第5話 契約
「契約しようぜ!!」
喉が裂けそうなほどの叫びが、雷鳴に呑まれた。
空が裂け、白光が降り注ぐ。
デリックはその稲妻を、紙一重で身をひねってかわす。
焼けた空気が頬を切り裂き、耳の奥でビリビリと音が鳴った。
髪が逆立つ。
空気が電気の匂いを帯び、全身の産毛がざわつく。
魔核が暴れ、血管の中を雷が走るようだった。
「……はぁっ……はぁっ……!!」
息が白い。呼吸のたびに、胸の奥から火花が散る。
周囲の空間はもう、森ではなかった。
大地は焦げ、地表を覆う灰が舞い上がり、バチッ、バチッと音を立てて弾ける。
それはまるで、この場所全体が“雷そのもの”になったかのようだった。
ヴァルグレイスが咆哮を上げる。
その声は音ではなく、衝撃波だ。
空気が歪み、視界が震え、鼓膜の奥で雷鳴が炸裂する。
デリックは歯を食いしばった。
逃げることも、膝をつくこともできない。
“これ以上”の存在と向き合うには――届かせるしかない。
「聞こえてんだろッ!!」
雷鳴に喉を裂かれながらも、デリックは叫んだ。
「俺の前世を含めた――全部くれてやる!!」
足元の地面が、稲妻に砕かれながら爆ぜる。
熱風が頬を打ち、視界の端で木々が次々と燃え上がっていく。
「だから――俺についてこい!!!」
叫びと同時に、胸の魔核が激しく鼓動した。
脈打つたびに、雷が全身を駆け巡る。
手から、足から、髪の先までもが、光に呑まれる。
世界が白く焼け、時間が止まったように静まる。
……その時だった。
声がした。
耳ではなく、頭の奥で、直接響くような声。
低く、重く、金属を軋ませるような響き。
『――足りぬ。強さを求める。』
ヴァルグレイスの双眸が、雷光の中でゆらめいた。
その瞳の奥に、自分の姿が映る。
血まみれで、焼けただれ、立ち尽くす俺の姿。
息を吸い込む。
肺が焼けるように痛む。
それでも、デリックは笑った。
「足りねぇって言うなら……くれてやるよ、全部だ!!」
雷が背中を走り、魔導書が再び勝手に開く。
ページがちぎれそうな勢いでめくられ、
その中心に、“契約”の文様が浮かび上がる。
「前世も、今も、未来も――全部くれてやる!!」
「だから……この世界で最強になってやるよ!!!」
その叫びは、咆哮だった。
魂を引き裂くほどの声が、雷鳴と混じり合う。
「――雷召喚魔法ッ!!!」
デリックの叫びと同時に、地を裂くような轟音が響いた。
雷が足元から吹き上がり、空へと駆け上がる。
爆風が背を押し上げ、デリックの体が宙を舞った。
炎と灰の森を抜け、稲妻の柱を蹴って――
そのまま、ヴァルグレイスの額へ一直線に飛び込む。
「だから――お前の全て、俺によこしやがれぇぇぇぇ!!!」
咆哮のような声が雷鳴を突き抜けた。
デリックの掌に、白い閃光が収束する。
雷が形を持ち、刀身のように鋭く伸びる。
それはまるで、天そのものを斬り裂く刃。
「《雷切》――ッ!!!」
閃光が世界を貫いた。
雷鳴が遅れて響き、空気が爆ぜる。
白と金の閃光が交錯し、ヴァルグレイスの額に直撃した。
瞬間、爆発のような衝撃波が走る。
風が反転し、森の残骸が吹き飛ぶ。
空の色が、紫から白へ――そして蒼へと変わる。
ヴァルグレイスの黄金の瞳が、微かに揺れた。
その巨体がわずかに震え、雷光が全身を駆け巡る。
――デリックの魔力が、確かに届いた。
だが、それだけでは終わらなかった。
デリックの胸の奥――魔核が激しく脈を打つ。
それはもはや心臓の鼓動ではない。
竜の咆哮と同調するように、雷の音を響かせた。
「ッ……ぐ、あぁぁぁあああ!!」
体中の血管が光り、肌の下を雷が走る。
魔力が制御を超えて暴走し、空気が焦げた。
それでもデリックは、ヴァルグレイスの額に手を当てたまま離さなかった。
「――行け……ッ!!」
「俺の魔核ごと、持っていけぇぇぇッ!!!」
ヴァルグレイスの体内で、何かが爆ぜた。
黄金の瞳が見開かれ、雷光が一気に膨張する。
次の瞬間、二人の間を稲妻が貫き、
光と音が一つになって世界を飲み込んだ。
デリックの魔核がヴァルグレイスの核と共鳴する。
鼓動が重なる。
魂の奥が焼けるほどの熱が、全身を駆け抜ける。
(これが……“契約”か……!)
