第六話 幻の恋 その五
羊と遊んでいるうちに陽が暮れて、バンボたちは帰り道につくことを決めた。
バンボはランムリアと今日の隠れ家を探す前に、フィラメルとエメルダをそれぞれの家まで送り届けなくてはならなかった。流石に夕暮れ時に女子だけで行動させるのは、バンボも気が引ける。
バンボたちが羊の群れを離れようとすると、羊の飼い主たちが羊を集めにやってきた。元々そこにいた見張りの雇われ者たちが入れ替わりで去って行き、バンボは羊を誘導する子供たちの中に、見知った顔を見つけた。
以前、バンボとランムリアが助けた姉妹の一人、カンナだった。
カンナもバンボとランムリアに気が付いたようで、バンボの所へと駆け寄ってきた。
「こんにちわ!あの、私のこと覚えてますか?」
「ああ。久しぶりだな。元気にやってるか?」
「はい!この間は、ほんとにありがとうございました」
カンナはバンボたちにお礼を言い、お辞儀をした。
思いがけぬ再会に、ランムリアは喜んだ。けれど、その喜びも先程カンナが働く姿を思い出すや、何処かへ消えてしまって。
「お仕事中なんですか?大変ですね……、こんな時間まで」
「平気です。いつものことですから」
明るく言ったカンナの健気な姿に、ランムリアの脳裏に父の姿が過る。
この世界が平和だと、皆が幸せに暮らしていると言っていたビジョウ。ビジョウが嘘を吐いていたことは、もうランムリアにも分かっていた。
だからこそ、ランムリアは顔を陰らせる。
それを知って、自分がどう思えばいいのか。これから、どうすればいいのか。
ランムリアは、ずっと考えていた。
「誰?その子」
バンボたちの後ろから顔を出し、エメルダが尋ねると、それにバンボが答える。
「この前、人攫いから助けた。そういえば、パイアはどうした?あのうるせーお前の姉ちゃんは?」
そして、そこからまた、ランムリアは辛い真実を知ることとなってしまう。
「姉さん……。姉さんは……」
段々と、カンナの目から明るさが失せていって、ついには涙が溜まり始めて。
ランムリアは、何故か自分の体が強張るのを感じた。
「――――姉さんは、死んでしまいました。あの後、私が羊小屋へ帰った時、もう姉さんは……」
「なに……?どういうことだ。何があった?」
バンボが焦り、カンナの前にしゃがんで、目線を合わせた。
それから、カンナが語った事実に、バンボたちは彼らがパイアと別れた後、何が起こったのかを悟った。
「私が助けてもらった次の日に、湯あみ屋の近くで子供の服が見つかったんです。服はとっくに誰かに持って行かれてましたが、辺りは血まみれで……、それに……」
涙を流しながらも、最後まで何があったのか伝えようとするカンナの話を聞いて、ランムリアは――――
「私がそこに行った時、地面に……、姉さんがよく私にくれたピーナッツがいくつか……、落ちてて……」
ランムリアはパイアに貰った、あのピーナッツの味を思い出して――――
バンボがカンナの頭を抱き寄せ、泣きじゃくるカンナを慰めた。
後ろで話を聞いていたエメルダとフィラメルも、同情の色を顔に浮かべながら、カンナを見ていて。
ランムリアは、自分よりもカンナの方が悲しいのだと分かっていても、涙を抑えることができなかった。
カンナが泣き止んで、羊小屋へと帰って行くのを見送った後のこと。
暗くなりかかった通りを歩くランムリアが、突然倒れてしまった。
「ランムリア様!?」
バンボが慌てて駆けより、ランムリアを抱き起こした。ランムリアの顔は青ざめて、息も荒くなっていた。
「大丈夫……。大丈夫です。ちょっと、いろいろ考えてたら、気持ち悪くなってしまって……」
ランムリアはバンボから離れ、一人で歩こうとしたけれど、すぐにまた転んでしまって。
「無理しちゃ駄目だよ?ほら、手を――――」
エメルダがランムリアに手を差し伸べ、その手をランムリアが握った時だった。
「!?」
エメルダが、びくりと体を震わせて、ランムリアの手と自分の手をじっと見つめた。
「……?どうした?」
何か、エメルダの様子がおかしい気がして。エメルダにバンボが聞くと、エメルダはすぐにランムリアを立たせ、その手を離した。
「ううん。別に」
エメルダは自分の手を後ろに隠し、ランムリアを背負ったバンボの後ろに回る。
