フルーツェン&ベジッタ パート2
テントの影で、何か黄色いものたちがこそこそと何かしている。みると、バナナたちが数人、はらり、はらりと黄色い皮をぬいでいる。
「なんで、徒競走なんかに駆り出されなくちゃならないんだよ。ぼく、走るの苦手なのに」「おれだってそうさ……かけっこなんて小学校以来、やったことないよ……」と暗い声で、うつむきながら言った。
頭にはちまちを結んで、ランニングシャツに着替えたバナナたちが、とぼとぼと歩いていくのを見送ってから、ライムは、テントの影にさっとかけよった。足を使って、さりげなくバナナたちが残していった皮をテントの裏側に向かってずらす。それから、皮を拾い上げると、いつも肩からかけている布バッグにぎゅうぎゅうと詰め込んだ。
ライムは五十メートル徒競走の場所に行った。
すでにスタートラインに野菜や果物の選手たちが並んでいる。
ライムは野菜の位置を確かめた。パン食い競争のときと同じように野菜と果物が交互にならんでいる。
ライムは手を大きくふりながら、コースに走りこんだ。
「あ、あそこ、土がえぐれていますっ、危険ですっ!」
ゴール近くのコースを指さす。
「すぐになおしまーす!」とさけぶと、コースのおわりちかくまで行ってしゃがみこんだ。
「しばらくお待ちをっ!」と元気よく声をはりあげながら、野菜のコースの土をすこしえぐる。
「そういえば、今日の運動会はすごい人気ですよおーっ、なにしろ宇宙からも見に来るんですからあっ。! 」真っ青な空を見上げてみせる。
「あれ、UFO、どこかに行っちゃったかなあ……まだ、そこらへんにいると思うんだけど……」
みなが、青空を見上げているすきに、ライムはすばやくバッグからバナナの皮を取り出すと、野菜が走るコースにだけそれらをしいて、ごくうすく土をかけた。
「お待たせしましたーっ」
手でメガホンをつくって、スタートラインに並ぶ選手たちに声をかける。
「では、みなさん、がんばってくださーいっ」
と叫ぶようにいうと、その場をすばやく離れた。
でもやっぱり好奇心には勝てずに、徒競走のところにこっそりもどった。
「わああっ、!」
「きゃああっ!」。
悲鳴があがっている。ブロッコリーやナスやゴボウなんかがバナナのかわですべって、ひっくりかえっていた。
「やったー、大成功っ!」
ライムは思わず叫んで飛び上がった。
しまった、と思ったときにはもう遅かった。
大勢の野菜たちがいっせいにライムに目を向けている。その目はつりあがり、ぎらぎらと光っている。
「さっきあいつ、コースに入ってたぞ」
「コースを整備するとかいって。」
「バナナの皮を埋めたのはあいつだっ」
「パン食い競争に細工したのも、きっとこいつよっ」
「あいつ、パン食い競争の準備のときに近くをうろうろしてたぞ」
「やっぱりあいつかっ、くずで評判のやつだなっ」
いつのまにかキューリンがいて、きぃきぃ声で叫んだ。
「こいつは超すっぱいジュースを吹き出せるんです。きっと、それをパンに塗りつけておいたにちがいありませんっ!」。
細い目をつりあげ、きりきりとねじれたからだをさらにねじりながら、きしむような声でキューリンはいった。それからふっと息をはくと、きつくねじれていたからだがすごいいきおいでもどった。そのいきおいで、キューリンはいきなり走り出した。
そしてすぐに、キャベルとハクサイック、ダイコなどの野菜レスラーたちを連れてもどってきた。野菜レスラーたちは、巨大なからだを怒りで震わせ、真っ赤に煮えたぎるような目で、ライムをにらみつけている。
「へえんだ、そっちこそ、ずるばかりしやがって!」
ライムは内心、怖くて仕方なかったが、必死にそう叫んだ。
「逆立ちしたって、おれっちたちフルーツにはかなわないから、いろいろインチキして勝ったつもりでいるんだろう。わかってるんだぞっ!」
こぶしをにぎりしめて必死に大声をあげる。
「ほんと根っこから腐った連中だなっ」
そう叫びつづけたが、体がはげしく震えだしそうなのを止めるので精いっぱいだった。
この前の相撲大会でふっとばされたことを思い出していた。
「だからニンゲたちからも愛想をつかされるんだっ」
ライムはジャンプして舌を突き出すと、猛スピードで逃げだした。
「なんだとお!」
キャベルが野太い声で怒鳴った。
「あいつをつかまえろっ!」
走り去るライムを太い指でさす。
「とっつかまえて、玉入れの玉にでも使ってやろう!」とハクサイックがどら声をはりあげた。
「いや、それじゃなまぬるい、ライム酒にして、優勝者たちに飲ませてやれっ! 」とキャベルがだみ声で叫んだ。
地響きをたてて、野菜レスラーたちはライムを追った。
キャベルたちは怪獣のような巨体なのに、すごいスピードで追いかけてくる。ライムは短い足を必死に高速回転して走ったり、ジャンプしたりしながら逃げ続けた。
「おら、まてーっ!」
「ちびまるこぞうっ!」
野菜レスラーたちはどこまでもしつこく追いかけてくる。
ライムは、広大な公園を走り抜け、大通りをわたり、街中を駆け抜け、めくらめっぽう、やみくもに走り続けた。橋を渡り、野原を横切った。もはや、どこをどう走っているのか、さっぱりわからなかった。
「うわっ!」
突然、目の前に巨大な壁が立ちふさがり、ライムは急ブレーキをかけた。ほぼ垂直の岩だらけの壁。すばやく左右をみわたしたが、岩壁はゆるやかにうねりながら、ずっと続いている。
「こ、これは……」しばらくしてようやく気づいた。
「ベジッタ町との境にあるぼんだ山だ……。」
あわてて方向を変えようとしたが、もう遅かった。荒い息をついたキャベルやハクサイックたちがすぐ後ろに迫っていた。野菜レスラーたちは、ライムを囲むようにじりじりと迫ってくる。
もう逃げられない!……。
ライムは目の前の岩壁をみあげると、一気にとびついた。
岩につかまりながら、どんどんのぼっていく。すべりやすい岩もあったが、長い爪でしっかりつかまった。
(ああ、爪がのびっぱなしでよかった)、と頭のすみで、ちらとおもった。(さっきは、ダンス祭りでバカにされたけど……)と思う。(みかけより、役に立つ方が大事じゃないか……!)
