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前編


雨音に気が付いて慌てて庭へと飛び出した。今日は一日晴れるだろうと思っていたから、外に洗濯物を干していたんだ。

けれど、ずぶ濡れの洗濯物よりも重大な事件がそこでは起きていた。猫にしては大きく、魔獣にしては小さな三毛の獣が、心細そうに軒先で雨宿りをしていたのだ。


「お、おお……?」


思いっきり目が合って、つんのめって危うく転びかける。困惑しきりの僕を見た猫は、心配そうな声でにゃ、と小さく鳴いた。

「ちょ、ちょっと待ってて!」

通じているのかは分からないが、とにかく一方的にそう告げると、室内からタオルを持って来て、そろりそろりと近付いた。


「怖くないからねー。」

水たまりにでも落ちたのか、ぐっしょりと泥水で汚れた猫は大人しく拭かれてくれて、水気を払うために身体を震わせたりする様子もない。体調が悪いのだろうかと心配しながらあちこち見てみたのだが、一見して分かるような傷などは無さそうだ。

タオル越しだがこうして抱きしめてみると、猫なんだけど犬くらいの大きさがある。ただの猫にしては明らかに大きいんだけど、山猫に三毛っていたっけ?それともやっぱり魔獣?

なんにせよこのサイズの獣なら、その気になれば僕くらい簡単にごはんにしてしまえるだろう。けどすっかり怯えた様子のこの子がそんなことをするとはどうしても思えず、体を一通り拭ってやると家の中に招き入れた。


猫は顔の半分がオレンジがかった茶色、もう半分が黒色とぱっきり割れたような色をしており、目も赤と青の左右色違いだ。いかにも猫らしいその姿は、もし魔獣だとしてもあまり強そうには見えない。

「お前どうしたの?お腹空いてるの?」

不安そうな目をしているその子に尋ねても、当然返事は返ってこない。

頭を撫でてみたけど嫌がる様子は無く、こちらを伺うように見つめている。



「すいませーん、誰かいますかー?」

「あ、はいただいま!」


若い女の人の声が聞こえて、慌てて店へと舞い戻った。

「すいません、冷え性のお薬が欲しいんですけど。」

「ああ、急に寒くなってきましたからね。」

僕はこの店兼家で、薬屋をやっている。先々代から引き継いだそこそこ大きな店は、ありがたいことに食うに困らない程度には繁盛している。

代金を受け取ると、いくつもある大きな薬壺から少しずつ薬草を取り出して、目的の効能を引き出せるように調合してから、一袋が一回分の量になるように重さを計ってちまちま包んで袋に入れた。


「あら可愛い。」

お客さんの声に振り返ると、背後からさっきの猫がじっとこちらを見ているのが見えた。確かに可愛い。


「ちょっと待っててね。」

どうせそろそろ店じまいの時間だったので、この最後のお客さんの薬を包めば今日の仕事はおしまいだ。


すっかり濡れてしまった洗濯物を回収してからもう一度洗い物用の籠へと入れると、ずぶ濡れだった猫のために暖炉に火をつけた。そこまで寒くはないので猫が乾いたら消すつもりだけれど、せっかく点けたのでついでにこの火で夕飯も作ってしまおう。

猫には味の濃いものはもちろん、ハーブとかも良くないんだよな。今うちにある肉的なものはハーブソーセージだけだ。

昨日の残りのスープにソーセージを入れて温めながら、とりあえずミルクなら大丈夫だろうと、隣に小鍋を用意してミルクを温める。軽く火が通ったところでお皿に移して与えてみると、鼻をヒクヒクと動かして匂いを嗅いでから、美味しそうに飲み始めた。可愛い。


