ep.31 バーティカル・マーケット
新宿駅から地下道「ワンデーストリート」を抜け、一郎は南へと滑り込んだ。
辿り着いた先、新宿NSビルの入り口で彼はその圧倒的な「構造」に息を呑んだ。
「……なるほど。地下3階、地上30階。縦に広大なオープン・フロアか」
ビル内に一歩踏み出した瞬間、一郎を迎え入れたのは高さ130メートルを超える巨大アトリウム(吹き抜け)だった。
かつてはビジネスマンたちが忙しなく行き交ったであろう大空間は、今や不気味な静寂と天井から降り注ぐ微かな光に満ちている。
そして、アトリウムの中央にそびえ立つ象徴的な「ユックリズム振り子時計」。
世界最大級を誇ったその振り子は、今は刻むべき時間を失ったのか、あるいはこの「戦場」の歪んだ時を刻んでいるのか、重苦しく、そして不自然なほどゆっくりと左右に揺れていた。
「……アトリウムという構造上、どこから狙われるか分からん。情報の非対称性が高すぎるな」
一郎は、15%の火炎耐性を誇る「鎖帷子」の襟元を正し、4体のゾンビを扇状に配置させた。
駅のダンジョンが「横」への広がりだったのに対し、ここは「縦」だ。
各階のオフィスフロアが、まるで巨大な棚のように積み重なっている。
(上の階から悲鳴が降ってくる、か。物理的に、敵は『上』にいるということか)
一郎の視線が、29階のビアホールやかつての飲食店街へと向く。
かつてはランチを楽しむ会社員で賑わったであろうその場所は、今や未知のモンスター——あるいは、駅での低効率なファームを卒業した者が手に入れるべき「高利回りな報酬」が眠る宝物庫に見えた。
「イベントホールにオフィスフロア、そして最上階のレストラン。……各フロアを一つの『セクター』と見なし、順次、クリアしていくしかない」
ギギ、と振り子時計が軋むような音を立てた。
その直後、上方のオフィスフロアの暗がりから、駅では聞いたことのない「乾いた音」が、巨大な吹き抜けを伝って一郎の足元へと落ちてきた。
新しい戦場。
新しい敵。
そして、まだ誰も手をつけていない「手付かずの時価総額」が、この巨大な空洞に眠っている。
「……さあ、ハックアンドスラッシュの開始だ。まずは1階、エントランス・セクターの制圧から始めるぞ」
一郎は、振り子時計の鈍い音に歩調を合わせるように、慎重に、だが一歩ずつ巨大なアトリウムの奥へと踏み出した。