岩に必死にしがみつきながら、(なんでこんなときに、そんなこと考えるんだよっ)ともう一人の自分が心の中で叫んだ。
しかし、かなり登ったところでふと、振り返ると、下のほうにキャベルたちのまるっこい巨体があった。野菜レスラーたちは、なんとあんな重そうな体なのに岩の壁にはりついてのぼってきていたのだった。よっぽど、ライムからバカにされたのが悔しかったのだろう。
(ああ、あんなこといわなけりゃよかったな……)と思ったがもう遅い。
ライムは顔をひきつらせると、また上を向いて必死にのぼりはじめた。
尾根に出た。尾根は狭く、うねうねとどこまでも続いていた。
今度は、反対側を降りるしかなかった。ライムは岩だらけの急斜面をころがるように、駆け下り始めた。
むちゅうで駆け下りていると、眼下に家々や、畑の広がりなんかが見えてきた。ベジッタ町だ、とライムは思った。
ライムはけわしい岩山を必死におり続け、ついに平地に降り立った。
野菜の町には行ったことがなかった。
なんだかうすぐらい。フルーツ町では真っ青な空だったのに、どんよりと雲に覆われている。
地面は灰色の砂や土に覆われ、枯れかかったような草が、ちょぼちょぼと生えている。
小さな山を一つ越えただけなのに、まるで別世界のようだ。
ふと、背後からごごごという地鳴りのような不気味な音が響いた。
ライムは思わず振り返った。ボンダ山の岩や土が勢いよく崩れ落ちてきている。野菜レスラーたちが引き起こしたのだろうか。彼らはそれをものともせずに、土砂といっしょに駆け下りてきた。
「うわああっ!」ライムは疲れて足腰に力が入らない感じだったが、ひとつジャンプすると、はじかれたようにまた勢いよく走り出した。
でも後ろから足音がだんだん近くに迫ってきているようだった。(くそっ、あんなでぶちん連中なのに、なんてスピードとスタミナだっ)
ライムは走りながらも寒気に襲われた。
(この前は奇跡的に助かったけど、今度は、もうだめかもっ……)
そのとき、先のほうに灰色の古びた家いえがぎっしりと並んでいるのが見えてきた。それらの間にいくつか狭い路地の入口が見える。
ライムは死にもの狂いでスピードアップすると、路地の一つに走りこんだ。
薄暗い路地を進むと、また別の路地につながっている。ライムは迷路のような路地をあっちへ曲がり、こっちへ曲がりし必死に走り続けた。(あいつらは図体がでかすぎて、こんな狭い路地には入れないかもしれない)、とかすかに思った。けれど、後ろに足音が迫っているような気がして、やみくもに進むしかなかった。
ライムは後ろをふりかえる余裕もなく必死に走りつづけた。
黒っぽい家が立ち並ぶうすぐらい迷路路地をどれくらい走ったときだろう。
「えっ」
目の前に、小さなまるっこい影がいくつかうずくまっているのに気がついた。(ちっこい野菜だっ。)と気がついたときには、すぐ目の前に迫っていた。
でも、すごい勢いがついていて、急に止まれそうになかった。
「ぶつかるっ!」
ライムは、とっさに大きくジャンプした。彼らを大きくとびこえ、くるくると回転する。口をあけてぽかんとみあげる茶色の野菜たちの顔が一瞬、目に入った。彼らの向こう側に着地したときだった。
足くびがぎくっ! とへんな音を立てたのに気づいた。(な、なにかやっちゃった……)と思った次の瞬間、やけどみたいな熱さが足にひろがった。足首を奥深くまで、きりかなにかで突き刺されたような痛みが走る。
ライムはいきおいよく地面に転がった。
そして目の前の野菜たちを見た。
まるっこい野菜のこどもたちが二人いて、飛び込んできたライムにおどろき目をまんまるにしていた。全身にうっすら茶色の毛が生えている。ベージュのTシャツとえんじ色のワンピース。男の子と女の子のようだった。
見たことのない野菜だった。
(フルーツェンに攻め込んでくる野菜には、こんなのはいなかったな……)とライムは思った。
「ああ、びっくりしたぁ」とすこし大きい男の子のほうが言った。だが、抑揚の乏しいゆったりした口調で、あまり驚いた感じにみえなかった。
「びっくりぃ」小さい女の子のほうも小さな静かな声を出した。
ライムはすぐに起き上がろうとしたが、右足首に電気が走ったみたいな痛みが走り、またころんでしまった。
「いてててて……」
ころんだまま足首をおさえる。
(ちょっとでっかくジャンプしすぎたかも……)
着地を失敗して足をひねってしまったらしい。
「だ、大丈夫? ……」大きなほうの茶色い、へんな生き物は、ライムのほうをのぞきこむようにして言った。
(ちょっとだけ、キウイに似てるな……)とライムは、痛みに顔をしかめながらも思った。
「だいじょうぶぅ?」と小さいほうもかぼそく高い声を出して、ライムのほうに短い首を伸ばした。
ぶきみな連中だが、そんなにわるいやつらでもなさそうだ、と思った。
ライムは彼らにこたえる余裕もなく、足首を強くおさえ、痛みをこらえながら、くびをあげて、走ってきた方向を見た。野菜レスラーたちの姿はみえなかった。それから念のため前の方も見る。
ゆるやかにカーブした狭い路地の両側に、似たような黒ずんだ家が並んでいた。家々の軒先には、紙でできているらしい丸い提灯がぶらさがっている。もう明かりがともっているものもあって、ぼおとひかえめな光を薄闇ににじませている。路地のはしには、細い溝が続いていて、ちょろちょろと水が流れている。耳をすますとその静かな流れの音が聞こえる。狂暴な野菜の声はどこからも聞こえないし、その影もなかった。
(うまくやつらをまいたんだ、やっぱ、おれっちって天才だ……)
