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非天  作者: 山中一郎
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第五話  失翼の鉄鳥     その二

前回までのあらすじ!

ランムリアちゃんがぼっとん便所に落ちました。



「バンボ、私、臭いませんか?」


「まあ、まだ少し……」


 グアラザ自治領を行くバンボとランムリアは、大通りを避けて、脇道を利用した。

 大通りの人混みに紛れた方が、ビジョウの捜索の手から身を隠しやすいが、今は事情がある。


「やだもう……、全然匂いがとれません……」


 泣き言を言うランムリアからは、まだ若干の汚物臭が漂っている。髪を服の中に隠しておいたお蔭で、髪の毛に汚物が絡みつくのを避けられたのは、不幸中の幸いと言うべきか。

 ランムリアはこの世の終わりのような臭いを漂わせる汚れきった服を着替え、体も熱心に洗ったが、それでもまだ、臭いを取り切ることはできなかった。

 だから、臭いで悪目立ちしないよう、こうして二人は大通りを避けている訳で。


「今日くらい、何処かに隠れていてもいいじゃないですかぁ……。前に落ちた時はそうしたのに……」


「すみません……。でも、あれ以上同じ所に留まるのは危険ですから……」


 薄暗い通りを進むバンボの後ろを、とぼとぼとついてくるランムリアは、流石に参った様子であった。


「……」


 ランムリアは視界の隅に、地面に倒れた人の姿を捉えた。直視するかしないかの見方でその人の方を見ると、やはり、死体であるらしいということがランムリアにも分かった。


 ――――当たり前のように、人が死んでいる。みんな大して気にも留めずに、死体を避けて歩いている。あんなに血を流して、周りを赤く染めているのに。誰も、あの人の様子を見ようともしない。


