ep.56 利益の保留(ディファー)
十五階の激戦を終え、十六階へと足を踏み入れた一郎は、確かな手応えを感じていた。
再構築された陣形は、以前とは比較にならない安定感を誇っている。
先頭を行く『Animate Guardian』は、先ほど与えた『重厚な鋼鉄の胸当て』を鈍く光らせ、敵の攻撃を文字通り「鋼」の肉体で弾き返していた。
「……テスト走行としては合格点だ。Bone Offeringの回転率も悪くない」
一郎が静かに呟くと、足元の死体が青い光の粒子となって霧散し、四体のゾンビに「骨の盾」の加護が与えられる。
死体という名の負債が、防御という名の資産へ。
この完璧なリサイクル・プロセスが、一郎の時給を確実に向上させていた。
静寂に包まれたオフィスフロアの十字路。
その中央に、周囲の空気を歪ませるほど不気味なトーテムと、床に刻まれた血のルーンが鎮座していた。 ――『Ritual(儀式)』の祭壇だ。
「リチュアルか……。リスクは密閉空間での波状攻撃。リターンは、その場限りの特殊通貨による現物取引。……乗る価値はある」
一郎が祭壇に触れた瞬間、血のルーンが脈動し、全方位に円形の結界が展開された。
逃げ場はない。
次の瞬間、倒したはずのモンスターたちが歪な影となって次々と立ち上がり、咆哮を上げながら一郎を囲い込んだ。
「『Bone Offering』、起動」
一郎の号令とともに、床に転がっていた死体が次々と爆散する。
死体が立ち上がる端からそのエネルギーを奪い取り、ゾンビたちの盾へと変換していく。
襲いかかる影の爪は、鉄壁の防御を誇るミニオンたちの前で無力に弾かれた。
一郎は安全圏から、一歩も動かずに敵が「物言わぬ死体」へと変わるのを眺めていた。
数分後、結界が解け、フロアに再び静寂が戻る。
一郎の視界には、儀式の報酬リストが展開された。
敵を殲滅したことで得られた『Tribute』という名の特殊通貨が、ウィンドウの端でカウントされている。
リストの最奥。
一郎の目が、鈍い黄金の光を放つ小さな宝玉を捉えた。
「……! 『Chaos Orb』だと?」
装備のMODを完全に書き換える、ハクスラにおける「カレンシー」の基準。
この世界においても、それは純粋なゴールド以上に価値を持つ、最上位の流動資産だ。
これさえあれば、自分以外に覚醒者の存在が確認された以上、トレードシステムが解放されるかもしれない。
「必要トリビュート、二〇〇〇。……現在の手持ちは一二〇〇か」
圧倒的な資金不足。
普通の覚醒者であれば、ここで「運がなかった」と諦め、目先の手頃な素材や魔石を交換して立ち去るだろう。
しかし、一郎の指は迷わず、リストの下部にある小さなボタンをタップした。
――『Defer(保留)』。
「……今ここで、手数料の一五%を支払う。この資産の購入権利を、次回のRitual(儀式)へ繰り越す。これは損切りでも、ただの先延ばしでもない」
Chaos Orbのアイコンが鎖で繋がれ、リストから消える。
次にリチュアルの祭壇を見つけたとき、このオーブは「割引価格」で再びリストに並ぶはずだ。
「これは『コール・オプション』の確保だ。目先の小銭を拾って満足するのは素人のやることだ。将来の確実な利益のために、今のリソースを投じる」
一郎は、空になった報酬ウィンドウを閉じ、階段を目指す。
十六階の利益は「保留」された。
「……十七階へ進むぞ。おそらく次のRitual(儀式)があるはずだ」
背後で消えていく祭壇の残光を背に、一郎は躊躇なく階段に足をかけた。