自分用の食事を済ませて片付けを終えると、猫はちゃっかりベッドに上がって寝る準備をしていた。


すっかり寛いだ様子の猫に対して再び手を伸ばしたが、やはり逃げる様子はなく、そのまま撫でても怒らない。それどころか、くるくると喉を鳴らして毛布まで踏み始めた。

ふわふわの毛並みはやけに手に馴染み、僕が布団に入ると前足を畳んで胸の上へと座り込む。


「人懐っこいね。ウチの子になる?」

そう尋ねると、目をキラキラと輝かせ、尻尾をぴんと立てて、元気に「にゃ!」と返事をした。ウチの子になってくれるらしい。

そうかそうかと微笑んで、なら名前を決めなければと思い至った。三毛猫だからミケ?ううん、でも顔が二色なのでそれはなんだかしっくり来ない。

くりくりとした目を眺めている僕の耳を、しとしとという雨音がくすぐった。


「レイニー。」


雨の日に出会ったからレイニー。うん、良い名前だ。

胸元に感じる重みと温もりに、意識はあっという間に溶けていった。




ととと、トタンッ!っと軽い足音がして目が覚めた。

ここ数日、ネズミの大運動会が開催されており、先週も似たような目覚め方をしたんだけれど、それにしても今日は特に元気が有り余っている。一体何が……。


そうだ。レイニーだ。


まだ眠い目を擦りながら起き上がると、床にはすっかり元気になってちょこんとお座りしているレイニーの姿があった。

揃えた前足の先には、ネズミの死骸が置かれている。しかも三匹。



「い……。」



「良い子でちゅねー!」


流石に猫撫で声が出た。


ネズミは最悪だ。食べ物だけでなく薬草や道具まで齧り、その上フンを撒き散らす。

レイニーをこうして招き入れたのも、あわよくばネズミ取りをしてくれないか、そうでなくともネズミの方からどっか行ってくれないかという下心が無かったと言えば嘘になる。


賢い可愛い最高!と褒め称えて撫で回すと、ドヤ顔でうるるるると喉を鳴らしている。

抱き着いて顔中にキスしても嫌がるそぶりは無く、それどころかもっと撫でろとばかりに頭をぶつけてきたので、レイニーの毛がくちゃくちゃになるまでいっぱい撫でてあげた。


一通り撫で終え、朝ごはん用のミルクをあげた後、店に臨時休業の張り紙を出すと、慌てて猫用の一揃いを買いに町へと向かった。

前から猫は飼いたいと思っていたので、何が必要なのかは大体分かっているつもりだ。


自分用のベーコンと肉と一緒に、犬猫用のクズ肉も購入した、とりあえず同じ体格の犬が食べる三日分を購入したんだけど、どのくらい与えるのが良いんだろうか?あんまりあげ過ぎると、ネズミに興味を無くしてしまう?

まあ少しずつ様子を見て調整すれば良いだろう。



えっちらおっちらと大荷物を抱えて帰ると、玄関の所に人影が見えた。

狩人をやっている、幼馴染のリックだ。いつものイノシシ避けとクマ避けを持って来てくれたのだろう。


薬草の中には使い方を誤ると毒になるようなものもあり、そういった危険な植物の畑を作るために、ウチの店はちょっとだけ人里から離れた場所にある。

そんな立地なので、昔この家に住んでいた猟師さんは、クマだかクマ型モンスターだかに襲われて亡くなったそうだ。何人も食い散らかしたらしい当のクマは既に退治されているけれど、悪夢の再来はいつ起こってもおかしくない。

なので、そんなことが起こらないように、こうして猟師に見回りをお願いしているという訳だ。


「ごめん、ちょっと買い物に行ってて。」

「気にすんな、どうせペスのパトロールが終わるまで時間があるから。」

扉を開くと、そこには良い子にお座りしているレイニーがいた。

お出迎えしてくれたのぉ、とデレデレになりながら声をかけると、リックが不思議そうに首を傾げる。

「……猫?」

「うん、レイニーって言うんだ。ネズミを取ってくれる良い子なんだよ。」


多分言いたいのはそういうことじゃないと思うんだけど、僕も説明できるようなことは何も無いのでそう言うしかない。

レイニーは撫で待ちの顔をしてヒゲをピンと張っていた。


「ふーん、なんか生意気そうな面してんな。」

そんな捻くれたことを言いながらも、懐から手作りと思しきジャーキーを取り出して鼻先へと差し出した。

レイニーはふすふすと鼻を鳴らしてジャーキーの匂いを嗅ぐと、差し出した手に頭を擦り付けて甘え始める。

「お、なんだ懐っこいな。」

空いている方の手で首元を掻くと、ゴロゴロと喉を鳴らして甘えている。予想はしてたんだけど僕以外にもだいぶチョロいなこの猫。


「コイツどうしたんだよ?」

「どうした……うーん、なんか来た。魔獣っぽいとは思ってるんだけど、どう思う?」

「バッドリンクスって魔獣に似てるけど、でもあれの三毛は聞いたことがないんだよな。」

この辺りの生き物には詳しいはずのリックの返答もはっきりしない。やっぱり魔獣なんだろうか?

