの目は、何処か怯えているようで。


「ランムリア様……?」


「バンボに聞いてみたら?今、私が話したことが本当かどうか。フライエは死んだのか。バンボがビジョウをどれだけ憎んでいるか」


「なに……!?」


 バンボが一瞬エメルダへ目を向け、ランムリアの方へと目を戻した時、ランムリアは今にも壊れてしまいそうな弱弱しい声で、バンボに尋ねた。


「本当……、なんですか……?」


「……」


「お義母様は、もう、死んでしまったんですか……?お父様に殺されて……。バンボの家族も、お父様に……」


 ランムリアのバンボを見上げる瞳は、涙に潤んで。


「嘘ですよね?だって……、バンボは……」


 なのに、バンボはランムリアに、何も言ってあげられなくて。


「バンボは、私に嘘なんて……」


 ただ、バンボは震えるランムリアを、追い詰められた瞳で見ていることしかできなくて。


「……っ!」


 ランムリアは駆け出した。

 エメルダから、バンボから逃げるため、涙を流しながらそこから走り出した。空き家を出て、人混みを掻き分けて、行く当てもなく走った。


「ランムリア様!!」


 ランムリアは追おうとしたバンボに、エメルダが肥大化した手を伸ばす。

 ダツエバと同じように伸縮するエメルダの腕は、離れたバンボの所にまで伸び、巨大な手でバンボの体を掴み上げる。


「なんだ!?なんだよそれ!?なんでお前、そんな……!!」


「バンボ、私ね……」


 エメルダは口を開き、バンボを徐々に口元へと持って行き――――


「私、ビジョウに会ったの」


 そして、何かを振り払うかのように、エメルダはバンボを壁に向かって投げ飛ばした。

 全身の痛みを押し殺して立ち上がるバンボは、体全体が赤く変色していくエメルダを見た。

 エメルダの体は全長二メートルほどにまで肥大化すると、額から一本の角を生やし、周囲に赤い鱗粉を皮膚から噴き出させた。


「ビジョウに愛してもらえたと思った。願いが叶ったと思った。けど――――」


「エメルダ……」


「けど、違った」


 エメルダが腕を伸ばし、再びバンボを捕まえようと襲い掛かった。

 バンボはのたうつエメルダの腕をかわしていく。

 バンボにも、エメルダが既におかしくなっていると分かった。

 しかし、バンボは戦えない。戦いたくない。

 どうして戦えるだろう。かつて一緒に暮らした、大事な人を相手に。


「やめろ、やめろ!!エメルダ!!」


「もう、もう駄目。もう駄目なの。我慢できないの。バンボ。私、もう、ずっとずっと、お腹が空いて……」


 鬼の形相と化したエメルダの顔は、牙を剥き出しにして咆哮を上げた。

 悲鳴のような咆哮。

 それは、ダツエバの発したそれと何処までも似ていた。


「“誰か”食べなきゃ、おかしくなりそう……」


 “私は、自分の手で自由を手に入れるって、決めたの”


 思い出すのは、昔の声。

 バンボの脳裏に蘇る、あの日のエメルダの後ろ姿。

 そして、バンボは。


「邪魔をするなら、バンボ――――」


 バンボは仮面を手に取った。

 戦う心の準備ができていなくても、やらなくてはならないと分かったから。


「まずは、あなたを――――!」


 だから、バンボ・ソラキは仮面を被った。




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