20.宇宙軍より仕事が回ってきました
㈱ロイヤル宙運による地球領アプリア星系との定期航路が確立して、数ヶ月が経った。
ブレット達は、自分のペースで仕事を運べるまで、余裕が出てきた。
マープルが売り出したファム号ダンシング3Dデーターアプリも好調だ。ひとえに、ファム・ブレィドゥー号のお陰である。
マープル・キッドマン経理部長など、ファム号に対し足を向けて寝たことが無い。
……足を向けてくれても良いが、股を開いて寝て欲し……ゲホゲホ!
そんなある日。
昨夜から雨が激しく降り続く朝のこと。ロイヤル宙運に、一つの仕事が舞い込んだ。
依頼人は、地球政府宇宙軍提督・デリー・ボッカルド。
「いや、あの人と話す事は一切無いしー」
異口同音にブレットとロゼが申し立てる。
「シャラーップ!」
眼力で反対意見をねじ伏せるマープル経理部長。黒縁眼鏡にはめ込まれたレンズが、鈍く鋭く光り輝いている。
隅っちょの方で、肩を寄せ合い細々ながら強く生きていこうとしているブレットとロゼを睨み付けていた。
オイスター艦長は我関せずと、視線を外している。年と共に経験を積んだ歴戦の勇者が持つ処世術である。
ここは、ロイヤル宙運本社の入っている雑居ビルの一室。事務所兼、応接室に設営された安ソファーに座る面々。
アーシュラ様を含む、ファム号のメイン・クルーとネコ耳三匹が揃っていた。
この事務所は狭い。どのくらい狭いかというと、一度アーシュラ様が事務所を訪れた時、もう一部屋あると思って、トイレのドアを開けてしまった程である。
便器の存在を確認し、ビクン! と体を震わすアーシュラ様。
キャラクターに似合わないコミカルな動作。マープル女史などは、時々思い出し笑いしていた。
いったん静まり返った室内で、窓を叩く雨音だけがやけに静かに耳朶を打つ。
マープルが特注の依頼が入ったことを伝えたばかりだった。今やマープル経理部長は、ロイヤル宙運の営業方針を司っているのだ。
「構えることはないわ。ファム号の足で七日の距離にある惑星ドライアンクルまで、小荷物を届けるだけの簡単な仕事よ。その間、予約済みの仕事は軍の高速艇が肩代わりしてくれる事になってるの。無償で。きっとファム号の性能を見て、仲良くしておきたいっていう考えも入っているのよ!」
悪くない条件である。ファム号とのパイプを太くしておきたいという理由も頷ける。
運送業という仕事、信用第一である。
ボッカルドの提案は、アフターフォローも行き届いている。ようやく付きだした固定客の予約をキャンセルする必要がない。
仕事内容について、我関せずのアーシュラ様は例外であるが、オイスター艦長もロゼも断る理由を見つけられなかった。
「問題は、どんな物質を何処の陣営に属する惑星へ運ぶかって事ですね」
ブレットが極めて用心深く問題点を提示した。
創立以来、最高収益を上げつつある昨今、彼は睡眠時間を削り馬車馬のように働いている。睡眠不足と披露により、微妙にハイ状態。
そのせいか、今日はやけに精神が研ぎ澄まされている。
その質問が合図であったかのように、ドアが勢い良く開けられた。
「詳しく話そう!」
デリー・ボッカルド提督その人が立っていた。
「そこ、トイレですよ……」
開けられたのはトイレのドア。背後で派手な排水音。
ブレットの指摘などには動ぜず、提督は椅子にドッカと座った。今日は私服である。
ピンクベージュがベースでペイズリー柄の半袖開襟シャツに、杢調の茶色いスラックスが筋肉ダルマな肉体を飾る。ご丁寧に、先の尖った黒い革靴を光らせている。
趣味の悪いヤクザ……もとい、美的感覚に違和感を覚える私服姿のボッカルド提督が、話しをマープル部長から引き継いだ。
「君たちに運んでもらいたい荷物は、対ピーラー・ウイルス。受取人はケティーム帝国領の惑星ドライアンクル」
「ピーラー・ウイルスって、あの『皮裂け病』の?」
ブレットが驚くのも無理はない。人類史にとって、忌まわしい記録なのだから。
「ピーラー・ウイルス」とは、元々「ヒーラー・ウイルス」と呼ばれていた。