ライムはにやりと笑う余裕が出てきた。
(やっぱり……あんな図体のでかい連中は、こんな狭い路地には入れないのかもしれない……)
ライムはあらためてそう思って、少しほっとした。
そのときだった。
「どしたんだ……」そばの黒ずんだ家から、また茶色のけむくじゃらの生き物が出てきた。目の前の二人とそっくりだが、ずいぶん大きい。こげ茶色で、小さいのよりさらに毛深かった。ぞうりをつっかけ、紺色の厚手のゆかたみたいな服を着ている。
「あ、じいちゃ……」小さな二人は顔をあげた。
背中の少しまがったじいさんは、ぞうりをひきずるようにして、すわりこんだままのライムのもとに寄ってきた。
「この子がころんじゃって」と茶色の男の子がいうと、妹らしい小さな女の子が、「足をけがしちゃったの」と小さなまゆをしかめて言った。
「にいちゃと地面でおえかきしてたら、この子が飛んできたんだよ」と続ける。
じいさんは、しわに囲まれた目を大きくみひらいた。
「これはおどろいた、クダモノさん、ですな……」
すると、さらにもう一人がおじいさんの後ろから顔を出した。おばあさんのようだった。やはりおそろいの暗い青の着物みたいな服を着ている。
「あれま、ほんとだ。くだものさんとは珍しい」とおばあさんも目をまるくした。ふたりとも驚いているようなのだが、二人も子供同様、ゆったりとした平板な口調で、それほど、驚いているようにはみえなかった。
「た、たしかライミというんじゃなかったかね……」とじいさんは、ばあさんをふりかえった。
(な、何がライミだ、女の子みたいじゃないかっ! 勝手に人のなまえ、つけやがって!)とライムは怒鳴ろうとした。だが、脚をけがしただけでなく、フルスピードで突っ走り、山まで越えて疲れ切っていたので、声を出せなかった。かわりにため息をついた。
「あの……」足首をおさえたままつぶやくようにライムは言った。「ライム……」そしてつづけた。「ライムのライムというんだ……」。
(こいつら、野菜レスラーとちがって、おれっちを食い殺そうという気はなさそうだな……)それでも警戒を怠らず、彼らから目を離さないようにしていた。
(油断させといて、いきなり飛びかかってくるかもしれないぞ……)
「おお、そうか、そうか。ライム、ライム……」とじいさんはなぜか嬉しそうに繰り返した。「あんた、ライミだなんて……」ばあさんは、歯の抜けた大きな口をあけて、じいさんの肩をたたいた。子供たちも笑った。
「ライミなんて、ないよ、ないよ」と体をゆすって女の子がわらいころげた。
「なんだよ、サトミだって知らなかったくせに……」
とおにいさんが笑いながら言った。
じいさんはライムにゆっくり近づいてくると、
「なんだよ、土だらけじゃないか」
かがみこんで、顔や手足の泥や土、砂をやさしく払い落としてくれた。
Tシャツや短パンも丹念にはらってくれた。
「ボクは里芋のサトノスケ。サトじいとよんでくれ」といきなり里芋のおじいさんは言った。
「じゃ、あたしは里ばあで……」しわだらけの顔をほころばせて、おばあさんも続けて言った。
それからサトじいは、子供たちを指さす。
「ふたりともわたしの孫でね、おにいちゃんが、サトジ、いもうとがサトミというんだよ」と紹介すると、こどものふたりはすこし恥ずかしそうにしながら、ほほえんだ。
「サトじいとサトジでまぎらわしいけど、よろしくな……」とサトじいがいうと、
「ぼくはサトチでいいよ……」とおだやかにほほえみながら男の子のサトイモが言った。
里いもたちはみなしずかで穏やかな声だった。ライムはその声をきくだけでなんだか落ち着いてくるような気がした。
すると、サトじいがあわてたように、すこし大きな声をあげた。
「おう、こんなところで自己紹介しあっている場合じゃない、どうだい、立てるかい。病院にいかなくっちゃあ」
「ほんと、ごめん、あたしらびっくりしすぎて、大事なことをわすれておったよ!」とさとばあも、里いもにしては大きな声で言った。
「あ、うん」
ライムはどう反応したらいいのか、よくわからなかったが、とりあえず、小さくうなずいた。
差し出されたサトじいの手につかまろうと、立ち上がろうとした。けれどやっぱり左足首に電流みたいに痛みがはしり、よろけて、またうずくまった。
「おいおい大丈夫か……」サトじいはかがみこんだ。
「う、うん、大丈夫……」とライムはうめくようにいったが、ひどく顔をしかめた。
「いやいや、はれてるじゃないか……」サトじいは、短パンからつきでたライムの足に顔を近づけた。
ライムもふくらんできている足首をあらためて見た。そして痛みに耐えながらも、運動会に来た野菜たちを怒らせて、ここまで逃げてきたことを話した。
「ちょっと待っててな」そういってサトじいは、玄関に急ぎ足で向かうと、がらがらと格子戸をあけて、くろずんだ家に入っていった。しばらくすると別の里芋を連れて出てきた。うすく口ひげをはやし、サトじいより一回り大きかった。やはり紺色の着物みたいな服を羽織り、首に巻いた手ぬぐいで太い首筋をぬぐっている。
その後ろから藤色に染められたエプロンをした女の人も出てきた。
「サトチとサトミのパパ、ママ、だよ、里じいがほほえみを浮かべながら言った。
「サトパ、サトマと呼んでくれればいい」
「やあ、ライムくん、よろしく。サトパです、じいから話はきいたよ」
みんなと同じで、すこし抑揚にとぼしいが、おだやかな声でサトパはいった。ほかの人よりは、少し声に張りがあるような気がした。
「さあ、病院に行こう、つかまって」とサトパはすこし毛深いがっしりとした手を差し出した。
