第7話 アリス
「お父様、どういうことですか!?」
玉座の間に、澄んだ声が響いた。
その声が跳ね返るたび、空間全体がわずかに震える。
ここは、〈ヴァル=セレア王宮〉の中心――光の回廊〈ルミナ・ホール〉。
天井は半透明の魔晶石でできており、夜でも星々の光を映すように輝いていた。
柱には古代文字の魔紋が刻まれ、淡い蒼光がゆっくりと脈を打つ。
それはまるで、宮殿そのものが呼吸をしているかのようだった。
床は黒曜石のように滑らかで、金と紅の絨毯が一直線に玉座へと続いている。
玉座の背後には透明な水晶壁があり、その向こうに惑星ヴァル=セレアの空が広がっていた。
時折、雲の間を雷光が走り、壁面の魔紋が静かに反応して光る。
その光景の中、真紅の髪をひとつに束ねた少女が立っていた。
〈アリス=ヴァル=セレア〉――惑星の第一王女にして、“召喚士の頂”と呼ばれる少女。
深紅のドレスの上から銀糸の外套を羽織り、胸元にはグリフォンの羽を象った紋章が輝く。
それは、王国史上最年少で召喚契約を果たした者にのみ与えられる証だった。
「“雷翼竜”……!? そんな存在、伝承でも聞いたことがありません!」
報告書を握る手が小刻みに震える。
その指先から、微かに魔力の光が漏れた。
玉座の奥で、低く響く笑い声が返る。
「どうもこうも、アリスより強い魔獣と契約した者が現れただけのことだろう。
まさかグリフォン以上とは、わしも想定しておらなんだがのう。」
「……帝国の目がある以上、隠すことはできん。いずれあの子の名も彼らに届くだろう。」
その声はアリスには聞こえずひっそりと呟かれた。
深紅の外套を纏う男――惑星ヴァル=セレアの王、〈レオハルト=ヴァル=セレア〉。
白髪混じりの金髪を後ろに流し、穏やかな笑みの奥に覇気を宿した男。
その姿には、威厳と茶目っ気、そして父としての温かさが同居していた。
「アリス、お前と同い年の子らしいぞ。……楽しみではないか?」
「楽しみではありませんっ!」
アリスは一歩前へ出て声を上げた。
「わたくしより強い召喚士が現れるなんて……そんなはず、ありません!」
「ふむ。嫉妬かの?」
王は頬杖をつき、口元に笑みを浮かべた。
「ち、違います!」
アリスは背筋を伸ばし、顔を真っ赤にして言い返す。
「ただ……少し、気に入らないだけです。なんだか、ずるい気がして。」
「ずるい、か。」
王は楽しげに目を細めた。
「アリスは英雄アルトルートに憧れてグリフォンと契約したんだ別に悪くないだろ」
アリスの目が鋭く光る。
「お父様……その方のお名前は?」
「デリック=アルヴ=デリオン。アルトルートの直系の子孫だ。」
アリスの表情が一瞬で固まった。
頬がわずかに引きつき、握った拳が震える。
「……アルトルート様の、子孫……?」
小さく漏れた声は、驚きと複雑な感情に揺れていた。
やがて彼女は顔を背け、腕を組む。
「ぐ、ぐぬぬ……! わたくしの憧れの人の子孫だなんて……!」
そして、堪えきれずに叫んだ。
「……なんだか、余計に悔しいですっ!」
レオハルトは堪えきれず笑った。
「ははは、なんだアリス。嫉妬ではないか。」
「ち、違います!」
アリスは慌てて立ち姿を正す。
「ただ……負けたくないだけです。
どんな召喚獣だろうと、誰の血だろうと……必ず超えてみせます!」
その言葉に、王は満足げに頷いた。
「いいぞ。お前が誰かを“本気で越えたい”と思えるなら、それは――運命の始まりだ。」
アリスは深く息を吸い、静かに頷いた。
「……その運命、受けて立ちます。」
外の夜空に、ひとすじの雷光が走る。
まるで、遠く離れた場所で――同じ運命を背負う者が応えているかのように。
ヴァルグレイスと契約してから――
自分の魔核の“格”が上がったような気がしていた。
森の試練から数週間。
今は王都郊外の屋敷の裏庭。
朝露に濡れた土の上、静かに息を整える。
以前までは限界だったはずの出力を、今では軽々と超えている。
魔力の循環が滑らかで、呼吸のように自然だ。
魔法を使うたびに、胸の奥で雷が小さく鳴る。
ヴァルの鼓動が、自分の心臓と同調しているのを感じた。
試しに右手を掲げる。
魔導書の頁がふわりと浮き、雷光が指先に集まっていく。
「――雷召喚魔法《雷流し》。」
詠唱の瞬間、空気が震えた。
青白い稲妻が、地面を這うように広がっていく。
蜘蛛の巣のように枝分かれした光が、地を這い、大地に雷の紋章を描く。
パチッ……パチパチッ……!
乾いた音が耳を打ち、焦げた匂いが広がる。
雷が草の間を駆け抜け、刹那の美を描いて消えた。
(……制御が前よりも安定している。)
手のひらに残る熱を感じながら、デリックは小さく息を吐いた。
以前なら魔力切れを起こして倒れていた。
だが今は、まだ余裕がある。
(これがヴァルの力か……いや、俺自身の成長でもある。)
胸の奥で、かすかに雷鳴が響く。
背中で眠る竜が、くすりと笑ったような気がした。
「ふっ……悪くないな。」
デリックは手を握りしめ、青白い残光の中に立った。
空は薄曇り、遠くの雲の切れ間から光が差している。
その先には、王都の尖塔が霞んで見えた。
デリックは空を仰いだ。
雷の残光が薄れ、雲の隙間から陽が射す。
その光が、まるで新しい季節を告げる鐘の音のように優しく降り注いでいた。




