第六話 幻の恋 その二
「久しぶり、バンボ」
バンボは絶句した。
メクターに革命軍の所有する建物に案内されたバンボは、窓辺で微笑む少女の顔を見て、これは夢か現かと己が目を疑った。
窓から入る陽の光に照らされた彼女は、黒い布をローブのように羽織って、顔以外素肌を隠している。
長く伸びた亜麻色の髪は痛んで艶を失くしてしまってはいるが、それでもなお美しく柔らかな雰囲気の容姿は、バンボの記憶の通り、憧れだったあの人その物であった。
「エメルダ……。生きてたのか……」
「うん。まあね」
バンボの後ろから、事態の行く末を落ち着かない心地で観察しているランムリアとフィラメルは、バンボとエメルダと呼ばれたその少女の間に流れる沈黙に、二人の並みならぬ関係を見てとった。
「お前、今まで何処にいたんだ!?みんな心配してたんだぞ!?」
「……。ごめん……」
「ごめんで済むか!!フライエさんたちがどんだけお前のこと気にしてたと思ってんだ!!」
バンボの怒りを受けて、エメルダは俯いた。俯いたその顔が、きゅっと唇を噛んだのがランムリアにも見えた。
「ねえ……、バンボ。みんな、何処行っちゃったの?」
「何処って……、何処かに行ったのはお前だろ!?」
「違う!違う、そうじゃなくて……。気付いたら、街中壊れちゃってたから、みんなどうなったのかなって……。だから、サントリデロからここまで……」
ランムリアは、困った様子のエメルダの服装に目をやった。
元々黒い生地の布なのだろうが、随分と土や油で汚れてしまっている。それに、所々破れてまるでボロ布のようだ。靴も履き潰されて穴が開き、エメルダは随分無茶な旅をしてきたのだろうと、ランムリアには思えた。
「お前、やっぱりサントリデロにいたのか?どうやって“冬”から助かったんだ?みんなあれで……」
「それは……」
この世界では御伽噺としてだけ知られる、空から水の結晶が数多に降り注ぐと言われる現象。それが“冬”だ。
サントリデロで起こった物は、それとはまた違った物なのだが、皮肉を込めてビジョウが呼んだその“冬”という呼び名を、皆は使っていた。
知らない者はまずいない。皆が御伽噺として、また、つい最近サントリデロを滅ぼした災厄として知っている。
この場にいる、一人の少女を除いては。
「……」
――――“ふゆ”って、なんだろう?
ランムリアは疑問を抱いた。聞いたことのない言葉。
それが意味する所を、ランムリアは知りたくて。
「バンボ、“ふゆ”って、なんですか?」
バンボはぎくりと身を震わせた。
ランムリアの前で決してしてはいけない話題である、サントリデロの崩壊とそれを引き起こした“冬”。
極力避けてきた話題であったのに。バンボは「失敗した」と冷や汗をかいた。
“サントリデロ”と“冬”。
どちらの話題も、最後には必ず、フライエの死に行きつくのだから。
「“冬”っていうのは、空からたくさん“雪”っていう柔らかい水の塊が落ちてくることですよ。なんで知らないんですか?常識ですよ?」
フィラメルの一言で、バンボは救われた。
フィラメルにその気がなかったのだとしても、彼女のお蔭で、バンボは最悪の事態を回避できたのだ。
そんなバンボの気も知らず、フィラメルは得意気な顔をランムリアとエメルダに向ける。二人は、フィラメルに苛立った視線を向けた。
ランムリアはフィラメルの口の悪さを非難しようか悩んだが、取り乱して言い争いをするような醜態を見せたくなくて、我慢した。
「とにかく……、エメルダ。お前、これからどうする気なんだ」
「分かんない。でも、バンボがいるなら大丈夫でしょ?」
ランムリアとフィラメルは焦った。エメルダがどういうつもりなのか、勘付いたのだ。
――――ついて行く気だ。
フィラメルが慌てて横槍を挟む。
「革命軍が身元を引き受ければいいですよ!ね、メクターさん!」
「え?あ、ああ。まあ、働いてくれるんなら、そういうこともできるだろうが……」
「ほら!それでいいですよね!?」
「私はバンボが良い。ね?だって、折角また会えたんだもの」
口を挟むこともできないランムリアは、内心恐れで一杯だった。バンボと二人でいたい彼女は、エメルダがそこに入ってくることが不安だった。
エメルダと良い関係が築けるか、ランムリアは、不安で。
エメルダと話すバンボを見ている時に、己の心に渦巻く、よく分からない、もやもやとした感情が大きくなるような気がして。
ランムリアはそっと、バンボの方を見た。
――――バンボはきっと、この人と一緒にいたいんでしょうね。だって、昔一緒に暮らしていた仲間なんですから。