「何色なの?」

「一番多いのは茶色。たまに白と黒がいて、黒いのは強いらしい。」

全然違う色だと言うのならともかく、レイニーはちょうどその三色だ。珍しい毛色のバッドリンクスである可能性はある。


「魔獣は普通、強さを示して調伏しないと使役なんてできないぞ。お前そんなの無理だろ。」

まあ確かに僕はお世辞にも強いとは言えないけど、でも相手もレイニーだしなと、だらしなく溶けているモフモフの毛並みを撫で回した。

「あとは幼獣のうちに躾ければ、だけど。コイツ多分もう大人だしなあ。」


そんなことを話していると、見回りを終えたらしいリックの犬が戻って来た。

異常があればその場で吠えるはずだから、そのまま戻って来たということは今回は何事も無かったのだろう。

普段ならばリックの足元に駆け寄ってジャーキーをねだるはずなのだが、何故か今日はそうせずにぴたりと止まった。


どうしたんだろうと首を傾げそうになって、理由なんてそんなの一つしか無いとすぐに思い直した。そうだ、今日は今までとは明らかに違うことがあるのだ。

レイニーの方もすっかり人相、いや猫相が悪くなっていた。耳をぺたりと伏せており、僕の手のひらの下にある毛も心なしか逆立っている。

「大丈夫だよ。怖くないからね」

僕はあのペスがよく躾けられているのを知っているが、レイニーはそんなことは分からないので、怯えてしまうのも無理は無い。


「いや、絶対そいつの方が強いだろ。」

実はペスよりもレイニーの方が一回り大きい。猫と犬は同じ大きさなら猫の方が有利と聞くし、そもそも魔獣なら魔法が使えるので普通の生き物よりも何倍も強い。

でも僕は初めてレイニーを見た瞬間の、あのしょぼくれて寂しそうで可哀想なイメージがどうしても頭から離れず、こんなにか弱そうなのに……と親バカを発揮して抱きかかえる。

レイニーも、んにゃぁーんと可愛こぶった声で鳴くと素直に僕の腕の中に避難した。




レイニーが我が家に来てから約半月。もうすっかり家猫になったレイニーは、最初の頃の貧相な見た目とは打って変わって、それはもう美しい猫になっていた。

ちょっとボサついていた毛並みは艶やかで、目やにもなく、肉球だって綺麗なピンク色だ。

ご飯はしっかり与えているが、それでもちゃんと毎日のようにネズミを取ってくれて、ほとんど食べずにその辺に転がしている。死骸を持って来ると僕が褒めちぎるので、狩ったらちゃんと見せに来てくれるのだ。天才かな?


その日は朝からマンゴラドラをせっせと刻んで詰めていた。毎月五日はお得意さん、もう一人の幼馴染である、魔術師のラプラスがやってくる日なのだ。

入り口のベルがカラコロと音を立てて、見慣れた黒いローブがのっそりと現れた。


「いらっしゃい。出来てるよ。」

僕の背後からも、にゃあーんと歓迎の声が響く。

口の周りをペロペロとしているので、多分ネズミを狩った後なのだろう。また後で褒めてやらないとな。

「猫?」

「うん、レイニーって言うんだ。可愛いでしょ。」

「性格の悪そうな顔の猫だな。」

その発言に思わずラプラスの顔を見て、その次に鏡のある場所に視線を向けた。


「おい、どういう意味だ。」

いやだって、いかにも魔術師です!って見た目のラプラスに言われてもさあ。まあでもラプラスも、見た目がそんな感じなだけで決して悪い奴ではない。


レイニーは我関せずとばかりにラプラスの足元へとすり寄ると、ゴロゴロゴロゴロと爆音で喉を鳴らしながらへそ天で転がった。撫でて欲しいようだ。

「レイニー、きみ野生ではどうやって生きてたの。」

こんな怪しげな格好をした男にまで爆速で懐かなくても良いだろうと、ちょっと呆れた口調になってしまう。

ラプラスは満更でもなさそうにレイニーのことを撫でてくれた。


「この子って魔獣だよね?」

「魔獣だな。バッドリンクスに似ているが、こんなに人懐っこいのは初めて見た。」

僕はそのバッドリンクスとやらを見たことが無いんだけど、そんなに似てるんならやっぱりバッドリンクスなんじゃあ?

