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ep.64 廃止されたはずの投資先(レガシー)

新宿NSビルを離れ、都庁方面へと向かう裏路地。

かつてはサラリーマンたちが煙草を燻らせていたビルの隙間は、今や異界の湿った冷気と焦げたゴムのような臭いに満ちていた。


「……効率が悪いな」


一郎は背後に従えた4体のゾンビと、鈍重な足取りのアニメイトガーディアンを見上げ独りごちた。

NSビル内の探索を一度切り上げたのは、リソースの再確認が必要だと判断したからだ。

あまりにも想定外のことが多すぎる。

今、この地球でなぜダンジョンなどという摩訶不思議なものがでてきたのか?

そもそも、PoEシステムを提供している者は何者なのか・・・

一郎は思考の海に沈む。


その時。

紫色の煙が、コンクリートの壁を這うように流れてきた。


「ん……?」


ビルのデッドスペース、本来ならゴミ箱が置かれているはずの薄暗い隅に、「それ」はいた。


紫の装束を纏い、目元を布で覆った女が小さな焚き火を囲んで座っている。

その肩には、こちらを威嚇するでもなく虚空を凝視する小さな猿が乗っていた。


新宿のど真ん中にキャンプファイヤー。

職質対象間違いなしの不審者だが、一郎が足を止めた理由は別にある。

連れているゾンビたちが、彼女の周囲でだけは「獲物を見つけた」反応を一切見せず、むしろ主人をガードするように静止したからだ。


「……ゾンビを見ても驚かないのか」


一郎の問いかけに、女はゆっくりと顔を上げた。

布越しでもわかる、その眼窩の虚無。


「死を恐れるのは、糸が切れるのを恐れる愚者だけだ。死霊を操る男よ、お前の背後には……あまりに多くの『可能性』が絡みついているな」


女の声は、古い墓所を吹き抜ける風のようにかすれていた。

一郎は不信感を露わにしながらも、投資家としての直感が告げる「得体の知れない利益の匂い」に誘われ、一歩踏み出す。


「自己紹介をしてもらおうか。このエリアの地権者には見えないが」


「私はナヴァリ。かつては王に疎まれ、目を奪われた放浪者……。今はただ、運命の織物を解き、糸を引く者に過ぎない」


ナヴァリ。

その名を聞いた瞬間、一郎の脳内の「データベース」が激しく火花を散らした。

聞き覚えがある。

いや、聞き覚えどころではない。

かつて社畜時代に、それこそ睡眠時間を削り、腱鞘炎になるまでマウスをクリックし続けたあの世界において――。


(ナヴァリ……? まさか。いや、ありえないはずだ)


一郎は記憶の奥底、パッチノートのアーカイブを手繰り寄せた。


(彼女は確か、数年前のアップデートで『引退(廃止)』したはずのキャラクターだ。システムから削除され、今のプレイヤーは会うことすら叶わないはずの……)


「The future is a tapestry, and I merely pull the loose threads.……未来は織物、か」


一郎が呆然と呟くと、ナヴァリの肩の猿――守護霊『ヤマ』が、チチッと鳴いた。


「なぜ、それを。お前、何者だ……?」


一郎の背中に、嫌な汗が流れる。

一郎はナヴァリを凝視したまま、心の中で毒づく。


(……ただのコスプレや、偶然の一致にしては出来すぎている。名前、猿、そしてその不気味な雰囲気。だが、ナヴァリは旧バージョンの住人だ。最新のパッチノートには彼女の居場所などない)


だが、彼女が「未来は織物……」と、かつてイヤホン越しに何千回と聞いたあの固定メッセージを呟いた瞬間、一郎の背筋に冷たいものが走った。


(間違いない。これは『似ている世界』じゃない。開発に消去されたはずのログすら含んだ、あのゲームの全データが、現実の物理空間に無理やり流し込まれている……!)


この世界は、単に「PoE」というゲームに似たシステムが混ざったのだけではないのか?

消されたはずの旧バージョン、放棄されたはずのデータすらも、ゴミ捨て場から拾い上げるようにして現実を再構築している。


もし、最新のパッチで「修正」されたはずの理不尽な仕様や、削除された強力な機能までもがこの新宿に顕現しているとしたら?

現実は常に地獄だ。


「……なるほど。これは想定以上の『バグ』だ」


一郎の口角が、無意識に吊り上がった。

投資家は、市場の混乱を歓迎する。

それが、自分だけが知っている「過去の遺物」による混乱であれば、なおさらだ。


(最新バージョンではゴミ同然だった知識が、ここでは『失われた予言』として莫大な価値を生む。……悪くない。情報の非対称性こそが、最大のリターンを生む源泉だ)


「ナヴァリ。君の持つ『予言』、今の私にいくらで卸せるか話を聞こう。……支払いはこの『Silver Coinシルバーコイン』でいいんだろう?」


一郎の手のひらには、先ほどザコ敵から拾い上げたばかりのくすんだ銀貨が握られていた。

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