第五話 失翼の鉄鳥 その一
グアラザ自治領の朝。とある空き家の屋上でのこと。
バンボは日課である、各種トレーニングをこなしていた。
バンボは筋力トレーニングを一通り終えると、今度はアーカーシャを被り、ガン・ウィンチを使った動きを練習し始める。
ガン・ウィンチの素早く、正確な操作。空中での身のこなし。ガン・ウィンチのワイヤーを巻き取る力を乗せた蹴り。
ガン・ウィンチを使用するのにアーカーシャを被る必要はないのだが、バンボは他人から見られた時のことを考え、ガン・ウィンチを使う場合はアーカーシャを被ることにしていた。
一応、辺りに人がいないことも、アーカーシャに確認してもらってはいるが、それでも、バンボは念には念を押していた。
その後、バンボはリアライズシステムを操作する練習を始めた。
壁に刻んだ十字傷に合わせ、目前の鱗粉を浮遊させる。わずかではあれど、バンボは以前よりも細かく正確に、かつ大きな動きを鱗粉に与えることができるようになってきていた。
屋上にランムリアの姿はない。彼女はまだ、下の階で薄い布団に包まり眠っている。
バンボはトレーニングを終えると、アーカーシャを外して、床に座って休憩した。それから、バンボはポケットから小さな黒い機械を取り出した。
指先よりひと回り大きいくらいの、中が空洞になった筒状の機械だ。
先日戦った、人攫いの男からくすねた機械である。バンボはそれを、彼の持つ銃の銃口に当てた。
そして、バンボがその機械から手を放すと、機械は銃口から離れて、ぽろりと落ちた。
「あれ?くっつかねーわ。どうやるんだっけ」
「もうお忘れですか?マスター。昨夜試した通りにやってください」
バンボが床に置かれたアーカーシャの嫌味を聞きながら、機械を手に持って眺めまわす。
シンプルな筒状のその機械は、三つのダイヤルスイッチを持っている以外、形状に特徴は見られない。縦に並んだ三つのスイッチは、赤と白と黄色に塗り分けられていた。
「まずは、赤色のスイッチを右に回してください」
バンボはアーカーシャの言う通りに、赤色のスイッチを回してみる。しかし、特に変化は起こらない。
だがバンボは、連日この機械の使い方を試行錯誤した末に、昨晩、遂に得た結論を思い出した。
「ああ、そうか。そうだった。赤いの回すとくっつくようになるんだ」
バンボがそう言って機械を銃口にもう一度当てると、今度はぴったりと銃口にくっついたまま離れなくなった。
「そうです。それから、白色のスイッチを回せばその機械の電源が入ります」
バンボが白色のスイッチを回すと、筒の空洞の中に半透明な緑色の膜が張られた。
「そのバウンド弾は、銃弾に強い弾力を持たせます。屋内での戦闘が主な使いどころとなりますが、私の射撃補助機能を使いこなせるマスターになら、他の使い方もできるはずです」
「はっ。褒めてんのか?」
得意気に笑うバンボは、意気揚々と銃の安全装置を外し、銃の使用体勢を整えた。
「その状態で銃を撃てば、何かしらの物体に着弾した際、一度だけその銃弾は入射角と等しい角度の反射角で跳弾します」
バンボが一発、床に向けて銃を撃つ。
すると、発射された銃弾は機械の空洞を通り、空洞の中の緑色の膜を纏う。そして、跳弾する機能を得た銃弾は床を跳ね、勢いを失わずに空へ向かって飛んで行った。
「なるほどね」
「また、黄色のスイッチをずらすと、最大三回まで跳弾させることができるようになります」
バンボが黄色のスイッチを回す。他のスイッチと違って、黄色のスイッチはカチリと音を立てて回った。
「この状態なら、二回跳弾するって訳か」
「そうです」
バンボは銃を構え、真っ直ぐに隣の建物の壁を狙い、引き金に指をかけた。
「あ、マスター―――――」
アーカーシャが何かを言う前に、バンボは引き金を引いた。
すると、銃弾は壁に当たって機能通りに跳弾し、バンボの額に返ってきた。
「!?」
そして、銃弾はバンボの額でまた跳弾し、向かいの建物の壁に刺さった。
