コンマ1秒の反抗
会社員の高橋は、仕事帰りの街灯の下で、
自分の影に違和感を覚えた。
歩みを止めた瞬間、足元の影がほんのわずかに
コンマ1秒ほど遅れて止まったように見えた
のだ。
見間違いだと思い、今度はわざと右手を上げ
てみた。
本物の腕が上がりきった直後、アスファルト
の影が、まるで重い腰を上げるようにゆっく
りと右手を持ち上げた。
「……なんだこれ」
高橋は立ち止まり、影をじっと見つめた。
影は今度こそ、高橋と全く同じポーズで静止
している。しかし、高橋がパッと左に顔を向
けると、影の頭は一瞬だけ正面を向いたまま
残ってから、慌てて左へ向き直った。
高橋は薄気味悪くなり、小走りで自宅へ向か
った。背後から伸びる影が、心なしか自分の
足音より少しだけ遅れて、ザッ、ザッ、と
地面を叩いている気がしてならない。
自室に戻り、玄関の鏡の前に立った。
照明を背に受けて、高橋の影は真っ白なドア
に映し出されている。
高橋が疲れ果てて深くため息をつき、肩を落
とした。だが、ドアに映る影は、まだピンと
背筋を伸ばしたまま、じっとこちらを窺って
いる。
数秒後、影はようやく観念したように、
ガックリと肩を落として高橋の姿勢をなぞった。
その動きは、鏡越しに見る高橋本人よりも、
どこかひどく疲れているように見えた。
高橋は気づいてしまった。
影は自分に従っているのではなく、必死に
自分のフリをして、一生懸命ついてこようと
しているだけなのではないか。
その夜、ベッドに入った高橋が電気を消すと、
部屋は真っ暗になった。影は暗闇に溶けて、
その姿を消したはずだった。
だが、高橋が目を閉じて眠りにつこうとした
瞬間、耳元で小さな声が聞こえた。
「……ふう。やっと、休める」
それは、高橋自身の声にそっくりな、
しかしひどく安堵したため息だった。




