ep25. ファーム開始
雑居ビルを出た一郎の歩調は、昨日までとは明らかに異なっていた。
たかが10%。
だが、新宿駅へ向かう舗装の剥げたアスファルトを蹴る感触が、驚くほど軽い。
(……速いな。角を曲がる際の制動、障害物を避ける際のタイムロスが極限まで削られている)
それは単なる身体能力の向上ではない。
ファームにおける「回転率」の向上だ。
一郎は迷わず新宿駅・北通路へ滑り込み、本日のファームを開始した。
一週目、二週目。
確立された周回ルートを、一郎はストップウォッチを回すような正確さで駆け抜ける。
四体のゾンビが先行し、出会い頭のパックを『Melee Splash Support』で一括削除していく。
移動速度が上がったことで、ミニオンが次の獲物を見つけるまでの「待機時間」が消失し、絶え間なく経験値とカレンシーが懐に流れ込む。
「……効率が別次元だ。これなら、一日の試行回数をさらに積み増せる」
そして運命の五週目。
変電所跡の入り口付近、肥大化した変異ネズミのパックを粉砕したその時だった。
ドサリ、と他のカレンシーとは明らかに違う重厚な音が響く。
飛び散った肉片の影で、黄金色の歪な顔が刻まれたオーブが鈍く輝いていた。
「……っ、『Chaos Orb(混沌のオーブ)』か!」
一郎は即座にそれを拾い上げた。
PoEにおける基軸通貨。
低級カレンシーとは一線を画す、真の意味での「資本」だ。
これ一つあれば、市場でまともなレア装備を「指名買い」できる。
だが、その輝きを一郎の指先が捉えた瞬間、ある種の危機感が脳内を支配した。
(今の私の装備構成は、ジャンク屋で拾った籠手と、先日手に入れた珊瑚の指輪だけだ。他はすべて、初期装備のボロ布に過ぎない)
四体のゾンビによる鉄壁の防衛線と、拡充したマナプール。
それらによって誤魔化してはいるが、本体の防御性能は依然としてボロボロの状態だ。
もし、ゾンビの隙間を縫って強力な一撃が飛び込めば、その瞬間にすべてが吹き飛ぶ。
「……一点豪華主義のポートフォリオは、暴落した時のダメージがデカすぎる。カオスオーブという強力な資本が手に入った今、やるべきは全身の『最低限の底上げ』だ」
一郎は周回をそこで切り上げた。
手元にはカオスオーブ、そしてこれまでの周回で得た少々のカレンシー。
彼はそのまま駅を抜け、新宿の闇市——ジャンク品が積み上がる「ジャンク市」へと足を向けた。
狙うは、型落ちでもいい、実数値を伴うレア装備の全身換装。
投資家・一郎による本格的な「自分自身への投資」が始まろうとしていた。