「普通は白か黒か茶色なんだよね。世にも珍しい三毛のバッドリンクスって可能性は?」


そう尋ねると、まじまじとレイニーの二色の顔を覗き込んで観察を始めた。

魔法を使っているようで、普段は黒いラプラスの目の色がほんのりと赤みを帯びて、見つめられているレイニーの目もぱちぱちと瞬いている。


「……いや、違うな。もっと根本的に違う。」

「え、待って怖いんだけど。」

こんなに可愛いレイニーが、まさかネコちゃんではなく何か得体の知れない恐ろしいものだとでも言うつもりだろうか。

そもそも今だって、ラプラスにあっちこっち触られて弄くり回されているというのに、まるで遊んで貰ってるような態度で喉を鳴らしながら転がっている。

ラプラスはそのまま、レイニーをまるで猫の開きみたいに大の字に仰向けにしてから、後ろ足を掴んで開いたり閉じたりしていた。これは観察じゃなくて遊んでいるだけだろう。


「他の生物の見た目を真似するのは、弱く見せたい時よりも強く見せたい場合の方が多い。」

「じゃあバッドリンクスよりも弱い?」

「何か勘違いしてるみたいだけど、バッドリンクスはクマより強いからな?この辺りの生態系の頂点だぞ。」

「えっ。」

リンクス(山猫)なんて名前なので、ちょっと大きな猫ちゃんくらいのイメージだったんだけど。しかもよく従魔にされてる種類だって聞くし。


「子育てが下手なのかそういう生態なのかは知らないが、たまに子猫が落ちてることがあるんだ。」

乳離れ直後の子猫は警戒心が低く、世話をすれば普通の猫のように懐くらしい。時々、そんな風に子猫のバッドリンクスを拾った人が従魔にしていて、そのおかげで従魔の中ではメジャーな部類なのだそうだ。


それなのに、成獣は狩ろうとするとプロが十人がかりでも一苦労するほどの強さ。

子猫のバッドリンクスを上手く保護できれば一攫千金だ。自分で育てても良し、売っても良しで、幸運、特に金運の象徴と言われているらしい。


それなら尚更、弱い魔獣であるレイニーがバッドリンクスのフリをする利点はあるのか。


観察の魔法に抵抗しなかったことからも、少なくとも危険は無さそうだとお墨付きを貰った。

「リックにも速攻で懐いたんだよ。あ、でもリックの犬は嫌ってた。」

「猫型だから犬は嫌いだろうな。」

そのまま調子に乗ったラプラスは、なんとレイニーの腹部に顔を埋めて吸いはじめた。レイニーはやっぱりされるがままで、なんなら喉まで鳴らしている。ここまでしても嫌がらないのは普通の猫でも珍しい。

「よく今まで野生で生きてこれたね。」

「いや、これはどこかで飼われてたんだろう。」


「えっ。」

盲点であった。そうか、そうだよな。ここまで人懐っこいんだから普通は人間と生活していたと考えるのが自然だ。

こんなに可愛い子がもう半月も家に帰っていないのだ。僕が飼い主なら半狂乱になっている。

「それなら、飼い主はレイニーのこと探してるんじゃあ。」

「あー、いや。多分だが死んでるんじゃないか?お前のことを主人だと思ってる。」


さっきの観察の魔術で分かったのが、レイニーが闇属性の魔獣であることと僕が主人であることの二つなのだそうだ。闇属性は隠蔽とかそういうのが得意なので、ラプラスがさっきやったような簡易な観察では、それ以上の詳しいことは分からないらしい。

