ep.7 孤独な検索と偽りの安堵
翌朝、一郎は最悪の気分で目を覚ました。
寝汗で張り付いたシャツを脱ぎ捨て、震える手で胃薬を口に放り込む。
「……何を、していたんだ私は」
昨夜の自分を思い出し、眩暈がした。
システムに目覚め、全能感に突き動かされるまま国家の執行官を叩きのめし、挙句の果てに「もみ消し」を迫るなど……
脳内麻薬が切れた今となっては、正気の沙汰とは思えない。
(あの時は、スキルの万能感に酔っていた。だが……相手は国家だ。個人が勝てるはずがない)
FIRE(経済的自立)を達成し、あとは静かに余生を過ごすだけだったはずのプランが、根底から崩壊している。
九条という女の執念深そうな目は、間違いなく「個人的な復讐」を誓っていた。
(……逃げるか? いや、新宿の外はスタンピード以来、モンスターの巣窟だ。未登録市民が一人で生きていけるほど甘くはない)
一郎はガタガタと震える指で、部屋の隅にある骨董品のようなデスクトップPCの電源を入れた。
世界規模のインターネットは、文明崩壊と共に消滅している。
今あるのは、各都市国家が独自に管理・監視する極めて閉鎖的なローカル・ネットワークだけだ。
かつての「パソコン通信」を彷彿とさせるテキスト主体のBBS(掲示板)。
そこは、国家による検閲の目が光る「情報の檻」でもある。
(……この『スキル』は、私だけのものなのか? それとも……)
一郎は、監視の目を掻い潜るための古いVPN技術(もはや化石のような知識だ)を使い、匿名掲示板の深層へ潜った。
もし他にも『パッシブツリー』や『スキルジェム』を扱う「覚醒者」がいれば、必ず何らかの痕跡があるはずだ。
自分一人なら「異常者」だが、他にもいれば「社会現象」として紛れ込める。
一時間、二時間。
画面から発せられるブルーライトが、一郎の疲れ切った顔を青白く照らす。
『新宿西口にランクCのオーク出現。自警団が処理』
『配給の合成肉に異物混入。暴動の兆しあり』
『【募集】地下資源採掘の作業員。死亡手当あり』
流れていくのは、この泥臭い世界の日常ばかり。
どれほど検索の条件を変えても、あの「ハクスラ」のような超常のシステムに言及する書き込みは見当たらない。
(……確認できる限りでは、私のような『覚醒者』は、一人もいない)
「……ふう。一安心、といったところか」
一郎は椅子の背もたれに深く体を預け、大きく息を吐き出した。
オンリーワンの能力であるということは、すなわち、国家がその価値に気づいた瞬間、自分は文字通り「唯一無二の資産」として、死ぬまで解剖・研究・搾取の対象になるということだ。
この能力は一般に知られるわけにはいかないだろう。
その独白は、自分を無理やり納得させるための嘘に近い。
誰とも共有できないバグを抱え、巨大な権力に狙われた恐怖。
一郎はデスクトップPCの電源を閉じ、暗い画面を見つめた。
「……当分は、この部屋から出ないのが正解だな」
今の彼にとって、広大なパッシブツリーは「自由の象徴」ではなく、世界から自分を孤立させる「標的」にしか見えなかった。




