第7話 患者の診察
「何だって、休みの日に…」
僕はブツクサと呟きながら、榎本医院の扉を叩く。
『おー二階堂か!今、開けるなー』
ドアのインターホンを鳴らすと、榎本先生の軽快な声が響いてきた。
「!女性陣、来るの早いね…」
医院に入った後、僕の視界に入ってきたのは私服姿の夕慧と美雨。
学校でしか会ったことがないので、私服姿の彼女らが新鮮に見えた。
ちなみに、今は土曜日の13時過ぎた辺り。ピッタリが集合時間だったが、一応5分前行動を心がけている僕は少し早めに来た
つもりだったが、二人の方が僕より早く来ていたようだ。
最も、彼女らは榎本医院が結構近いから…というのもあるんだろうな…
僕は学生寮に入っているから、到着が早いのかなとも考えていたのである。
「さて、乱馬君。今日来てもらったのは、君に榎本先生によるカウンセリングの雰囲気を見てもらおうと思って呼んだの」
「雰囲気?」
「…ああ」
最初に美雨が話を切り出し、僕が問い返すと、今度は夕慧が口を開く。
「今日みたいな休日には、社会人の患者が時々来る。そこで先生がカウンセリングをしてカルテを作成し、あたしらは夢魔退治の
資料とするんだ」
「そっか…。先生の本業は、精神科医だもんね…」
「…何か、変な響きに感じたのは、先生の気のせいかなー?」
「へ…?って、わっ…!!!」
後ろから声が聞こえたかと思ったら、自分の背後に榎本先生がいた。
「おおお驚かさないでくださいよー…!」
気配すら感じさせずにいたものだから、僕の心臓が強く脈打っている。
「先生!今度の患者さんは、どんな方なんですか?」
今の成り行きをまるでなかったかのように切り出す美雨。
しかしその一言で、冗談めいた雰囲気だった先生の表情がガラリと変化する。
「今回の患者さんは、営業職をやっているごく普通のサラリーマン!詳しい事は…この後の診察から読み取ってもらうかんじでいいかな?」
笑みを浮かべながら説明していたが、彼の目は笑っていないように見えた。
怒っているのかな…?
そう思うと、少しゾッとした僕であった。
「お…来たかな?」
最初の会話から数十分後、玄関にあるインターホンの音が室内に鳴り響く。
「…じゃあ、先生。あたしらは、隣の部屋に行っているよ」
「そうだね、夕慧ちゃん。彼も忘れずにね★」
僕らにそう伝えた後、榎本先生はインターホンに出て、その直後に入り口近くの扉へと歩いていってしまう。
「…おい。早く移動するぞ」
「えっと…?」
状況が飲み込めていない僕は、きょとんとしながら首をかしげる。
「…ここは、精神科の医院だぞ?医師ではない人間がこの場にいては、患者だって話せるものも話せない・・・そんな事もわからねぇのか?」
「あ…!」
夕慧の台詞で、何故移動しなくてはいけないのかをすぐに理解した。
「…ごめん」
「…ったく…。世話の焼ける野郎だよ」
素直に謝った僕に対し、彼女はため息をつきながらそう呟く。
そういえば、サラリーマンって事は、患者は男だよな?もし、夢魔の影響があるとしたら…今度対峙するのは、
女型って事かな…?
僕は夕慧に服の裾を引っ張って連行されながら、そんな事を考えていた。
「さて…。砂香華純一さん…ですよね?はじめまして、榎本です」
「よ…よろしくお願いいたします」
榎本先生が患者に自己紹介をし、挨拶をしていた。
僕らは隣の部屋にあるモニターから、その様子を眺めていたのである。黒髪で眼鏡をかけ、しっかりクリーニングが行き届いているような綺麗なかんじのポロシャツを着たその人は、割と真面目そうな人物に見える。
「なぁ…普通、精神科で監視カメラ設置して、モニターで見たりなんてするのかな…?」
僕はヘッドホンから聞こえる音声に耳を傾けながら、二人に問う。
「どうなんだろう?私は榎本医院以外の精神科病院行ったことないから、よくわからないけど…」
「…でも、あまり聞いたことはないな」
僕の問いは二人でもあまり答えが出せないようだ。
案外、竽喜竹の方が知っていたりする…?