この近くで猫型の魔獣を連れている人の話は聞いたことがないので、旅人か、そうでないならレイニーは長い旅をしてきたことになる。

ウチの軒先で雨宿りをしていた時は、見るからに弱そうなけそけそのぺそぺそだったので、多分後者だろう。


「そうか……。」

こんなに揉みくちゃにされても無抵抗な上に、寝る時は僕と一緒じゃないと嫌らしく、夜更かしして作業をしていると早く寝ようとばかりに促される。前の飼い主にはよっぽど可愛がられていたのだろう。

僕は前の飼い主の分まで長生きするからねと決意を抱き、ラプラスを押し除けてお腹を吸った。

満足気な喉のゴロゴロの裏に、コイツら揃って毛繕い下手かよって言われたような気がするんだけど、思念を使える魔獣ではないはずなのでそれはきっと僕の勘違いである。




レイニーが暮らし始めて二ヶ月が過ぎ、もうこの頃には家の中にネズミの姿など、どこにも見当たらないようになっていた。

あれだけ苦心したトラップを全てぶち壊し、エサだけ持って逃げやがったあのパワー型も、扉の開け方を知っていたとしか思えない頭脳派も、レイニーの前脚にかかればイチコロである。

レイニー様々だなあと崇めながら、好物の温めたミルクを準備すると、床にラグを引いてその上に直接座り込む。これだけの大成果を果たしたのだから、念入りに労わってあげなければ。


むにゅむにゅちゅっちゅ、レェにゃんはキャワイイねえ〜と、とても他人には聞かせられないような声と顔でレイニーにすり寄っていると、薬屋の扉の前に人の気配がして慌ててその蜜月を中断した。

「あらまあ、賑やかなお顔の猫ちゃん!」

店に入ってくるなりそう言ってレイニーを撫で回した派手な格好の中年女性は、僕の義母である。


「いらっしゃいませ。」


父の後妻であるこの人は、悪い人ではない……悪い人ではないのだが、正直なところちょっと苦手だ。

大きな商会をいくつも持っているやり手の経営者で、再婚同士とは言え、何故あんなパッとしない父を選んだのかは未だに謎である。


レイニーは相変わらずの大歓待モードで、僕の膝から飛び降りると、うるるる、とご機嫌に喉を鳴らして毛皮のマントにすり寄っている。


「まあなんて可愛いんでしょう。あら?指輪が気になるの?」

抱き上げられて甘えていたかと思ったら、いつの間にかお義母さんの指についているどでかい宝石に向かって猫パンチを繰り出している。待って待ってそんな高そうな止めて。


「キラキラしてて綺麗でしょう?」

だが義母は平気な顔であやしているので、そこまで高級なものではないのか?いやそんな場合じゃない。


「お義母さん、引っ掻かれますよ。」

「ちょっとくらい平気よ。ねえにゃんちゃん?」

慌てて止めたのだが、義母はやる気満々でレイニーの狩猟本能を掻き立てている。爪は出していないようだが、見ていてハラハラするのである程度の所で切り上げて欲しい。


女の人が好きなのだろうか?お金持ちの奥様を一人で出歩かせることなど出来ないので、実はもう何人かが馬車で乗り付けてやって来ている。店の中まで入って来たのは秘書だけなんだけど、その秘書にはガン無視で、お義母さんにだけべったりとくっ付いて膝の上に乗り上げている。ちょっと寂しそうなので執事にも構ってあげて欲しい。


とりあえず人間なら何でも好きらしく、最近は僕と一緒に店に出ることも増えた。

手持ち無沙汰な時の僕だけでなく、お客さんにも撫でてもらえるからだ。

飼い主以外に触らせる魔獣は珍しく、お客さんにも好評で、そのおかげで最近じわじわと評判になり売り上げが増えた。

特に好きなのはリックとラプラスと、当然ながら僕。ただこの様子だとお義母さんもお気に入り枠に入っていそうだ。

ぅるわーん!と甘えた声で尻尾をピンと立て、付け根を叩いて欲しいと訴えている。

この尻叩きは僕の腕が限界になるまで求められるので、お義母さんが代わりに叩いてくれるのは正直助かる。


「まあ!この子タマタマがあるわ!」

そう叫ぶと、レイニーのお尻の間からころりとはみ出した二つのポワポワをつつきはじめたので、流石のレイニーも執事の方はと逃げていた。そう、レイニーは珍しいオスの三毛猫なのだ。


