役立たずの王宮事務官と追放された私ですが、実は国家予算の9割を管理していました~なんか隣国のイケメン王子に拾われたんだけど!?〜
【前書き】
役立たずと呼ばれて王宮を追放された事務官が、実は国家財政を支えていた――そんなお話です。
王宮では誰にも評価されなかった主人公が、別の国でその能力を認められる王道の追放ものを書いてみました。
短編なので気軽に読んでいただけたら嬉しいです!
王宮の財務室は、今日も紙の匂いで満ちていた。高い天井まで届く書棚には革装丁の帳簿がぎっしりと並び、窓から差し込む午後の光が机の上の書類の山を白く照らしている。カリ、カリ、と静かな音が響く。ペン先が紙の上を滑る音だ。
「……これで騎士団第三隊の遠征費も調整完了っと」
私は小さく呟き、帳簿の端に数字を書き込んだ。合計金額を確認する。誤差はゼロ。問題なし。そのまま隣の書類に手を伸ばす。王宮の財務は毎日が戦争だ。騎士団の遠征費、各地の領主への補助金、外交使節の接待費、城の維持費、魔術研究所の予算。それらすべての帳簿がこの部屋に集まり、その大半を処理しているのが私だった。
やっぱり事務はサイコーだな!騎士みたく直射日光の差す場所で訓練とか、普通の令嬢みたくお茶会とかムリムリ!
「リリア、まだ終わっていないのか?」
突然、扉が乱暴に開いた。顔を上げると財務室の同僚の文官が立っている。彼は呆れたように振る舞う。
「ごめんごめん、事務という素晴らしい職にただ感謝の御礼を……」
「また訳の分からない。もう定時は過ぎてんだぞ。」
「うん。でも仕方ないんだよ」
「今日中にまとめないと、明日の会議に間に合わないから」
私は淡々と答え、再び帳簿へ視線を落とした。すると彼は苦笑する。
「相変わらず真面目だな」
そして、ぼそりと付け加えた。
「まあ……どうせ誰も見ていない仕事だけどな」
その言葉にため息をつく。レグナート王国の事務官。それが私の役職だ。十三になる歳からずっと続けてきた。だが実際には、誰もこの仕事の価値を理解していない。王宮で評価されるのは騎士や魔術師のような華やかな職業ばかりだ。書類に向かい続ける事務官など、ただの雑用係としか思われていない。とくに私は、その中でもさらに影が薄い。
理由は簡単だ。
私は――「役立たずの王太子妃候補」
と呼ばれているからだ。
王太子殿下の婚約者でありながら、魔力も政治的な派閥も持たない地味な伯爵令嬢。社交の場に出るのは苦手でほとんど優しい父上と母上も数年前の外交パーティーでの私を見て『 言葉遣いはなおした方がいいかもね〜』と言っていた。それが私、リリア・エルドレインだ。でも役立たずは言い過ぎだと思う!伯爵令嬢なんだけど、私!
