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非天  作者: 山中一郎
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第六話  幻の恋     その一

 視界に広がるのは、機械でできた鉄の街並み。

 鋼鉄の黒色に、機械の吐き出す蒸気が白色を塗す景色はもう見慣れた物で。初めてこの景色を見た時は、一体俺はどんな間抜け顔をしたのだろう。もう、その時の感動を覚えてもいないけれど。


「エメルダ!!」


 俺は鉄屑の転がる地面を走って、亜麻色の髪を揺らす後姿を追いかける。

 懐かしい背中だ。

 昔、俺が憧れていたあの人の後姿。


「ああ、バンボ。見送りに来てくれたの?」


 俺達は、フライエさんが率いる反政府組織の仲間だった。素行が悪いエメルダは、よく仲間はずれにされていた俺と一緒にいることが多くて。

 俺よりも四つ年上だったエメルダは、俺にはとても大人びて見えた。


「なんで出てっちゃうんだよ!行く所なんてないくせに!!」


 初恋だったんだ。

 結局、エメルダは俺のことを少しも異性として見てくれていなかったのだけれど。


「バンボには、まだ分かんないかなー」


 エメルダが誰に会いたがっていたのか、誰に恋い焦がれていたのか。あの頃の俺にはちっとも分からなかった。

 でも、何年か経って、俺にも女性の心が少しだけ分かるようになってきて。


「決めたの。私、会いたい人に会いに行く。行きたい場所へ、行くの」


 俺にも、分かってしまった。

 エメルダが好きだったのは――――


「ここにいれば確かに安全だけど、でも、私は――――」


 ビジョウ・グアラザ。


 エメルダが好きなのは、俺じゃなく。会ったこともないあいつのことだったんだ。




「私は、自分の手で自由を手に入れるって、決めたの」











「んぁ……?」


 鳥の鳴き声がして、俺は目を覚ました。

 何か懐かしい夢を見ていたような気がするが、いまいち思い出せなくて。


「夢……。ゆめぇ~、ゆめゆめ~」


 こういう時は大抵思い出せずに終わると分かっていたので、適当なリズムを口ずさみつつ、俺は日課である朝の訓練の準備を始めることにした。










第六話  幻の恋










「お、おぉ、おおぉお……っ!」


 バンボが力強く眉をひそめて見つめるのは、机の上に浮遊する一つのりんごである。

 周囲に白い鱗粉を纏わされているそのりんごは、わずかに宙に浮き、少しずつ少しずつ落下している。


「ぬ、ぬぅうう……!おぉおおおおお……!!」


 極限までりんごにかかる重力を失くそうとするバンボの気合いを余所に、りんごはころんと机に転がった。


「どうだ!良い感じだったろ!?」


「高さ十五センチからの落下所要時間三十秒。昨日より五秒伸びました。ここ最近、リアライズシステムの操作に際立った上達が見られます。素晴らしいです、マスター」


「よっし!!」


 バンボはぐっと拳を握りしめ、椅子に勢いよく座った。机の上には、白米やら塩漬け肉を添えたサラダやら、人参や玉ねぎを煮込んだ塩味のスープが並べられている。

 日課である朝の訓練を終え、珍しく台所のある空き家で泊まったのを好いことに、バンボは前日に準備した食材を使って、少し豪勢な朝飯をこしらえた。


「おはようございます……」


 バンボがりんごでリアライズシステムの練習をしながら、出来上がった朝食を前に待機していると、やがて、目覚めたランムリアが二階から階段を下りてきた。


「おはようございます、ランムリア様。朝食を作っておきました」


「どうも……って、ええ!?これ、バンボが作ったんですか!?」


 机の上に並ぶ朝食に、ランムリアの眠気は一瞬で吹き飛んだ。


「すごい!バンボは料理もできるんですか!?」


「いや……、そんな大した物じゃないんですが……」


 庶民からすれば豪勢であるとは言え、中央塔で暮らしていたランムリアからしてみれば、本当に大したものではないだろうとバンボは思うのだが。ランムリアは心底驚いた様子で食卓に着き、バンボに感心していた。


「塔では、もっと良い物を食べていたんじゃないんですか?」


「いえ……、まあ、確かにもっと豪華な物ではありましたけど……。でも、ずっと不便な場所でこんな風に料理ができるなんて……。それに、バンボは男の人なのに……」


 両手を合わせて「頂きます」と言ってから、ランムリアは箸を持った。そして、バンボの作った朝食をそれぞれ口にして、感嘆の息を溢した。


「美味しいです……。本当に美味しい……」


「お口に合ったなら、よかったです」


 ランムリアが喜んでいるようで安心したバンボも、朝食を食べ始めた。心底美味しそうな笑顔で、自分の作った料理を食べてくれるランムリアを見ながら食べる朝食は、バンボにとっても美味しい物であった。