どうやらレイニーと散々遊んで満足したらしく、お義母さんは最初から最後まで、ずっとレイニーの話をして帰って行った。こんなことは今まで初めてじゃないだろうか。

ネズミは出ないし売り上げは上がるし、バッドリンクスじゃなくても幸運の招き猫には違いない。


本当に、前の飼い主さんには感謝しなければいけないな。






「もう三ヶ月か……。」

レイニーが来た第一月曜日は、月に一度のミルクの日である。別にこの日以外にもぜんぜん与えてるけど、まあなんとなく。


「レイニー。レーちゃん。ご飯だよ。」

犬や猫にあげる時も、肉は火を通してからあげたほうが良いらしい。そう聞いているので、レイニーのご飯を作る用に小さな鍋を一つ買った。

茹でるとお湯に栄養が溶けちゃわないか心配だったので、茹でたお湯ごとあげているのだが、今のところ特に文句は出ていない。

獲ったネズミを食べたりもしているから、飢えてるってことは無いはずだ。


レイニーが居なかった頃なんて、今ではもう考えられないなあ。


冷ましてぬるくなった肉をくちゃくちゃと噛んでおり、しばらくはしみじみとしながらその可愛い動きを眺めていたのだが、不意に耳がぴくりと動いて食事を中断した。

何かあったのかと僕が顔を上げたそのとたん、ペスを連れたリックが家に飛び込んで来た。

「大変だ!」


そのまま続くはずだった言葉は、レイニーがぷるわぁぁん!と甘えた声で叫んだので勢いが削がれて止まってしまう。

「おい、居るか!?」

すると、なんと直後にラプラスまでやって来た。


二人一緒に来るなんて珍しいなと目を瞬かせている間にも、二人のことが大好きなレイニーはテンションがそれはもう爆上がりして、僕ら三人の間を順番に行ったり来たりして脱兎のごとく跳ね回っていた。

人間の方も二人は慌てているようなのが、一体何事だろうか。


「お前も聞いたのか。」

ラプラスの問いに、リックがやっと捕まえたレイニーの喉の下を撫でながら頷く。

「ああ、魔王が出たんだろ。」


「えっ。」

強い魔獣の話はたまに聞く。それこそ昔この辺りに出た人喰い羆とか。だが魔王となると、正直おとぎ話の世界である。


とっ捕まったレイニーは流れるような動きでリックに尻叩きをねだり、リックはねだられるままにレイニーの尻を叩きながら真面目な顔で話し始める。

「隣の国の王様は二百年以上生きてるってのは、お前も知ってるだろ?」

「聞いたことはあるけど……でもそれ噂でしょ?」


魔獣の生き血を啜っているとか、何人もの魔術師がお城に呼ばれたまま帰って来ないだとか、色々と黒い噂があるのは知っている。けど、当然ながら単なる薬屋の僕に直接縁のあるような話ではなく、隣国では何か怖いことをやっているらしいぞくらいの認識でしかなかった。



「どうやら本当だったようだ。不老不死やら何やら研究して、それが成功してしまったらしい。」

うわあ、とつい間の抜けた声を出してしまった。でもそんなのうわあとしか言いようが無い。


「とんでもない量の瘴気が発生したから見に行ったら、城中の人間が血反吐ぶち撒けて死んでたそうだ。魔王の現在地は不明。」


そんな人間ぶち殺しマシーンみたいな生物が本当に……?


