ep.20 活動再開(ハックアンドスラッシュ)
新宿の汚濁した空気に、わずかな「変化」が生じていた。
配給の再開から数日。
住民たちの間に流れていた殺伐とした空気は、適正なエネルギー供給という「潤滑油」によって、穏やかな凪へと向かっている。
「……聞いたか? あの徴税局のキツネ女、不祥事で左遷されたらしいぜ」
「九条家もあちこちの利権を剥がされて、今じゃ局内でも肩身が狭いんだとさ」
スラムの掃き溜めで、そんな噂が風に乗って一郎の耳に届く。
それを聞いた一郎の口元に、一瞬だけかつて相場の暴落を予見し、空売りで巨額の利益を得た時のような冷徹な笑みが浮かんだ。
(……妥当なリターンだな。あの『神のオーブ』一粒で、彼女のキャリアを再起不能なまでにかき乱した。費用対効果としては悪くない)
九条燈子が降格したということは、当面の間、彼女が公権力を私物化して自分を追い回すリスクは大幅に低減したということだ。
公的な「監視」という名のコストが削られた今こそ、攻めに転じる絶好の機会だった。
「おっさん、何ニヤついてんだよ。気持ち悪いな」
隣のクソガキが、配給の合成パンを頬張りながら不躾に言った。
一郎は無表情に戻り、自身の『アイアン・ガントレット』の感触を確かめる。
「……今後の事業計画を練っていただけだ。金もないのに『平穏な生活』など、砂上の楼閣でしかないからな」
最強のカードを放出したことで、一郎の手持ち資金は極端に低下している。
先の戦いで得た端銭(小銭)と安物の指輪だけでは、このディストピア特有の重税――もとい、法外な維持費を払い続けることは不可能だ。
一郎は、路地裏のジャンク屋で手に入れたばかりの 珊瑚の指輪がはまった指を見つめる。
最大ライフ+25。
このわずかな「生存マージン」が、これからの過酷な労働における唯一の保険だ。
「よし。活動再開だ」
一郎は、さらなるカレンシーを利確するために、新宿の深淵――ダンジョンへと再び足を向けた。
『Desecrate』を使えば、マナさえあれば原材料費ゼロで無限に死体を供給できる。
そこから召喚される『Raise Zombie』たちは、一郎に代わって命を懸けて働く文句一つ言わない最高の使い捨て労働力だ。
目指すは、より効率的に、より低リスクで、最大のリターンを生む「ファーム」。
九条というノイズが消えた今、一郎の前に広がるのは、血と暴力とそして輝くオーブが待つ純粋な市場だった。
「……植物の心のような人生を送るためには、まず、その庭を維持するための資金を稼がねばならん。つくづく、この世はコストがかかるな」
一郎は召喚獣たちを従えて、ダンジョンの闇の奥へ消えていった。