その手を握ろうとして、ライムははっと手をひっこめた。
(これはわなかも……)疑いの心が浮かんだ。
(やさしいふりをして、怖い野菜たちのところへ連れていく気だ……)
これまでやさしい野菜など見たことがなかった。
でも……サトパの優しい目を見ていたら、とてもそんなことをする人のようには思えなかった。
野菜はみな果物の敵だと思っていたが、そうではないのかもしれない……。
それに、ものすごく走って、山を越えて疲れ切っていて、もはや逃げ出す気力も体力もない感じだった。
ためらいながらもライムはその手をつかんだ。その手は大きく、温かった。
サトチのパパはやさしくライムをひきあげると、すばやくだっこした。それから、そっと器用に背中にまわした。ライムはサトパのがっしりした背中にちょこなんと収まった。背中は手のひらよりさらに暖かかった。
ライムは顔が熱くなったのを感じた。おんぶやだっこなどしてもらった記憶がなかった。サトパの背中はひなたの土みたいなにおいがした。よく日にあたったほくほくした土のにおい……。
それからサトパを先頭にして、みなでぞろぞろと薄暗い路地を歩き出した。
迷路のような狭い通りを何度も曲がったあげく、四辻の角にある赤茶色の屋根の白い家の前で止まった。まわりの家より少し大きい。
古びた家で、白い壁にはおしゃれな模様みたいに、うすい黄緑のつたが這っている。
「モロニキク-モロヘイヤー医院」と書いた看板が玄関先にあった。
そのときになってはじめて、ライムは医者にかかるにはお金がいることにきづいた。サトパの背中で肩掛けかばんをのぞいてみる。財布はもってきていなかった。それにもってきたにしろ、いつも財布はほとんど空だった。ごみ集めなんかの仕事ではなかなか稼げないのだ。
「あ、あの、おれっち、お金ないんだ……だからいいよ。」
からだをよじって、サトパの背中から降りようとした。
「そんな、遠慮しないでいいよ、困ったときはお互い様さ……」とサトパはライムをそっとゆすりあげた。
「そうよぉ、珍しいお客さんなんだから。遠慮なんかしないでね」とサトマもほほえみかけた。
ライムは背中のうえでうつむいた。「あとで必ず、返すから……」と小さな声で言った。
サトパがドアノブをつかんで、大きく手前にあけた。里芋の一家は、サトパを先頭につぎつぎにドアの向こうに入った。
薄暗い廊下を少し進むと、左手に待合室があった。
待合室にはコの字型にならべられたソファがあり、十人ほどの患者が座っていた。包帯を巻いた腕を肩から吊った人や、松葉杖をかたわらにおいた人などがいる。湿布みたいなにおいが漂っている。
サトパがそっとライムを背中からおろすと、みなはっとした表情でライムを見た。息をのむ気配が伝わる。ざわめいていた待合室はしんと鎮まりかえった。
サトパがレンコンとパセリの間にあいたところにライムを座らせようとすると、二人はさっと体をずらせ、スペースを作った。
「あ、すみません」サトパは言って、ライムの隣にすこし窮屈そうにして座った。ほかの里いも家族もそれぞれあいたところに座った。
両隣の野菜は目をそらしたが、あとの患者たちは、ちらちらと、ライムに視線を走らせたりお互いに目くばせをしたりした。隣の人に耳打ちをする人もいる。「ねえ、あれって、くだものよね……」ひそひそ声だったが、あたりがしん、としているので、だれの耳にもはっきり聞こえた。
まんまるくて、つやつやまっかなミニトマトがママの膝からおりて、とことこ歩いてきた。ソファにすわったライムのまんまえにくると、小さな赤い指をまっすぐに向けた。大きな声できく。
「ねえ、ママぁ、これくだものぉ? 」
「これっ、やめなさいっ」ママトマトはあわてて、ミニトマトを追いかけた。「人を指さすのは失礼でしょっ」
だきあげると、なぜかライムにではなく、サトパに向かって頭を下げた。
でも、ミニトマトの行動で、金縛りが解けたみたいに、診察室の中にはりつめていた緊張がふっとほどけた。
「いやあ、おじょうちゃん、よく知ってるね。この子はライムといって、お隣のくだものの町、フルーツェンからわざわざ来てくれたんだよ」
サトじいが、にっこりとミニトマトにわらいかけた。
「くだものちゃんたち、子供新聞とかにいっぱいのってるよ」ミニトマトは、ママの膝の上で、小さな足をぶらんぶらん、させながら元気のいい声で言った。
「みんな、とってもゴージャスなんだよっ!」
診察室に笑いが起こった。
「よく知っとるね、ゴージャスなんて言葉……お利口だね」
とさとばあがゆったりした声で笑いかけた。
「こいつはあんまりゴージャスにみえないけどな……」
と、やせて髪がぼおぼおのほうれん草が、ライムのよれよれで、うすよごれたTシャツや短パンを見ていった。
黒ずんだ緑色の前髪が深く垂れて目を隠しているが、よく見えているらしい。
「そんなことないよっ」
サトチがむきになったように言った。
怒ったのかもしれないのだが、あまり口調や声に変化がないので、怒っているようにはみえなかった。
「ライムくんは、ぼくらにぶつかりそうになって、よけるために、けがしちゃったんだ!」
「あたしたちにぶつかっちゃ、だめだめーって、ぽーんてしてけがしちゃったんだよっ」サトミも口をとがらせて言った。
(ええと……)
ライムは首をかしげた。
(おれっちがゴージャスにみえない、ってことと、あんまし関係ないみたいだけど……)
とライムは思ったけど、だまっていた。味方になってくれたことがうれしかったからだ。自分に味方してくれるものなど、フルーツェンではほとんどいなかった。