「それ本当に魔王……生き物なの?王様の使った変な魔法が暴発して、みんな死んじゃったとかじゃなくて?」

そんな魔法があるのもそれはそれで恐ろしいが、魔王にウロウロされるのよりはマシだ。


「城中の人間って言ったけどな、あの城の奴らは半分はもうゾンビだったらしい。」


ひえええ!と今度は悲鳴が口から飛び出す。

どうやら王様は随分と前からアンデットになっていて、最近ではそのことを隠さなくなってきたので、ウチの国や他の国から討伐隊を出す準備をしていたそうだ。

この場所は国境なので、山の向こうはもう件の隣国だ。山越えなので平地よりは時間がかかるが、それでも大人の足なら一週間もあればたどり着ける距離である。

すぐそこに魔王がいるの?え、ヤバい。怖い。


説明をほぼリックに投げたラプラスは、そういう事だからと言って何やら手鏡のようなものを僕たちに差し出した。

「二人にはこれを渡そうと思っていたんだ。」

「え、俺も?」

「師匠に配るよう言われた。魔獣の目的が分かるそうだ。」

鏡だと思った部分は何やら黒い板になっており、ここに文字が浮かぶらしい。

「目的?言葉が分かるんじゃなくて?」


説明するよりも見た方が早いと、レイニーに使うようにと促された。

痛かったりしないよね?とラプラスに尋ねる僕に向かって、んにゃ?と鳴いて首を傾げている。

今の鳴き声は言葉にするなら『なあに?』辺りだろう。だが表情された文字はそうではなかった。


『ネズミを取る。』


なるほど、これは目的だ。

あわよくば薬草畑を荒らすモグラもやっつけて欲しいと思っているのだが、何故かレイニーはモグラには見向きもせず、ストイックにネズミだけを取り続けている。小鳥とかトカゲにも興味を持たない。

「ねえレイニー。ネズミを取ってくれるのは本当に本当にありがたいんだ。それはそれとして、モグラは興味ないの?」

せっかくの機会なのでそう尋ねてみたものの、レイニーは興味なさげにぺろぺろと前足を舐めて顔を洗っている。可愛いね。

薬草畑の方は今まで通り地道にやるしかなさそうだ。


「なるほど、魔王探しならこっちの方が都合が良いのか。」

リックが納得したように貰った魔道具を眺めている。

魔王だってお腹空いたとか、今ここ何処とか思うかもしれないしね。

「ああ、そうだ。これに『人間殺す』とか出たら気を付けろ。」

「その文字が見えた時にはもう手遅れなんじゃあ……?」


それでも無いよりはマシかと貰ったアイテムを握りしめ、肌身離さず身に付けてあわよくばレイニーの他の目的なんかも知れたら良いなと夢想した。それ以外での使用はなるべくご遠慮願いたい。



瘴気の大爆発があったのは三ヶ月も前のことらしい。じゃあもう魔王もどっか行ってるんじゃないだろうか。行っててくれ。


……三ヶ月、か。

「レイニーがウチに来たのも、三ヶ月くらい前だよね。……もしかして、前の飼い主さんって……。」

恐ろしい推測にたどり着いてしまったのは僕だけでは無かったらしく、すぐさまリックがフォローを入れてくれた。

「でも城の魔獣は全部王様が食ってたんだろ?なら違うんじゃねえの?」

「部下の従魔まで食べないでしょ。……多分。」


それでも止まらない僕のマイナスな想像を否定するべく、ラプラスは少し考えたあと、レイニーの耳をくるんと裏返した。この動きには間違いなく意味は無い。

「仮に主人と一緒に城で暮らしてたとして、それならコイツ一匹だけ生き残ってるのはおかしい。従魔は主人を庇うはずだ。」

それもそうか。じゃあ、やっぱりレイニーの前の飼い主がその魔法?瘴気?でやられた説は勘違いか。

別に何も事態は好転してないんだけど、それでも少し安心した。


万が一があってもレイニーだけは逃がそう。……あれ、でも従魔は主人を庇うんなら難しいのか?僕なんか良いから、安心できる場所まで逃げるんだよ。




そんな話をしたほんの数日後である。その日は珍しく、レイニーは店に出て来ず一日中どこかに行っていた。たまに山の方に行くことがあるんだけど、例の魔王の話もあるししばらくは家の周りだけで大人しくしておいて欲しい。