財務室の窓の外では騎士団の訓練の掛け声が響いている。剣がぶつかり合う音、歓声、拍手。誰もここを見ない。誰も知らない。この国の予算の大半が、今まさにこの机の上で動いていることを。
そのときだった。廊下の奥から重々しい足音が近づいてくる。ドン、と扉が開いた。そこに立っていたのは豪奢なマントを羽織った金髪の青年。この国の次期国王、王太子レオンハルト殿下で私の婚約者その人だ。そしてその隣には見覚えのない美しい令嬢が寄り添っている。嫌な予感がするな。
「リリア」
レオンハルト殿下は冷たい目で私を見下ろす。
一応は婚約者なんだけど。
「少し時間をもらおう」
その声には、いつもの感情の薄さではなく、どこか決定的な響きがあった。
「お呼びでしょうか、殿下」
私は机の前で静かに頭を下げた。
なんの用だろうか。今までに婚約者として扱われたこともないしな。王太子レオンハルトはしばらく無言でいたが、やがて口を開いた。
「リリア・エルドレイン。君に話がある」
その声は氷のように冷たかった。隣に立つ令嬢が私を見て小さく笑う。長い金髪に華やかなドレス。王都でも名高い美貌の持ち主だ。確か、公爵家の令嬢セシリア・ローゼンベルクと言ったかな。最近殿下が頻繁に連れて歩いているという噂は聞いていた。
「単刀直入に言おう」
レオンハルトは腕を組み、はっきりと言った。
「君との婚約を破棄する」
マジですか…まさか婚約破棄とは。父上と母上、ゴメン。
財務室の空気が静まり返る。廊下から聞こえていた兵士の足音すら遠くに消えたように感じる。
「理由を伺ってもよろしいでしょうか」
「簡単なことだ。君は王太子妃として相応しくない」
隣のセシリア令嬢がくすくすと笑う。
「だってそうでしょう?リリア様は地味ですもの」
「魔力も低い、社交界にも顔を出さない、政治的な後ろ盾も弱い」
「王妃になるには、あまりにも華がありませんわ」
その言葉に、何も言い返す気にはならない。事実だからだ。私は社交界が得意ではない。舞踏会より帳簿の前にいる時間のほうが長い。ドレスより書類のほうが扱い慣れている。
「代わりに、セシリア嬢と婚約する」
セシリア令嬢は嬉しそうに殿下の腕に手を絡めた。
「ありがとうございます、殿下」
元と言えども先程まで婚約者だった私に見せる行動かそれは。しかし、まあその光景を見ても、不思議と心は静かだった。悲しいというより、どこか納得している自分がいる。
「それで」
レオンハルトは机の上の帳簿をちらりと見て、眉をひそめた。
「君は王宮を去ってもらう」
「……王宮を?」
「そうだ。婚約者でなくなった以上、ここにいる理由はない」
セシリア令嬢が口元を隠して笑う。
「そもそも事務官なんて、いくらでも代わりがいるでしょう?」
「こんな地味な仕事、誰でもできますもの」
私は視線を帳簿へ落とした。机の上には、まだ整理途中の書類が山のように積まれている。騎士団の遠征費、魔術研究所の設備費、地方領の復興補助金、そして王国全体の年間予算。そのほとんどがこの部屋を通って動く。
はぁ……しょうがないか。多分この人達も分かってないんだろうな。私が何をしてきたか。
「……分かりました」
「ずいぶんあっさりしているな」
「殿下のご決定ですので」
私は帳簿を閉じた。後任の人……ガンバレ、本当に。
「本日中に引き継ぎ資料をまとめます」
「明日には王宮を出ましょう」
「まあ、本当に聞き分けのいいこと」
レオンハルトは興味を失ったように背を向けた。
「では決まりだ」
「明日までに王宮を去れ」
二人の足音が廊下の奥へ消えていく。扉が閉まると、財務室は再び静かになった。
ゆっくりと椅子に座り直す。そして机の上の帳簿を見つめた。
……引き継ぎ資料、か。
「無理だな、これは」
この王国の予算管理は、表向きの帳簿だけでは動かない。各省庁の裏予算、領地ごとの特別調整、外交資金の隠し枠。十年以上かけて私が整えた仕組みだ。理解するには少なくとも数年は必要だろう。
それでも、何も言わなかった。窓の外では夕日が王城を赤く染めている。明日、この城を出る。そしたらきっと――この国レグナートの歯車は、ゆっくりと狂い始めてしまうだろうけど。
◇
翌朝。私は小さな革の鞄を一つだけ持って王宮の門の前に立っていた。荷物はほとんどない。衣服が数着と古い帳簿、それから筆記用具。これだけしかなくて逆に良かった。事務仕事しかしてきてない私には重い荷物を運ぶとか出来ないし。