唐突に、
「おまえらはいいよな、ニンゲに気に入られて……」横目でライムをみながら、インゲンがぼそっと言った。左の肘にサポーターをつけている。
「この前もグランプリでニンゲから豪華列車かなんか、もらったんだろ」
「え? 」ライムは思わず首をかしげた。
なんだか、野菜レスラーたちもそんなようなことを話していたことを思い出した。
「どうやったらコンテストに勝てるの」と、今度は、ソファのはしのほうから、ほっそりしたミズナの女の人が身を乗り出した。
「やっぱり、スポーツジムに通って体を鍛えたり、高いお金をはらってエステなんかに行くの? あと、いろいろおけいこごとのお教室とか……」
ミズナはほそいまゆをしかめて、矢継ぎ早に聞いた。
「それとも、フルーツェンにはコンテスト対策の学校とかあるの?」
「ええと……」
ライムは顔をひきつらせた。(コンテストなんていつ、どこでやってたんだっけ……)
コンテストもニンゲのことも見たことも聞いたこともない、とは言いだせなかった。フルーツェンではつまはじきにされていて、自分だけが知らないのだ、と思った。
ライムが何と答えていいかわからず、口ごもっていると、ミズナはうつむいてため息をついた。
「でもあたしには、そんなお金はないわ……あたしたちの町はどんどん貧乏になっていくんだもの……」
「そうそう、こいつらのせいでな……」と、顔にふりかかった黒ずんだ緑の髪の間から、ライムをにらみつけて、ほうれん草が言った。
「ニンゲが、くだもの連中をめでればめでるほど、わしらは衰退する……」としわがれた低い声がした。居眠りしていたようにみえていた、ずんぐりした大きなからだのジャガイモがむっくりと上体を起こした。
「そう、そのとおりだ……」
ほうれん草がうなだれた首を大きく左右に振った。青黒く長い、つやのない髪がぶん、ぶん、とふられた。
両隣にいる患者たちはそれをよけるため、体をかたむけて、顔をしかめる。
「そもそもニンゲは、わが町にはやってきてくれないし、コンテストなんて開いてくれないじゃないか。はなっから勝負にならない。もはやまったく相手にされてないんだよ、われわれは……」老じゃがいもはため息をついて、ふとい腕を胸の前で組んだ。
「そ、そのコンテストって噂話かなんかじゃないの? 」
とライムはしどろもどろになって言った。
「だって、どこにだって載ってるよ」
指先に包帯をまいたピーマンが立ち上がると、待合室のすみに行って雑誌ラックから雑誌を一冊取り出した。
「これ、よく読まれているフルベジタイムズなんだけど……」
というと、老じゃがいもが、腰をさすりながら、
「それ、もともとは「ベジベジタイムズ」って雑誌だったんだ。けど、いつにまにか「フルベジタイムズ」って名前に変わってた……」
とにがにがしげに、重苦しい口調で言った。
「しかも、豪勢な果物の話ばっかり……」
とくやしそうに顔をしかめた。
ピーマンは雑誌をもってもどってくると、立ったままライムの前にページを大きく広げた。
するとカラー写真のページに、大きく立派な金色のトロフィーをかかえてにっこり笑っているメロゴールドの写真があった。トロフィーに負けずに、まぶしいばかりに太陽のように輝いている。「ビタミン大賞受賞!!」との大きな見出しが躍っていた。
(こんなフルーツ、見たことないなあ、)とライムは思った。
メロゴールドは金ぴかの、やはりまぶしく輝くネックレスを太い首にかけ、両手すべての指に赤や、青や、銀白色や透明に輝く指輪をしていた。
「副賞もすごいよな」といって、ピーマンが、ページの右上の写真を指さした。そこには小さく、小型ジェット機のようなものが写っていた。
ページをめくると、フルーツのこれまでの主な受賞歴、と見出しのあるページがあった。いくつかの写真が載っている。
「あ、ハリー城だ」とライムは小さくさけんだ。そこにはイチゴやオレンジ、レモン色などのフルーツカラーに彩られた三つの塔が目立つ白いお城があった。
「へえ、このお城、ハリー城っていうんだ、立派だねえ……」
とピーマンが、自分が両手にもって広げているページを上からのぞきこんで言った。
「りっぱねえ」と、いつのまにか雑誌を見上げていたサトミも言った。
「りっぱぁ」もうひとつのかわいい声。ミニトマトだった。
いつのまにかふたりは手をつないでならんで立っている。
「はっは、こどもはすぐに友達同士になっちゃうね」とサトじいがほほえんだ。
「え、いや」とライムは手を振った。
「立派っていうか、これ、張りぼてだよ……たしか発砲スチロールとか段ボール紙みたいのでできてるんだ……」ライムは足の痛みもわすれて、説明した。
「え」待合室にいる野菜たちは、全員、きょとんとした顔でライムを見た。
「だからハリー城っていうんだ。張りぼてのはりー。ちなみに豪華客船もあるよ、それはプリンス・ボテール号って名前。はりぼての、ぼて、からとったんじゃないかな……」
なぜか、ちょっと得意そうにライムは言った。
待合室はしんとしずまりかえっている。
「ほかにも、立派な美術館やら、博物館もあるんだぜ」ライムはさらに得意げに言った。
「だから、賞品とかでもらったもんじゃなくて、町で作ったもんなんだ」とつづける。
「なかなかよくできてるだろう」
ライムは、写真を指さし、自分がつくったものでもないのに胸を張った。とたんに足がひっぱられたような感じになり、痛みが走った。
「あ、いてててて……」
ライムはかがみこんで足首をおさえた。
しばらく、待合室は沈黙に包まれていた。が、突然、笑い声がひびいた。ジャガイモじいさんが歯のぬけた大きな口を大きくあけて豪快に笑っている。
