ep.5 不払いと口封じ
「……執行」
九条が冷徹に命じると同時に、三人の執行官が一斉に踏み込んだ。
タクティカルロッドの先端から、パチパチと青白い火花が爆ぜる。
超高電圧。象をも一撃で気絶させるそれが、一郎の首筋と脇腹に吸い込まれた。
バヂィッ!!
激しい放電音が路地裏に響き渡る。
九条は、男が泡を吹いて倒れる無様な姿を確信し、視線を外そうとした。
だが。
「……静電気がひどい季節ですね。もう少し機器のメンテナンスを徹底してはいかがかな」
一郎は、眉ひとつ動かさずに立っていた。
ロッドを押し当てた執行官たちの腕が、逆に激しい反動で弾かれる。
「……は?」
九条の口から、場違いなほど間の抜けた声が漏れた。
彼女が手にする計測器の数値は、最大出力を示している。
本来なら内臓が焼き切れていてもおかしくない電圧だ。
それが、目の前のくたびれた男の皮膚一枚、通っていない。
「バカな……。絶縁スーツも着ていない生身の人間が、なぜ……!」
「理由は簡単です。……『そう組んだ』からですよ」
一郎の視界の端では、マナの残量が1ミリも減っていない。
雷耐性上限突破、そしてマインド・オーバー・マターによる精神的肩代わり。
緻密なビルド構築の前では、国家の最新兵器も「期待値ゼロの無駄打ち」に過ぎない。
「全ユニット、最大出力で再打撃! 抵抗するなら殺しても構わないわ!」
九条の叫びに応じ、執行官たちが再びロッドを振り上げた。
だが、それが一郎の「ライフ(平穏)」に触れた瞬間――。
【リンク発動:Cast when Damage Taken(被ダメージ時キャスト)】
【支援効果:Increased Area of Effect(効果範囲拡大)】
【発動スキル:Shockwave(衝撃波)】
――ドォォォォォンッ!!
「がはっ!?」
「ひ、ぎっ……!」
一郎を中心とした不可視の圧力が、爆発的に膨れ上がった。
襲いかかった三人の執行官は、まるで巨大な金槌で叩かれたかのように四方へ吹き飛び、コンクリートの壁に激突して動かなくなった。
路地裏に残ったのは、膝を突き、愕然として一郎を見上げる九条燈子だけだった。
「……さて。九条執行官」
一郎は、足元に落ちていた鶏肉の袋を拾い上げると、土を払いながら彼女に歩み寄った。
その無機質な瞳に、九条は初めて「死」よりも深い恐怖を覚える。
「殺す……つもり?」
「まさか。そんなことをすれば、私は明日から国家に追われる身になる。それでは私の『平穏』が台無しだ」
一郎は九条の目の前で屈み込み、事務的なトーンで続けた。
「提案があります。……今日の出来事は、すべて『なかったこと』にしませんか?」
「な……何を言って……」
「エリートの貴女が、たかが未登録の市民一人に部下を全滅させられ、カレンシーの回収にも失敗した。これが上層部に報告されれば、貴女のキャリアは『ロスカット』……失礼、完全に終わるでしょう?」
九条の顔が屈辱で歪む。
それは紛れもない事実だった。
「部下たちの記憶は、私の衝撃波と『記憶障害付与』の状態異常で多少混乱しているはずだ。……『正体不明のモンスターに襲撃され、カレンシーは紛失した』。そう報告すれば、貴女の責任は最小限で済む。……どうです? お互いにメリットのある取引だと思うのですが」
「……っ!」
九条は、背後で呻き声を上げながら倒れている部下たちに目をやった。
彼らの瞳は焦点が合っておらず、何かに強く「上書き」されたような混濁を見せている。
単なる暴力ではない。
システムを介した「状態異常」による強制的な脳への干渉。
「……私に、虚偽の報告をしろというの?」
「いいえ。貴女のプライドを守るお手伝いですよ……。ただの未登録市民に蹂躙された事実を、貴女の輝かしい経歴に残すのは忍びないですからね」
九条は、震える手で眼鏡を直した。
目の前の男は、怪物だ。
だが、それ以上に……組織の弱みを握ることに長けた、極めてたちの悪い「社会の害虫」だ。
「……いいわ。貴方の存在そのものが、私の経歴の汚点だもの。……消してあげるわ。カレンシーの所持記録も、今日の魔力波形も、すべて私の権限でもみ消してあげる」
「話が早くて助かります」
一郎は満足げに頷くと、猫背のまま闇へと歩き出した。
「待ちなさい! ……貴方、名前は?」
「……名乗るほどの者ではありませんよ」
背後で九条が「……絶対に、いつか後悔させてやるんだから!」と叫ぶのを聞き流しながら、一郎は独りごちた。
「ふう。これでようやく、鶏肉が焼けるな」
国家の監視網から、鈴木一郎という「バグ」が一時的に消えた夜だった。




