22.宇宙の名馬
「……草原ですよね……」
「私には牧場に見えるでありますが……」
「ファム号の中だから、あまり広くは取れなかったのよ」
順に、ブレット・ダニエル大尉・ロゼのセリフを列挙してみました。
そこは、健康的な自然光に満ちていた。空には白い羊雲がポッカリと浮かんでいる。何処からか、小鳥の歌が聞こえてきた。
左手奥に森が広がる大地には、緩やかなアップダウンが形成されていて、小さいながら川も流れている。
「チクショー! 何処まで広ければ気が済むんだ!」
ブレットの、そして声には出さないが、大尉の素直な感想である。
控えめながらも自己の存在を主張している丘の向こうから、乗馬姿のアーシュラ様が手綱捌きも勇ましく、ギャロップでこちらにやって来た。乗っているのは地球の馬に比べかなり小さい。ポニー位か?
さすがに貴族。人馬一体となった見事な手綱捌き。鞭など一つもくれていない。
やがて人馬はブレット達の目の前に。
アーシュラ様は羅紗の帽子を被り、赤いジャケットに白いスラックスを身につけておられる。ブーツを履いた足元は、スパッツで固めてられていた。
スカート姿も麗しいが、アクテブなお姿も真にもって凛々しくあらせられる。何を身にまとっても神々しいばかり。まさに美の化身。
一瞬アーシュラ様に見とれはしたものの、ブレットと大尉の興味対象はアーシュラ様が乗っていた『馬』の方に注がれている。
近くで見るとよく解る。
大きさやシルエットはポニーそのもの。夏毛であろうか、シルバーの艶ややかな毛並み。草食獣の特徴的な長い首。短めのたてがみ。
そして……先ッポにだけ長い毛が密集した牛によく似た尻尾。ウサギのように長い耳。目の回りと、口の回りと、お腹が白い、癒し系の顔つき……。
「ロバ?」
ブレットは自分の判断力を疑っているのか、小声で言った。
「……本官にも、ロバに見えるであります」
同じく小声で答えた大尉も自分の目を疑っている。……キリリとした美の女神がロバに跨っている……。
「そうですね。皆さんにとっては初めまして、ですね。この馬は、マイ・フェイバリット・ホース『シルバ』です」
『馬』と呼称するシルバから降りたアーシュラ様が、無口を手に持って堂々と立っている。一方、知らない人間が多いからだろうか、シルバは心細そうな表情を浮かべている。
あ、緊張のあまり脱糞した……。
「『シルバ』はハスクの言葉で『銀』という意味です。あなた方の言葉にある『シルバー』と発音が似てますね。偶然ですがとても面白い事です」
心配しているシルバを落ち着かせるように、首をポンポンと軽く叩いてやる。シルバが脱糞したことは知らない。
「神話の昔。我ら一族が光の恩人に率いられ彼の地を脱出した際、一緒に連れてきた数少ない家畜の末裔です。乗馬用に品種改良された種ですから、とても脚が早いんですのよ」
馬に相当する獣は連れて出なかったのか、とか、あの短い足でどれだけ走れるのか……、いくつか浮かんでは消える疑問だが、アーシュラ様がそう言っているのだから、その件に関し地球人男性二人は刃向かうつもりなど毛頭ない。
「セバスチャン!」
アーシュラ様が一声かけた。
「ははっ。こちらに控えております」
「うわっ! ビックリした」
突然、背後より湧いて出た声にびっくりして振り返る男二人。
背後には、頭髪を七:三分けにし立派な口ひげを生やした、いかにも馬丁といった格好の中年男性が立っていた。
「皆様、初めまして。シルバ様の世話をしているセバスチャン・ウーディットと申します。以後よしなに」
シルバの手綱をアーシュラ様から預かり、少し離れて立つセバスチャン氏。
「アーシュラ様とロゼ以外にヒューマノイドがいたんだ……」
ブレットがその事実に目を丸くする。
「そういえば紹介を忘れていたわね。他にも各ラボの研究者が数人乗船してるのよ。学者肌の変人が多いから紹介がおくれているの。今度おりを見て紹介するわ」
仲のいい友達に自分の知らない友人が居たような、なんだかチョッピリ切ない気持ちになってしまったブレットだった。
「そうそう、話というのは他でもありません」
アーシュラ様がダニエル大尉に向かって話を始めた。ダニエル大尉は、改めて緊張の度合いを高めていった。
「セバスチャン。例の物を」
「ははっ! これに」
セバスチャンが流れるような動作で恭しく取りだしたのは、牛乳瓶ほどの大きさの白磁で出来た容器だった。白地に蒼を主体とした見事な図柄が描かれている。非常に高価な磁器であることが素人目にも解る。
そんな高価な容器に入れられている中身は、どれ程の価値がある物だろうか?