 ――――これが、“当たり前”なんだ。塔の外では、これが。


 思い悩むランムリアの弱弱しい仕草が、なんとも気の毒に思えてきたバンボは、何とか彼女の気を紛らわせることができないものかと辺りを見渡した。

 そして、バンボは雑踏の向こうに、ぴんと閃く物を見つけた。


「ランムリア様、こちらへ」


「え、え?なんですか?」


 嫌々大通りへ連れ出されたランムリアが連れてこられたのは、小さな一軒の屋台であった。

 屋台には多数の小壺が並べられており、その小壺には様々な色の水が入っていた。そして、その横には小さな筒がいくつも積まれている。

 ランムリアはその壺から漂ってくる香りに顔をしかめた。


「バンボ……、なんですか?これ。変な匂い……」


「香水です。少しだけ体に付けると、良い匂いを体に付けられるんです。女の子はやってる子も多いですよ」


「いらっしゃい」


 屋台の店主は水筒で水を飲みながら、バンボたちを迎えた。痩せ細った店主の男は、鼻を鳴らしてランムリアから漂う悪臭を嗅いだ。


「お嬢ちゃん可愛い顔して臭いねぇぇ~~っ!ほら、これ買ってきな!」


 悪意全開の店主の言葉に、ランムリアは驚愕した後、落胆した。

 無神経極まりない店主にバンボが怒る。


「おいゴラァ!!ジジイてめえ、ぶっ殺すぞ!!!」


 物凄い剣幕で胸倉を掴んできたバンボに、店主は慌てて謝った。


「すまん!すまん!許してくれ!安くするから!!」


「謝んならこの人に謝れ!!!」


「すみませんでした!すみませんでした!いや、ほんとに!格安でいいんで!!」


「いくらだ!言え!」


「筒一本千円でいい!安いだろ!?」


「元は?」


 店主は店先に置いてあった値札を手で隠しつつ、言った。


「五千円だよ!」


「値札見せてみろ!隠してんじゃねえ!ばれてんだよ!」


「ああっ」


 バンボが店主の手を振り払い、値札を見ると、そこにはなんと“筒一本につき千円”の文字が。


「おい嘘じゃねーか!!」


「う、うわああああああああ!!!」


 意地汚さを隠しもしない店主にも驚いたが、雑踏の横でバンボと店主がいくら騒ごうと、誰も気に留めないことにもランムリアは驚いた。

 こんな喧嘩も当たり前なんだろうと、ランムリアは目を雑踏からバンボたちに戻す。すると、もうバンボは店主との話をつけ終えていた。


「ランムリア様、どれが良いですか?」


 バンボが指差すのは、店先に並べられた香水の小壺たち。ランムリアは店主の男がすっかりしょげているのに気が付いたが、特に気にせずに。


「“どれ”って言うのは……、この水のどれかを選ぶんですか?」


「そうです。どれでもお好きな物を選んでください。値段も半分でいいそうですよ」


「よくないよ……」


 小声で文句を溢す店主をバンボが睨む。


「何か言ったか?」


 縮こまる店主が余りにか弱く見えて、ランムリアはつい同情してしまう。


「バンボ。もう、いいですから。可哀想ですよ」


「ですが……」


 ランムリアにそう言われてしまっては、バンボも内心怒りが収まらずとも、店主に向ける目を緩める他なくて。

 直接鼻を近づけて嗅ぐのはまずいと、直感で理解していたランムリアは、香水の香りを一つずつ手で扇いで嗅いでいき、その中から青い色の香水を選んで店主に頼んだ。


「じゃあ、これでお願いします」


「はいはい。千円……」


「は?」


「……、五百円ね……」


 店主に訂正させてから財布を取り出すバンボを横に、ランムリアは店主から香水の入った小筒を受け取った。

 ランムリアは蓋を少しだけ開けて、香水の香りを嗅いだ。それから、店主を睨みながら代金を渡すバンボの背中に、感謝の眼差しを向けた。












「どうですか?バンボ。匂い、よくなりましたか?」


「うーん、そうですね。あまり気にならなくなりました」


 バンボとランムリアが歩くのは、飾り布や植物で飾られた建物が連なる大通り。他の通りと比べると、随分華美な建物が目立つ。

 バンボに香水を買ってもらったランムリアは、香りを手首と首筋に付け、機嫌良く人のまばらな往来を踊るように駆ける。

 まだ体から悪臭が消えたわけではないのだが、ランムリアが嬉しそうなので、バンボはとりあえず良しとした。

 笑顔のランムリアについて行くバンボもまた、心休まる感覚に頬を緩めた。

 しかし、バンボはもう気が付いている。懐のアーカーシャに警告されるまでもなく、二人の跡を付ける何者かの存在に。


「何人いる?」


「三人です。全員成人男性で、ナイフや棍棒で武装しているようです」


「ビジョウの兵か?」


「装備が大きく異なります。その可能性は低いかと。距離を取ったまま動かない点からして、人目のある場所でこちらに接触するのを避けているようです」


 ――――ビジョウの兵じゃないなら、どこのどいつだ?


 バンボは跡を付ける存在に気を取られ、“それ”に気が付かない。バンボたちのいる大通りに多数並ぶ、その店たちに。

 ランムリアはアーカーシャと会話するバンボから少し離れて、通りに飾られた花々に目を向ける。

 すると、花が飾られた店の中から出てきた女性が、ランムリアに声をかけた。


「あら、お嬢ちゃん、どうしたの?」


「えっ?あ、いえ、お花が……、綺麗で……」


 ランムリアのおどおどした話し振りを、バンボは意外そうに見つめた。以前、バンボがランムリアに子供たちに話しかけるよう勧めた時以来、バンボはランムリアが自分以外の誰かと一人で話すのを見たことがなかった。


 ――――明るく振る舞ってるけど、結構人見知りなんだろうな。


 この間子供と話すときも、ランムリアは何処か焦った様子であったように思えて。バンボは興味深げに、露出の多い服を着た女性と話すランムリアを観察していた。


 ――――ん?


 露出の多い服。華美な建物。


 ――――まさか。まさか……!