ランムリアは、そう思っていたのに。
ランムリアの予想とは裏腹に、バンボの表情は険しい物だった。
喜ぶどころか、嫌そうですらあるバンボは、重々しく口を開く。
「いや、お前はここの人たちに面倒を見てもらえ。俺は、今は手一杯だ」
そう言って、バンボはランムリアの方に目を向けた。
ランムリアは口には出さないものの、心の中は飛び跳ねそうなくらいに、「よかった」という想いで満たされていた。
バンボが自分を選んでくれたという気がして、ランムリアは嬉しくてたまらなくて。
「そう……。分かった」
バンボとランムリアのその様を見て、エメルダは何かを悟り、諦めたようにメクターに言った。
「それじゃあ、ここでお世話になってもいいですか?行く当てもないので」
「え?ええ!勿論!上に掛け合って、何か楽な仕事でもしてもらえれば、いくらでも!はい!」
物腰穏やかに接するエメルダに、メクターは浮かれた様子で答えた。
この部屋に来る道すがら、革命軍の面々が色めき立っていたのは、こういう展開を期待していたからであろうと、バンボは理解した。
会話が一段落すると、バンボはほっとしたように息を吐く。
ランムリアには、先程からのバンボの様子が妙に気になって。
ランムリアはなんとなく、エメルダの名を聞いた時から、バンボがあまり嬉しくなさそうな気がしていた。
――――なんでだろう。私の気のせい?でも、昔の仲間が生きていたって聞いたら、もっと喜ぶものなんじゃないのでしょうか。
「ねえ、あなた」
思い悩むランムリアに、エメルダが声をかけてきた。ランムリアは驚いて、エメルダの方を向く。
「え?な、なんですか……?」
「バンボと、仲良くしてあげてね」
エメルダはそう言うと、穏やかな笑みを浮かべた。
嫌味のない、本当に喜ばしい物を見るような目で、エメルダはランムリアに笑いかけていた。
ランムリアはそれを見て、少し胸のもやもやが薄らいだ気がした。エメルダを見る度に感じていた暗い気分も、その時は感じなかった。
「は、はい!分かりました!」
「うん。それじゃあ、またね。時間が空いたら、会いに行くから。バンボも、またね」
「……、ああ」
気乗りしない返事をしたバンボを、エメルダは少し寂しそうな顔で見つめて。エメルダはメクターについて、部屋から出て行ったのだった。
「はっ!あの女!やっぱりこの街に向かってたのか!!」
建物の屋上から、メクターに連れられて歩くエメルダを見張るのは、黄金の瞳を持つ男、コッパー・ジョウ。
ローブのポケットに左手を入れて、右手でりんごを軽く投げて弄ぶコッパーは、メクターと楽しそうに話すエメルダを気味悪がる目で見下ろしている。
「何処から湧いて出てきたのか知らないが、まさかサントリデロからここまで、手ぶらで辿り着くとはな。本当に人間か?あいつ」
りんごをかじり、コッパーは笑い混じりにそう言って。けれど、その目はエメルダから離しはしない。
「いつ尻尾を出すか分かりゃしねえ。俺も暇じゃねえんだからさぁ、とっとと本性出してくれよ頼むから」
コッパーが投げ捨てたりんごの芯が、下の裏路地を歩いていた浮浪者の頭に当たった。浮浪者はボケた顔で落ちてきた芯を拾って、それをかじりながら去って行った。
「ビジョウのやつは相変わらず、こそこそ隠れて何か熱心に準備してやがる。一体、何をしているのやら。随分、必死なことだ」
革命軍の基地へと入っていくエメルダがコッパーの視界から消えると、コッパーは空を見上げて大きくあくびをした。
「ビジョウがあの女に何か仕掛けたのなら、近い内に動くだろう。そうでないなら……、無駄骨だな……」
空を見上げるその瞳は、遥か彼方を見据えるように細まって。
「もしも、あの女がビジョウの“呪い”を受けていたとしたら……」
しばらくそのまま、空をぼぅっと見上げ、コッパーは伸びをしてから、その場を離れた。
「非天の男。お前には、まだやつらの相手をするのは、荷が重いだろうよ」
「エメルダ、悪いね。今晩はこの子をあんたの部屋で寝かせてやってよ。空き部屋が何処も汚れててねぇ。確か、二段ベッドの下の段が空いてたでしょう?」
ずっと昔の話。
エメルダはサントリデロに潜む組織、インドラジットのサントリデロ支部の一室を使わせてもらっていた。
彼女の叔父がインドラジットで訓練師長を務めていたから、要するにコネというやつで。
エメルダの部屋は本来二人で使う物だったのだけれど、それまでに同室してきた人たちは、皆彼女と喧嘩をした挙句、別の部屋をあてがってもらって去って行った。
