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『勇者リリアと魔王のフィアンセ』Eden Force StoriesⅣ(第四部)  作者: 瀬尾 碧


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『第三話・1 勇者、戦場を書き換える』

──轟音と共に闇と光が激突し、大地ごと震わせた。

凍りついていた谷の空気が、悲鳴のようにひび割れる。

次の瞬間、谷に満ちていた魔力の流れが、不自然な静止を見せた。

世界そのものが、一拍だけ呼吸を忘れたみたいに。

その只中から、まばゆい人影がゆっくりと姿を結んでいく。


「……っ、ここは……」


瞼を上げた瞬間、目の前に広がっていたのは切り立った岩壁に囲まれた谷だった。

凍りついた地面の上、仲間たちが剣を握りしめ、黒い霧を纏う青年――魔王の息子レオと対峙している。


「リリア……!」


セラフィーの声が震え、仲間たちの視線が一斉にこちらへ向いた。


颯太は息を吸い込んだ。

肺を満たす空気は、あの脂臭い四畳半の泥とは違う。精霊の魔力が混じった、どこまでも澄んだ、だが死の香りが混じる戦場の冷気。

その一息だけで、鈍っていた神経が焼き直されるように研ぎ澄まされていく。


胸の奥にはまだ現実を棄てた痛みが残っている。だが、それ以上に――

仲間の目に映る「勇者リリア」としての自分が、確かにここに立っていた。


「リリア……本当に……あなたなの……?」


セラフィーの剣先が震え、張り詰めていた瞳にかすかな光が宿る。

一歩、踏み出しかけて――彼女は、壊れ物に触れるみたいにその足を止めた。


兵士たちも次々と声を上げた。


「よ、よかった……もう駄目かと思いました……!」

「勇者さま……! 神は見捨ててなかった!」


その声に颯太は胸を詰まらせた。

あの世界を切り離した感触だけが、今も指先に残っていた。

だが、この瞬間だけは――

自分がここに立つ意味が、確かにあると感じられた。


「……遅れて、ごめん」


声は震えていた。それでも、仲間に届くように言葉を吐き出す。


「……でも、どうして……」


セラフィーが息を震わせ、剣を握る手を強く握り直した。


「あなた、あの時……意識を失って……もう目を開けないかもしれないって……」


仲間たちの瞳が、驚きと祈りを込めてリリアに向けられる。

誰もが「なぜ再び立ち上がれたのか」と問うていた。


リリア――颯太は小さく息を吐き、仲間たちを見渡す。


「……わたしには、この世界で……必要としてくれる人たちがいる。

その声が、わたしを……呼び戻してくれたの。」


「わたし」という一人称を口にするたび、脳内の「颯太」が奇妙な居心地の悪さに身悶えする。

舌の裏側がむず痒くなるような違和感。

だが、その違和感ごと、リリアとしての覚悟で押し潰した。


「それに、忘れたの? ――この世界で誰よりも『死』から遠い場所にいるのは、わたし。たかが魔族に、この命を終わらせる権利なんてないわ。」


言葉と同時に、リリアの足元の霜が、音もなくぱきりと砕けた。

抑えているはずの魔力が、呼吸に合わせて谷の空気をわずかに軋ませる。


レベル999。

この世界の理そのものに食い込む存在圧が、リリアの四肢を静かに満たし――

その余剰が、抑えきれず外界へ滲み始めていた。


――その圧に、最前列にいた兵士の一人が、無意識に半歩後ずさる。


黒い霧の向こうで、レオの瞳がわずかに細められた。


仲間たちの瞳に映っているのは、紛れもない勇者リリアだった。

颯太はその重みから、もう逃げられないと悟った。

いや、逃げないと誓った。


セラフィーの唇が、かすかに震える。


「……リリア……」


次の瞬間、彼女の喉が小さく鳴った。

張り詰めていたものが、ようやくほどけていく。

谷を支配していた緊張が、音もなく軋み始めていた。


静かに紡がれた声が、セラフィーの瞳を揺らした。


「……リリア、ほんとうに……」


その瞬間、彼女の頬に熱い雫がこぼれた。

冷たい氷霧の中で輝くその涙は、

絶望ではなく――

再び勇者を得た安堵の、確かな証だった。

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