王宮の巨大な門は相変わらず威圧的にそびえている。ここで十年働いた。それでも、不思議と未練はなかった。父上と母上は無事でいられるように手配したしね。
「リリア」
後ろから声がした。振り向くと、財務室の同僚の文官が立っている。
「どうしたの?」
「本当に行くのか」
「もちろん」
私は最大限の笑顔を向ける。
「もう用済みらしいからね」
彼は困ったような顔をする。
「でも……予算管理はどうするんだ?」
「引き継ぎ資料はちゃんと置いてきたよ」
「いや、そういう問題じゃ……」
彼は言葉を飲み込み、小さく呟いた。
「……この国、間違いなく大変なことになるぞ」
頑張って、我が同胞よ。
門番が重い門を開く。ギィ、と鈍い音が響く。
振り返ると王城の高い塔が朝日に照らされている。それが最後だった。私はそのままレグナートを後にする。
◇
三日後。王宮の財務室では怒号が飛び交っていた。机の上には書類の山。帳簿がいくつも開かれ、床にまで紙が散らばっている。
「おい!この帳簿はどういうことだ!」
机を叩いたのは王太子レオンハルトだった。財務官が青ざめた顔で震えている。
「も、申し訳ございません……!」
「申し訳ないで済む問題か!」
レオンハルトは机の上の帳簿を掴み上げた。
「騎士団第三隊の遠征費が停止している!」
「地方領への補助金も送られていない!」
「魔術研究所の予算も凍結されているではないか!」
財務官は必死に帳簿をめくる。
「す、数字は合っているんです!」
「合っているだと?」
「は、はい……!帳簿の計算も、収支も、すべて一致しています!」
「ですが……資金が動かないのです!」
部屋が静まり返った。文官たちが顔を見合わせる。
「資金が……動かない?」
レオンハルトが低い声で言う。
「どういう意味だ」
財務官は震える手で帳簿の最後のページを開いた。
そこには、最終承認欄があった。
最終承認者
リリア・エルドレイン
認証番号:A-19
暗号帳簿参照
レオンハルトは眉をひそめる。
「承認者を変えればいいだけだろう」
財務官の顔がさらに青くなる。
「それが……出来ないのです」
「何?」
文官の一人が恐る恐る口を開いた。
「十年前の財政改革を覚えておられますか」
レオンハルトは苛立たしげに答える。
「ああ。国庫の赤字を立て直したという話だろう」
「はい」
文官は帳簿を指差した。
「その改革を行ったのがリリア様です」
「王国の予算配分は、そのとき全て作り直されました」
「作り直された?」
「はい。収穫量、魔石価格、軍費、輸送費、各領地の税収……」
「すべてを計算し、予算を自動調整する仕組みです」
レオンハルトは顔をしかめる。
「それがどうした」
財務官が震える声で続けた。
「その計算式が……暗号帳簿に記録されているのです」
「暗号?」
「はい。各省庁の裏予算、外交資金、緊急備蓄金」
「すべて暗号化されています」
「解読できるのは――」
財務官は言葉を止めた。
誰もが分かっていたからだ。
レオンハルトが低く呟く。
「……リリアだけ、ということか」
誰も否定しなかった。王国の予算配分。
各省庁の資金調整。地方領への補助金。
そのすべてが、リリアの作った仕組みで動いていた。
そして、その仕組みの鍵は――
リリア本人しか持っていない。
レオンハルトの顔から血の気が引いた。
「……そんな馬鹿な」
文官の一人が小さく言う。
「王国の予算の大半は」
「リリア様の承認と計算式を通さないと動きません」
部屋が静まり返った。
レオンハルトは机に手をつく。
「今すぐ呼び戻せ」
兵士が駆け込んでくる。
「申し上げます!」
「リリア様はすでに王都を出発しております!」
「追跡しろ!」
「それが……」
兵士は青ざめた顔で言った。
「どこへ向かったのかの記録がありません」
財務室に重い沈黙が落ちた。
王国の財政は、今この瞬間にも止まり続けている。
騎士団は動けない。領地は資金を受け取れない。
研究所は魔石を買えない。王国の歯車が、ゆっくりと止まり始めていた。レオンハルトは拳を握りしめた。
「……たかが事務官一人で」
だが誰も、その言葉に同意しなかった。全員が知ってしまったのだ。
王国の財政は――
たった一人の「役立たず」に支えられていたことを ◇
その頃。王都から遠く離れた街道を、静かに歩く者がいた。小さな革の鞄を肩にかけ、ゆっくりとした足取りで進んでいる。
リリア・エルドレイン。
ふふ。かつてレグナートの財務を支えていた女の名だ。
