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非天  作者: 山中一郎
22/42

第六話  幻の恋     その四





 空腹のエメルダのために立ち寄った屋台で、バンボは鶏肉の塩焼きを串に刺した物を注文した。

 エメルダはしきりに「お腹が空いた」と、バンボを急かす。

 ランムリアは鶏肉の焼ける匂いに、興味津々といった様子で、網の上に置かれた鶏肉を眺めていた。

 注文を終えたバンボの横に、フィラメルがやって来る。フィラメルは財布の小袋を取り出して、自分も塩焼きを頼もうとしているようだった。

 そんなフィラメルに、バンボは言った。


「フィラメルさんの分も、頼んでおきましたよ?」


「え?私の分も?いいんですか?」


「ええ」


 フィラメルは塩焼きが出てくるまで、何か思い悩むような、神妙な様子でいた。

 そして、バンボが店主から串に刺された塩焼きを受けとり、その内の一本をフィラメルに差し出すと。


「ありがとうございます……」


 フィラメルは、ぼろぼろと涙を零してお礼を言ったのである。


「え?え!?」


「私……。私、こんな……、バンボさんに、こんな……。何か頂けるなんて……、そんなこと、思ってなくて……」


 泣きながら想いを言葉にするフィラメルに、バンボは焦る。

 ランムリアとエメルダも、何事かという顔をしていた。


「いや、あ、あの!なんか、すみません!」


「違うんです。私、嬉しくて……」


 フィラメルは、本当に大事な物であるように、串を両手で持った。


「本当にありがとうございます……。これ、ずっと大事にしますね!」


「まあ……、駄目になる前に食べて下さいね」


 照れるバンボの横顔をじっとりと見つめるランムリアを、さらにエメルダが面白そうに観察していた。

 












 グアラザ自治領北区には、生い茂る草木が点在している。この植物を餌として、羊や牛の放牧を行っているのだ。

 バンボはランムリアが喜ぶだろうと思い、羊の放牧をしている場所へとやって来た。以前、人攫いから助けたあの姉妹がいる羊小屋の場所をバンボは失念していたので、今回は適当に羊のいる場所を探した。

 エメルダは大して羊に興味を抱かなかったようだが、フィラメルとランムリアは目を輝かせて喜んだ。


「ああ~、羊可愛い~……。この毛がたまらない……」


 羊に覆いかぶさるフィラメルを羨ましそうに眺めるランムリアは、どうやら羊に触れるのを怖がっているようだ。


「大丈夫。噛んだりしませんから」


 バンボはランムリアにそう言って、羊の背をぽんぽんと叩く。羊は何ら気に止めずに、地面に生える草を食んでいる。

 一見穏やかだが、底知れぬ狂気を孕んでいるように見えなくもない羊の瞳に、ランムリアは恐がりつつも、そっと手を伸ばして。

 その手が羊の頭に触れた時、羊がぴくりと頭を揺らした。


「い、今、動きましたよ!?」


「生き物ですから」


 段々と慣れてきたランムリアは、フィラメルを真似して羊の背中に覆いかぶさった。周りの目を忘れて、ランムリアは羊の毛並の感触に夢中になっている。

 楽しそうにしているランムリアに一安心したバンボは、離れた所で柵に寄りかかって、彼らを眺めるエメルダに気が付いた。エメルダもバンボが自分を見ていることに気が付いて、彼を手招きした。


