ep.40 現場の期待値
新宿のボロアパート。
姿見の前に立つ一郎は、自分の姿を見て力なく笑った。
右手に「錆びた剣」、左手に「腐った木の盾」。
かつて商社マンとしてオーダーメイドのスーツに身を包んでいた男が、今や粗大ゴミを寄せ集めたような装備で命を懸けようとしている。
「……まるでネットゲームサービス開始直後のビギナーだな。それも、全く課金が足りていない方の」
だが、その目は笑っていない。
錆びた剣には「命中+3」の、木の盾には「ブロック率+3%」のMODが宿っている。
ゲームなら画面端のノイズに等しい微差。
だがこの現実では、その「微差」が生存率の境界線になることを一郎は知っている。
玄関を開け、廊下に出たところで、案の定クソガキと鉢合わせた。
クソガキは一郎の装備を一目見るなり、腹を抱えて笑い出した。
「ハハッ! おっさん、今度は勇者ごっこかよ? その盾、どっかの廃材置場から拾ってきた薪の間違いだろ?」
「……これは『保険』だ。お前のような無保険のガキには分からんだろうがな」
一郎は冷めた声で返し、軽く盾の面でクソガキを追い払うようにして歩き出した。
背中でクソガキが「死ぬなよ、薪おじさん!」と叫んでいるが、無視だ。
今の自分には、クソガキに構うだけの時間的余裕はない。
目的地はNSビル。
ただし、昨日のような深追いはしない。
一郎はブリーチリングを指に嵌め、その冷たい魔力を肌に感じながら、ビルの外縁部に潜む雑魚モンスターを標的に定めた。
「ゾンビ、展開。ヘイト(敵意)を固定しろ」
4体のゾンビが先行し、路上のデーモンに襲いかかる。
一郎はその背後にピタリとつき、盾を構えた。
敵の爪が空を切り、木の盾に激突する。
ガギィッ!
「……ッ、今のは!」
ブロック率+3%。
本来なら無視できる数値が、現実では「嫌な予感がして咄嗟に盾を向けた」という回避本能のブーストとして発動した。
盾が敵の爪を弾き、生まれた隙に「命中+3」の補正が乗った錆びた剣が吸い込まれる。
ブスリ、と正確に悪魔の喉元を貫いた。
中年のなまった運動神経では不可能なはずの精度。
それが、パッシブスキルとマジック装備による「覚醒者」としての身体能力の底上げだった。
「効率は悪い。……だが、これならソロでもファームできる」
一匹、また一匹と雑魚を処理しながら、一郎の視線は常にドロップ品に注がれていた。
ブリーチリングによる「レアリティ増加(IIR)」の恩恵は、ドロップした武具の「穴」の数にも影響を与える。
一時間の粘り。
ついに、一体の大型の悪魔が、重い音を立ててその装備を吐き出した。
「……ッ、これだ!」
床に転がったのは、血に汚れた無骨な『革鎧』。
一郎が注視すると、その裏側に、はっきりと4つの魔力の穴が穿たれているのが見えた。
「4スロット……。ようやく、私の計画の基盤が手に入った」
だが、一郎の顔はまだ晴れない。
穴は空いているが、それぞれの穴は独立しリンクしていない。
おまけにソケットの色もバラバラだ。
「……あとは、これの『色』と『連結』をどうするかだ。また、カレンシーを注ぎ込むギャンブルが始まるな」
一郎は革鎧を抱え、戦場から静かに撤退を開始した。
手に入れたのは、可能性という名の「未加工資産」。
これを最強の武装ゾンビへと変えるための、泥沼のクラフトが待っている。




