ep.53 敵対的買収の端緒(ブラックギルドの論理)
11階。
この階層に足を踏み入れた瞬間、一郎は違和感に足を止めた。
「……死体が、ないな」
そこにあるのは、激しい戦闘の痕跡だけだ。
焦げたタイル、壁に刻まれた剣痕、そして宙に舞う魔力の残滓。
しかし、本来そこにあるべき「ドロップ品」も「死体」も、綺麗さっぱり消え失せている。
一郎がミニオンの燃料にするはずだった死体はおろか、換金性の高いジャンク品一つ落ちていない。
(誰かが先回りして掃討しているのか? だが、この速度は異常だ)
その時、廊下の奥から「ピチャリ」と、水気を帯びた音が響いた。
一郎の視線の先。
瀕死の「デッド・エンジニア」が逃げ惑い、角を曲がろうとしたその刹那。
——シュッ。
影から飛来した鋭いエネルギーの矢が、モンスターの頭部を貫いた。
本来ならまだライフ(体力)が残っているはずの個体が、その一撃で「即死」し、同時にその肉体が鮮やかな光の粒子となって霧散する。
「……Culling Strike(とどめの一撃)か」
一郎は目を細めた。
ライフが一定以下になった敵を強制的に即死させ、かつ「装備者のドロップ補正」を優先的に適用させるシステム。
それを「誰か」が意図的に運用している。
「おや……? その髑髏の兜。……まさか、鈴木くんか?」
暗がりから進み出てきたのは、十数人の武装集団だった。
その中心で、一際上質な——そして旧文明の高級ブランドスーツを模したような装備を纏った男が、眼鏡を指で押し上げた。
「……部長」
一郎の口から、苦い砂を噛むような声が漏れる。
社畜時代、一郎に「君の成長のために」という定型句を投げつけながら、深夜3時まで無給の資料作成を押し付けていた男だ。
「懐かしいな。あの騒動で行方不明だと聞いていたが……まさか君も『選ばれた側』だったとは。奇遇だね、私もだよ」
男の名は、鬼塚 剛志。
現在はギルド『アットホーム』の代表を名乗っている。
鬼塚の背後には、虚ろな目をした「非登録市民」たちが、強力な光の輪に包まれて整列していた。
「見てくれ。これが私の新しい『組織』だ。彼らは私と契約し、私の『オーラ』の恩恵を受けている。攻撃速度、移動速度、全耐性……彼らだけでは到底生き残れないこの地獄で、私が生存のインフラ(オーラ)を提供しているのさ」
一郎の網膜に、鬼塚のステータスがノイズ混じりに表示される。
【 状態:Aura Bot(オーラ特化型ビルド) 】
【 リンク:契約者に『ドロップ譲渡(Taxation)』のデバフを付与 】
「……なるほど。オーラで生存率を高めてやる代わりに、経験値とドロップの8割を上納させているわけか。PoEの協力システムをそのまま『中抜き』に転用するとは。相変わらず、マネジメント(搾取)がお上手だ」
一郎の冷徹な指摘に、鬼塚は不愉快そうに口角を歪めた。
「人聞きの悪いことを。これは相互扶助(Win-Win)だ。私は彼らに『居場所』を与え、彼らは私に『配当』を納める。社会の基本じゃないか」
「その基本が非効率だと言っているんだ。……部長、あなたのオーラは確かに広範囲だが、維持コストとしてメンバーの成長を殺している。いずれそのメンバーは潰れるぞ。あんたが使い潰して退職に追い込んだ数々の部下たちと同じように。」
一郎が指を鳴らすと、背後にいる4体の重戦車ゾンビと守護者が、鬼塚のギルドメンバーを威圧するように一歩踏み出した。
「鈴木くん。君は昔から、理屈っぽくて和を乱すのが欠点だった。……どうだね?私のギルドにこないかね?君も何かしらの力を授かったようじゃないか?」
鬼塚の合図と共に、オーラで強化された武装集団が一斉に一郎を取り囲む。
一郎は、首にかけたアミュレットを軽く指で弾く。
「……再就職の勧誘なら、死んでもお断りだ。アンタとつるむ気は一切ない!」
新宿NSビル、11階。
元社畜の部下と元上司のブラックギルド長。
一郎の拒絶を受け、鬼塚は無言で元部下の瞳を覗き込んだ。
そこにはかつての「従順な歯車」の面影はなく、ただ戦士の眼差しだけがある。
鬼塚は一郎の背後に控えるミニオンの戦力を素早く把握し、そして衝突した場合の損得を瞬時に値踏みした。
「……ふむ。今の君を無理に勧誘するのは少々難しいようだ。残念だよ、鈴木くん」
鬼塚が背を向けると、まばゆいオーラの光が遠ざかっていく。
(ふう、諦めたか。だがあの男が使い勝手のいい戦力をそうそう諦めるとも思えない。もっと戦力をあげて備えておく必要があるかもしれん。)
一郎は鬼塚たちが消えた暗がりを冷徹に見据え、次なるレベリングのためにより深淵へと歩き出した。




