第四話 幕開け - 最後の青春 - その四
「小汚いガキだ。まあ、奴隷くらいにはなるだろう」
「助けて!!誰か、誰か助けて!!」
ずっと昔の話。
バンボとアンリがまだ一緒に暮らしていた頃。彼らの両親がビジョウに殺されて、すぐ後の話。
バンボが用を足しに、アンリを大通りに置いて、少しの間離れた隙に、人攫いはやって来た。人攫いは大人の男三人組で、当時のバンボにはとても恐ろしく見えた。
便所からバンボが戻った時、アンリは丁度その人攫いたちに連れていかれそうになっている所で。バンボはそれを見るや、すぐに物陰に身を隠してしまった。
アンリを助けなくちゃいけないと分かっていたのに、バンボは恐くて出ていけなくて。アンリが助けを呼ぶ声を聞きながらも、自分だけ助かろうと身を縮こまらせていた。
「助けて!!助けて!!兄ちゃん!!」
アンリが叫んでいる。助けてくれと、泣いている。
「兄ちゃん!!!」
けれど、バンボは出ていけない。
アンリが泣いているのに、バンボは恐くて動けない。大人相手に勝てる訳がないと、分かっているから。
「暴れるんじゃねえ!!助けになんて来る訳ねえだろ!!お前の兄貴だって、ただのガキさ!びびって出てこれねえんだろうよ!!」
バンボがびくりと身を震わせた。すぐ傍に自分が隠れていることを、もう人攫いたちが勘付いているのではと思うと、バンボは気が気でなくなって。
恐くて泣きそうになりながら、バンボはそこから逃げ出そうとした。
「そんなことない!!」
でも。
「兄ちゃんはお前らなんか恐くない!!絶対お前らなんかにびびるもんか!!」
「アンリ……」
――――違うんだ、アンリ。
「だって、いつも言ってたんだ!!“兄ちゃんは強いんだ”って!!“誰にも負けないんだ”って!!」
「うるせえんだよ!!ぶっ殺されてえのか!!」
――――俺は……。
「兄ちゃんが、お前らなんかやっつけてくれるに決まってる!!!」
――――俺は……!
「その手を放せ!!」
バンボは、人攫いたちの前に出て行った。
それからのことは、彼自身あまりよく覚えてはいない。ただがむしゃらに男たちと取っ組み合いをして、アンリを助けて、二人で逃げたのだけは覚えていた。
「兄ぢゃぁあああああああん!!!」
逃げおおせた後、わんわん泣くアンリを見て、バンボはあの時、一人で逃げてしまわなくてよかったと、心底思って。
「遅くなってごめんな、アンリ。ちょっとクソするのに手間取ってさ」
けれど、あの時。アンリが自分を必死に呼んでくれなかったらと思うと、バンボは――――。
「もう大丈夫だ。これからも、兄ちゃんが守ってやるからな」
きっと、自分は逃げ出していたんだろうと、そう思って。
バンボは自分が情けなくて、仕様がなかった。
ほの暗い部屋の中で、席に着いた男が二人、蝋燭の灯りを囲んで話している。
長い髭を蓄えた男と、頬に深い傷のある男。
頬に傷のある男の傍には、床に寝かせられた女の子が一人。両手と両足を縄で縛られた上、口には布を噛ませられ、身動き一つ取れないようにされていた。
「このくらいの年頃なら、そうだな、十万から二十万くらい出そう」
「十万?馬鹿言うな。そんな安値で、こんな上玉を売るやつが何処にいる。五十万は出してもらわないと話にならん」
「おいおい、いくらなんでも高くし過ぎじゃないのか?」
頬に傷を持つ男が席を立ち、女の子を乱暴に掴み上げる。女の子が布越しにくぐもった悲鳴を上げるのも構わずに、髪を引っ張り、歩かせた。
「なら、別の所に行くだけだ。他にも買い手はいくらでもいるんでね」
「分かった!分かった!出そう!五十万払う!だから、そいつを置いてってくれ!」
そう言って金を出した長髭の男に、頬傷の男がにやりと笑う。
頬傷の男は金を受け取ると、女の子を押し投げて、長髭の男に渡した。
女の子を抱き留めると、長髭の男は卑しく笑う。そのまま女の子の体をまさぐって、服の下に手を入れた。
用を済ませた頬傷の男は、部屋を出ようと背を向ける。女の子が必死に悲鳴を上げようとする声を聞きながら、満足気に歩を進め。
そして、背後で発砲音が鳴るのを聞いた。
頬傷の男が振り返る。するとそこには、額から血を流し、床に倒れる長髭の男の姿があった。
「ガキを泣かせて金を稼ぐのは、楽しいかい?」
声の後に、木製の壁が突き破られ、そこから現れたのは一人の青年だ。
