第1話
『手編みの物なんてダセェじゃん――』
そう言った男の子。綺麗な顔をしたその子が言った一言を私は一生忘れない――と思った小学校四年生の冬。
編み目のガタガタなマフラーを握り締めて、雛希はひとりぼっちで泣いた。
寒い冬がやってきて、冷たい風に肩を縮ませる。分厚いコートの下に着ている制服は薄目の物だが、制服の上にはカーディガンも着て、手袋もしている。それなのに寒くてたまらず、白く曇る吐息を深く吐き出した。
園沢雛希は自転車に乗って高校へ向かっていた。足を掠めていく風の冷たさで皮膚の表面が赤くなっている。自転車を早く漕げば漕ぐ程その風当たりは強くなるが、この寒さに耐えて早く学校に到着する方がいい。そしてヒーターの前を陣取って体を温めたい。雛希は坂道の登りに差し掛かったところで思い切りペダルに力を込めた。
「ヒナ! おはよう!」
「おはよう」
「今日早いね?」
雛希はこの春高校に入学してから友達もそこそこ出来、特に不満もなく楽しい毎日を送っていた。
玄関で雛希に声を掛けた瀬古遥菜は、入学式当日、名簿順での並びで雛希の前の席だった事から高校に入学してすぐに出来た友人だった。
ぺたぺたと上履きを鳴らして並んで歩く。いつもは遥菜の方が早く学校に来るためたまたま早く来た雛希に驚いたようだった。昨夜のテレビ番組の話をしながら教室に到着すると、すでに数人が登校していた。始業まではまだ二十五分もある。
「さっむー!」
「ねぇねぇ、ヒナも一緒に来て~」
「え? どこに?」
コートを脱いでヒーターに駆け寄って暖を取っていると、遥菜が雛希の側に寄ってきた。一緒に手を温めていると、遥菜からついてきてとの誘い。一瞬何の事か分からずに首を捻ったが、雛希はすぐに思いついてニヤリと笑った。
「また高槻君見に行くの?」
「うん! ねぇお願い、一緒に来てよー」
遥菜は雛希の腕に細い腕を絡めて懇願する。身長が167㎝と高めの雛希とは違って遥菜は154㎝。その上サラサラのロングヘアーでお人形のように可愛いときたもんだ。ツンツンと腕を指で押してくるので、雛希はしょうがないなぁと笑って頷いた。
腕を引かれて廊下へ出ると、寒さに体がブルッと震えた。雛希達のクラスである一年一組の隣、二組の前へ到着すると、遥菜はこっそりと中を確認した。早い時間なだけあってかまだ数人しかいない。それも殆どが男子生徒だ。
カラカラと扉を開けると、教室の隅の方に固まっている男子のグループがこちらを見た。雛希は何度この場面に立ち会っても慣れる事はなかった。
そんな雛希とは違って、遥菜はその男子グループの元へ一直線に駆け寄って行った。
「おっはよー」
「おー瀬古」
「ねぇねぇ、何してんの?」
「トランプー」
雛希も顔見知りなので挨拶を交わす。けれどそれだけだ。話し掛けられない限り特に会話には入っていかない。
明るい口調で男子達と話す遥菜は本当に楽しそうだ。雛希はそれを見ながら、少し後ろに立って遥菜の用事が終わるのを待っている。大体いつも十分くらいだ。
「ねぇ、高槻君はトランプ強いの?」
「いや別に」
遥菜が話し掛けた"高槻君"は二組の中でも比較的目立つ方だ。何が目立つって、まず背が高い。雛希から見ても相当大きいのだから、恐らく180㎝近くはあるだろう。
もう一つ、決定的に目立つ理由がある。――顔だ。
「やだもー高槻君、何でそんなに無愛想なの?」
「いや、別に……」
「瀬古、無理だってコイツに愛想なんか、」
「あんたには聞いてない!」
遥菜の質問にそっけなく返事をした高槻を周りの男子がからかう。その男子達の声を遮って、遥菜は負けじと高槻に話し掛けた。
学年でトップと言ってもいい可愛さを誇る遥菜に話し掛けられていても全く無愛想な対応をする……そんな高槻嘉文は学校でも指折りのイケメンだった。
「ヒナ、朝はついてきてくれてありがとう! 一人だと緊張するんだよね。ヒナが居ても緊張したけど」
