第3話
高槻から初めてのメールが届いた週末の土曜日。雛希は雑貨屋が入っている建物の前にいた。
命令口調でのメールに逆らえるはずもなく『わかりました。土曜日でどうでしょうか?』と返事をしたのに対し返ってきたたメールは
『13時』
と一言。布団に携帯を投げつけてふて寝をした。
くっそ~~~~私の事なんだと思ってんの、アイツ! 見たくて見たわけじゃないのに!
そして週末まで悶々と何とも言えない気持ちで過ごした。
***
約束の時間より少し早く建物の中に入る。本当はここの雑貨屋に来るときはいつもウキウキして楽しい気分の筈なのに。それに比べて今日の気分はなんて最悪なんだ……と雛希は重い気持ちで階段を登った。
ニットカフェの前に着くと、雛希は緊張で立ち竦んだ。入口にはOPENの札が掛けてある。手前には看板が出してあった。手書きで書き込める黒板のようなタイプの看板だ。
「本日13時から14時まで貸し切り……!?」
殴り書きの文字に「ひっ」と声が出た。アイツ……私と一時間も話す気か! それも貸し切りって事は……まさか二人きり……イケメンと、恐怖の貸し切りトークタイムってか!
一体どんな恐ろしい事が待っているのだろう……と想像し始めた所で扉が開いた。まるで地獄の扉が開いたように見える。もちろん開いた扉の先に見えたのは。
「何やってんだよ。入れ」
「は、はい」
高槻が出てきた。怒っているようには見えなかったのが幸いだが、何時も通りの無愛想なので一体何を考えているのか予想出来ない。雛希は沈んだ気持ちのまま地獄の扉をくぐった。
……沈黙。店の中へ入ったのはいいけれど、この沈黙は何だ! 居たたまれない!
見慣れない私服姿の高槻を前に、雛希は直立不動で立っている。何故かこの無愛想な顔を見ていると背筋がピンとしてくる……怖いからだろうか。ぎゅっと握り締めている小さめのカバンは下の雑貨屋で買った物だ。高槻はそれを見たまま、じっと黙っている。……何よ、これもあんたが作ったっての!?
「おい」
「はいぃ!」
急に話し掛けられて、雛希は素っ頓狂な声を出した。その様子に逆に驚いた高槻が怪訝そうな顔をする。高槻は溜め息を吐くと、やっと話し始めた。
「お前が見た通りだ」
「え?」
そう言って黙った。その先を言おうとしないので、雛希は一生懸命考えた。私が見た通り……っていうことは、
「高槻君はここで働いてて、遥菜の買った手袋を編んだって事?」
「ばっ、………………そ、そう言う事だよ」
今馬鹿って言おうとしたよね? 雛希が眉間に皺を寄せて高槻を見ると、高槻は思い切り視線を逸らした。
真実をハッキリと認識出来た、けれど。
「言わないよ? 誰にも」
落ち着いた口調でそう言う雛希の真剣な目を見て、高槻は暫く黙った後、頷いた。
「……おう」
何だこれで話はお終いか? と思った矢先――高槻が急にしゃがみこんだ。
「はぁ~~~~~~~」
「な、何!?」
顔を手で覆っている。何度も溜め息を吐いてやっと気持ちが治まったのか、今度は急に立ち上がった。その顔は……真っ赤だった。
「お前さぁ!」
「はっ、はい!」
「男が編み物なんて……とか思わないわけ!?」
「は……え?」
突然言われた事に、それもかなり荒い口調で言われて、雛希は呆気にとられた。言われるまで気が付かなかったけど、そういえばそんな事思わなかった。
「言われてみると珍しいなって、今思ったけど……」
「はぁ? 今?」
高槻は納得のいかない顔をしている。そんな事言われても思わなかったものは思わなかったのだ。どちらかというと……。
「それよりはもっと別の事考えてたし……羨ましいなって思ってばかりだったよ……」
「羨ましい?」
「うん。あの手袋、本当は私も買おうと思ってたんだ。すっごく可愛くて一目見て気に入って。でも遥菜が先に買っちゃって、私は諦めたの」
はぁと溜め息が出る。口に出して言ったら何となく惨めな気持ちだ。これじゃあまるで買えなかった自分が遥菜を妬んでいるだけだ。
何と言っていいか分からないような顔をした高槻を見て、それから脇に目をやる。店内のテーブルに、先週見た手袋が置いてあった。おばさん達が完成品と言ってたやつだ。――うわ、やっぱりこれも可愛い!
