表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『勇者リリアと魔王のフィアンセ』Eden Force StoriesⅣ(第四部)  作者: 瀬尾 碧


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/12

『第一話・4 : 静寂の水面下で息づくもの』

湖畔に静けさが戻ったかに見えた、その瞬間だった。

水面が低く震え、黒い波紋がじわりと広がる。

砕けたはずの鎖の断片が、なお瘴気を帯びて蠢き始めた。


「な、なんや!? まだ生きとるやないか!」


ブッくんが頁をばたつかせて叫ぶ。


次の瞬間、湖底から黒い触手が伸び、崩れた残骸を絡め取った。

瘴気が渦を巻き、不完全な亡骸が再び立ち上がろうとしていた。


「来る……!」


セラフィーは剣を握り直し、歯を食いしばった。


その時だった。

列をすり抜ける影。

仮面の兵が音もなく踏み込み、異様な速さで触手に剣を突き立てる。

一瞬、瘴気が裂け、亡骸の動きが止まった。


「……っ!」


セラフィーは息を呑む。

他の兵とはまるで違う、鋭すぎる剣筋。

だが仮面の兵は言葉ひとつ発さず、ただ瘴気を見下ろしていた。


(……やはり。この兵、何者……? “ただの近衛”ではない)


不気味な沈黙を纏ったまま、仮面の兵はすっと隊列へ戻っていく。

仲間の混乱など意にも介さず、ただ一撃だけを残して。


セラフィーの胸に冷たいざわめきが広がる。

その不安を振り払うように、彼女は再び剣を握り直した。


湖面を割って立ち上がったのは、もはや魔獣ではなく“瘴気そのもの”に形を与えられた亡骸だった。

肉は剥がれ、骨は黒氷に覆われ、赤黒い光だけが空洞の眼窩に燃えている。


「リリアはんが斃したはずやのに……! なんでまた動くねんっ!」


ブッくんが絶叫する。


「……魂の一部が、鎖に繋ぎ止められていたのね」


セラフィーは低く呟き、前へ踏み込んだ。

風が白銀の髪をはためかせる。


黒い瘴気の触手は次々と湖面から這い出し、切っても切っても数を増すばかりだった。


「待て、列を崩すな!」

「無理や! こんなん勝てるかい!」


慌てて叫ぶ声が重なり、列はさらに乱れるばかり。

誰もが恐怖に飲まれ、護衛どころか足手まといにしかなっていなかった。


「お前ら護衛ちゃうやろ!!」


ブッくんが絶叫し、頁をばっさばっさ広げて瘴気の触手をはたき飛ばす。


瘴気の触手が幾重にも重なって兵士たちへ襲いかかる。

誰もが盾を捨てて逃げ腰になる中、ワン太が“ぽふん”と前へ飛び出した。


触手がぶつかる──その瞬間。

ふわふわの毛並みがまるで神鉄の壁のように硬質な音を立て、全ての衝撃を吸収した。


「な、なんや!? もふもふクッションやのに岩盤以上やんけ!!」


ブッくんが目をひん剥いて叫ぶ。


触手はワン太にめり込みながらも砕け、黒い瘴気の霧となって散った。

ワン太自身は、ちょこんと座り、首を傾げているだけ。

その無言の立ち姿が、むしろ兵士たちの心を奮い立たせる。


「くっ……俺たちも逃げてばかりじゃ……!」


無言の壁となったワン太は、ただその存在で隊列をつなぎ止めていた。


「ワイも戦うでぇぇッ!!」


ブッくんが頁をばっさぁぁ広げ、瘴気に向かって紙吹雪のように魔力を放った。


「必殺・紙烈旋風乱舞ブック・テンペスト!!!」


白い紙片が竜巻のように舞い、触手の一本を吹き散らした。

……だが直後、別の触手にぐるぐる巻きにされてしまう。


「ぎゃああ!! 紙やから破ける! 燃える! 溶ける!! 三重苦やんけええ!!」


「退いて!! ここは私が──!」

セラフィーの声が鋭く響く。


湖面を照らす光に、その瞳が決意を宿す。


セラフィーは剣を構えながら、目を細めた。

(……違う。瘴気は無限に湧くわけじゃない。源は……)