この場にいない人の顔が、そう思っていると浮かんだのである。因みに竽喜竹は、昼間は用事があるとかで今はいない。
ただし、夕方には来るという連絡をもらっているようだ。あと、さらに補足をすると、精神科の病院は内科や外科と異なり、
新規の患者さんは滅多に来ない。患者と医師の繋がりが深い分、大抵の場合は以前に通院していた患者の知り合いという場合が
ほとんどである。
「!そろそろ、本題に入りそうだな…」
夕慧の一言で、僕は再びモニターに視線を落とす。
「最近…仕事中やプライベートでも突然、妙な不安感が押し寄せてくるんです。仕事に関しては準備等も万端で、環境的に何一つ問題ないのに…」
「成程…。その際、体調の変化等は?」
「一度だけ、吐き気が…」
「ふむ…」
砂香華さんの話を聞きながら、榎本先生はカルテに何かを書き込む。
僕らはその様子を黙って観察していた。
そこから、どんな仕事をしているか。家族構成など、患者情報に纏わる話があり、ある程度時間が経つと―――――――
「…では、砂香華さん。貴方は最近、何かしらの夢を見ましたか?」
「夢…?」
「ええ。他の患者さんにもよく聞いているのですが…夢は、いわば”貴方の中にいる無意識からのメッセージ”なんです。わたしはそれを患者に尋ねる事で、心の中で何がおきているのか…どんな心情を持っているのかを確認します。…わかりますか?」
「は…い」
患者は少し戸惑いつつも、先生の問いかけに首を縦に頷く。
「では、お話しして戴けますね?」
「わかりました…」
了承を得た後、砂香華さんは自分が最近見る夢について語りだす。
「よくわからないのですが…最近よく、食事をしている夢を見るんです。どこか見知らぬ場所の一室で…」
「食事…ですか」
榎本先生は、“食べる”という言葉に少し反応を見せる。
「…何を誰と一緒に食べていますか?」
「相手…は、顔が見えなくてわからないですが…でも、何となくですが、女性だったような…気がします。食べていた物までは、流石に…」
患者は、腕を組みながら一生懸命夢の内容を思い出そうとしている。
「何故、貴方はその一緒に食べている相手が“女性”だと思ったのですか?」
「顔は見えませんが、スプーンやフォークを握る手は見えていて…マニキュアが塗られていたから何となく…」
「…成程。食事の際、相手の女性と何か話していましたか?」
「うーん…」
次々に出す先生の質問に対し、段々答えが出にくくなってしまう患者さん。
「何話していたかまでは覚えていない…です。ただ…」
「ただ…?」
「話す…というより、何か一方的に言われている感覚がしました。嫌な感覚もしましたが、何故か僕はそこで席を立とうとしないでずっと…食べ続けています」
「……」
それを聞いた榎本先生は、口元をペンを握った右手で抑えながら、少しだけ視線を地面に向ける。
何か思い当る事でもあったのかな…?
僕はそんな先生の表情をモニターで見ながら、そんな事を考えていた。
少しの間だけ、彼らの間に沈黙が続く。夢を思い出そうとする人と、その夢について何か考える人。双方とも今、頭の中を懸命に整理しているのが見ていてよくわかる。
「満たされぬ願望…」
「えっ…?」
沈黙を最初に破った榎本先生の呟きは少し小さめだったので、モニター越しで見ていた僕らはあまり聞き取る事ができなかった。
「先生…“満たされぬ願望”とは…?」
砂香華さんが再び問いかける事で、先生が言っていた台詞を知った僕らであった。
その後、咳払いをした後に榎本先生は再び話し出す。
「食事をしている夢の解釈は、2つあります。一つ目は、ただ単に空腹であるという事。もう一つは、満たされなかった願望の表れ…です。砂香華さん…性的欲求や権力。お金でも名誉でも、満たされず、不快な事が日常生活で続いたりしていますか?」
「うーん…」
「…では、質問を変えます。一緒に食べている相手が女性という事は…何か女性の事で何か不満な出来事や満足にいかなかった話とかはありますか…?」
「それは…」
「先生、凄いなー…ちょっと話を聞いただけで、あんなに質問がポンポン出てくるなんて…」
その後、診察が終わり、砂香華さんは帰って行った。
診察室の隣の部屋にいた私達は、患者が帰った事でようやく普通の大きさで話をする事ができるようになったのである。
「問いかけを多くしないと、患者の事を理解しづらい。精神科医というのは…知識や聴く力だけでなく、言葉をしっかり選び、正しい選択をして話せるようにならなきゃいけねぇんだ」