間一髪。
二回跳弾するように設定していたお蔭で、バンボの命は救われた。
一回でも、三回でも、どちらかに設定していたなら、バンボの額には風穴が空いていた。
一瞬だけ視界を覆った銃弾の姿が、バンボの脳に焼き付いて。バンボは恐怖に強張り、銃を手から落としたままの姿勢で固まっていた。
「……」
「……」
「あれだな?今、俺、死にかけたな?」
「はい。地面と水平に、かつ目標物の表面と垂直に当たるように撃つと、自分の方へ弾が返ってくるのでお気を付け下さい」
「もっと早く言えよ、そういう大事なことは」
「マスターが言う前に撃ってしまっただけです」
「……」
怒り心頭に発しかけたバンボが、アーカーシャに向けて怒りのままにぐしゃぐしゃに歪めた顔を向けた時、下の階から梯子を登ってきたランムリアが顔を出した。
「おはようございます……」
ランムリアの声に驚いて、バンボが急ぎ顔を引き締める。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「ええ。段々、慣れてきました」
ランムリアがバンボの方へ近寄ると、床に置かれたアーカーシャもランムリアに挨拶をする。
「おはようございます。ランムリア」
「おはよう。アーカーシャ」
――――なんか、こいつの方が仲良くね?
バンボは気に食わない様子で、アーカーシャを苦々しく見下ろした。アーカーシャはそれ以上特に何も言わず、床に落ちていた。
「はい、バンボ。これ」
ランムリアがバンボに差し出したのは、バンボの水筒と、端布を束ねた汗拭きだ。
「あ……、ありがとうございます」
バンボは照れつつもそれを受け取り、座って屋上の手すりに寄りかかり、汗拭きを首に掛け、水筒の水を存分に飲んだ。
ランムリアもバンボの隣に座って、手すりに寄りかかり、自分の水筒を傾ける。
朝の冷えた空気と静けさが心地よくて、バンボは朝焼けに白んだ空を仰いだ。
ランムリアもバンボを真似して、空を見上げる。
バンボは空を見上げるのが好きなのだということを、ランムリアはここ十日ほどの間に気が付いていた。
道を歩いたりしている時に、なんとなくランムリアがバンボの方を見ると、バンボが空を見上げてぼぅっとしているのは、珍しいことではなかった。
「……、空、綺麗ですね」
「……、ええ」
バンボが返事をしてくれたのが嬉しくて、ランムリアは声を出さないように顔をにやけさせた。
静かで、何処か幸せな時間が過ぎていく。
ランムリアはバンボの横顔を、彼に悟られないように横目で見つめていた。自分の心臓の音が異様に大きく聞こえてきて、ランムリアは恥ずかしくなってきて。
隣にいるバンボのことを想うと、どんどん体が熱くなってきて。
――――なんだか、幸せですね。
そう、ランムリアが言おうと口を開いた、その時だった。
「げほっ!げほっごほっ!!」
ランムリアは急に、苦しそうに咳き込みだした。何事かと、バンボが慌ててランムリアの背を撫でる。
「え!?ど、どうしたんですか!?」
「いぇ……、なんでも、げほっ!なんでも……、ないです……、大丈夫……」
なんとか答えたランムリアは、その後もしばらく咳き込み続けた。
涙を流しながら咳を続けたランムリアは、ようやく咳が収まり始めると、弱弱しくバンボに笑顔を向けた。
「なんででしょう……?なんだか急に咳が……」
「無理に喋らない方が良いですよ。少し、中に入って休みましょう」
バンボがアーカーシャを拾って、ランムリアを背負い、屋上から家の中に入る梯子へと向かう。
「ありがとう……、バンボ……」
掠れた声のランムリアが、バンボにはとても儚い存在に思えた。
――――今まで、慣れない生活を送ってきたことが祟ったのかもしれない。
――――ずっと無理をしていたのだろう。きっと、今も。
「バンボ……、あの……」
背中から聞こえてくるランムリアの小さな声が、バンボの耳をくすぐった。
バンボは少し耳を赤くしながら、答えた。