バンボ・ソラキ。
怒りを瞳に乗せて、彼は銃を構えて頬傷の男を睨んでいた。
「誰だ……、なんだお前は!?」
バンボは縛られた女の子の縄をナイフで切り、口を塞いでいた布を取ってあげた。
女の子が泣き腫らした顔でバンボを見ると、仮面を被っていない素顔のままのバンボは、穏やかに、にこりと笑った。
「カンナっていうのは、お前か?」
「うん……。はい……、そうです……」
恐怖に強張り切っていた女の子は、たどたどしくバンボに答えた。その答えを聞いて、バンボはほっと息を吐く。
「少し隠れてな。そしたら姉ちゃんの所に送ってやるから」
「おい!聞いてんのか!?誰だって聞いてんだよこの俺が!なんのつもりで俺の邪魔をしてやがる!!」
カンナがバンボの壊した壁から外に出て行って、部屋の中にいるのはバンボと頬傷の人攫いだけとなった。
バンボが銃を構えたまま、頬傷の男へと迫る。
「なんのつもりって、お前……」
そして、バンボは鬼気迫る顔で、叫んだ。
「てめえをぶっ殺すつもりに決まってんだろうが!!!」
頬傷の男が身を翻させて、部屋の外へと移動する。逃がすまいとバンボの銃が発砲音を鳴らして、弾丸を撃ち出した。
しかし、弾は当たらず、部屋の外から頬傷の男の声が響く。
「そうかそうか!お前、あれだなぁ?昔、人攫いにあった口だろ?馬鹿なやつだ!よりにもよって、この俺に喧嘩を売るとは!!」
バンボは壁越しに頬傷の男が何かしようとしていることに気が付き、急ぎ、壁の穴から外に出ようと回避行動を取る。
「死んどけ!偽善者!!」
頬傷の男が吼えると同時に、銃の発砲音が起こった。すると、何処からともなく、多数の銃弾が上下左右、あらゆる方向からバンボがいた場所に降り注ぐ音が聞こえてきた。
壁越しに弾丸が飛んできた上に、音からして、明らかにおかしな方向から銃弾が飛んできていたのをバンボは察した。
「くそっ、なんか持ってやがるなあいつ……!」
外に出たバンボは建物の屋根に上り、頬傷の男を探す。
そして、頬傷の男が窓から抜け出て、隣の建物に入っていくのを見つけ、それを追った。
「バンボは、大丈夫でしょうか……」
バンボが人攫いと戦っている場所から、すぐ近くにある建物の物置部屋。ランムリアはそこにアーカーシャを持って隠れていた。
バンボはランムリアを一人にさせるのはまずいと考え、彼女に周囲の危険を察知できるアーカーシャを持たせた。
「心配いりません。ランムリア」
不安そうに仮面の表面を指で撫でるランムリアに、アーカーシャは言った。
さも当然のように。一つの疑念もなく、言い切った。
「“人間”相手ならば、マスターは誰にも遅れは取りません。あのお方は、それだけの強さを持っています」
「でも……」
ランムリアはまだ不安を抱えていた。
もし、万が一。
そんな風に考えてしまって、ランムリアはバンボの安否が気になって。
「じきにあなたも分かります。マスターは、誰よりも強くあろうとする人です。だから――――」
けれど、その傍ら、アーカーシャは平然と。
「あのお方は、決して負けません」
もう一度、はっきりそう言い切った。
「おい、おい!どうした!どうしたよ!逃げてばっかじゃねえか!!」
建物内の廊下をバンボは走る。
何故か、曲がり角の先にいるはずの頬傷の男の弾丸は、正確とは言えないがバンボの方へと飛んでくる。
バンボは廊下を走り、廊下に置かれた木箱を飛び越え、窓から外へと出た。
「なんなんだ、あの弾は……!?」
不思議なことに、建物の中にいると際限なく飛び交ってくるように思える弾丸も、バンボが外に出ると途端に飛んでこなくなる。
バンボは建物の周りをぐるりと回り、またも別の建物に逃げ込んでいく頬傷の男を見つけた。
「逃げてんのはどっちだ!クソがっ!!むかつく!」
黒い煙を吐く長い煙突のある建物。そこは、湯あみ屋であった。
頬傷の男が入っていった物とは別の窓に、バンボは飛び込んだ。
頬傷の男は銃を撃ちながら、建物の奥に逃げていく。
湯を沸かすためのこの建物を抜ければ、その先には屋根のない、石の壁が幾重にも並んで浴場を囲む区画に入る。
不味いことに、その区画には間違いなく大勢の客がいるのだ。
「誰かに当たるぞ!?ふざけんなあの野郎!」
廊下に置かれた棚の裏に隠れて銃弾をやり過ごしたバンボは、急いで棚の中にあった布を巻いて顔を隠した。