「多分、疲れてしまったんじゃないですか?今日はもう、ゆっくり休みましょう、ランムリア様」
「そうそう。バンボさんの言う通り」
「……、はい」
バンボたちについて行くエメルダは、隠していた自分の手を見つめていた。
その手の周りには、少しだけではあるけれど、赤い鱗粉が手のあちこちから噴き出るように舞っていて。
エメルダは手を袖の下に隠し、バンボに背負われるランムリアに目を向けた。
その目は、とても、とても冷たい、怒りを含んだ物に変わってしまっていた。
あれは、他の人からすれば、もうずっと昔。
エメルダにとっては、ほんの一ヶ月くらい前。
エメルダがインドラジットを抜けて行方をくらましてから、三日後のことだった。
何もかもが若すぎた彼女は、街から出るためにどうしたらいいのかも分からずに、まだサントリデロをうろついていた。人攫いや体目当ての悪い大人たちに追いかけられながら、エメルダはグアラザ自治領へ行く方法を探していた。
交易に使われるような普通の移動手段では、すぐにインドラジットの人たちに見つかってしまう。だから、エメルダは正規の物ではない裏の道を探していたのだ。
当然、そんな方法を探していては危険が付き纏う。それくらいはエメルダにも分かっていたし、それでもなんとかできると根拠のない自信を彼女は持っていた。
あのビジョウ・グアラザに一目だけでもいい、エメルダは会いたくて。自分のことを、ビジョウに知ってもらいたくて。誰よりも強く、誰よりもこの世界を自由にできるビジョウの下へ、エメルダは行きたくて。
しかし、無知なエメルダはサントリデロから出ることもできずにいた。そんな自分に苛立ちながらも、彼女の心と体が限界に近づいていた頃だ。
エメルダは夜、廃墟で一人、火を焚いて縮こまっていた。
お腹が空いたし、喉も乾いていた。もう組織に帰りたいと、泣き言も口から出たりもしたけれど、エメルダは結局帰ろうとはしなかった。
見栄だったのかもしれない。
一人だけ見送りに来てくれたバンボに、かっこ悪い所は見せられないし、見せたくもなかった。
――――今から戻ったとしたら、組織の人たちは何て言うだろう?どう思うだろう?
――――フライエは、バンボは、私を陰で罵っていたやつらは、私にどんな目を向けるだろう。
きっと、フライエやバンボは、優しくしてくれるに違いない。
けれど、それが逆に、エメルダには無性に我慢ならなくて。
ずっと、ずっと、膝を抱えて、じっと火を見つめていた時だった。
彼女は、出会ってしまったのだ。
「こんな所に、女が一人。何をしている?」
まず、聞こえてきたのは声だった。幻聴かと思った。
何度も公共放送でスピーカーから流れてきた声。何もかもを支配する、偉大なる男の声。
「あ……」
そして、エメルダの前に現れたその姿を見た時、彼女は自分の目を疑った。
ローブのフードを取ったその人は、坊主頭の男性だった。
エメルダを見下ろすその瞳は、底の見えない闇のように冷たくて。彼から感じる威圧感は、自分が何の力も持たない赤ん坊のように無力であると思わせる。
サントリデロにいるはずのない、ビジョウ・グアラザが、その時エメルダの前に現れた。
何故、ビジョウがあんな場所にいたのか。サントリデロで、一体何をしていたのか。
その時のエメルダには、そんなことはどうでもよくて。ただ、ただ、想い人と出会えた奇跡に、彼女の胸は喜びで張り裂けそうで。
「本当に……?本物の、ビジョウ・グアラザ……?」
抱き付き、すり寄るエメルダをビジョウは受け入れた。
エメルダは自分がこれまでずっと憧れていたことを、ただたどしくビジョウに語った。
廃墟の中で、二人きりで。エメルダは、幸せの絶頂の中にいた。
だから、当然エメルダはビジョウにされるがままに、言われるがままに振る舞った。身も心も、ビジョウに差し出した。
ビジョウが語る話を聞きながら、エメルダはビジョウに身を任せた。全ての話がエメルダにとっては心地よかったが、しかし、一つだけそうでない話があった。
ビジョウの娘の話。ケアンという名前の、ビジョウが愛してやまない女の話。
その話を聞いている時だけは、エメルダは寂しさとも悲しみともつかない想いで、ビジョウの体を抱きしめていた。