王都の喧騒はもう遠い。周囲には広い草原と、どこまでも続く街道があるだけだ。
「……さて」
「これからどうしようかな」
正直事務以外出来ることないんだよな……
王宮を出たことに後悔はない。むしろ馬鹿らしかったと思うくらいだ。十年間、レグナート王国の財政を支え続けた。だがその仕事が評価されることは一度もなかった。
だからもういい。
そう思った、そのときだった。
後方から馬の蹄の音が聞こえてきた。振り向くと、一台の豪華な馬車が街道を走ってくる。王族か、それに近い身分の者の馬車だ。
馬車は目の前でゆっくりと止まった。扉が開く。そこから降りてきたのは、一人の青年だった。黒髪に落ち着いた瞳。上質だが派手すぎない衣装を身につけている。青年はまっすぐ見つめてくる。なんだこの美貌は…マブシッ
「リリア・エルドレイン、探しましたよ」
なんでこの人私のこと知ってるんだ?でもなんか見た事ある気が……
「ええと……もしかして」
青年は穏やかに微笑む。
「私は隣国アルディナ王国の第一王子、エドヴァルドと申します」
「突然ですが」
「あなたを迎えに来ました」
数秒、言葉を失う。
「迎えに……?」
「はい」
エドヴァルドは穏やかな声で言う。
「私は、あなたの仕事をよく知っています」
「王宮の財政を十年間支え続けた王宮事務官」
「国家予算の大半を管理していた人物」
「そして今日、追放された女性」
どういうことだ?
「……情報が早いですね」
王宮を出てまだ半日も経っていない。流石に早くないか?エドヴァルドは小さく笑った。
「財政というものは、国境を越えて影響します」
「あなたが王宮を去った瞬間、レグナート王国の市場が揺れ始めました」
「商人は敏感ですから」
「ちょうど、私がレグナートにいたということもありますが」
「それで、王子殿下がわざわざ私を?」
王子自らって貴賓扱い的なやつじゃん!そんなに大した女でないことは自負してるぞ、私!
「はい」
「我が国に来ていただきたい」
「あなたを、国家財務官として迎えたいのです」
風が草原を大きく揺らした。
リリアはゆっくりと息を吐く。
「……私は追放された身ですが」
「問題ありません」
エドヴァルドは即答した。
「むしろ都合がいい」
「我が国としては、あなたを正式に迎える理由ができますから」
そして少しだけ声を低くする。
「正直に言いましょう」
「あなたが来てくれるなら」
「我が国は、レグナート王国よりも豊かになれる」
エドヴァルドの目をしっかり見つめる。そこに打算はある。だが同時に、はっきりした評価もあった。王宮では一度も向けられなかった視線だ。
ていうか綺麗だな!存在が!
「随分と大胆な勧誘ですね」
エドヴァルドは微笑む。
「優秀な人材は逃しません」
「それが国を守る王族の仕事です」
殿下、発言もカッコよすぎるな。
「……条件があります」
「聞きましょう」
「書類仕事をするなら」
「静かな執務室と、十分な予算をください」
エドヴァルドは一瞬だけ驚きを見せる。
そして声を上げて笑った。そんなに笑うことか?静かな執務室ほど最高な場所はないと思うが。
「それだけ……ですか」
「はい」
拳を胸に当てて誓ってくれるようだ。
「約束しましょう」
「あなたが望む環境を用意します」
「リリア・エルドレイン」
「私と一緒にアルディナへ行きましょう」
エドヴァルドの言葉のあと、街道にはしばらく静かな風だけが流れた。
私は少しだけ空を見上げる。
王宮を出たとき、行き先など考えていなかった。ただ、あの場所から離れたかっただけだった。
財務室以外は日が当たるんだよな。あの王宮。
だが今、目の前には選択肢がある。
それも、王子自らが迎えに来るという、普通ではあり得ない形で。
「すみません、もう一つ確認してもいいですか」
「もちろんです」
「私の仕事は、かなり地味ですよ」
「数字と書類ばかりです」
「殿下が期待するような華やかなものではありません」
少し笑いつつもは答える。
「殿下じゃなくていい、エドヴァルドで」
「私もリリアと呼ぼう」
「しかし……」
真剣な眼差しで私に顔を向けてくる。
「分かりました。エドヴァルド」
「はい。リリア」
なんでかは分からないけど凄く嬉しそうだ……
「話を続けます」
「王国というものは、剣だけでは動きません」
「魔法でも、騎士でもない」
「つまるところ、国を動かすのは結局金なのです」
エドヴァルドが顔を近づけてくる。近いって!危ないよ、何かが!