頬傷の男を追って行くと、バンボはついに湯あみ屋の浴場に出た。
天井のない露天の風呂を、客たちを散らしながら、頬傷の男とバンボが走り抜けていく。
残念ながら男湯だ。客は皆、バンボたちを見て悲鳴を上げる。
「の、覗きだ!!」
「うわぁああああ!!」
「違うわ!!」
足を滑らせて大股開きになる者もいれば、焦って手で股間を隠す者もいた。わざと見せつけてくる者もいたが、バンボは全力で目を逸らした。
そんな他の人間がいるにも関わらず、頬傷の男が銃を撃つ。
明るい場所で見て、バンボには初めて分かった。
頬傷の男の狙いは滅茶苦茶だ。彼の撃った弾は地面や壁に当たっていた。
それらの弾は、運よく誰にも当たらなかったようだが、二発しか撃たれていないはずなのに、何故か弾がそこら中を飛び交う音がした。
一つ、バンボはおかしなことに気が付いた。
それは、弾が空を裂く音からして、まるで弾丸がゴム玉のように、壁と地面を勢いを失わずに跳ねまわっていたように思えたということだ。その上、着弾したと思われる場所には、何処にも弾痕が残っていない。
――――もしかすると、あいつの弾丸は物に当たると跳ねる性質を持っているんじゃないのか?だから、いろんな方向から弾丸が飛ぶ音が聞こえてくるのか。
――――なら――――
バンボは湯あみ屋の石壁に登り、浴場を囲む石壁の上を次々に飛び移り、壁の下の道を走る頬傷の男に追い付いた。
バンボの仮説が正しければ、頬傷の男の弾丸は、屋外ではその威力を発揮しない。
「ぐっ……!くそっ!!なんで追ってくる!全然びびらねえじゃねえか!ふざけんなこの野郎!!」
頬傷の男が銃を乱射する。
しかし、足場の悪い薄い壁の上にも関わらず、常に移動を続けるバンボにはまるで狙いが定まらない。上空へ向けて発射された弾丸は全てあらぬ方向へ飛んで行き、やはり、物に当たらなかったその弾丸は、それ以降飛んでくる気配はなかった。
「おいおい!何処狙ってんだよ!カスかぁ!?」
頬傷の男は、壁の上を次々に飛び移るバンボを見失う。
そして、焦って弾を込め直している時、頬傷の男に大きな隙ができた。
バンボはそれを見逃さない。すぐさま頬傷の男に飛び掛かり、その体を蹴り飛ばして、地面に倒れさせた。
「なんだ……!なんなんだてめえは……!!」
「俺か?俺はな……」
バンボが頬傷の男に銃を向ける。男の肩を足で踏みつけ、男の額に狙いを定め。
「てめえらなんかにびびってた、ただのガキさ」
迷わず、その引き金を引いた。
ランムリアが待ち惚けていた所へ、突然アーカーシャが震えだす。不安の波に気を漂わせていたランムリアは、飛び跳ねるように驚いた。
「えっ、えっ、えっ!?誰か来たんですか?」
「マスターが戻ってきました」
「バンボが?ああ、よかった……」
ランムリアは立ち上がり、物置部屋に入ってきたバンボを迎えた。
「おかえりなさい――――、あっ」
そして、ランムリアはバンボの隣に立つ女の子を見つけた。パイアに良く似た女の子。乱れた栗色の髪を紐で束ねている、可愛らしい女の子だった。
「バンボ……、この子、ひょっとして……!」
「ええ。カンナですよ」
それを聞くや、ランムリアはカンナを思い切り抱きしめた。
「よかったね、よかったね……」
「え、この人誰ですか……?」
困った顔でバンボに助けを求める視線を送るカンナの頭を、ランムリアが愛おしそうに撫でる。
ランムリアの心の底から嬉しそうな横顔に、バンボは小さく笑う。
ランムリアの笑顔は、バンボが産まれてこの方、見たことのないくらいに美しい物であった。
――――こんな顔が見られるなら、まあ、頑張った甲斐はあるか。
バンボは壁に背を預け、頬傷の男の銃から取って来た、小さな筒状の機械を弄くりながら、ランムリアがカンナと話すのを見守って。
そして、これからの苦労を思い、軽く溜息を吐いた。
「あの、今日は、本当にありがとうございました」
羊牧場に着くと、カンナは礼儀正しくバンボたちにお礼を言った。姉のパイアと違い、カンナは落ち着いた子のようだった。
「ああ、気にするな。ちゃんと姉ちゃんにもお礼言っとけよ」
「はい。姉さんが助けを呼んでくれなかったら、私は……」
バンボがカンナの頭に手を乗せた。バンボの表情は、家族を慈しむような、そんな穏やかさを浮かべていて。
「姉ちゃんと仲良くしろよ」