そして、陽が落ちて、ご飯の時間になってもまだ帰って来なかった。

嫌な予感がする。だって、この前ラプラスとリックと話していた時、僕たちが不安がっていたのを見て、妙にやる気に満ちた顔をしていた。

いや、やらなくて良い、やらなくて良いから。ネズミしか取れないお前が魔王の何をどうするつもりだ。

ただでさえ相手は魔獣を食べるなんて噂のある魔王なのに。



「レイニー!」


たった一日だ。店に来ることの方が多いとは言え、元々昼間は外に出ることもよくあった。

けれど、気が付いたらランタン一つだけを手に持って、近くを探し回っていた。


「レイニー!どこー?」


半泣きで夜道をさまよっていると、少し遠くから、カポカポガラガラと馬車のやって来る音がした。

こんな夜中に?と訝しんだのは一瞬で、その扉の紋様で夜中の来訪者の正体を知った。

「お義母さん!?」

まさか父さんに何か!?という僕の不安は、彼女の少し困ったような顔で払拭された。父さん絡みならもっと大騒ぎしているはずだ。


「レイニーちゃんがウチまで遊びに来たのよ。」

扉を開けると、お義母さんの腕の中では、レイニーがすやすやと寝息を立ててそれはもう気持ち良さそうに爆睡していた。

なんでも昼過ぎにふらりと現れたかと思うと、ネズミを十匹ばかり捕まえて屋敷中の人間に褒めてもらい、散々撫で回されてミルクをたらふく飲んでそのまま寝たらしい。

こうして持ち上げられても、馬車で揺られても、微動だにせず爆睡し続けていたそうだ。


がっくりと力が抜けて、思わずその場でしゃがみ込む。

「大丈夫!?」

「はは、すいません。」

「親の心子知らずってやつね。ごめんなさい、私が引き留めた部分もあるのよ。あまり怒らないであげて。」

膝掛けごとレイニーを受け取ると、何度も礼を言ってから、ずんずんと歩みを進めて家へと戻る。当然、この間も起きる気配は無い。


そんなにお義母さんのことが好きなら、あっちの家の子になっちゃえば。

あそこはお金もあるし、好物のミルクも毎日飲ませてあげることができる。肉だって今のクズ肉じゃない、上等なお肉を出せるはずだ。


違う、そんなことが言いたいんじゃない。けれど、だって、なんでレイニーまで。


それまでは僕と父さんの二人で慎ましく暮らしていた。母さんが若くして死んでしまったのは確かに辛いことだったけど、けど僕たちのことをずっと見守っていてくれるから。そう言ったのは父さんの方なのに。

あの人が悪いわけじゃない。取引先の一つでしかない父の代筆屋に目を付けてくれて、安定した仕事をくれた。

僕がいつか店を出したいと願って必死で勉強していたのを知り、ちょうど店を継がせる相手を探していたこの薬屋に、弟子として紹介してくれた。

父さんは幸せそうだし、生活もぐっと楽になった。あの人と出会って悪いことなんて何一つ無い。

だから、勝手に全てを奪われたような気になって、勝手に不貞腐れているのは全部僕が悪いんだ。



レイニーは目を覚ますとキョロキョロと周囲を見回して、家に帰っていることに気が付いたらしい。

ご機嫌に目を細め、まるで歌うみたいにぐるにゃんごろにゃんあーんあーんと鳴いている。


そのまま僕の足に擦り寄ろうとして、どこからどう見ても病んでいるこの顔を見て流石に何かを感じ取ったらしく、うにゃわにゃと言い訳をし始めた。


別によその子になりたいわけじゃない。この近くのネズミはもう取り尽くしてしまって、ちょっと遠征に行っただけだから。今にもそんな言葉が聞こえてきそうだ。


ふふ、と噛み殺しきれない声がこぼれる。まるで浮気でも見つかったようなその情けない顔は本当に可愛くて、その態度だけで全部がもうどうでも良くなった。


「心配したんだからね。」

ぎゅっと抱きしめると、いつもと同じぬくもりが僕の腕の中で喉を鳴らしている。


あの人のこと、本当に嫌いじゃないんだ。親の心子知らずかもしれないけど、子の心も親知らずだよ。だって、お義母さんが何をすれば喜んでくれるかなんて、僕は知らないんだ。

だから、今度は僕の方からレイニーを連れて行こう。もう何年も帰っていなかった実家だけど、レイニーと一緒ならきっと楽しい思い出になる。


「今度は僕と一緒に行こうね。」

にゃーんと甘えた声で鳴いてすり寄られたのは、承諾の返事だと受け取っておこう。






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