「そして金を動かすのは人です」
エドヴァルドは艶やかな唇を動かし、続けた。
「我が国の財務官たちは優秀です」
「ですが、あなたほどではない」
「十年間も国家予算の大半を管理し続けた人物など、普通はいません」
よく調べてらっしゃる。
「よく、そこまで……」
「ええ」
「あなたの作った予算配分」
「税収予測」
「交易収益の再計算」
「すべて報告を読んでいます」
即答って……ほんとになんでここまで。でもまぁ。
「……王宮では、誰も読んでいませんでしたけどね」
「でしょうね」
その言葉に皮肉はないと思う。ただの事実のように言っている。
「だからこそ言います」
「あなたの才能は、あの国にはもったいない」
こんなに私のことを評価してくれた人は今までいない。
「わかりました」
エドヴァルドの表情が少し変わる。これまた嬉しそうだ。
「ということは」
「お誘いを受けます」
顔に明るい笑みが広がった。いい笑顔だな。あまり向けられたことのない凄く純粋な笑顔だ。
「ありがとうございます」
私は肩の鞄を持ち直す。
「決まったとなれば急ぎましょう。アルディナへ」
エドヴァルドは少し驚いたあと、笑った。
「もちろんです」
「馬車にどうぞ」
キャビンに乗り込むと扉が閉まり、御者が手綱を引く。馬車はゆっくりと街道を走り出した。
◇
その頃。
レグナート王宮の執務室では怒号が響いていた。
「税収が止まっただと!?」
レオンハルトが机を叩く。
財務官が青い顔で答えた。
「地方領主たちが納税を保留しています」
「理由はなんだ!」
「王宮の予算管理が混乱しているためです」
騎士団長が怒鳴る。
「王命だと言えばいいではないか!」
財務官は首を振った。
「すでに言っています」
「ですが」
「王宮が自分たちの税金をどう使うのか説明できないなら払えない、と」
レオンハルトの顔が歪む。
「説明すればいいだろう!」
財務官は沈黙した。その沈黙が答えだった。王宮にはもう、予算の全体像を説明できる人間がいない。
兵士が一人執務室に入ってくる。
「陛下、たった今情報が!」
「何だ!」
「リリア様がアルディナに向かったと」
「さらにいえば、あのエドヴァルド王子の馬車でです!」
「チッ仕方ない我自ら向かう」
◇
そして、ふと昔のことを思い出す。
数年前、王宮で開かれた外交パーティ。
各国の貴族や王族が集まる大きな式典だった。
本来なら、王宮事務官の自分が参加する場ではない。参加するつもりもしたくもなかった。けど当時の財務大臣に資料係として連れて行かれ、会場の端で書類を抱えて立っていた。
そのときだった。
会場に入ってきた一人の王族に、視線が集まった。
黒髪の青年。落ち着いた物腰で、周囲の貴族たちに丁寧に挨拶している。
アルディナ王国第一王子、エドヴァルド。
遠くから見ただけだった。言葉を交わしたこともない。
それでも――
素敵な方だな
そう思ったことだけは、はっきり覚えている。
真面目そうで、落ち着いていて、どこか誠実そうな雰囲気。王宮にいる派手な貴族たちとはまるで違っていた。もちろん、そのあと二度と会うことはなかった。
相手は王子。
こちらはただの事務官。
関わるはずのない世界の人だったからだ。
まさか、その人と馬車で向かい合っているなんて……
しかも今は、真剣な顔で自分を評価してくれている。
視線が合いそうになり、慌てて窓の外へ目を逸らした。
エドヴァルドは気づいていないのか、穏やかな声で言う。
「もうすぐ城です」
「長旅でお疲れでしょう」
慌てて返事をする。
「いえ、大丈夫です」
落ち着いて、リリア…十年財務官を務めた経験を活かすんだ!いや……活かすところない!