「はい!」
カンナの返事を聞いて、手を放したバンボは寂しそうでもあって。ランムリアは、バンボの顔を不思議そうに見つめていた。
もう陽が暮れはじめて、段々と辺りは暗くなっていく。バンボが「そろそろ行きましょう」と言って、ランムリアもそれに同意した。
「パイアちゃんによろしくね」
「はい、しっかり伝えておきます」
簡素な木の柵で囲まれた牧場に建つ、羊小屋へとカンナが帰っていく。それを見送ったバンボとランムリアは、とりあえず、昨日泊まった空き家へ戻ることにした。
「やっぱり、家族と離れ離れになるのは……、寂しいですよね……」
ふと、ランムリアがそう言った。
バンボには、ランムリアの遠くを見つめる目は、高く聳える中央塔に向いているような気がして。
やはり、父であるビジョウが、養母であるフライエが恋しいのかと、そう思えて。
バンボの心に浮かぶ、罪悪感。
それは、ランムリアに吐いたままのたくさんの嘘。
バンボがビジョウへ復讐したいと思っていること。
フライエが死んだということ。
フライエは、ビジョウが殺したのだということ。
バンボが、ランムリアに全てを伝える勇気を出せないまま、時間は過ぎていく。
ランムリアを騙して、嘘を隠して、連れまわして。
これではまるで、ランムリアをビジョウへの復讐のために利用しているのと変わらないと、バンボは思う。
――――俺は酷いことをしている。俺を信じてくれている、この人に。
――――ランムリア様。これからたくさんのことを知っていこうとするこの人は、一体この先どうなるんだろう。
考えれば考えるほど、バンボはランムリアへの負い目に、胸を痛めた。ランムリアへ向けるバンボの目は、哀れみの色を持つ。
すると、ランムリアがバンボの方を見て、その名を呼んだ。
「バンボ」
「えっ?……、なんですか?」
「今日も、ありがとう。私をいろんな所に連れて行ってくれて」
「いえ、そんな。構いませんよ、このくらい」
ランムリアはバンボの顔を覗きこんで、楽しそうに笑顔を見せる。不意に見せられたランムリアの笑顔に、バンボが胸中に湧く温かな感覚に身を強張らせる。
「私、バンボといると、すごく楽しいんです!」
夕焼けに照らされて笑うランムリアは、本当に、清々しい笑顔で――――
「なんだか、まるでお父様といるみたい!」
なんと、バンボに向けてそう言った。
「え゛っっ!?」
バンボの顔が潰れた果実のように嫌そうに歪んだのを見て、ランムリアは慌てだした。
「あ、ご、ごめんなさい……。バンボは、あんまりお父様のこと良く思ってないんですよね……。ごめんなさい!」
「あ、いえ……、え、ああ……」
「お気になさらず」と言おうとしたけれど、バンボは衝撃のあまり口を動かすこともできなくて。苦笑いを浮かべて、ふらふらと幽鬼の如く歩いて行った。
「バンボ……、大丈夫ですか?」
石につまずいて転びそうになるほど、バンボの様子は危うくて。
ランムリアは焦り、一行に動揺収まらぬバンボの後を追った。
「――――――ン。――――アン」
それは――――――
それは、突然に。
バンボに追い付いたランムリアの耳に、何か、呼びかけるような声が聞こえてきて。
「……?」
声のする方へランムリアが振り返ると、そこには暗闇が続く路地裏があった。
けれど、その路地裏には、誰の姿もない。
暗闇の中に一瞬、何かが見えたような、そんな気もしたけれど。やっぱり、そこには誰もいなくて。
夕闇が聞かせた、幻聴だったのか。
奇妙な恐怖が、ランムリアの胸に湧き起こってきて。
恐怖に背中を押されたランムリアは、急ぎ、バンボの下へと戻ったのであった。
二人は知らない。
彼らがカンナを探している間に起こっていたことを。
翌日、湯あみ屋から少し離れた路地裏で、女の子の物と思われるボロボロの衣服が見つかった。辺りには致死量と思われるほどの大量の血の跡が残っており、けれど、何処にも死体は見つからなかったという。
そして、カンナが羊小屋に帰ったあの時、羊小屋には先に帰ったはずのパイアの姿はなかった。
それから何日経とうとも、パイアが羊小屋に帰ってくることは、二度となかった。
二人がそのことを知るのは、また後のお話し。
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第四話 完




