ep.8 ポートフォリオの再構築という名の現状確認
引きこもり生活三日目。
一郎は薄暗い部屋で、自身の網膜に焼き付いた『パッシブツリー』を凝視し、愕然としていた。
「……やってしまった。完全にリソース管理を誤った」
胃の辺りを押さえながら、一郎は青白く光る複雑な回路のような図表を見つめる。
(……最初期の未割り振りポイントが45。ということは、現在の私のレベルは46か)
一郎は網膜に浮かぶ数字から、冷徹に現状を算出した。
このシステムの元となったゲームの理屈に従えば、レベル1の時点ではポイントは存在せず、レベルが1上がるごとに1ポイントが付与される。
つまり、ポイント数に1を足した数字が現在のレベルだ。
だが、現在の未割り振り残高は『38』。
昨夜、九条の電撃から身を守るために『雷耐性』のノードを通り、さらにダメージをマナで肩代わりするキーストーン『マインド・オーバー・マター』へ到達するまでに6ポイントを費やした。
そしてあろうことか、昨夜の夕食を美味しく焼くために『敏捷性』の小ノードへ貴重な1ポイントを投じてしまったのだ。
(レベル46という莫大な資産がありながら、すでに7ポイントも消費している。しかもそのうちの1ポイントは、鶏肉の焼き加減を調整するためだけの『死に金』だ。……プロの投資家として、あまりに杜撰な運用と言わざるを得ない)
一郎は溜息をつき、ツリーの先を見据える。
(……レベル46。この数字は、一体どれほどの価値があるのか)
一郎はかつて投資の世界で叩き込まれた「相対評価」の癖で思考を巡らせる。
もしこの世界にレベルの概念が浸透しているなら、20年前のスタンピードを生き抜き、日々モンスターと命のやり取りをしている自警団のエースですら、せいぜいレベル10か15といったところだろう。
それに対し、自分は46。
一撃で執行官を弾き飛ばしたあの力を思えば、自分はすでに、このスラムの食物連鎖においては頂点に等しい「異常値」であるはずだ。
だが、一郎にその自覚はない。
正確には、「数値上の優位」よりも「未知のリスク」を極端に恐れている。
(……いや、まだ足りない。PoEの基準で言えば、レベル46などまだ物語の序盤、ようやく操作に慣れてきた程度の脆弱な存在に過ぎない。九条のようなエリートが本気で部隊を組んでくれば、今の私など簡単に『ロスカット』される)
恐怖は、彼をさらなる「守り」へと駆り立てる。
彼はツリーの中央に位置する、さらに強力な特化職――『アセンダンシー』の一覧をスクロールした。
(……これだ。これしかない。『ネクロマンサー』)
死体を操り、軍勢を率いる不吉な魔導士。
だが、一郎の目にはこれが『物理遮断(肉壁)特化ビルド』に見えていた。
(自分で戦わなければ、死ぬリスクは激減する。頑強な召喚体を『肉壁』として並べ、自分はその最後方で震えていればいい。……傷つきたくない。ましてや、死ぬなんて絶対にお断りだ)
問題は、この上位職をどう解放するかだ。
ツリーにはロックがかかっており、解放条件は一切不明。
さらに言えば、所持しているスキルジェム(武装)も極めて貧弱で、且つ受動的すぎる。
今の彼が右手の甲に埋め込んでいるのは、三つの石が連結されたセットのみ。
一定以上のダメージを受けると自動で魔法を誘発する『被ダメージ時キャスト』。
その魔法の範囲を広げる『効果範囲拡大』。
そして、周囲に不可視の衝撃を放つ『衝撃波』。
(……『殴られたら叫んで逃げる』。まさに私の臆病さが形になったようなセットだ。なぜ最初からこれを持っていたのかは分からんが、これだけでは『肉壁』は作れない)
一郎はBBSのジャンク品オークションを血眼で漁り、一つの出品に目を止めた。
『【詳細不明】青い石の破片。新宿の路地裏で拾ったゴミ。用途不明:30000G』
画面に表示された不鮮明な写真。
それは、一郎の手に埋まっているジェムと、酷似した魔力波形を放っていた。
「……3万Gだと!? 未登録市民が汗水垂らして五日働いて稼ぐ金額だぞ。ボッタクリにも程がある!」
一郎は画面に向かって怒鳴った。
かつて億単位の資産を動かしていた男が、数万の出費に胃を痛める。
しかし、これは「命を守るための設備投資」だ。
「……致し方ない。必要経費だ」
震える指で決済ボタンを叩く。
当然、文明が崩壊したこの世界に「宅配便」などという便利なサービスは存在しない。
商品は指定された場所での直接手渡し。
すなわち、一郎は「安全な牢獄」から、再びあの危険な街へと這い出さなければならないのだ。
「……フードを深く被れば、バレない。……はずだ」
一郎はクローゼットの奥から一番地味な灰色のコートを取り出した。
投資家としての冷静さと、元社畜としての臆病さと自己保身。
その両方を抱えたまま、彼は「青い石」を求めて立ち上がった。




