ep46. 垂直登攀のチェックリスト
新宿NSビル、1Fから2Fへと続く非常階段。
背後からは、濡れたモップを引きずるような不気味な足音と、金属がコンクリートを削る「ガリッ……ガリッ……」という不快な音が迫っていた。
「いらっしゃいませぇ……スマイルは……スマイルは、いかがですかぁ……」
1Fの主、マック・ドナルド・Wバーガー。
かつて一郎が、その「Physical Immunity(物理無効)」という名の鉄壁の接客に絶望し、這々の体で逃げ出した地雷ネームドだ。
だが、今の一郎は振り返りさえしない。
(……物理無効の相手にリソースを割くのは、無駄だ。私の目的は『敵の殲滅』ではない。その先にある利益だ)
一郎は、胸元に収まった4穴リンクの鎧の感触を確かめた。
ゾンビにガーディアンを着せるという「合体ビルド」の夢は、システムの壁に阻まれて潰えた。
だが、その過程で強引に4リンクさせたジェムの構成は決して死んではいない。
ドナルドとその取り巻きバイトゾンビの群れがトレインしてくる。
「……鬱陶しいな。残業なら、お前たちだけでやっていろ」
一郎は、踊り場に転がっていた「未鑑定の錆びたヘルメット」と「曲がった鉄パイプ」を背後に放り投げた。
「Animate Guardian」
一郎の頭上で、ユニーク兜『男爵(The Baron)』がドロリとした漆黒のマナを放つ。
アミュレットで底上げされたSTRの半分が、システムの奔流となって背後の鉄屑へと注ぎ込まれた。
ガシャガシャッ、と金属が噛み合う耳障りな音が響き、中身の空っぽな鉄の巨人が形を成す。
ジェムレベル+2、そして一郎の筋力を分け与えられた「肉壁」が、狭い階段を完全に封鎖した。
「ギギッ……イラッ……シャ……イマ……セ……」
鉄屑の守護者は、店長から学んだかのような狂った接客ボイスを上げながら、迫り来るバイトゾンビの群れに『Melee Splash(近接範囲攻撃)』の波動を纏ったラリアットを叩き込んだ。
ドォォォン! と階段が震える。
1ダメージも入らないはずの店長ですら、その「質量の暴力」には物理的に押し戻され、パテスマッシャーを構えたまま1Fの床まで弾き飛ばされた。
「よし。しんがりは任せたぞ、ガーディアン。1分持てば、お前のロストも安いものだ」
一郎は身を翻し、上層階へと駆け出す。
STR+30の恩恵は劇的だった。
20年間の社畜生活で蓄積された膝の痛みや身体の重みが、嘘のように消えている。
一段飛ばしどころか、手すりを支点に3メートル上の階層へ直接飛び乗るような超人的な機動。
2F、3F……。
吹き抜け(アトリウム)の中央では、巨大な振り子時計「ユックリズム」が、ボーン、ボーンと重々しく鳴り響いている。
1Fを抜け、一郎の網膜に映るモンスターのレベルが【Lv.42】、【Lv.44】と上昇していく。
「……見えてきた。あそこが、スケーリングの呪縛から解き放たれる境界線か」
5Fから6Fへと続く踊り場。
そこには、1Fのドナルド店長とはまた違うデスクワークの果てに椅子と融合したような異形のモンスター群が待ち構えていた。
一郎は、かつての社畜時代の同業たちを見据え、薄く笑う。
「さて。ここからは、100%の効率で『経験値』を回収させてもらうぞ」
一文無し、資産ゼロ。
だが、ファームはここからだ。