学校が終わって一緒に帰る途中、遥菜が今朝の事を話し始めた。他の男子と話す時には特に緊張をしている様子なんて無いのに、遥菜は高槻嘉文と話す時だけいつも緊張するという。この可愛い子と話す男子の方が大体緊張しているというのに。高槻嘉文……何て奴だ、と雛希は不思議に思った。
「今日、あの雑貨屋さん行かない?」
「いいね、行こう」
遥菜に誘われて二人は雑貨屋へと進路を変えた。
目的の雑貨屋は学校から離れた所にあった。大体三十分といったところだろうか。だからこの雑貨屋には時々しか来ない。いくらお気に入りでも遠すぎるので、家に帰る頃にはへとへとになってしまうからだ。それでもこの雑貨屋へやってくるのは、ここで売っている物が本当に可愛いから。特にハンドメイド品は一点物が多く、それを持っていれば友人と持ち物が被る事が少ない事がお気に入りの理由だった。
古びた建物の前に到着すると、二人は自転車から降りて建物の中へと入った。
外からは見えないけれど、中には雑貨屋やカフェ、洋服屋などいくつかのお店が入っている。一階の奥、日差しが明るく差し込む角に、目当ての雑貨屋があった。
「いらっしゃいませ」
両脇にたくさん並べられた観葉植物の向こうにある木の扉を開けると、上品そうな中年の女性が一人店番をしていた。多分店長だろう、いつもこの人が店番をしている。
雛希と遥菜は店内へ入るといつものようにお互い見たい物のある場所へと足を向けた。
遥菜はバッグやポーチのある辺り、雛希は帽子やマフラーのある辺りをうろついている。ふと雛希の視線がある棚の前で止まった。
「うわ、可愛いコレ」
黒地に白と黄色の花模様が編み込まれた手袋。普段から通学の時などに使っている手袋は五本指タイプの物。それに比べてこっちの手袋はミトンタイプだった。
可愛い……可愛すぎる。
雛希はその手袋を手に持ったまま、暫く考え続けた。
財布の中にはこれが買えるだけのお金がある。昨日は丁度お小遣いの日だったし……今の手袋もまだまだ使えるけど、これはお出掛け用に大事に使えば……。
「ヒーナっ」
「ぎゃあ!」
突然後ろから声を掛けられて雛希は変な声が出た。別にやましい事なんてしてないけど、店員の目が気になってチラッと確認した。――よし、こっちを見てはいないようだ。
変な声が出てしまった原因の方を向くと、遥菜の視線は雛希が手に持っている手袋に向いていた。
「わぁ可愛い手袋! すごく可愛いね、それ!」
「うん、そうなの」
雛希の手から手袋を取ると、遥菜は何度も可愛いといいながら手袋を眺め始めた。
う……嫌な予感がする……。
手袋をキラキラとした目で眺める遥菜に、雛希はトイレに行くと言って一旦雑貨屋を出た。
この建物は二階建てになっていて、トイレは二階にしか設置されていなかった。雛希は雑貨屋を出ると少し暗い気持ちで二階への階段を登る。階段を登って右手の奥にあるトイレで用を済ませて出てくると、反対側の奥にある店が気になった。
「ニット……カフェ?」
入口前にある木彫りの看板には“ニットカフェ”と書いてある。
ニット? カフェ? 今までこんなお店あったかな? 気が付かなかっただけ?
カフェという名前なのだから、何か飲食物を提供するお店なのだろう、と思っていた所で店の扉が開いた。
「やだもーヨシ君たら。おばさん達ヨシ君に会いに来てるんだからね」
「はいはい、どうも。次来るときまでに手袋の片方は完成させてくださいね」
数人のおばさん達が何やら楽しそうに話をしている。扉の陰で見えないけれど、“ヨシ君”と呼ばれている話し相手の男性の声は案外若そうだ。
「そうだヨシ君。最後にさっきの完成品もう一度見せてくれない?」
「あぁ、いいですよ」
見本? 何か作っているのだろうか……と雛希は階段の手前で止まった。その先が気になる。そっと体を倒して扉の内側を覗くようにしてみた。
「はいどうぞ」
「やっぱりヨシ君のが一番上手いわねぇ!」
男性から受け取った物を掲げながら、おばさん達から感嘆の声が上がる。
――ちょ……ちょっと、あれって……まさか!
