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『勇者リリアと魔王のフィアンセ』Eden Force StoriesⅣ(第四部)  作者: 瀬尾 碧


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『第一話・7 : 仮面の崩落』


胸に溜まっていた息だけが、行き場を失う。

残されたのは、抗う余地すら許さぬ“圧”だけ。


そして──


その矛先を真正面から向けられた仮面の兵士は、

理由を理解する前に、存在そのものが軋む感覚に耐えきれず、わずかに身を震わせた。


──ぴしり。


仮面に、蜘蛛の巣のような亀裂が走る。


──ぱきり。


乾いた音とともに、仮面は砕け落ちた。

氷の破片のように散ったそれは霧に呑まれ、

白い粉雪と見紛うほど静かに、音もなく消えていく。


その瞬間、空気そのものが沈み込んだ。

冷気が“流れ込む”のではない。

重力を持った圧として、胸腔を内側から押し潰してくる。


露わになった顔は、たしかにリリアの面影をなぞっていた。

輪郭。

目鼻の配置。

かつて記憶に刻まれた、あの線。


だが──

そこに、笑みはない。

温もりも、呼吸の気配もない。


淡く光を宿していたはずのピンクの髪は、すべてを拒絶するように、深い漆黒へと塗り替えられていた。

無機質な瞳は何も映さず、ただ“そこに在る”だけで、周囲を従属させる冷ややかな支配を放っている。


似ている。

だが──

決して、同じではない。


その違和感は、言葉になる前に理解として突き刺さり、見る者の胸を、ためらいなく切り裂いた。

それはもはや「別人」という認識ではなかった。


“かつてリリアだったもの”が、

まったく異なる原理で立っているという事実。

その冷刃だけが、霧氷の谷に、確かに残された。


「な、なんやこれ……。

見た目だけ勇者で、中身別物とか……

それ、一番アカンやつやろ……!」


ブッくんの叫びは、冗談になりきる前に、凍った谷に呑み込まれていった。


だが、兵士たちはざわめきながら、口々に声を漏らす。


「……リリア様……?」

「いや、姿は……けれど……」


言葉は最後まで届かず、互いの喉で途切れていく。

その曖昧さがざわめきを生み、ざわめきはやがて恐怖へと変質した。

呼吸の乱れが連鎖し、集団そのものが不安に侵食されていく。


ワン太が“ぽふっ”と跳ね、毛を逆立てて前足を突き出す。

小さな身体が示したその仕草には、迷いも疑いもなかった。


(これ……リリア、ちゃう……)


ブッくんも負けじと頁をばさばさ震わせ、レオに向かって絶叫する。


「おいレオ! こいつはリリアちゃうぞ! ページの隅っこ見りゃわかるくらい別人や!

お前みたいな魔力モリモリのやつが、そんなこともわからんのかい!!」


ブッくんの絶叫を受けて、レオは一拍置いて声をあげた。


「フハ……ハハハ……!」


谷に響く笑いは冷気よりも残酷だった。


「よくぞ吠えたな。

──紙屑風情が。

だが、それでもあれは余の花嫁だ」


レオが漆黒の剣を抜き、ブッくんへと突きつける。

その切っ先に宿る魔力は、触れる以前に、死だけが先に確定する――そんな濃度だった。


ブッくんは、頁を震わせ、死を覚悟した――


「ひっ……!」


情けないほど短い声が、谷に零れた――その瞬間。


ちりん、と。


場違いなほど澄んだ音が、谷に落ちた。

それは剣の衝突でも、氷の割れる音でもない。

まるで“許し”を告げる鈴の音だった。


――黒と蒼に塗り潰された霧氷の谷へ、一筋の黄金が、無理やり“指を突っ込むように”割って入った。


次の瞬間、レオの放つ漆黒の魔力と、黄金の奔流が真っ向から激突する。

爆ぜるような魔力の火花が谷を焼き、周囲の氷柱が一斉に弾け飛んだ。

兵士たちは悲鳴を上げる間もなく、視界そのものを焼かれるような輝きに叩き伏せられ、大地に這いつくばる。


それはもはや光ではない。

触れれば砕かれると直感させる、形を持った「重圧」だった。


谷に満ちていた圧が、ほんの一瞬だけ、息を潜める。

支配ではない。譲歩でもない。

――その沈黙に、別の魔力が、世界の骨組みを押し広げるように重なっていった。


凍りついた大地を裂き、黄金の魔法陣が顕れた。

それは“発動”というより、

「そこに在るべき秩序が、遅れて姿を現した」かのようだった。


幾重にも重なる紋様は太陽の冠のように回転し、氷と霧、そして瘴気さえも押し退けていく。

谷を覆っていた闇は後退し、夜そのものが、黄金によって書き換えられていった。


冷気すら退き、兵士たちの影が黄金に照らされ浮かび上がる。

その揺らめく影は、救いを待つ群衆にも、裁きを受ける罪人にも見えた。


その場にいた誰もが、次に息を吸っていいのかを、世界に問いかけるしかなかった。

声は失われ、時間だけが凍りつく。

その光は祝福のようでありながら、同時に逃れられぬ審判として、胸の奥を縫いつけた。


やがて、魔法陣の中心でまばゆい輝きが人のかたちを結び始めた。

しかし光はなお強すぎて、誰の目にも輪郭しか映らない。


──それを救世と呼ぶか、終焉と呼ぶか。

世界はまだ、選びあぐねていた。


黄金の光だけが、谷を支配していた。

世界の判断を、先送りにしたまま。

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