エメルダはずっと一人で、その広い部屋を自由に使わせてもらっていたのだ。
だからエメルダは、見知らぬ男の子を連れた、インドラジットのリーダーのフライエにそう言われても、「嫌だな」としか思わなかった。
「いいけど、今晩だけだから」
「ありがとう。ほら、あんたもお礼言いな。良い子にしてるんだよ」
フライエがエメルダの前に突き出したのは、エメルダよりもいくつか年下の男の子。エメルダは、「あんまり綺麗な顔の子じゃないな」と思った。
「……、ありがとう……」
そうして、フライエはその男の子を置いて、また仕事へ戻っていった。
まだその頃、インドラジットのサントリデロ支部はできたばかりで、フライエは毎日夜遅くまで忙しそうにしていた。
「じゃあ、あんたは下のベッドで寝て。言っとくけど、静かにしててよね。うるさかったら追い出すから」
「分かった」
――――案外、しっかり返事するんだ。
はきはきとした返事をするその男子が、エメルダには、気が強くて周りをずっと警戒しているような、人を遠ざけるタイプの子のように思えた。
「そう。じゃ、おやすみ。電気、もう消すよ?」
その男子がベッドに入ったのを見届けて、エメルダは部屋の電球からぶら下がる紐を引っ張り、スイッチを切った。
暗くなった部屋の中、エメルダはベッドの布団に包まって、「よかった。うるさい子じゃなくて」と、ほっとしていたのだけれど。
十分程経った頃だった。
エメルダの耳に、無理矢理小さくこらえているかのような泣き声が聞こえてきた。
エメルダは大きく、下のベッドのその子に聞こえるように溜息を吐いた。「うるさい、静かにしろ」と、そういうつもりで。
それが伝わったのか、その子は泣くのを我慢しようとしていたけれど、どうしても嗚咽は止まらないようだった。
だから、エメルダは一言文句を言ってやろうと思って、ベッドを降りて電気を点けた。
「あんたさぁ……」
そして、エメルダがその子を見た時。その男子の泣き腫らした顔と一緒に、その体に刻まれた、たくさんの傷跡を見つけた。
その子が今まで苦しんできたことの証だった。ずっとずっと、戦い続けてきたことの証だった。
「……」
なんでそうしようとしたのか、エメルダは自分でもよく分からない内に、その子のベッドに腰掛けていた。
それから、エメルダは尋ねた。
「なんで、泣いてたの?」
そして、その男子はエメルダに教えてくれた。
今まで遠くの街で、ずっと弟と暮らしていて、ずっと弟と自分を守るために戦ってきたこと。
その弟が、別の街に里子として貰われていったこと。弟を里子に貰う条件として、貰い手の夫妻はその子に弟と縁を切るように言ってきたこと。
その条件を飲んで、一人で生きることになったから、良い働き口を探しにサントリデロに来たこと。
エメルダは「すごいな」と、素直にそう思った。
その子がどれだけ辛い想いをしてきたのか、その話からだけでも伝わってくるようで。
エメルダは、少し憧れもした。
変わり映えのしない退屈な毎日を送っていた彼女は、その子の人生に憧れて。
「いつか私も、そんな風に壮絶な生き方をしてみたい」と、そう思った。
その子は全部話し終えると、また泣き出した。我慢しようとしていたのだろうけど、涙はぎゅっと閉じた両目から漏れ出していた。
「……、よく泣くなぁ」
エメルダは、その子に同情してしまった。
なんとなく、エメルダは自分と同じ匂いをその子から感じたからかもしれない。自分から人を遠ざける、みんなの中に混じれない人間の匂い。
エメルダは立ち上がって電気を消して、その子のベッドにまた座って。
その子の頭を、彼女の膝の上に乗せてあげた。
その子は初めは驚いていたけれど、段々と落ち着いてきたのか、泣き止んで、眠たそうに目蓋を下ろし始めて。
「私、エメルダっていうの。かっこいいでしょ?あなたは?」
自分から名乗るなんてことは、彼女にとってはそうないことだったけれど。その時は、自然とそう口にしていた。
それから、その子は。
「……、バンボ。バンボ・ソラキ」
エメルダが頭を撫でてやると、その子は、バンボはゆっくり両目を閉じた。
「おやすみ、バンボ」
それが、エメルダとバンボの出会い。
彼女にとっても、バンボにとっても。今では、ただただ懐かしい。幸せだったあの頃。
彼女は、何を間違えたのか。何処で、間違えたのか。
もう、答えはとっくに出ている。
誰よりも強い人が好きだった。
弱い人が嫌いだったから。自分がどれだけ弱いか知っていたから。
だから、彼女は―――――
「おやすみ……、エメルダ」
エメルダは、自分で幸せを捨てたのだ。