「なあんだ、はりぼてかあ」
つられたように待合室のみんなも笑い出した。サト家族も全員笑った。
「わあい、はりぼて、はりぼてっ!」
「はいもて、はいもてー!」意味がわかっているのか、よくわからないが、サトミとミニトマトは、手をつないだままソファの上でぴょんぴょんはねた。
「こら、やめなさい」トマトとサトマがあわてて歩み寄る。
「ちぇっ、はりぼてかよ、いかにも果物連中のやりそうなことだっ」とほうれん草は毒づいた。でも長く前に垂れた髪の間からかいまみえる表情は少しうれしそうだった。
ライムも、とまどいながらも笑った。
「いや、ほんとにパイナ町長がもう、はりぼてが好きで、好きで……」
ライムは笑いながら言った。
「パイナップルなんだけど、いい町長だぜ、おれはチョウチョってよんでる……」
野菜たちの中にひとりいて、パイナ町長のことを話すと、なぜかほっとするような、力強いような感じがあった。本人がそばにいるわけではないけれど……
「だから、まあ、さっきもいったように、何かの賞品じゃなくって、みんなソンチョが作らせたものなんだ……」
「チョウチョ、チョウチョっ!♪」と繰り返して、ミニトマトとサトミはかんだかい声で笑った。
「へえ、おもしろい町長なんだな……」とピーマンが言った。
「偽物でもお城とか、でっかい客船とか豪勢なものがあったほうが、心が豊かになるとかっていってね……」とライムがいうと、「ほお」「へえ……」と、感心しているとも、あきれているともつかない声が起こった。
「でもじゃあ、この雑誌はなんだろう……」
ピーマンは手に持った雑誌をじっと見下ろした。
「なんだって、張りぼてを賞品なんて……」
「知らなかったんじゃないか、張りぼてって……」とジャガイモが言った。
「くだもん連中が言ったうそをうのみにして書いたんだろう、取材もろくにしないで……」
とピーマンがひろげた雑誌に、ほそながい指をつきつけながらほうれん草が言った。
「取材がなってないな……」と吐き捨てるように付け加える。
「昔は、しっかりしたいい雑誌だったよ」
とサトじいが口を開いた。
「うそや、いいかげんなことを書いてることはなかった……」
「いや、まったく……」と、いままでだまっていた年配のシイタケが言った。かたわらにきちんと二本の松葉づえをそろえている。
「もしかしたらフルベジタイムズって名前に変わってからじゃないか、おかしくなったのは。しかも果物の豪勢な話ばっかり載せやがって……」。
とシイタケはくやしそうに顔をしかめた。
ライムは立ち上がって、背伸びしニンジンの手からそっと雑誌をとった。ぱらぱらとめくる。大きな見出しが躍っている。「野菜がしあわせになれない780の理由」「野菜みたい! とばかにされないためのファッション50選」……
「ひどい記事ばっかりだな……」とライムはつぶやいた。
一方、フルーツ関係の記事のタイトルは「フルーツ、栄光の歴史」「ちょーすてき! あこがれのきらきらスーパーフルーツのライフスタイル!」などだった。
「でも……」
とぼさぼさの青黒い髪の間からじっとライムを見つめながら、ほうれん草が用心深そうに言った。
「たしかにこの雑誌の内容は多少おおげさかもしれない。でも、ニンゲが野菜より果物が好きだということは事実だよな……」と横目でライムを見ながら言った。
「そう、ニンゲ界では、動物だってフルーツのほうが好きってきくよ」とピーマンも言った。
ライムは、「そんなことないよ、このまえ、テレビで見たんだけど……」といって話し出した。テレビはごみの仕事中に拾ったものだった。だめもとでスイッチをつけたら映ったのでほんとうに驚いた。画面はうつりがわるく色がへんになったりすることもあったが、十メートルジャンプしたいくらいうれしかったことを思い出した。
「テレビで、動物のちょっとしたニュースをやっていてね……」
とライムは続けた。
「ニンゲ界にはコビトカバっていう、とってもめずらしい動物がいるんだけど……」。
「コピットバ……? 」
ミニトマトが、すわっているライムの真ん前にきて、ライムの顔をみあげた。目をかがやかせている。動物が好きなのだろうか、とライムはおもった。
「うん、こ・び・と・か・ば、ね。ちっちゃなカバのことなんだ」とライムはほほえんで説明した。
「カ、バ?」きょとんとした顔で、ミニトマトは首をかしげた。
(野菜町は動物園ないのかな)とふと思った。
フルーツェンには動物園はあった。でも、貧しいライムは行ったことはなかった。だからカバは見たことがなかった。
ライムは、図鑑でみたカバを思い出しながら言った。
「うん、カバは口のでっかい、からだもでっかい、でぶっこい動物なんだ。けど、コビトカバは、カバのなかまの中ではちっちゃいんだ……」ライムは笑顔でつづけた。小さな子供相手には、ほほえみながら話したほうがいい、と思った。ときどき、足首に痛みがぶりかえしたが、我慢して笑顔を浮かべ続けた。
「このくらい?」ミニトマトは、ちいさな赤い手と手で五センチくらいの幅を示してみせた。
「い、いや、そんなにちっちゃくはないんだけど……」ライムは、ややひきつった笑顔を浮かべつづけた。
「ええと、どうだろ、ブタさんくらいかな……」
ライムもコビトカバなど見たことはなかったので、すこしあわてた。顔のこわばりがさらにひどくなっているのが感じられた。
「えと、大きさはあまり関係ないんだけど……」と話を元に戻そうとした。
「でも、お口はおっきぃんでしょ……」なおも小さなまんまるのミニトマトは、ほおを紅潮させたまま質問を重ねた。