視線を湖の中央へと走らせる。

崩れた巨躯の胸部。そこに黒い文様が脈打ち、瘴気の波が放射状に広がっていた。


「……見つけた。あれが核……!」


剣を掲げ、静かに詠唱を紡ぎ始める。

低く、しかし澄んだ声が瘴気のうねりを切り裂くように響いた。


「──理を束ねる光よ、

 闇に沈む魂を穿ち、真なる形を映し出せ。

 我が刃はその証。今ここに顕現せよ──!」


剣身が白銀の輝きを帯び、周囲の瘴気を吸い込むように震える。


「おおっ……きたきた! セラフィーの奥義ターンや!!」


ブッくんが触手に締め上げられながら、なぜか解説を始める。

セラフィーは跳躍し、輝きを纏った剣を振り下ろした。


黒い触手が幾重にも襲いかかる。

だが、光に包まれた剣が軌跡を描くたび、瘴気は砕け散り、湖面に霧散していく。


「──エラリオン《断罪の輝弧》ッ!」


閃光が放たれ、胸部の核を直撃した。

轟音と共に瘴気が一気に引き裂かれ、デモリオンの残骸が崩れ落ちる。


そして、静寂。

湖面からは、魔力の余熱に焼かれた水が白い湯気となって立ち上り、周囲を真っ白に染め上げた。焦げた泥の匂いと、大気が焼かれた特有の鋭い香りが鼻を突く。


セラフィーは剣を下ろし、深く息を吐いた。

波紋が静まり、兵士たちはようやく、甲冑の重さを思い出した。


「……た、倒した……のか?」

「おれ……さっき転んでなかったら死んでたわ……。……いや、こんなん護衛失格や……」


次々に歓声と情けない声が上がり、乱れた隊列がようやく息を吹き返したかに見えた。


「お前ら護衛ちゃうやろ!! “災害の二次被害者”やんけ!!」


ブッくんの絶叫が場を叩き割り、笑いとも悲鳴ともつかぬ声が広がる。

だが、その喧騒の中で、ただ一人──仮面の兵士だけが動かなかった。


セラフィーの剣さばきを見届けるかのように、無言のまま微動だにせず立ち尽くしている。

黒い仮面の奥で、わずかに目が細められたのをセラフィーは見逃さなかった。


(……あの視線。賞賛でも畏怖でもない。まるで、観察している……?)


剣を握る手に力がこもる。

勝利の余韻を分かち合うはずの場で、ただ一人の沈黙は異様すぎた。


その仕草に、セラフィーの胸に寒気が走る。

(……ただの兵士じゃない。何かを隠している)

──そんな気がした。


湖を渡る風が吹き抜けた刹那、仮面の下で、何かが小さく、しかし鋭く嗤った気がした。

嗤ったのか、それとも──。


ただその瞬間、セラフィーの背筋を氷刃のような冷気が走り抜けた。

胸の奥で鼓動がひときわ強く跳ね、呼吸が一瞬途切れる。


――嫌な予感。

……残ったのは、理由のない違和感だけ。

それは影となり、なお彼女の奥底に沈み込み──静寂の水面下で、ひそやかに息づいていた。

その張り詰めた緊張の糸を解いたのは、足元からの“ぷるぷるっ!”という激しい音だった。


見れば、湖に飛び込んで全身泥だらけになったワン太が、懸命に体を震わせて水を飛ばしている。重くなった毛並みのせいで、いつもの倍くらいに膨らんで見えるその姿に、セラフィーの頬がわずかに緩んだ。


「……こっちにおいで、ワン太。冷えてしまうわ」


セラフィーは膝をつくと、指先から柔らかな温風を放つ魔法を紡いだ。黄金色の光がワン太を包み込むと、湿った毛並みがふわりと魔法の熱で乾いていく。


その横から、ぬるりとした気配が割り込んだ。


「……サンキューや、セラフィーはん。ついでにワイも頼むわ。触手の粘液で頁がベタベタで開かへんのや……」


「あなたは自分で何とかしなさい。……ほら、行くわよ」


ブックの顔をチラッと見てから、乾いてふわふわに戻ったワン太の頭を、セラフィーは一度だけ、優しく撫でた。

そして立ち上がった。


遠くに見える霧氷の谷。

仮面の兵士が放つ不穏な影は、なおも彼女の意識の端を刺し続けている。


だが、手のひらに残ったワン太の温もりが、セラフィーの心をわずかに繋ぎ止めていた。

湖を渡る風が、白い湯気を霧氷の谷の方へと押し流していく。


一行は再び歩み出した。

一歩ごとに靴底に響く石の感触が、これから始まる「死の行軍」の始まりを告げていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