「ふーん…」
真剣な表情で話す夕慧の横顔を見ながら、僕は頷いていた。
「それにしても…今回の件、夢魔が関わっている可能性は高そうね」
「美雨…?」
独り考え事をしていた美雨の呟きに、僕は首を傾げる。
「彼…砂香華さんは、“心身共に問題ないのに不安感が押し寄せる”とか、夢の中で“女性に一方的に割れる”という事。そして、“嫌な事言われているのに、席を立とうとしない”という台詞から、そうではないかと思ったの」
「??」
美雨の説明に、僕は余計にこんがらがってしまう。
「…おそらく、美雨ちゃんの言う通りだと思うね」
「先生…」
そんな僕らの会話に、診察を終えた榎本先生が入ってくる。
「先ほど患者さんにも言った通り、“食事をする夢”は一般的に何か満たされない願望がある時に見る場合が多い。ただ、食事とは関係ないような話を、しかも一方的にされる…ってのは、誘惑…もしくは、言いくるめられている可能性が高いって所かな」
「よくある夢のパターンとは違う事が起きている…。それが、“夢魔による干渉を受けている”って事ですか?」
「そういうこと」
先生の解説で、ようやく僕も理解を示す。
「あとは、患者は不安感によって鳥肌が立ったり、身体がだるくなったり…。と、現実世界にも微小なれど、影響を与えている…。となると、この前の雑魚よりは強そうな夢魔か…」
会話をする一方で、夕慧は考え事をしながら呟いていた。
「……先生」
「ん…?」
すると、夕慧をチラ見した美雨が、先生に話を切り出す。
「どうでしょう?今回は、私と乱馬君で夢魔退治に行かせるというのは…」
「そーだねー…」
彼女の提案にどう答えようか迷う先生の視線は、夕慧の方に向いていた。
夕慧の方は、どうやら先生や美雨から視線を向けられているのを気が付いていないくらい真剣な表情で考え事をしている。
「…うん。それもいいか!乱馬にとっても、いい修行になるかもだし?」
「はぁ…」
あまりに判断が早かったものだから、「ちゃんと考えて出した答えなのか」と疑心が生まれた僕であった。
「ん…?美雨と乱馬で行く…?」
ようやく我に返ったのか、夕慧は僕らを見渡しながら問う。
「…そうなの、夕慧ちゃん。ただ、今日は真央さんが夜に来れないらしいから、貴女や竽喜竹君に身体の見張りを頼む事になりそうだけど…大丈夫かな?」
「ああ…。あたしは別に大丈夫だよ」
「よかった♪」
了承を得た美雨は、どこか嬉しそうに見えた。
「そうと決まれば、夕慧ちゃん!夜ずっと起きていてもらう事になるから、今から仮眠でも取っておくといいよ!竽喜竹も、夕方にはこちらに来れるみたいだし…」
「ああ…そうですね」
先生の提案に頷く夕慧。
という事は、夕慧は一緒に夢界まで一緒に来ないって事だな
僕は彼らの会話を聞きながら、そんな事を考えていた。
「じゃあ、待ってろ!俺が先ほどの患者さんのカルテまとめておくから・・・」
そう言った先生は、パソコンの置いてある机の前に座って作業を開始する。
「夜決行って事は…泊まりか」
「…ママにでも連絡しておけば?」
「ま、ママって…!」
僕の呟きに対し、夕慧がいじわるそうな笑みを浮かべながらからかってきた。
夕慧、僕がマザコンだとでも思っているのだろうか?
少し不服な表情をしながら、僕はスマホを取り出してメールを打つ。
こうして陽が沈んだ頃に竽喜竹が榎本医院に到着し、僕と美雨が夢界へと出向く事となる。2度目の“夢魔退治”なので少しだけ落ち着いた気分でいられた自分。しかし、まだこの時は今後何が待ち受けているか。そして、僕自身も気が付かなかった己の深層心理が如何なるものかを全くわからないのであった―――――――――――――――――
いかがでしたか。
今回のケースは”食べる夢”という事で、その話を中心に物語が展開していきます。
今回は補足するような事はあまりないですが、とにかく今は心理学の本とにらめっこしながら執筆している皆麻でございます。
ちなみに、”男女一組のペアで臨まなくてはいけない”という決まりがあるため、今後の展開としては、乱馬と竽喜竹。夕慧と美雨で夢魔退治に行く…という事はほぼないと思います。
逆の性である夢魔に出くわしたら、全滅しちゃうかもですしね。笑
さて、次回は武術派コンビ?による”夢魔退治”となるでしょう。
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