おばさん達が持っていた手袋は、下の雑貨屋で見た手袋みたいなデザインだった。水色に白の模様が入っていて遠目に見ても可愛らしい。って、それもだけど――! それじゃなくて!
おばさん達を見送るために扉の奥から出てきたのは、
「たっ、高槻嘉文ィ!?」
雛希の声に一斉に視線が集まる。おばさん達は何事かと眉間に皺を寄せて怪訝そうに雛希を見た。当の雛希はというと、口を開けたまま目の前の現実を受け入れられないでいた。
しばらくの沈黙の後、おばさん達が口々に“ヨシ君”に話し掛け始めた。
「ヨシ君、知り合いの子?」
「……えぇそうなんです。じゃあみなさん、また来週来てくださいね」
“ヨシ君”と雛希の関係が気になるのか、おばさん達は中々足を進めようとしなかったけれど、“ヨシ君”が無理矢理背中を押して階段へと促した。
そして、おばさん達の姿が見えなくなると、階段の上で動けずに立ち竦んでいる雛希の方を向いた。
「絶対言うなよ」
「……え?」
「俺がここに居たのを言うなっつってんだよ!」
普段遥菜と一緒に見ているやる気の無さそうな高槻君はどこへ行ったのだろうか。
今目の前に居る高槻君はその高い身長を生かし、目を見開いて雛希を見下ろしている。とんでもなく怖い顔をして。
「もし誰かに言ったら……」
「い、言ったら?」
ゴクンと喉が鳴る。――超怖いんですけど! これ本当に高槻嘉文!?
雛希は一歩後退りをして“ヨシ君”の言葉の先を待った。
「もし俺がここにいた事を誰かに言ったら――」
と、そこで言葉が切れる。下から誰かが階段を登ってくる音が聞こえた。雛希と“ヨシ君”は手すり越しにチラッと下を見た。――遥菜だ!
きっと雛希を探しに来たのだろう。雑貨屋で何か買い物をしたのか、手には可愛い紙袋が提げられている。
どうしようかと考える暇もなく腕を掴まれて引っ張られた。いきなりの事に驚いて声も出ない。雛希は“ヨシ君”に無理矢理連れられて“ニットカフェ”の中へと引きずり込まれた。
見た目の重そうな感じとは裏腹に、とても静かに扉が閉められた。そして店に入る直前、一瞬の隙に“ヨシ君”は店の看板脇にかけられていたOPENの札をCLOSEにひっくり返した。
店内に人影は無かった。居るのは雛希とヨシ君――高槻嘉文の二人だけ。それも相当ぶち切れていらっしゃる高槻嘉文だ。
「あ、あの、腕……痛いです」
雛希の訴えに、高槻はそっと腕を放した。
「あいつ……瀬古か?」
「うん。一緒に下の雑貨屋さんに買い物に来たの」
それを聞いて高槻の顔がより険しくなった。雛希は外にいる遥菜が気になって仕方ない。
遥菜の想い人と一緒に……それも二人きりで居るなんて所見られたら――。
扉のガラス部分からこっそり外を覗くと、遥菜がトイレから出てきたところだった。雛希の事を探したのだろう。遥菜は廊下の壁により掛かって携帯を触り始めた。
その数秒後、雛希のポケットが急に震えだした。
「ぎゃっ!」
携帯のバイブレーションが作動したのだ。ポケットから取り出すと、着信の相手は遥菜だった。
出ようか出まいか迷って視線を高槻に向けた。
「ど、どうしよう」
「あいつには絶対言うなよ」
「え?」
じりじり、と高槻が雛希に迫ってくる。携帯のバイブは止まない。
「ぜってぇ誰にも言うな。特にあいつには……瀬古には」
高槻はそう言いながらまだ雛希に迫ってくる。そしてとうとう雛希は壁際に追い詰められた。逃げ場が無くなり、高槻との距離は……近すぎる!
「もし誰かに言ったら――」
高槻が雛希の顔の横にいきなり両手を付いた。見上げる高槻の顔は恐ろしい。その顔が雛希の目線の高さに下りてきて、更に睨みをきかせる。雛希は蛇に睨まれた蛙のごとくガチガチに固まった。
「誰かに言ったらぶっ殺す」
鳴り止まないバイブレーション、目の前にはブチ切れたイケメン――。
こうして雛希は生まれて初めてイケメンから“ぶっ殺す”宣言をされたのであった。