「ま、そうだね。カバは口がでかいから……」
慣れない笑顔をはりつけるようにしたまま続ける。
「こらこら、もうそのくらいでいいでしょ。フルーツさん、困ってるでしょ」トマトはミニトマトを後ろからだきかかえて自分の席に戻ろうとした。だが、ミニトマトはからだをよじり小さな両足をばたばたさせて抵抗した。
「キャベツを十個いっぺんにたべられるくらいかなあ」
解放されたミニトマトは質問を再開する。
その後ろでは、トマトが困った顔でつったっている。
(いやいや、さっきも言った通り、コビトカバはふつうのカバより相当、ちっちゃい。そのあかちゃんだから、そうとう、ちっこいはずだ。だから、いくら口のおおきな動物だからといってキャベツ十個なんて……)と、またくどくどと説明しようとしたが……
「そ、そうだね。どうだろう……。」
とくびをかしげてみせた。
もはやひたいに汗がにじんでいた。こんな小さな、幼い子供の相手などしたことはなかったのだ。
もうむりやり、話をもとにもどすことにした。
「で、動物園でそのコビトカバの赤ちゃんのごはんにリンゴやオレンジやバナナなんかの果物をあげていたんだけど……」と、ライムは声を大きくして、話を進めた。
「そしたら太って、ちょっとからだの具合が悪くなっちゃたんだ……」
ミニトマトは心配そうにライムの顔を見上げた。何か言いたそうに口を開きかけたので、あわてて早口で先を続ける。
「それで、ごはんをぜんぶ、野菜に変えてみたんだって……。そしたらすっかり体の具合がよくなって、元気にすくすく育っているんだって……」
とうとう最後まで言い切り、ライムは深く安堵のため息をついた。
「動物園のごはんってライオンとか肉を食べる動物以外はほとんど野菜らしいよ」とライムは付け加えた。
ライムの真正面に陣取ったミニトマトは、今度はなにも口をはさまず、こっくりうなずいた。
それから、
「よかったね、カバちゃん、元気になって」ぱちぱちと小さな手をたたいた。サトミも笑顔で手をたたいた。
小さな子供の相手ってこんなに疲れるんだ、とライムは思った。一方では、ちいさなこどもとはいえ、こんなに熱心に自分に話しかけてくれる人がいることをうれしく思っている自分にも気づいた。
「なんだ、それだけの話かっ」と舌打ちしながらほうれん草は言った。
「コビトカバやらはとくに関係ないんじゃないか。別の動物だってだいたい、同じようなことだろう」と毒づいたが、やはりうっそうとした髪の毛の下の表情はどこかゆるんでいるようにみえた。
「そんなこというなよ。いい話じゃないか」とジャガイモがライムをなぐさめるように言った。
「いや、しかしですな……」と観葉植物の影から黒っぽい棒のようなものがのぞいた。年配のゴボウだった。ライムたちのあとに、診察室に入ってきていた。こげ茶色の細い首にコルセットを巻いている。背筋も首もぴんと伸ばし、なんだかちょっとロボットみたい-とライムは思った。
「動物に果物が人気なのは、食べるためだけじゃないのですよ……」
ぎぎいときしみ音が聞こえるのじゃないかという動きで、まっすぐにした体ごと、ゴボウはライムに向き直った。
「ええと、なんていいましたかね、大きなネズミ……そうそう、カピバラっていう動物がニンゲ界にいるそうですけど、ゆずをたくさん浮かべたお風呂に入るってきいたことがあります……」
ゴボウは何かを棒読みするような抑揚のない声で言った。
「あ、知ってる。お湯につかって、目をつぶってとっても気持ちよさそうにしてるんですよね……」とミズナが口をはさんだ。
「リンご風呂とかみかん風呂もあるっていうよ……」とジャガイモも言った。
「そう……でもニンジンやゴボウ風呂に入る、なんて聞いたことがない……」とゴボウは残念そうに言った。
「そもそも、わたしゃ、温泉なんてしろものには入ったことないなあ……」と老ジャガが言った。
「そりゃそうでしょう。この町の温泉はすべて干上がってるんですから……」とゴボウがぴんと背を伸ばしたまま言った。
「いや、そんなことはない。荒暗山の奥に八百度くらいの湯がぐつぐつ煮えている温泉ならあるぞ」とほうれん草が暗く低い声で言った。
「あ、知ってる、地獄温泉ってやつだろう」とあっけらかんとした口調でジャガイモが言った。
「そこに入ってゆであがれば、意外とニンゲたちに気に入られるかもしれんな。ゆげがゆらゆら、ニンゲ界まで漂っていってな。ま、われわれの命をかけたニンゲへの訴えということになるが……」
ほうれん草はかろうじてみえている青黒い唇のはしをゆがめた。
サトパが大きくため息をついた。
「昔はあちこちに温泉あったけどなあ……」
「そうだよお、まだ小さかったお前をつれて、よく行ったもんだよ……朝露温泉とか、ひなた温泉とか……」とサトじいがサトパのほうを向いて言った。
「じんわり、からだの奥までしみわたるようないいお湯を味わうでもなく、おまえは水泳大会みたいに、バチャバチャ泳ぎまくってたなあ……」とサトじいは目を細めた。
「そう、ほんといいお湯だったわねえ。ほどよくゆだった野菜たちの香りもなかなかよかったねえ……」
とサトばあが目をつぶって天井のほうにおだやかな、しわだらけの顔を向けた。
まるで温泉につかっているかのような力のぬけたやわらかい表情だった。
「そう、そのほんわかした湯煙がゆらゆらと空に昇って、ニンゲ世界にも伝わったんでしょう……」となつかしそうに言った。
「まあ、昔はそうだったかもしれませんが……」
ゴボウが大きくため息をついた。