一晩中、エメルダはビジョウと恋人のように過ごして。やがて、エメルダは疲れ果てて眠くなって。
それから、エメルダは最後に――――
「生まれ変わらせてやろう。俺のために、貴重な礎とならせてやる」
ビジョウのその言葉に、エメルダは――――
「はい……。ありがとう……、ございます……」
悦びの中でそう答えて、目を閉じた。
次にエメルダが目を覚ました時、世界はすっかり変わり果ててしまっていた。
エメルダは目が覚めると、まず体が何かに覆われているのに気が付いた。なんとか動きたくて体を動かすと、周りを覆っている物が少しずつ動いて。
何度もそれを繰り返しているうちに、エメルダは地上に出た。
その時エメルダは、自分がずっと土の中深くで眠っていたことを知った。
地上は何処を見ても無人で、荒れ果てていて。サントリデロ全体が廃墟と化していた。エメルダ以外には、他に誰も生きている人はいなかった。
ビジョウ・グアラザも。
ビジョウも、エメルダが目を覚ました時には、もう何処にもいなくて。
エメルダは自分の体の違和感に気が付いた。
違和感のある、ローブの下の体を確認して、エメルダは悲鳴を上げてしまう。
エメルダの体は、所々が真っ赤に腫れて、いくつも穴が開いて、肌が焼けたように爛れていた。
初めは夢か何かだとエメルダは思ったけれど、彼女の脳が段々と、これが現実なのだと受け入れ始めて、彼女は泣きだした。
自分が薄気味悪くて、気持ち悪くなってきて。こんな穴の開いた体でも、まだ平気で生きていられる自分が、恐ろしかった。
エメルダは何が起きたのか、何が起こっているのか、全く分からなくて。
その後、エメルダはサントリデロを何日も何日も歩き回って、たくさんの白骨化した死体を見つけた。
インドラジットの建物に帰っても、そこには生きている人は誰もいなかった。
フライエも、バンボも。誰も。
街を見渡せる高台に登った時、エメルダはとある死体を見つけた。椅子に座るように倒れていたその白骨死体に、エメルダは初めは生きている人がいたのかと思ったけれど、そうではなかった。
その死体は、座らされていたのだ。誰にかは分からないけれど、街を見渡せるように。
そして、その死体が誰の物か、エメルダにはすぐに分かった。その死体の服装と、左手の薬指に付けた水色の指輪が、その死体がフライエの物であると物語っていた。
エメルダは悟った。
みんな、死んでしまったのだということを。
ビジョウ・グアラザが何故、サントリデロにいたのかも。
ビジョウが、みんなを殺したのだ。他にこんなことをできる人物はいない。
エメルダの帰る場所は、残されてはいなかった。
知らぬうちに何もかもがなくなって、彼女は途方に暮れて。
異常に渇く喉と、異常に湧き上がる食欲に苦しみながらも、彼女は決めた。
ビジョウ・グアラザを殺すことを。
エメルダは、ビジョウに復讐することを決めた。
できるかなんて分からなかった。それでも、エメルダはグアラザ自治領を目指し、サントリデロを発った。
そしてエメルダは、グアラザ自治領に着いて、そこで彼女が眠っているうちに六年の時が過ぎていたことを知った。
ビジョウが起こした、“冬”と呼ばれる御伽噺だけだと思っていた現象で、サントリデロが滅んだことも。
そして、エメルダは昔の知り合いが誰か生き残っていないか聞いて回り、革命軍と呼ばれる組織に辿り着いた。そこで彼女は、“彼”がまだ生きていることを知った。
バンボ・ソラキ。
革命軍の人々は、バンボとエメルダを引き合わせてくれた。
実際に再会して、バンボが生きていたことを、エメルダは心から喜んだ。
けれど、エメルダはバンボと一緒にいる、ランムリアとも出会ってしまった。
エメルダがランムリアを心配して、その手に触れた時、エメルダは分かってしまった。
ランムリアには、エメルダと同じ“ビジョウの呪い”がかけられている。
ランムリアが何者なのか、エメルダには見当がついていた。だからこそ、エメルダは確かめなくてはならないと思った。
ランムリアが本当に、ビジョウ・グアラザの愛する“ケアン”なのか。
「もし、そうだとしたら……。私は……」
「私は――――」
第六話はその七まで