「どうした?お前はいいの?」


「まあね。私は羊であんなにはしゃげないし」


「鳥ならはしゃぐくせに」


 バンボの一言に、エメルダは一瞬、真顔になったけれど、すぐに彼女は笑った。

 エメルダの手には、新たにバンボに買ってもらった、豚の燻製の串焼きが五本。バンボと財布に悲鳴を上げさせたそれをかじりながら、エメルダは言う。


「昔の話でしょ?」


 エメルダとバンボは笑った。

 二人にとって、とても懐かしい感覚がして。共に暮らしていたあの頃に、少しだけ戻れた気がして。


「バンボ。昔、私のこと好きだったでしょ?」


「は!?」


 予想外の指摘に、バンボは慌ててランムリアの方を見た。幸い、ランムリアはフィラメルと何か話しているらしく、バンボたちの会話も聞こえていないようだった。


「何それ?別にそんなことないし」


 頑張って落ち着きを装ったつもりだったが、途中で声は裏返っていた。


「ふーん。ばれてないと思ってたんだ」


「ああ、何?そういう風に見えてた感じ?俺は別にそういうつもりじゃなかったけどね、本当」


「顔、真っ赤」


 頭を抱えて、バンボは深く溜息を一つ。エメルダには、どうしても誤魔化しきれないと悟った。


「……、昔の話だろ」


「そうだね。もう、昔の話」


「お前は、ビジョウに会いに行くためにインドラジットを抜けた。そこで終わったんだ。その話は」


 エメルダが驚いて、バンボを見た。バンボの予想は当たっていたのだろう。

 エメルダはビジョウに恋い焦がれ、ビジョウに会いたくて、組織を抜けて旅に出ようとしたのであった。


「……。知ってたんだ……」


「なんとなくだけど、分かったよ。お前はいつも、ビジョウのことを俺に話してたんだって」


「バンボ……。私……、あの後ね……」


「いいよ、別に言わなくて」


 エメルダが顔を上げる。エメルダは、少し安堵した顔をしていた。


「ビジョウになんて、会おうと思って会える訳がない。あの後、何処か別の街に行ってたんだろ?」


 その時、少しだけエメルダの唇が動いた。何か言おうとしたようだったが、結局、彼女は言葉を挟まなかった。


「お前が出てってから、四年後にあの街は滅びた。あの“雪”の中じゃ、誰も生きちゃいられなかった。お前はついこの前、そんなサントリデロを見に行ってきたんだろ?それから、ここに来たんだ」


