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ep.58 短期決戦の損益分岐点

二十階、紫の光に包まれた儀式の領域。

一郎はいつものように、四体のゾンビ軍団に突撃の号令を下した。

鉄壁の防御を誇る守護者を筆頭に、ミニオンたちが『The Carnage(殺戮者)』を取り囲み蹂躙する。

その光景を、一郎は安全圏から飴玉を転がしながら悠然と眺めていた。


「……計算通りだ。このまま削り切れば、カオスオーブは私の手に落ちる」


だが、数分と経たぬうちに、一郎の眉が動いた。

ゾンビたちの動きが、目に見えて鈍い。

いつもなら『Bone Offeringボーン・オファリング』の加護で即座に修復されるはずの肉体が、ボロボロと崩れたままである。


「……何だと? ミニオンのライフ残量が右肩下がりだ」


慌ててUIウィンドウをスワイプし、フロアのステータスを確認した一郎は、その文字を見て血の気が引いた。


『Players and Minions are unable to Recover Life(プレイヤー及びミニオンはライフを回復できない)』


回復不可ノー・リカバリーMOD……! 冗談だろう、一番引いてはいけないバグを引いたか!」


気づいた時には遅かった。

再召喚を試みるも、死体を消費した端からミニオンが消滅していく速度が上回る。

鉄壁だったはずの肉壁に一瞬の隙間が生じた。


『The Carnage(殺戮者)』はその隙を逃さなかった。

六本の腕が同時に唸りを上げ、一郎の懐へと肉薄する。

鈍い衝撃とともに、一郎の体が真後ろへと吹き飛んだ。

だが、同時に一郎の装備MODも反撃する。


【リンク発動:Cast when Damage Taken(被ダメージ時キャスト)】

【支援効果:Increased Area of Effect(効果範囲拡大)】

【発動スキル:Shockwave(衝撃波)】


――ドォォォォォンッ!!


Shockwave(衝撃波)によってボスも吹き飛ばされたことにより、一郎へのトドメの一撃は避けられた。


「が、はっ……!」


防具を掠めただけの一撃で、視界が赤く明滅する。

死の恐怖が、元社畜の冷静さを容易に塗り潰した。

だが、一郎の指はまだ動く。

生存本能に突き動かされ、残ったゾンビを自爆同然の盾として命じた。


「ゾンビども、肉壁となって殿を守れ!守護者ガーディアン、私を運べ! 撤退だ!」


守護者の太い腕に抱えられ、一郎は転がるように十九階へと続く階段へ飛び込んだ。

ネームドボスも階層を超えてまでは追ってこないらしい。

血を吐きながら、安全なフロアの隅でうずくまる。


「……クソがぁ。ゲームなら、ライフフラスコ一本で済む話だろうが。なぜ現実には存在しない……!」


ダンジョンという理不尽な世界に変わったというのに、生命線である「回復手段」が欠落している。

その理不尽な格差に、一郎は膝を叩いて嘆いた。

もはやこれまでか。

そう絶望しかけた時、守護者ガーディアンが背負っていた収納袋から、カランと音がした。

零れ落ちたのは、先ほどの十九階までの道中で拾った毒々しいまでに鮮やかな赤い小瓶。


「……まさか。いや、だが」


半信半疑で、一郎はその赤い液体を一口煽る。

直後、体中の傷口が熱を持ち見る間に塞がっていく。

アイテム欄には表示されなかった「実在するポーション」が、そこにあった。


「……あるじゃないか。システムの外側に、私の知らない『救済措置』が」


さらに袋を漁ると、マナを潤す青い瓶も見つかった。

これがあれば、マナ消費を気にせず再召喚を連打できる。

一郎は、ポッキーを噛み砕く時よりも力強い表情で立ち上がった。


「リベンジだ。Desecrateデセクレートでの死体生成、そこからの再召喚スピード勝負……。私のリソースが尽きる前に、貴様を叩き潰す!」


数分後、二十階のフロアに、一郎の怒号とミニオンの絶え間ない咆哮が響き渡った。

ポーションという保険を得た一郎は、再召喚にも無駄がない。

最終的には一郎のゾンビたちが削り切った。

『The Carnage(殺戮者)』が最後の一振りを虚空に刻み、崩れ落ちる。


「……ふぅ。……死ぬかと思った。ゲームではない以上、命の危険は常にあるな。マージンを多めにとって気をつけねば……」


崩れ落ちたボスの死骸からTributeトリビュートを回収する。

巨大な『Ritual(儀式)』から念願の『Chaos Orbカオスオーブ』を引き換える。


中層制覇。

心身ともに限界を迎えた一郎は、鈍く光る戦利品を握りしめた。


「……一度、帰宅しよう。これ以上の連戦はマージンオーバーだ。」


一郎は重い足取りでNSビルダンジョンから脱出し、懐かしいボロ雑居ビルへの帰路についた。

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