「ねぇ、高槻君」
「あ? 何?」
雛希はテーブルの側まで行くと置いてあった手袋を指差した。
「これも高槻君が編んだんだよね?」
「そうだけど……」
そんな事聞くなよ、と表情が物語っている。それでも雛希は話を続けた。
「これ私も編めるかな?」
「……は?」
「編み方教えて! 私も手袋欲しいの!」
言われた高槻は驚いて固まった。そして雛希も、咄嗟に思い付いた事をそのまま口にした自分に驚いていた。
***
小学生の時、雛希は当時仲の良かった友人に―誘われて一緒に手芸クラブへ入部した。十歳だった雛希の手はまだ小さくて、どんな手芸をしても難しくて上手くいかなかった。
そんな時、マフラーを編もうという活動内容が決定された。先生が配った編み図はとても簡単な物で、最初から最後までひたすら同じ編み方をするという初心者向けの物だった。
母親に手芸店に連れて行ってもらい、沢山ある毛糸の中からお気に入りの物を選ぶのがとても楽しかったのを覚えている。
そしてクラブ活動の日。雛希はみんなと一緒に編み物を進めていくのだが、これが全然上手くいかなかった。友達は元々器用な子だったせいかどんどん先へ進んでいく。他の子達も特に難しくないように見えた。
けれど雛希は違った。なぜか編み目がガタガタになるのだ。言われた通りにしているはずなのに、どうして私だけ? と出来上がっていく友人達のマフラーを見て思った。
それでも最後まで諦めずに編んだマフラーは、やっぱりガタガタのボコボコだったけれど雛希にとってはお気に入りの物になった。
「手編みの物なんてダセェじゃん」
やっと出来上がったマフラーを持って教室に戻った時だった。聞こえて来た声に足が止まる。
そう言っていた男子と同じ手芸クラブの友達が口喧嘩をしていた。
「ひどい!」
「おばさんみてぇー編み物とか!」
「うるさい!」
口喧嘩する二人を見ていられず、雛希は出来上がったばかりのマフラーを持って教室を飛び出した。明日からこのマフラーを巻いて登校しようと思っていたのに。友達のあんなに上手い、可愛いマフラーを見て「ダセェ」なんて……だったら私のはもっと……。
それにあいつの事、ちょっぴり好きだったのにな……。雛希はマフラーを顔に当てた。もこもこの毛糸が濡れていく。
そうして雛希は初めての失恋をした。あれ以来編み物はしていない。
***
長い沈黙の後、高槻は重い口を開いた。
「お前編み物やった事あんの?」
「えっ、あ、あるよ!」
嘘は吐いていない。のに、雛希は挙動不審になって答えた。それもそうだ、今から何年も前だし、あのマフラーの出来を思い出すと……とても……。そんな雛希の心中を読み取ったのか、高槻は雛希の持つ手袋を見て言った。
「言っておくけど、それそんなに簡単じゃないよ」
「うん、それは何となく見て分かる」
こんなに可愛い模様が入ってる物なんて、そんな簡単に編めるはずもないのは素人の雛希だって分かる。それでも――それでも欲しい。自分で編みたい。そうすれば正真正銘、ほんっっっとうに自分だけの一点物になるんだ!
雛希は高槻が編んだ手袋をそっと持ち上げる。特に高槻が何も言わないので、まじまじと手袋を観察した。
水色がベースで白の毛糸で模様が編み込まれている。木とトナカイと、あと全体的に点々とした模様は雪だろうか。
「この柄がいい!」
「は!?」
「これ編みたい!」
キラキラとした目をして、雛希が詰め寄る。高槻は口元に手を当てて困った様に考えた。
「じゃあそれやるよ」
「え?」
「もう見本としての役目終わったし。それやるから、」
だから――高槻が続けようとしたその先は、言われる前に自分から言った。
「自分で編みたいの!」
そう叫んで思い出したのは小学生の時のあの男子だ。セリフ付で頭の中で再生される。ただ顔はよく思い出せないけど。
「昔編み物した事があるんだけど、大失敗したの。私不器用だから全然上手くいかなかったの。すごく悔しかった! だからもう一度編み物したい! 上手くなりたいし、こういう可愛い物を自分で作ってみたい!」
「う……」
雛希に気圧されて、高槻は唸った。すぐに断れなかったのは……雛希の気持ちが分かるからだった。
高槻だって初めから上手く出来た訳じゃない。母親に教えてもらいながら少しづつ上達したのだ。どうしても上手くならない時には本を開いて、その時の自分の技量では編めない物を眺めては悔しい思いをした。
――俺もこういうのできるようになりたい!
そういえば小さかった頃にコイツと似た事言ったような気がする……。高槻は必死に懇願する雛希を見て昔の自分が言った言葉を思い出した。
観念するまでに所要した時間は五分。
「……分かったよ、教えてやるよ」
「やったぁぁーーーー!」
雛希は飛び跳ねて喜んだ。反対に高槻はぐったりと椅子にへたりこむ。はぁはぁと鼻息荒く喜ぶ雛希を見て、高槻の溜め息は深くなるばかりだ。
「ねぇ高槻君」
喜んでいた雛希が急に大人しくなり、神妙な顔つきで高槻の方を向いた。今度は一体何だと思ったが。
「これ、ほんとに要らないの?」
もう離すまいとばかりに握り締められた手袋。高槻の中で雛希の第一印象は“図々しい女”になった。
「あ、お金払うから!」
と財布を出そうとした雛希をぐったりとした仕草で止める。こいつが手袋作り終えるまでどれぐらいかかるんだ……? と考えるだけで空恐ろしくなる。
まずは何を教えるところから始まるんだ、と不安だけが残ったまま、嬉しそうに手袋をはめる雛希を横目に高槻は予定表を取りに店の奥へと消えていった。