「まだ苦しいですか?」
「いえ、そうじゃなくて……、その……」
ランムリアが恥ずかしそうに身をよじらせる。ランムリアの腕が首にしがみつく力が強まって、バンボはランムリアの良い匂いに胸を高鳴らせた。
「あの……」
ランムリアは消え入りそうな声で、心底恥ずかしそうに、バンボに言った。
「用を足したくて……、また、一緒について来てください……」
バンボは寸刻面食らっていたが、笑い混じりにランムリアに言った。
「あっはは。ええ。分かりました。またネズミや虫が出たら、すぐ呼んでください」
「あの便所だけは、まだ慣れません……」
塔にいた頃は、ランムリアは水洗式とかいう、バンボが聞いたこともない形式の便所を使っていたという。
この世界の便所は基本的に公衆便所だ。家に設置されていることもあるが、大抵の家は便所を有さない。
大きな穴から便槽に排泄物を落とす汲み取り式の便所であり、臭いや蠅にネズミなど、不快感の塊のようなあの場所が、ランムリアは未だに苦手であった。
「今度は落ちないように気を付けてくださいね」
「思い出させないでください……、嫌なこと……」
それでも、ランムリアはそんな便所にも慣れようと、毎日頑張っていた。
初めてランムリアが汲み取り式便所を使おうとした時、汚らしいその便所が世界中の人が使う普通の便所なのだと知ると――――
「みんなが我慢して使っているのなら、私も我慢しなくてはいけません!」
そう意気込んで、ランムリアは汚物の溜まった便槽に落ちて行った。
「バンボ、そこにいてくださいね!絶対ですからね!」
便所に着いてバンボの背から降りると、ランムリアは髪を服の中に入れてから、バンボにそう言い残して扉を開け、便所に入った。
「バンボーー!!バンボーーー!!」
数秒後、悲鳴と共に呼ばれたバンボは便所の扉を開けた。
すると、便所の中からネズミが一匹逃げ出して、もしやと思い、バンボが中に残されたランムリアを見ると――――
ネズミを見てしまった驚きのあまりに足を滑らせ、ランムリアは便槽の中へと落ちて行く所だった。
第五話 失翼の鉄鳥
「先週から、非天の男の捜索命令が下っています。恐らく、ケアン様の居場所を吐かせるつもりでしょう。ケアン様の存在を明かす気配はありませんが、ビジョウは随分焦っているようです」
「うーむ、そうか……。ならばこっちも急がなくてはいかんな」
アンリ・ソラキは携帯端末を持ち直し、息を吸った。
端末越しに通話する相手は、グアラザ自治領から遥か遠くの街で、ビジョウに対抗する準備を進めるアンリの恩師だ。
アンリに携帯端末を渡したのも、彼であった。
「先生はいつこちらに?」
「まだしばらくかかりそうだ。だが、こっちで面白いガキを拾った。グアラザ自治領から来たらしい」
「へぇ」
「興味ないか?」
「ありませんね。特に」
アンリのその不機嫌そうな返事に、端末の向こうで相手の男は笑った。少々老いを感じさせるが、快活な笑い声である。
「で、そっちの仕事はどうだ?アンリ。ろくなもんじゃないだろう?政治は」
「ええ……。昨日も、今日も、人が死にました。僕の判断一つで」
アンリは窓から空を見上げた。
けれど、見上げた空は、どうにも色がくすんで見えて。
「いずれ、僕自身の手で殺す日も来るでしょう」
「そうか……。だが――――」
アンリは目を閉じる。
青空を目に入れないように、ぎゅっと、目をつむった。
「それが、お前の選んだ道だ」
「……。ええ、分かっています」
アンリは顔を俯かせ、目を開く。
グアラザ自治領中央塔。その一室の、金属製の床がアンリの視界に広がった。
「そういえばアンリ、そっちの街にいる革命軍とかいうやつら、あいつらが何やら情報操作をしてるのは聞いたか?」
「は?いいえ、何も……」
「やつらはどうも、ケアン様が商業地区に売られたと吹いて回っているらしい」
「先生の所じゃないですか」