 ランムリアは特に、人参と玉ねぎのスープが気に入っているらしく、しきりに口を付けては何か物思いに耽っていた。


「バンボは何でもできてすごいですね!」


「マスターは昔から苦労人なのです。こう見えていろいろできるので、頼めば何でもやってくれますよ」


「おい」


 ランムリアの希望で、食事をするときはアーカーシャが会話に混ざれるよう、二人の間に仮面を置くことになっている。今日のアーカーシャのポジションは、机の真ん中だ。


「あなたのように、できることが多い男の人はとっても素敵だと思いますよ。バンボ」


「え?そ、そうですか……?」


 熱のこもった瞳と笑顔で囁かれたランムリアの言葉に、バンボは箸を持つ手も緩む色気すら感じて。バンボは顔を赤くして、ランムリアから顔を逸らした。


「ランムリア。マスターは女性と話すことに慣れていないのです。あまり積極的な態度を見せられるとマスターが怯えてしまいます」


「せ、積極的って……」


「お前……、そろそろお仕置きがいるな……」


 アーカーシャを手に取って、バンボが仮面の縁にあるカバーを開ける。カバーで隠されていたのは、小さなダイヤルスイッチだった。


「マスター!すみませんでした!マスター!!」


「せいっ」


「痛い!」


 バンボがダイヤルを摘まんで回すと、アーカーシャが痛そうな悲鳴を上げた。一体バンボがアーカーシャに何をしているのか、てんで理解できないランムリアは、不思議そうに尋ねた。


「何をしているんですか?なんだか、アーカーシャが可哀想ですよ……」


「え?あ、いや!これは違うんですよ!たまにこうやって痛みを与えてやらないと、どんどん我が儘になっていくんです」


「私がいつ我が儘を言いましたか」


「我が儘っつーか、余計なことばっか言い過ぎなんだ、お前は」


 バンボからアーカーシャを受け取ったランムリアは、仮面の縁にあるダイヤルスイッチを興味深げに眺めた。


「これを回すと、アーカーシャが痛がるんですか?」


「そうです。回す大きさによって痛みも変わります。あと、一日三回までしか痛みを与えることはできません。あんまり何度もやると、ただの虐待になってしまうので」


「へぇー……」


「最低の発明です」


「他のやつには知らんが、お前には必要だと思うがね」


 アーカーシャに触感はないと分かってはいたが、ランムリアはアーカーシャの表面を優しく撫でてから、机の上に戻した。

 再び朝食を口にしたランムリアは、スープを飲み干すと、何か思い出したように顔を上げた。


「これ……、なんだか、懐かしい味がします」


 バンボはランムリアの言葉の意味を察した。

 バンボがよく作る、人参と玉ねぎを入れたスープ。それは、バンボがよくフライエに作ってもらった物でもあった。


「あ……、これ、ひょっとしてお義母様のスープですか?」


 ――――しまった。


 失敗したと、バンボは思った。意図せずに、バンボはランムリアとフライエの話をするきっかけを作ってしまったのだ。


「ええ……、昔教えてもらったんです」


 ランムリアはスープの入っていたカップを見つめ、何か考えているようだった。

 ランムリアの物憂げな様子に、バンボは覚悟を決める。

 フライエが本当はもう死んでいると、バンボは彼女に伝えなくてはならない。

 しかし、息を落ち着けて、バンボが口を開いた時、空き家の扉が叩かれるのを二人は聞いて。

 結局、バンボはフライエの話をランムリアにすることができないまま、朝食の時間は終わってしまった。










 空き家の扉を叩いたのは、革命軍からの使いで来たメクターであった。

 メクターの後ろには、恐らく勝手についてきたと思しき、フィラメルの笑顔も見えた。


「おはようございます!バンボさん!」


「ああ、どうも……、おはようございます。それで、なんの用?」


 元気よくバンボに挨拶をするフィラメルの声を聞いて、ランムリアが顔を出した。

 明らかに、ランムリアは機嫌を損ねていた。


「四日前、革命軍を訪ねてきたやつがいてな。それがどうも、あんたを探しているらしい。正確には、昔の仲間を探してるみたいだが」 


「仲間……?昔の?……、俺の?」


 ――――昔の仲間。俺の。


 ――――そんなやつ、いる訳がない。サントリデロの時の仲間はラスター以外、みんなビジョウの起こした“冬”で死んだんだ。それ以前には、仲間も友達もいなかった。


「そう。あんたの仲間……、だと思うぞ。そいつが挙げた名前には、バンボ・ソラキの名前があった」


 困惑するバンボの後ろに、ランムリアがやって来た。ランムリアはメクターとフィラメルに簡単に挨拶をした後、バンボの背中にぴったりと寄り添い、フィラメルに得意気に笑った。


