ep.57 強敵の予感
十七階から十九階にかけて、一郎の攻略速度は加速していた。
再構築されたミニオンの陣形と、死体を瞬時にリソースへ変える『Bone Offering』の循環。
それがもたらすのは、圧倒的な「安全マージン」と、秒単位で積み上がる「時給」である。
十七階。
一郎はフロアを隅々まで索敵し、目的の『Ritual(儀式)』の祭壇を捕捉した。
十六階で『Defer(保留)』し、手数料を払ってまで権利を維持した資産――『Chaos Orb』。
それが、約束通り割引されたトリビュート価格でリストに並んでいる。
「……まだ少しTributeが足りないか」
ドロップ品をガーディアンに運ばせ次の階へと進む。
続く十八階。
荒らされた給湯室の隅に、それはあった。
かつての文明の遺物――『オフィスグリコ』の赤いボックスだ。
一郎は足を止め、埃を被ったボックスから一本のポッキーを取り出した。
脳裏をよぎるのは、終わりの見えない残業に追われていた社畜時代。
午前二時。
誰もいないオフィスで、理不尽な上司からの罵声を思い出しながら、逃げるように貪った深夜の糖分。
あの頃の自分にとって、この甘みは唯一の救いであり、同時に「明日も社畜を続けるための燃料」に過ぎなかった。
「……あんな惨めな食事は、もう二度と御免だ」
一郎はポッキーを噛み砕く。
今は誰の顔色を窺う必要もない。
残業代も出ない奉仕も、理不尽なノルマも存在しない。
あるのは、自分の戦力がそのまま利益に直結する、残酷なまでに誠実な自由だけだ。
一郎は残りの箱を収納袋に放り込み、冷徹な目で階段を見据えた。
十九階を文字通りの「作業」として消化し、ついに二十階へと到達する。
NSビルダンジョン中層、その最終階。
広大なフロアの突き当たり、次の階層へ続く階段の目の前に、これまでとは比較にならないほど巨大な『Ritual(儀式)』の祭壇が鎮座していた。
一郎がその祭壇に触れた、その瞬間だった。
ルーンが放つ血のような光が、フロア全体を塗り潰すほどに膨れ上がる。
結界の発生と同時に、異界の裂け目から「それ」が姿を現した。
返り血で黒ずんだ全身。
複数の腕には、それぞれ異なる凶悪な武器が握られている。
頭上に浮かぶUIには、禍々しい紫色の文字が踊っていた。
『ネームドモンスター:The Carnage(殺戮者)』
「……ただの雑魚ではないな。中層の攻略に立ちはだかる最後のハードルか」
一郎の頬を、一筋の冷や汗が伝う。
敵の放つプレッシャーは、これまでのモンスターとは一線を画していた。
投資家としての勘が告げている。
ここが、このダンジョンにおける最初の大勝負――レバレッジをかけるべき時だと。
一郎はBone Shield(骨の盾)を握り直し、静かに『Bone Offering』の予備動作に入った。
中層突破を賭けた、死闘の幕が上がる。