「ああ。だが、俺の調べたところ、こっちに売られてきたような形跡はなかった。むしろ、まだグアラザ自治領にいる可能性の方が高い」
「ビジョウがケアン様の捜索をするのを、革命軍が邪魔しているんですか?何故?」
「ビジョウへの妨害にしては妙だ。それに、どうやら非天の男がケアン様を連れ去った時、革命軍もそこにいたらしい」
「そうなんですか?でも、非天の男は組織に属さないと聞いていますが」
「そうだ。非天の男は革命軍ではない。だから分からんのだ。まあ、このことも一応こっちで探ってはみよう。なに、ケアン様のことは心配いらんさ。どのみち非天の男は、ケアン様をどうこうしようというつもりで連れ出した訳ではあるまい。むしろ、良い保護者だ。我々の力を以てしても、未だケアン様の居所が分からんのが良い証拠だよ」
――――非天の男。噂には聞いている。あのコソ泥が、ケアン様をビジョウの下から連れ去ったというのは、俄には信じがたい。
「巷ではサントリデロに“死の冬”をもたらした重罪人なんぞと言われているが、あれを引き起こしたのは非天の男ではなく、ビジョウだ。やつが非天の男に罪を押し付けたに過ぎん」
通話相手の人物が楽しそうに話す間、アンリは不愉快そうに眉をひそめていた。
「やつは、ケアン様をビジョウから解放した。非天の男が成したことは、今後恐らく、この世界を大きく変えていくことだろう」
「……」
アンリは恩師の言葉を聞きながら、街並みに目をやった。微かに見える人混みは、いつもと変わらず強大な流れと化して蠢いている。
「やつのしたことは、そのぐらいの価値がある偉大な一歩だ。ビジョウに一矢報いた者がいるという事実は、世界中の反逆者に活気を与えた」
アンリの目は次第に細まって、苛立ちの色を含み始めて。けれど、恩師の言葉を止めはせずに。
「是非、会ってみたいものだ。もしかすると、ケアン様は自分から望んで、非天の男と一緒にいるのかもしれん」
「……。非天の男……」
ぼそりと呟いたその名は、アンリにとって、あまり良い気分のする物ではなかった。
――――非天の男という存在は、ビジョウのやり方そのものだ。都合の良い枠組みを作り、そこに人を当てはめる。ビジョウに都合の良い、“役”を演じさせられる。
――――賽の河原の赤子と鬼。庶民。兵士。そして、非天の男。
――――弱者と強者。人間と神。負けるべくして負ける者と、勝つべくして勝つ者。
アンリは思い出す。先日の粛清で、ビジョウに敗北して醜態を晒した非天の男の姿を。
――――俺は、ああはならない。決して。ビジョウの作った“役”にはまりはしない。
アンリは街並みを睨みつけながら、端末越しの相手に、力強く言い放つ。
「僕にだって、そのくらいのことはやれますよ」
「はっはっは。ああ、期待してるよ、アンリ」
「本当ですよ?」
「ああ。分かってる。それじゃあ、また連絡するよ」
「……、はい。それでは」
アンリは苛立たしげに端末画面のアイコンを押して、通話を終えようとした。
しかし。
「ああ!いや、ちょっと待て!大事なことを忘れていた!!」
端末のスピーカーから鳴り響いた大声に驚いて、アンリは危うく端末を床に落としかけた。
そして、通話相手の言わんとすることを察した。
「……、スペシメンのことですね?」
「そうだ!どうやら、やつらが最近目覚めたらしい。原因は分からんが、数日前からグアラザ自治領でそれらしい事件が多数確認されていると報告が入った」
口元をにやりと歪めるアンリは、再び窓から外を見た。彼が空に向けて掲げる右手の手首には、腕時計のような黒い機械が巻かれている。
「そうですか……。なら――――」
アンリにはいつもくすんでいるように見える青空は、その時ばかりは真っ青に、澄み渡った色を彼の目に映していた。
「そろそろ、僕たちの出番という訳だ」
現代日本が舞台なら、部活が終わったバンボにランムリアがタオルと砂糖漬けレモンを渡すような、そんな二人
あと、ぼっとん便所は恐い マジで恐い