なんか胸の鼓動が、少し速くなるのを感じる。
やがて馬車は大きな城門をくぐった。
アルディナ王国の王城は、白い石で作られた落ち着いた建物だった。レグナートの王宮のような派手さはないが、整然としていて無駄がない。
馬車が止まり、エドヴァルドが先に降りる。
「着きました」
馬車を降りると中庭にはすでに何人もの文官と大臣たちが集まっている。わざわざ外で待ってなくとも……
突然連れて来られた見知らぬ女性に、皆が不思議そうな視線を向けていた。
「紹介します」
「彼女がリリア・エルドレインです」
ざわめきが起こる。それもそうか。隣国の王太子の婚約者だからな。元だけど。
財務大臣らしき年配の男が一歩前に出た。
「殿下」
「この方が?」
エドヴァルドは頷く。
「王宮の財政を実質管理していた人物です」
男は私の方をじっと見る。疑うような目だ。エドヴァルドさん、ちゃんと説明してあるんですよね!
「……ずいぶんお若い方で」
確かに財務を担当するような人は大抵年は結構いってるもんな。そう考えると同僚くん若かったな。
「よろしくお願いします」
財務大臣は腕を組む。
「失礼ですが」
「王国の予算管理は非常に複雑です」
「外部の方が理解するには時間がかかると思いますが」
「資料はありますか」
男は一瞬きょとんとする。
十年レグナート王国の財政九割を動かしてきてるんですよ、こっちは!
「資料?」
「税収、軍費、交易、農業収入」
「全部あれば助かります」
大臣たちは顔を見合わせた。
エドヴァルドが楽しそうに言う。
「出してください」
「彼女に任せましょう」
しばらくして、大きな会議室に大量の帳簿が運び込まれる。机の上に積まれる紙の山。
ヨシ、頑張るか!一時間以内には余裕だろう。
帳簿を一冊開く。
ページをめくる。次の帳簿。また次。
ペンを取り、紙に数字を書き出していく。財務大臣が眉をひそめる。
「……何をしているのですか」
何ってなんだ?見た通りなんだけど。顔を上げないまま答える。
「予算の確認です」
「まず税収の実数を出します」
「次に支出」
「それから無駄を削ります」
財務大臣は呆れたように言う。
「それを今から?」
「はい」
「すぐ終わります」
部屋の中に微妙な空気が流れる。
三十分ほど経ったころ。
「終わりました」
ちょっと疲れた……けどやっぱ集中するってイイネ。
「……は?」
「これが、現在の予算配分です」
「あと三か所、無駄があります」
「ここ」
紙の一行を指す。
「軍の装備調達費」
「同じ業者に高値で発注しています」
財務大臣の目が見開かれる。
「なぜそれを」
「数字が合いません」
次の行を指す。
「港湾税も少し調整した方がいいです」
「交易量に対して税率が低すぎます」
大臣たちは紙を覗き込んだ。
そして誰も言葉を発しなくなった。
財務大臣が震える声で言う。
「……完璧だ」
エドヴァルドは腕を組み、満足そうに笑った。
「でしょう」
「だから言ったのです」
「リリアは優秀だと」
そこまで言われると照れますね〜
「まだ簡易計算ですよ」
「本格的にやれば、もっと良くなりますよ」
その言葉に、大臣たちは完全に黙り込んだ。
◇
数日後。
アルディナ王国の財政は、すでに大きく変わり始めていた。会議室には再び大臣たちが集まっている。机の上には、新しい予算案の書類が並んでいた。
財務大臣が感心したように言う。
「流石ですぞ」
「わずか数日で、ここまで整理されるとは」
「まだ途中ですよ」
「本格的に整えるにはもう少し時間が必要です」
エドヴァルドは書類を眺めながら言った。
「それでも十分すごい」
「我が国の財政は、ずいぶん健全になりました」
そのとき、扉がノックされた。急いで兵士が中に入ってくる。随分な慌てようだな。嫌な予感part2。
「失礼します!」
「レグナート王国の王太子、レオンハルト殿下ご本人が来ております」
やっぱりか……
エドヴァルドが眉を上げる。
「王太子自ら?」
「はい」
「リリア様に会いたいとのことです」
財務大臣が小さく呟く。
「随分と必死ですな」
そりゃそうだよ。だって国始まって以来の存続危機だもん。ここはエドヴァルドがなんとかしてくれれば…
「通してください」
通すんかい!王太子自らだし、しょうがないけど!