「……。うん」


「おかしいと思ったよ。あれからずっと、お前がサントリデロにいるはずがない。みんな必死になって探したんだ。それに、“冬”だってあった」


 エメルダは静かに目を逸らした。彼女が胸の内に秘める何かが、その目をバンボから外させた。


「でも、お前が生きてて、本当によかった」


 けれど、エメルダは再びバンボの方へ目を向けた。困惑した表情で、バンボを見た。

 バンボは、笑っていた。

 それがエメルダには、本当に嬉しくて。


「おかえり。エメルダ」


 バンボがそう言った時、エメルダは俯いた。思わず泣いてしまいそうで、咄嗟に顔を隠した。

 もう帰る場所なんてないと、そう思っていた。もうバンボも自分のことを嫌いになっているだろうと、そう思っていた。

 でも、そうではなかった。

 だから、エメルダはバンボに答えた。


「……、ただいま」


 風が通り過ぎていく音を聞きながら、二人は黙ったままで、そこにいた。

 バンボはとても懐かしい心地がして、そっと目を閉じる。

 エメルダが去ってからの日々を思い出し、その頃の自分がどれだけ泣いたかを思い出し。


 ここまで話をして、バンボはエメルダと再会できたことを、ようやく素直に嬉しいと思えたのであった。


「バンボさーん!」


 沈黙を砕いたのは、フィラメルのお気楽な呼び声である。ランムリアと一緒に羊と戯れていたフィラメルは、大手を振ってバンボを呼んでいた。


「行って来れば?友達は大切にしなきゃ駄目だよ?」


「……、はいはい」


 バンボがフィラメルの下へと歩いていく後ろで、エメルダは、今度はランムリアを手招きした。


 ――――あのバンボが、今じゃ女の子連れて暮らしてるとはね。本当に、どれだけ長い時間が経ったんだろう。


 ランムリアはバンボと一緒にいたかったのだろう。名残惜しげな瞳をバンボに向けながら、それでも、ランムリアはエメルダの方へ来てくれた。


「ごめんね。邪魔しちゃった?」


「え!?そ、そんなことないです!!」


「そう」


 ――――何処でこんな可愛い子を見つけてきたのやら。家族もいないみたいだし、普通ならとっくに攫われて、何処かに売り飛ばされてそうな物だけど。


 そわそわとエメルダの隣で落ち着かない様子のランムリアを見て、エメルダはランムリアが人見知りなのだと、すぐに見抜いた。

 ランムリアが楽しく話せるよう、出来る限り優しい声で、エメルダは話しかける。


「ねえ、あなた、バンボとどうやって知り合ったの?」


「えーっと……、その……」


 ランムリアは悩んだ。ランムリアは自分のことを何処までエメルダに話していいのか、いまいちはっきりとした基準を見つけられなくて。


「元々、バンボは私のお義母様の弟子だったそうで、そういう繋がりで……」


「バンボの師匠って……、ひょっとしてフライエのこと?あなた、フライエの子供なの!?」


「え!?は、はい!“おかあさま”と言っても、義理の親の方ですが……」


 内心、ランムリアは「しまった」と叫びたい気持ちで一杯であった。ランムリアがビジョウ・グアラザの娘であると、誰かに知られてはまずい。

 「まだ大丈夫。まだ大丈夫!」。そうランムリアは自分に言い聞かせ、取り繕う言葉を考えた。

 その傍ら、エメルダは大層衝撃を受けているようで。


「そうなんだ……。っていうか、そうかぁ……。あのフライエが、子供を……」


 エメルダは感慨深げに、そんなことを呟いていた。

 ランムリアはその隙に、話を続ける。


「私はずっと……、お父様に家の中から出してもらえなくて……、それでバンボに連れ出して欲しいってお願いしたら、本当に来てくれて……。あ!そ、そう!それから私が彼を雇って、こんな風に……」


 ――――お父様?バンボが、連れ出した?


 少し、エメルダは驚いた。ランムリアが裕福な家で育ったのであろうということにも驚いたが、何よりも、バンボがそんな大胆なことをしたことに。


 ――――あの甘えん坊が、そんなことまでするようになったんだ。いつもいつも、鬱陶しいくらい私の後ろについてきてたくせに。


 胸の苦しさを感じたエメルダが空を仰ぐと、青空を舞う鳥を一匹見つけた。

 羽ばたいて遠くへと去って行く鳥の影を見つめるエメルダが、一体何を見ているのか気になって、ランムリアはその視線を辿って。

 そして、ランムリアもエメルダが見つめるその鳥を見つけた。


「鳥だ……。私、鳥って好きなんです」


 ランムリアがそう言うと、不意をつかれたようにエメルダは聞き返した。


「そうなの?」


「はい。いつも窓の外から見てました。あんな風に外を飛べたらいいなぁって……」


「……、そうだね。私も、同じこと考えてた」


 ランムリアも驚いて、エメルダを見やった。じっとエメルダの顔を見つめているうちに、遠くを見つめるエメルダの目に吸い込まれてしまうような、そんな心地をランムリアは感じた。