人類が宇宙進出しだした草創期の頃、未知のウイルス感染に対処するために開発された、万能アンチ・ウイルス・ウイルスである。
本来、人体が持つ体内微生物以外の微生物が体の中に進入した際、これを迎え撃ち、活動を弱め、ついには補食してしまう能力を持ち合わせていた。白血球の強化版とでも思っていただきたい。
「ヒーラー・ウイルス」と呼ばれていた最初の頃は良かった。おもえば、ちょうど十年目。突然変異体が発生した事が、彼の悲劇の始まりだった。
誰にも望まれず誕生した、忌まわしきウイルスである。
感染すると、約一週間の潜伏期間の後、倦怠感や頭痛といった症状を経て発症。四十度を超える発熱と、強烈な皮膚炎が特徴だ。
突然変異体は、皮膚外部に付いたバイキンまで補食対象とする種に進化したのだ。皮膚に付いたバイキンをも補食するために、内部より皮膚組織を食い破ってしまう。
発病した人は、皮膚が裂け、真皮をむき出しにし、血を流しながら死んでいく。
「ヒーラー」転じて「ピーラー」=「ジャガイモの皮むき機」と呼ばれる。別名「皮裂け病」である。
ただし、すぐに予防接種などの対抗手段が取られ押さえ込まれていった。そして、何十年も前に駆逐・絶滅宣言が出され、現在は教科書と研究施設の試験管の中にだけ、存在が確認されているウイルスである。
窓を叩く雨音だけが、狭い事務所内を支配していた。
ボッカルド提督のやけに明るい声が、重い雰囲気に幕を引いた。
「そのピーラー・ウイルスが、ドライアンクル星でなぜか大流行を起こしたのです。人工のウイルスである以上、人為的に広められた可能性が高いのですが……。ケティーム帝国が自らの管理ミス、或いは何らかの理由で感染拡大させてしまったのか、もしくはビュエル同盟国側のバイオテロなのか、現在調査中です。だが、まあ、帝国領内での事件なので大した活動はできませんがね」
軽くウインクを交えて提督が説明する。暗く壮絶な内容なのに、表現方法がかけ離れているのは気のせいか?
「確か、特効薬があったはずでは? 不治の病ではなかったと記憶していますが?」
ブレットが部屋の端っこから問いかける。興味があるのか、ロゼもブレットの肩越しに覗き込んでいる。
「あっ、解った! 絶滅宣言の出されたウイルスなんだから、ワクチンだの特効薬だのなんか作ってないんだ!」
ブレットの頭を上から押さえ、ロゼが手を挙げてしゃべり出す。
「研究所なんかに封印されていた特効薬が、今回の荷物という事ね?」
胸の前で腕を組んで、偉そうにふんぞり返るロゼ。皆に向かってではなく、ブレットに向かって胸を反らせている。
「まあ、そんなところですな。原因菌であるピーラー・ウイルスから作られるアンチ・ピーラーウイルスでのみ、皮裂け病に対処する事が出来る。バイオ兵器は禁止条約に盛り込まれているので、地球でも当のケティーム帝国でも、まともに保菌していなかったのです」
そう言ってから、ボッカルド提督は立ち上がる。そして、半袖シャツからはみ出した二の腕にグッと力を込めた。
「拾ってきたのは政府筋の情報部なんですが、被害者であるケティーム帝国の敵国指定国家であるビュエル同盟国の惑星モンティアルに、アンチ・ピーラーウイルスの蕪が良好な状態で保管されていたのですよ」
髭の下から、ニッと白い歯を出して笑う。ナイスポーズをつけながら。
「そこで、地球が間に立って、ケティーム・ビュエル両国と話を付けたのですよ。ファム号でビュエル領内モンティアルまで行って、アンチ・ピーラーウイルスを受け取っていただく。その足でケティーム領ドライアンクルに飛んで、アンチ・ピーラーウイルス接種を行ってきて頂きたいのです」
ボッカルド提督の話は、外の雨のように長々と続いていく。
明記してませんが、ロイヤル宙運(株)本社の地域は雨期、または梅雨に入っています。
ネコ耳族は雨が嫌いです。
次回21話「宇宙船に庭があってもいいじゃないか」
さて、話の本筋が動き出しました。




