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ep.9 不良債権と消える死体

新宿、廃棄ビルの地下に広がる闇市。

煤煙とオイルの匂いが立ち込める喧騒の中、一郎は灰色のコートの襟を立て、震える手で小さな革袋を差し出した。

中身は、なけなしの3万Gだ。


「……確かに。ほらよ、例の『ゴミ』だ」


浮浪者のような男から放り投げられたのは、泥と油にまみれた青い石の破片。

一郎はそれをひったくるように受け取り、物陰に隠れてシステムを介した鑑定を試みた。

祈るような、あるいは身を削るような思いで網膜のログを凝視する。


【スキルジェム:Raise Zombieレイズ・ゾンビ


その文字を見た瞬間、一郎の膝から力が抜けた。


(死体……だと? 冗談じゃない、街中のどこにそんなものがある!)


PoEにおいて『レイズ・ゾンビ』は基本中の基本だが、致命的な制約がある。

召喚には「新鮮な死体」が不可欠なのだ。

平和な(あるいはそうありたい)隠居生活を望む一郎にとって、街中で死体を調達するなど自殺行為でしかない。


(3万G……。未登録市民が五日、死ぬ気で働いて稼ぐ大金を、私は使い道の無い『不良債権』にブチ込んでしまったのか……!)


絶望が一郎を襲う。

かつて株価の大暴落を目の当たりにした時のような、内臓がせり上がるような吐き気がした。

肩を落とし、出口へ向かおうとしたその時だ。

酒場の片隅から、ジャンク屋たちの野卑な笑い声と共に、奇妙な噂が聞こえてきた。


「……ああ、また廃棄区画(セクター13)の話だ。あそこ、最近じゃ誰も近づかねえ」

「死体が消えるんだろ? 警備ロボが始末した野良犬やモンスターの残骸が、翌朝には跡形もなく消えてるってよ」

「それだけじゃねえ。薄気味悪い緑色の煙が立ち込めててな、吸い込むと肺が腐るぜ。あれは幽霊の仕業だ」


一郎の足が止まった。

緑色の煙。忽然と消える死体。

普通の人間なら怪奇現象だと怯えるだろうが、一郎の脳内の『PoEデータベース』が別の回答を弾き出す。


(死体を消費し、緑色の腐食性ガスを撒き散らす緑ジェム……『Desecrateデセクレイト』か!)


もし、廃棄区画にそのジェムの「適格者」がいる、あるいはジェムそのものが魔力を漏らしているのだとすれば。

それさえ手に入れば、死体は「その場で生成」できる。

ゾンビジェムは一転して、最強の守護者を生む優良資産に化けるのだ。


(ハイリスク・ハイリターンだ。だが、このまま3万Gをドブに捨てるわけにはいかない……!)


覚悟を決め、通路を抜けようとしたその時だった。

闇市の入口付近に、場違いなほど洗練された軍靴の音が響く。


「……昨夜、ここで不審な電子決済のログがあったはずよ。全件照合して」


冷徹な、聞き覚えのある声。

九条燈子だ。

彼女は数人の武装部隊を従え、最新鋭の探知端末を手に人混みを睥睨していた。

一郎は心臓が口から飛び出しそうになるのを必死で抑え、影に身を潜める。


(九条……! なぜ、もうここまで……)


彼女の目は、獲物を追い詰める猟犬のそれだった。

もみ消しに同意したはずの彼女が、私的な執念で一郎の尻尾を掴もうとしている。

今ここで見つかれば、肉壁を作る前に「人生」がロスカットされる。


「……行くしかないか」


一郎は九条に背を向け、迷わず街の最深部、誰もが忌み嫌う「廃棄区画」へと続く暗いダストシュートへ滑り込んだ。

そこは死が漂い、そして「得体の知れない何か」が潜む場所。


「リスクは承知の上だ。だが、死体デセクレイトがなければ私は一生、九条に怯えて暮らすことになる」


一郎は胃の痛みに耐えながら、さらなるリスクを承知で深淵へと潜っていった。

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