 バンボは今になって気が付いた。この大通りがどういう場所か、バンボが知らぬはずはなかったのに。

 ここは。女性が肢体を露わにさせて客を引いている、この場所は。


「お嬢ちゃん、良い匂いと臭いのが混じってるけど、顔は良いじゃない。うちで働く?あなたなら、すぐに一番になれるんじゃないかしら」


「待て待て待て!!」


 如何わしい色香が漂う店内に、ランムリアを連れて行こうとする女性を、バンボが引き止めた。ランムリアは何が何だか分からずに、ただ怯えている。


「なんだ、ツレがいたのかい」


「そういうこった!」


 しかし、薄暗く、いくつもの桃色のカーテンに隠された店の中の怪しげな空間に、ランムリアはいたく興味を惹かれているようだ。

 バンボはそんなランムリアの様子に危機感を抱き、小声で言った。


「ランムリア様!さあ、行きましょう!」


「え?でも、バンボ、ここって何の――――」


「ランムリア様は知らなくても良い場所です!」


 ランムリアはそれを聞くや、肩を掴んで店から押し出そうとするバンボを、そっと手で制して、真摯な瞳で彼を見た。


「それは違います。バンボ」


「えっ」


「私はみんながどういう生活をしているのか、もっと知らなくてはならないのです。それが、どんなに辛いことでも」


 そう言って、ランムリアはバンボから離れ、また店の中へと入っていった。


「あ、あっ、ちょっと……!」


 このままではまずいと思っていても、バンボには何と言えばランムリアを止められるのか分からない。


「あれ?帰ったんじゃなかったの?」


「はい。あの……、少し中を――――」


 店の女性の露出された体のラインに、視線を釘づけにされながらも、バンボはランムリアを引き止めた。


「ちょっとちょっと!やっぱりまずいですって!」


「そんな邪見にすることないじゃない。お兄さんはどうせ、こういう所よく来るくせに」


 女がそう言うと、ランムリアがバンボに目を向ける。その目はどこまでも純真で、清らかな輝きを持っていて。


「そうなんですか?」


「いやいやいや!来たことないですよ!本当に!そんなお金ありませんでしたし――――」


 それを聞いた女が、バンボに小馬鹿にした笑顔を見せた。店の中に忙しなく目を動かす、バンボの落ち着かない様子に、女は彼の純粋さを見透かした。


「なんだ、ないの?あ、ひょっとしてあんた……」


「おい!あんたは黙ってろ!!」


「あらあら。可愛いわぁ。だったら、私が教えてあげる?」


「な……、に……?」


 女の甘い口調に、一瞬心奪われかけたが、バンボはなんとかこらえた。

 一方、バンボと自分以外の女性が楽しそうに話しているのが、ランムリアはなんとなく気に入らない。ランムリアは二人を無視して、店のカーテンに手を掛けた。


「……。とにかく、入ってみましょう」


「あ、こら!そっちは今、お客が――――」


 そして、ランムリアが桃色のカーテンを開くと、その先には。


「おうっ!おぅ!」


 女性に尻を叩かれて悦びの声をあげる、真っ裸の男の姿があった。













「なんなんですか!本当に、今日は!!」


 ランムリアは泣きながらそう叫んで、バンボに買ってもらったりんごをかじった。


「まあまあ。あんな汚いものは早く忘れた方が良いですよ」


 バンボとしても、毛深い中年男が布団の上で、尻をぶたれて奇声をあげる光景なんぞは、決して見たいものではない訳で。心に深い傷を負ったのは、ランムリアだけではないのであった。


