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『勇者リリアと魔王のフィアンセ』Eden Force StoriesⅣ(第四部)  作者: 瀬尾 碧


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『第一話・5 : 戦場バラエティと白き霧』

湖畔に残されたのは、戦いの余韻と疲弊だけだった。

傷だらけの兵士たちは甲冑を支えきれず、列を組むどころか震える足を前に出すことすら難しい。


ブッくんは頁の端を破られ、よれよれになりながら呻いた。


「ワ、ワイもう……ただの紙くずやでぇ……」


「情けない。――この程度で怯むなら、すぐにでも帰りなさい。行くわよ!」


セラフィーの声が、凍てつく風より鋭く響いた。


だが、その後の道のりはさらに混沌を極めた。

血と鉄の臭気を孕んだ湿った風が吹き、ぬかるんだ湖畔は黒泥を湛えていた。

一人の兵士が足を取られ、甲冑ごと泥に沈み込み、必死に手を伸ばす。


「助けてくれぇぇ! 鎧が重すぎて沈没寸前や!」

「お前は船か! いや、“沈む前に自力で立てや!”」


ブッくんがツッコミを飛ばしながら、頁で泥をばっさばっさ掻き散らす。


さらに別の兵は慌てて剣を抜こうとして鞘ごと泥に落とし、拾おうとして自分も転倒。

それにぶつかった仲間が「ぎゃっ」と悲鳴を上げ、二人まとめて再沈没。


「お前ら護衛やろ!? 何してんねん! “戦場のバラエティ番組”か!」


ブッくんの絶叫が湖畔に響き、セラフィーは、胸に広がる嫌な予感を押し殺すように、額を強く押さえ、深く息を吐いた。


その混乱を見かねて、ワン太が“ぽふん”と前へ跳ねる。

滑って泥に顔面から突っ込んだ兵士の頭に乗り、ちょこんと尻尾を振った。

その仕草は「落ち着け」と言わんばかりで、混乱の中に一瞬の笑いが広がった。


──だが、笑いは長く続かなかった。

やがて黒泥は凍りつき、靴底が軋む音が響く。


「うぅ、靴が氷に貼りついて動かん!」

「ぎゃっ、鎧の隙間に氷が……冷たっ!」


隊列はドタバタの見本市と化した。


それでも進むにつれ、森はやがて白に閉ざされていく。砕けた氷片がぱらぱらと落ちるたび、笑い声も悲鳴も凍りついていった。


白一色の道。

湿気を孕んだ鉄臭さも、血の匂いも、すべて雪と霧に呑まれていく。

残ったのは、冷たい息遣いと、張りつめた沈黙だけ。


こうして彼らはようやく──霧氷の谷の入口へと辿り着いたのだった。


谷の入口を越えた途端、空気が変わった。

白霧が渦を巻き、吐く息すらすぐに視界を遮る。

氷柱が牙のように突き出し、わずかな音も反響して返ってきた。


「ひぃぃ……! 声が勝手に三重唱なっとるぅぅ!」


ブッくんがびくついて叫ぶと、甲冑の兵も思わず背を丸める。


しかし災難は続く。


「わっ、槍の穂先が氷に刺さって抜けん!」

「うぎゃっ、マントが氷柱にひっかかって首が絞まるぅ!」

「お、おれの尻が氷に貼りついて……離れん! たすけっ!」


次々と情けない悲鳴があがり、列はさらにぐしゃぐしゃに乱れた。


転んだ兵が氷柱に頭から突っ込みかけた瞬間、ワン太が“ぽふん”と飛び出し、ふわふわの体で衝撃を吸収する。


「ぬいぐるみに命を救われるとは……」


兵士が蒼白になって呟く。


「ワン太の方が護衛しとるやんけ!」


ブッくんが即座にツッコミを飛ばし、セラフィーは苛立ちを紛らわすように深く息を吐いた。


だが笑いはすぐ凍りつく。

霧の奥から「……きし……ぎし……」と、氷が軋むような耳障りな音が響いてきたのだ。

誰もが息を呑み、足を止める。


セラフィーは剣を握り直し、低く呟いた。


「……気を抜かないで。ここからが、本当の霧氷の谷よ」


足元の雪は深さを増し、靴が沈むたびに冷たい水が甲冑の隙間へと忍び込む。

兵士たちの震えは寒さだけではなかった。


──そして。

その氷壁の裂け目に、淡い蒼光が瞬いた。

不自然なほど澄んだ光。まるで人の手で置かれた目印のように。


「……っ!」


セラフィーは瞳を奪われるように駆け寄る。

セラフィーの目にだけ、淡い蒼光が映った。

兵士たちは首を傾げ、ただ白霧を見つめている。


「……見えるのは、私だけ……?」


セラフィーが震える手でその場所を指し示した。兵士たちが恐る恐る目を凝らすと、彼女の指先に導かれるように、白霧の奥からようやく微かな蒼い輪郭が浮かび上がった。


氷壁の裂け目に、ひっそりと、淡い蒼光を宿した草花が揺れていた。

霧氷の谷にしか存在しないと伝わる幻の薬草──蒼梢の雫草。


「……あった……! 本当に……」


吐息が震える。

その光は、セラフィーの瞳を蒼く染め上げた。だが、指を伸ばしかけた彼女の頬を、氷の刃のような鋭い殺気がかすめる。


ふと振り返れば、仮面の兵士だけが薬草に背を向け、霧の深淵を睨みつけていた。歓喜に沸く兵士たちの声が、彼の沈黙に吸い込まれて消えていく。

足元のワン太が、初めて聞いたような低い唸り声を漏らした。


見上げる蒼い輝きは、もはや救いには見えなかった。それは手にする者に相応の代償を求める、冷徹な静謐さを湛えた「罠」のようでもあった。


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