中に入ってきたのは、金髪の青年だった。レグナート王国の王太子。レオンハルト。知ってたけど。バレたくない〜!うわ、こっち見たし……
「リリア」
「お久しぶりです」
「迎えに来た」
会議室が静まり返る。
「……迎えに?」
「お前は俺の婚約者だ」
「王宮に戻るぞ」
え〜婚約破棄自分でしといてどの口が……言ってることやばいよ。この王太子殿下。
「婚約は破棄されたはずです」
レオンハルトは眉をひそめた。
「そんなものは形式だ」
「お前が勝手に出ていっただけだろう」
会議室の空気が冷えた。
エドヴァルドがゆっくり立ち上がる。
「それは違います」
ありがとう、エドヴァルド!本当に神の子!不思議な子!
「お前は……」
「アルディナ王国第一王子」
「エドヴァルドです」
レオンハルトは少し苛立ったように言う。
「これはレグナート王国の問題だ」
「その女は私の婚約者だ」
「ですが彼女はすでにあなたの国を追放されています」
「婚約破棄も宣言された。それを今さら取り消すのですか」
「チッ……財政の問題がある!」
「王宮は混乱しているのだ!」
その言葉で、会議室の全員が事情を理解した。
財務大臣が小さく呟く。
「なるほど」
「つまり」
「婚約者としてではなく」
「財政を立て直すために必要ということですね」
「細かいことはいい!」
「とにかく戻れ!」
レオンハルトは随分と苛立っているようだな。王太子としての身振りを忘れてしまっている。良くないぞーレオンハルト。それにこっちはこっちで楽しくやってんの!
「お断りします」
会議室が静まり返った。
レオンハルトは顔を歪めた。
「何だと?」
何だと?じゃないのよ
「私はすでにレグナート王国の人間ではありません」
「役立たずの事務官として追放されたのですから」
「そんなことはどうでもいい!」
「戻れば婚約も元に戻してやる!」
その言葉に、エドヴァルドが小さく笑い出す。
レオンハルトが睨む。
「何がおかしい」
「あなたはまだ気づいていないようですね」
「彼女はもう自由です」
そして私の方を見る。どうしたんだ?
「ですから」
「もしよければ」
「新しく婚約しませんか」
「何だと!?」
会議室中が固まった。私も固まった。何だと!?え、なんで…今までのかっこいいエドヴァルドは何処に?まぁ今もかっこいいんだけど。本当にどうしてなんだ?
エドヴァルドを見ると少し照れたように笑った。
「実は」
「数年前の外交パーティであなたを見ました」
「あの時、会場の端で必死に書類を整理していた事務官」
「とても印象に残っていました」
頬が少し赤くなる。アツッ……頬がアツすぎる。覚えてたの!?
エドヴァルドは続ける。
「今回迎えに来た理由は」
「あなたの能力だけではありません」
「もう一度会いたいと思ったからです」
「……私でいいの?」
「今まで丁寧に喋ってきたからちょっと様になってただけで。普通に喋ると早口だし変な女だと思うよ私……」
「それに十年間も事務しかしてこなかったから…その」
「恋愛経験とかなくて……」
私の手を取る。エドヴァルドは私を逃がしてくれそうにない。
「ようやく見れました」
「私が一目惚れしたリリア・エルドレインを」
少しの沈黙。
「では」
「よろしくお願いします」
レオンハルトの顔が青くなる。
だがもう遅かった。
役立たずと追放された王宮事務官。
だが実は――
国家予算の九割を管理していた女性は。
新しい国で、新しい未来を手に入れたのだった。
おしまい
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