「一体、あれは何だったんですか……?私には、理解できません……」


「ああいうのが好きな人もいるんです。だから、早く忘れた方が良いですって」


 外の世界を知ろうと、バンボに案内されながら、様々な場所を見て回るランムリアは、確実に世界を知り始めていた。汚らしい物も含め、こうして泣いてしまうこともあれど。


「バンボも……、ああいうことをするんですか……?」


 バンボは酷い質問にぎょっとして、ランムリアの顔を見た。ランムリアは涙に腫らした目で、バンボを見上げていた。


「そんな訳ないじゃないですか!僕にそんな趣味はありませんから!」


「よかった……。そうですよね、バンボはそんなこと――――」


 そして、ランムリアの言葉を掻き消す騒音が、グアラザ自治領に鳴り渡る。

 街中の各所に取りつけられたスピーカーから流れ出す異音。

 空気を引き裂くような音だ。皆が耳に痛みを感じる程のそれは、わずかな感覚を開けながら二十秒程流れ続けた。


「バンボ、なんですか……?今の……」


「……。あれは――――」


 バンボが口を開いた時だった。バンボは背後から急速に接近する気配を察知し、ランムリアを抱きかかえて飛び退いた。

 その直後、バンボの立っていた場所の地面が、振り下ろされた棍棒によって強く抉られる。バンボは舌打ちをして、突如襲撃してきた男たちと対峙した。


「どこのどいつだ?」


 男たちはバンボに答えず、各々武器を構えてバンボに走り、迫る。

 仕方なくバンボはランムリアの手を取り、男たちから逃げ出した。そして、急ぎ人目のなさそうな路地裏へと曲がる。


「人目はないか!?アーカーシャ!」


「はい。この周辺に、この通路内を視認できる人物は存在しません」


 それを聞くや、バンボはランムリアを片手で抱きかかえ、ガン・ウィンチで上空へと飛んだ。


「えっ?えっ?えぇ!?」


 突如、体が上空へと舞い上がったのにランムリアが驚いて、恐怖混じりの声をあげた。

 建物の屋上へと舞い上ったバンボは、ランムリアを降ろして、アーカーシャを持たせた。


「少しだけ、隠れていてください。アーカーシャ、お前はランムリア様が隠れるのをサポートしろ」


「了解」


 バンボが背中を向けて屋上から降りようとすると、バンボは服の裾が突っ張るのを感じて、振り返った。


「あの、バンボ……、戦うんですか……?」


 何かと思えば、ランムリアがバンボの服をつまみ、引っ張って、バンボを不安げに見つめているのであった。


「大丈夫ですよ。僕は負けませんから」


「でも……!」


 ランムリアの頭にぽんと手を乗せて、バンボは建物の窓枠に飛び移りながら、屋上から地上へと降りて行った。


「安心してください、ランムリア。本人の言う通り、マスターは負けません」


 アーカーシャの表面を撫でながら、ランムリアは床に座り込む。


「でも……、危ないのには、変わりないじゃないですか……」


 そして、ランムリアはバンボのことが気になって、またすぐに立ち上がると、手すりから小さく身を乗り出して、地上を見下ろした。

 路地裏に入ってきた男たちの背後に降りたバンボは、フードを被って顔を隠してから、棍棒を持つ男の手を後ろから捻り上げた。

 悲鳴を上げる男が手から棍棒を落とし、バンボはその男を蹴り飛ばしてから、地面に転がる棍棒を拾う。


「このガキ、大人しく――――!」


 バンボの体を捕えようと迫る、二人目の男の脇をするりと抜けて、後ろから脇腹を棍棒で殴った。二人目の男は地面に転がり、三人目の男がナイフを構えるその前に、バンボの蹴りが男の腹に突き刺さった。

 バンボは地に伏した三人の男の中で一番がたいの良い、一人目に倒した男の胸倉を掴み、無理やり起こした。男の喉元にナイフを当てて、バンボは問うた。


「もう一度だけ聞いてやる。どこの、どいつだ?」


「お、俺達は……、リーダーの命令でお前を連れてくるように言われていただけだ!」


 ナイフに怯える男は、酷く焦っているようだった。

 バンボを容易に捕えられると油断していた彼らは、全く想定していなかった現状に困惑を隠しきれない。

 屋上から戦いの様子を見ていたランムリアは、バンボが無事であることにほっとして、大きく息を吐いた。

 けれど、安心したランムリアの目は、路地裏に入ってきた新たな人影に見開いた。


「そこまでにしてやってくれ。あとは、俺から話そう」


 路地裏にて、バンボの前に現れたのは、革命軍の首領。

 ダストレイ・テンバー、その人であった。


「久しぶりだな、非天の男」


「……」


「まずは、俺の部下たちの非礼を詫びよう。お前を探して連れてくるように言っておいたんだが、どうもこいつらは何か勘違いしていたらしい」


 ダストレイは倒れていた男たちを立ち上がらせ、彼と共にバンボに向けて頭を下げさせた。


「すまない。できるだけ穏便に招待するつもりだったんだが……」


 ランムリアは、地上でバンボに頭を下げるダストレイのことを知っていた。装甲車の中で、ダストレイがランムリアを騙して連れ去ろうとした件を、彼女は覚えていた。


「……」


「……」


 路地裏には、妙な沈黙が流れていた。

 流石にバンボの様子がおかしいと気が付いたダストレイは頭を上げ、バンボを見た。

 そして、改めてダストレイの顔を見て、バンボは。


「……、誰だ?」


 ぼそりと、そう言った。






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