セバスチャンから受け取った磁器の容器をダニエル大尉に手渡した。
「これは?」
受け取ってはみたものの、いぶかるダニエル大尉。
「中身は紅茶の茶葉です」
お茶と聞いて、サーッと血の気を無くすダニエル大尉。今にも心身転倒しそうだ。
「あなたのお手前は完璧でした。名人の領域にあると言えるでしょう。軍人なんかにしておくのが勿体ないくらいです。なのに、あんな安物の茶葉を使っているのが許せません。よって、私の父であるハスクバナード王より賜りました秘蔵の茶葉を貴方に授けます」
大尉は一瞬で血の気を取り戻した。予想を超える血流量に全身の血管が狼狽えている。
頬を紅潮させ、茶器を大事に大事に抱え込んだ。
「わ、私の事を覚えていてくれたのですか……。それに、この様な高価な茶葉を……」
ダニエル大尉の目が赤い。
そんなダニエル大尉にアーシュラ様はあくまで優しく、
「私が持っていても宝の持ち腐れ。その茶葉に失礼です。貴方にのみ、それを保持する資格があるのです。私の用件はそれだけです」
ダニエル大尉のトラウマが消えた。トラウマに変わって絶大なる自信が構築された。今、大尉は自然に胸を張り、意識せず背筋を伸ばしている。
一挙動で敬礼し口元に笑みを浮かべた。アーシュラ様も笑みで返された。
ダニエル大尉は、この時の女神の笑みを終生忘れなかったという。
ロゼは、ちょっとばかり感動して目元に涙を浮かべていた。意外に感受性が高い。そして、隣にいたブレットと感動を共有したくて顔を向けた。
……ブレットは隣にいなかった。
馬のシルバの耳に、指を突っ込んでいた……。
普通、こういった動物は耳に指を入れられるのを嫌がるものだ。それを受け入れているシルバが変わっているのか、入れようとするブレットが変わっているのか……。
シルバは……目をトロンとさせていた。とても気持ち良いのだろう。
更に指をホジホジさせるブレット。シルバの口元がだらしなく開く。……天国なのだろう。……ナイスコンビである!。
鞭のようにしなるロゼのハイキックが、ブレットのこめかみに突き刺さる。
そんなほほえましい光景をアーシュラ様が困ったような顔をして眺めていた。
「出航準備! メインクルーは艦橋へ集合!」
オイスター艦長の艦内放送に、慌てて駆け出すブレットとロゼ。そして、ダニエル大尉。
アーシュラ様は、駆けていく三人の後ろ姿を見送ってから、黒檀テーブルのある自室のリビングに引き上げた。
リビングには、黒マントを羽織った中年男が向こう向きに立っていた。髪を真ん中で分け、これまた立派な口髭を生やしていた。
アーシュラ様の入室に気づき振り向く。
ファム号に巣くう学者の一人なのだろう。マントの下に白衣を着込んでいる。白衣の下の着衣はゴムの質感を持っている。危ない。
「お呼びですか? アーシュラ様」
シャハト・フェルディナンドゥ博士。医師であり、微生物学のオーソリティでもある。
実力はピカイチなのに、宗教色が強すぎてハスクバナードの学会より弾き出されたという出自。
その怪人物は、ロゼの紹介でアーシュラ様の預かり置くところとなり、今日に至っている。
「シャハト博士。三日後、次の惑星でウイルスが運び込まれます。管理体制を万全にお願いします」
シャハト博士が右目に付けている片眼鏡を怪しく光らせた。
マントを片手で払い上げ、シャハト博士は恭しく礼をする。
彼はファム・ブレィドゥー号内に数個ある実験室の一つ、バイオ関係ラボの責任者だ。
今回のようなアンチ・ピーラー・ウイルスの管理・運用に、うってつけの人物である。ファム・ラボ人材層の無意味な深さが伺えよう。
「お任せ下さい。私めのもっとも得意とする分野。きっとご期待に添う事でしょう」
一礼をし、下がるシャハト博士。
「あ、ちょっとお待ちなさい」
振り向くシャハト博士。アーシュラ様を見て、思わず左側の眉を上げた。
「博士の蔵書に『始まりの書』の原書版コピーが有りましたね? お貸しいただけませんか?」
アーシュラ様の瞳が、熱を持ったように光っている。目がうつろに輝いている。
神を持たぬハスクバナードの人にとって、宗教書とも言うべき「始まりの書」。その研究家でもあるシャハト博士の片眼鏡がキラリと光った。
「『光の恩人、アーシェイク様』の『始まりの書』ですね。すぐにお届けいたします」
再び一礼をし、大股で部屋を出るシャハト博士。
「いよいよ、約束の時が近づいたのか……」
シャハト博士のセリフは誰に向けられたもか解らない。また小声であったため、聞き取れる者はいなかった。
ロバ、賢いけれど臆病者。
牛タイプの尻尾がチャームポイント。
ロバの銀じ君は隠れたレギュラー。あ、言っちゃった!
次回23話「宇宙でアルコールを呑みました」
普通、というか、戦闘艦にアルコールは積みません。
飲んだら軍法会議です。実写版ヤ(ry