「……。そいつの名前は?」


「えーと、確か……、エメルダ、だったかな。女の子だ。これがまた美人でなぁ。革命軍に入ってくんないかなぁ」


「エメルダ……!?」


「お、知り合いか?」


 ランムリアとフィラメルが静かに火花を散らす横で、男二人は話を進める。

 そして、バンボは懐かしい名を聞いて、思い出す。

 何度も何度も思い出してきた記憶。

 去って行く初恋の人の背中と、決意に満ちた声を。


 “私は、自分の手で自由を手に入れるって、決めたの”


 それからバンボは、眩暈がするような想いで、言った。


「仲間だ。昔の……。サントリデロにいた頃、一緒に暮らしていた」


 それを聞いた途端、ランムリアとフィラメルの顔色は急変した。










 グアラザ自治領から遥か東、荒野の真っただ中に無数のテントが集まる場所があった。

 “建物の間に”と言うよりは、“そこかしこに広げられたテントの間に”建物が立っているという風体のその街は、グアラザ自治領にも負けぬ活気で満ちていた。

 商業地区と呼ばれる、巨大な集落。

 街のような主要な場所以外の小さな集落等に、物資を送るための中継地としてできあがったこの場所は、街としての機能は持たないものの、多くの人と物を有する。

 あるテントの下、様々な荷物を持った人たちが慌ただしく出入りする日陰で、携帯端末を耳に当てる、老いた男がいた。

 ローブのフードを取り、老齢の証である白髪と、不精髭を生やす顔は機嫌良さそうに笑っている。

 電話の呼び出しに相手が出ると、彼は、ビクトロ・ランスヘルムは、いつも通りの挨拶をした。


「おう、元気か?」


「ええ。元気ですよ。全くもってね」


 電話越しの、機嫌が悪そうなアンリの声に、ビクトロは快活に笑った。


「非天の男にやられた傷は平気か?」


「大丈夫だと言ってるでしょう。かすり傷しかできてません。それより、フリューゲルの傷はもう直ってるんですか?」


 ビクトロの隣を、布に包まれた大きな荷物を抱えた男が通り過ぎて行った。その男はビクトロに一言謝って、木箱に囲まれて隠された、地下への梯子を降りて行った。


「ああ、昨日ようやく直ったよ。大体二週間くらいといった所か。すまんな、遅くなって」


「いえ、そんな……。僕がもっと上手く動かしてやれば、そもそも傷なんて……」


 アンリの声は平静を装ってはいるが、どうしても隠し切れない悔しさがにじみ出ているのを、ビクトロは聞き取った。


 ――――熱くなりがちなのが、お前の一番未熟な所なんだがなぁ。


 「どうしたものか」と頭を掻きつつ、ビクトロはアンリに言った。


「戦いの中では冷静でなくてはな。お前のことだ、挑発に乗って向かって行ったんだろう?」


 アンリの顔は見えなくとも、ビクトロには電話の向こうでアンリがぐっと息を呑んだのが分かった。


「……、そんなことありませんよ!」


「いい、いい。バレバレだ、馬鹿たれが。それより、この間の“あれ”は聞いたな?」


「……。ええ。終末の音ですね。あの後、“やつ”からの連絡がありました。こちらの状況を伝えましたし、あちらから新しい情報も得られました」


「よし。報告は……、すまん、今は少し忙しくてな、後でまたかけ直せるか?」


「分かりました。それと、スペシメンのことですが……」


 ビクトロの所にやって来た女性が机の上に紙を置き、ジェスチャーでビクトロにサインを頼んだ。ビクトロは書面に目を通してから、羽ペンを手に取った。


「はは、まだ自分が見た物が信じられないか?」


「ええ……。正直、今でも夢か何かだと思えます。あんな生き物が実在するなんて……」


「現実だよ。御伽噺でも、噂だけの存在でもない。やつは確かに存在する、ビジョウが作り出した怪物だ」


「先生はビジョウが人間だと言いますが……、しかし、あんなものを作り出せる存在が、本当に人間であるのですか……?」


「……。人間だよ。間違いなく。やつは神を騙っているだけの、人間だ。故に、やつも万能ではない。そこに、我々の勝機があるのだ」


 アンリは黙って、ビクトロの言葉を聞いていた。この世に隠されたおぞましき脅威に対し、改めてアンリは、己の道の険しさを認識していた。

 それを察して、ビクトロは言葉を付け足した。


 この世にまだ、希望が残されていることを信じて。


「例え、終末が近づいているのだとしても。必ず、何処かに進む道はあるのだ。ただ、踏み出す勇気と覚悟がないだけでな」





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