 すると、そんなランムリアにエメルダは小さく笑って。


「ね、ランムリアさん。今度、二人で遊ばない?バンボの昔の話、たくさん教えてあげる。あいつ、昔はあんなんじゃなかったから」


 その笑顔を見て、ランムリアはエメルダが仲良くしてくれようとしているのだと分かった。


「ほんとですか!?で、でも、どんな話を……?」


 恐々として、しかし興味津々なランムリアは、エメルダと共にバンボを横目で見ながら顔をにやけさせる。


「お化けの話した夜に、恐くてトイレに行けないから私がついて行ってあげたり」


「ふっ」


 ランムリアの口から思わず笑いが漏れた。笑ってはバンボに悪いと思いつつも、情けなさ過ぎてついつい笑ってしまった。


「あいつがお漏らしして、“他のみんなに見つかる前に洗ってくれ~”って私のとこに泣きながら布団持って来たり」


「ええ!?男の人もお漏らしってするんですか!?」


 ランムリアの驚嘆の声は、少し離れた場所のバンボの耳にも届いた。ランムリアが何にそんな驚いたのかとバンボが二人の方を見るや、二人は慌ててバンボから目を逸らす。


「……?」


「バンボさん!ほら、見てください!この羊、毛がもこもこしてて可愛い!」


「え、ええ。本当ですね……」


 フィラメルに話しかけられて、バンボは二人から目を放した。

 しかし、なんだか怪しげなランムリアとエメルダの様子に、バンボは嫌な予感を胸に湧かせるのだった。













 グアラザ自治領中央塔、ビジョウ・グアラザの座す執務室でのこと。

 ビジョウの座る机に向かって登っていく階段の下に跪くのは、一人の男。

 彼は、恐怖していた。

 椅子に座り、書類に目を通しているビジョウから感じる、自分の全てを見透かされているような気持ち悪さが、彼には毎度のこととは言えど耐え難い。


「スペシメンの出現は、二週間前の一件以来、確認されておりません。また……」


 男は、ノージアス・カラサキは、ビジョウの顔色を恐る恐る窺がいながら、報告を続ける。


「ケアン様の捜索も、未だ滞っておりまして……」


「なら」


 カラサキがびくりと身を震わせた。

 ビジョウが立ち上がり、階段を降りて彼の前までやってくるのを、カラサキは蛇に睨まれた蛙の如き思いで待っていた。


「なら!!それなりの処置を下すまでだ!!!」


 カラサキの体がビジョウの杖に殴り飛ばされた。ビジョウの人に非ざる力でもって、小石を全力で投げたかの勢いで壁にぶつかったカラサキは、床に倒れると口から血を吐きだした。

 ビジョウの杖が、倒れるカラサキの腹部に突き刺される。何度も何度も、ビジョウは怒りに染まり切った顔で、息を荒くしながら杖をカラサキの体に突き刺した。


「お許しを!!お許しを……!」


「俺が見つけろと言ったら!!見つけてくるのが貴様の絶対に果たさなくてはならない役目だろうが!!!」


 悲鳴の合間に、なんとか意識を振り絞って懇願するカラサキの声を聞きもせず、ビジョウはカラサキの胴を蹴り飛ばした。

 ビジョウは散々暴れた後、息を整えた。そして、全身から血を流すカラサキに言った。


「すまんな。少し取り乱してしまった。さあ、早くケアンを探してこい。前にも言った通り、よっぽどのことがない限り、ケアンの身柄は例の組織に確保されているはずだ」


「はい……。承知致しました……。反政府組織インドラジットの捜索も同時に進めております……。そちらの方は、ある程度足がかりを掴めておりますので……」


 致命傷とも思える傷を負っていながらも、カラサキは立ち上がった。


「サントリデロで根絶やしにしたと思っていたが、どうやら本当の根は別の場所にあったらしい。やつらならば、必ずケアンの安全を第一に確保しようとする」


 立ち上がったカラサキの体の傷はおかしなことに、もう癒え始めていた。血が止まり、傷口が目に見える速度で塞がっていく。それでも、まだ痛みは残っているようで。カラサキの顔は苦痛に歪んでいた。

 ビジョウはカラサキの様子を気にも留めずに、話を続けた。


「先月、非天の男がケアンを誘拐した際、俺がサンサーラ・システムを使用したことで、休眠状態に入っていたスペシメンが反応し、目を覚ました」


 椅子に戻り、そこに座ったビジョウは、机の引き出しから上等な布を取り出し、杖に付いた血を拭う。


「あれらはある程度人を食らえばまた眠りにつくだろうが、出現を確認次第、全部署に知らせろ。ケアンが危険に曝される可能性もある。いち早く、ケアンを連れ戻せ」


 ビジョウが血を拭った布をカラサキの目の前に投げ捨てた。カラサキはそれを拾い、恭しく頭を下げた。


「はい。必ずや領主様のご期待に応え、ケアン様を見つけ出します」


「行け」


 「失礼します」と言い残し、カラサキは血まみれの体を引きずって、逃げ出すように部屋から出て行った。

 ビジョウは椅子の背もたれに背中を預け、窓から空を見つめた。


「サントリデロに、スペシメンか……」


 そして、懐かしそうに目を細めて、卑しさを含んだ笑みを浮かべて。


「そういえば、サントリデロに捨ててきたやつがいたな。あれも、一緒に目覚めたか?あの失敗作がまだ生きているなら、一度拝んでおきたいものだ」


 窓の外に飛ぶ一羽の鳥を見つけたビジョウは、その窓を開けて、鳥に向けて杖を構えて。


「なにせ、貴重な生きた“試験体スペシメン”なのだから」


 杖の周りに雷光が輝き、空を行く鳥へ雷が放たれた。



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