視界が白く染まる中、ヴァルグレイスの声が響いた。
『――ならば、その身に雷を宿せ。』
爆風と閃光が止み、静寂が戻る。
立ち尽くすデリックの背から、細い雷光が尾のように流れた。
その後ろに――翼を畳んだ巨竜。
『我が名ヴァルグレイス』
「じゃヴァルでいいか?」
黄金の瞳が、まるで笑うように細められていた。
契約は、雷と共に刻まれた。
魔導書には、淡く光る文字がゆっくりと浮かび上がった。
雷の余韻が残る指先で、それをそっとなぞる。
――『雷翼竜ヴァルグレイス』。
その名は刻印のように、ページの中央に深く焼きついていた。
魔導書の頁が、静かに青白く脈動する。
まるで生きているかのように、鼓動を打っていた。
(……俺の召喚獣。)
全身に残る痺れを感じながら、デリックは小さく息を吐いた。
身体は限界だった。
それでも胸の奥で――確かな絆の熱が、まだ燃えている。
ヴァルグレイスが低く唸りを上げた。
その翼を一度、ゆっくりと広げる。
風が走り、焼けた地面の灰が巻き上がる。
雷の残光が翼膜を透かし、金色の稲妻が一筋、空へ伸びた。
気づけば、デリックは竜の背にいた。
金属のように硬い鱗の上、熱と雷が交じる感触。
ほんの一瞬、風が止まる。
そして――次の瞬間、空が裂けた。
眩い閃光と共に、ヴァルグレイスは天へ舞い上がる。
大気が唸り、雷の尾が軌跡を描く。
森を抜け、雲を割り、眼下に大地が遠ざかっていく。
風が頬を打ち、焦げた匂いをさらっていった。
デリックは背中にしがみつきながら、思わず笑っていた。
「……これが、お前の力か。最高だな、ヴァル。」
雷鳴が答えるように轟き、翼が大きく羽ばたく。
やがて、アルヴ家の館が見えた。
黄金の屋根が陽光を反射し、遠くからでも分かる。
ほんの数分で――地上に降り立つ。
着地と同時に、砂塵が巻き上がり、風が爆ぜた。
「デリック!」
父と母の声が重なった。
焦燥と歓喜が入り混じったような声。
二人とも息を切らし、駆け寄ってくる。
「お前……まさか、これが召喚獣なのか……!?」
呆然とヴァルグレイスを見上げる両親。
金の髪が風に舞い、母の黒髪が揺れた。
その瞳には――恐れではなく、誇りが宿っていた。
父はゆっくりと近づき、息を整えると、笑った。
「お前、こんな立派な召喚獣と契約して……将来が楽しみだ!」
母も涙を浮かべながら頷いた。
「デリック……本当に、よく帰ってきたわね……!」
その言葉が、胸の奥に静かに沁みた。
(……やっぱり、今世の両親はいい人たちなんだな。)
ヴァルグレイスが静かに首を垂れる。
その動きは威圧ではなく、まるで“誓い”のように優しかった。
「ヴァル、もう大丈夫だ。少し休もう。」
デリックが魔導書を開くと、雷が静かに吸い込まれる。
頁が光に包まれ、竜の輪郭が淡く溶けていく。
雷鳴が一度だけ遠くで響き、空に稲妻の線が残った。
風が止み、静寂が戻る。
手の中の魔導書は、まだほんのりと温かい。
その頁には、確かに刻まれていた。
――『雷翼竜ヴァルグレイス』。
デリックは空を見上げ、小さく呟いた。
「また頼むぜ、ヴァル。」
空は晴れていた。
雲の切れ間から差し込む光が、雷のように眩しかった。
皇帝歴2974年
契約遂行
この出会いがこの惑星を救うことになるのはまだ先の話。