「いずれにしろ、ニンゲさまたちが野菜を食べなくなって、温泉もなにも枯れはてたってわけですな……」
「そう、果物やろうたちのせいでな……」
ほうれん草が歯ぎしりしながら言った。再びけわしい表情になって、ライムをにらみつけている。
「こいつらは、どんな手を使ったかわからないが、空の上にいるニンゲが野菜嫌いになるように仕向ける一方、自分たちだけ気に入られるような仕掛けをしたんだ……」
ライムは思わず、その視線にたじろぎ、ほうれん草から目をそらせた。
ほうれん草はうなだれ、首を大きく左右に振った。青黒く長い、つやのない髪がぶん、ぶん、とふられた。
両隣にいる患者たちはそれをよけるため、体をかたむけて、顔をしかめる。
野菜たちの誤解をといた、と思っていたが、また、結局、もとにもどってしまった……
ライムが黙ってうつむいていると、高く澄んだ声があがった。
「ねえ、ニンゲさまの世界では病気か怪我をして入院したら、お見舞いにフルーツをもっていくって聞いたことがありますけど、本当ですか」とミズナがライムに涼しげな眼を向けた。
話題はともかくとして、ほうれん草とやりとりをしなくてもよいかと思って、ライムはほっとして、ミズナに向き直った。
「すてきなかごにいれて、きれいなかわいいリボンなんかをつけて……」とミズナがつづけた。
ライムは一瞬、ロイヤルバスケッツのことを思い浮かべて、ぷっと噴き出してしまいそうになったが、それをこらえた。
「そのほほえみは、やっぱり、ほんとうということね……」
みずなは、ほっそりした左手首にまるでアクセサリーみたいにまっしろく細めの包帯をまいている。ときどき、そっとそこにふれながら話しつづけた。
「ほうれん草とかニンジンをお見舞いにもっていくなんて聞いたことありませんものね……」
「なんで、ほうれん草なんだっ! 」
ほうれん草がいきなり、いきおいよく立ち上がった。しおれた青黒く長い髪がぶんと、振り上げられる。ぜんぶあらわになった顔立ちは、けっこう整っていた。
でも、「いたたたた……」すぐに左肩をおさえて、ゆっくりと再びソファに座り込んだ。彼は、どうやら肩を痛めているらしかった。
「まあまあ」
サトパはさとぱは立ち上がって、なだめるように言った。
「まあ、とにかく、ニンげさんの間では、くだもんさんのほうが野菜より人気があるんだろう……。だが、動物園なんかはわれわれ野菜をごひいきにしてくれてるみたいじゃないか……」
「あ、あの……」
ひょろひょろと痩せたもやしが、かぼそいうでをあげた。
ライムたちのあとに入ってきたらしいが、いつ入ってきたのかわからなかった。
「ぼく、前に図書館で調べたことがあるんです……」
とかぼそい声で続ける。
「ニンゲさまの世界で、デザインに、野菜と果物、どっちが多く使われているか……」
もやしはそういったきり、うつむいて少し黙った。
「そしたら、……そしたらずうっと果物のほうが多かった。いちご模様のハンカチとか、レモン柄のエプロンだとか、スイカ柄の布バックとか……」
そこで言葉につまったように、話がとぎれた。
「……もやしのデザインはどこにもなかったよ……」と言って鼻をすすりあげた。
「お菓子で調べてもそうだった……」ともやしは、しゃくりあげながらつづけた。
「フルーツキャンディとか、フルーツケーキだとか、フルーツパフェとか……」
そこで再びことばにつまった。
「もやしのお菓子はひとつもなかった……」
もやしの声は涙で震えだした。
「もやしのお菓子はもちろん、もやし柄の服も靴下も、傘も、消しゴムも、なにもなかった……
「もやし模様の水筒、お茶碗も。腕時計もっ、指輪も。猫の手、しゃもじもっ、もやしゲームも、もやしクリップも、もやしもなかも、何もなかった。何も、なにも……」
そのあと、もやしの声はとうとう泣き声だけになった。
(いや、それはフルーツのものだって、ないんじゃないかな)、と思うものもあったが、もやしのいきおいにけおされて、ライムは何もいえなかった。
「ええと……、何もわざわざそんなもの調べなくても……」
ライムは何といったらいいかわからなかったが、なんとかそれだけ言った。
「いや、調査は重要ですよ」とまっすぐの棒みたいに硬直したゴボウがいった。
「ニンゲ界での人気が、われわれに影響するわけですから……」
「こんど、“歌”でも調べてみるよ……」と鼻をすすりあげながらもやしが言った。
「野菜の歌、果物の歌、どっちがおおいかな……」
サトパがせきばらいをした。
「本来は、ニンゲ界にいって、われわれ野菜のいいところを宣伝でもすればいいんだろうが……」と言った。
「だが、ニンゲ界に行くのは難しい。でかけていったきり帰ってこない人もいる……」とサトじいが腕をくんで、うなるように言った。
「なにせ、ニンゲ界に行くには、めったに姿を現さない幻の空飛ぶ乗り物に乗っていくしかありませんからな……」とサトパが言った。
「ああ、ムニーカとよばれているやつですな、巨大なくらげみたいにふわふわと漂って……」
とじゃがいもがうなずいた。
「昼間なのか、夕方なのかよくわからない時間帯とか、晴れと曇りの中間みたいに、どこかあいまいな時間、空間のときなんかによく出るとか聞いたことがありますよ……」
とピーマンが言った。
「雲の中に半分隠れるようにしてぼおと現れることも……。雲とほとんど同じ色で、出ていても気がつかないこともあるようです……」と付け加える。
「しかも、きまぐれにしか丘なんかにおりてきてくれない……」
とミズナが話の輪に加わった。
「そう、あれは、われわれ野菜とか果物の精をのせるというより、一休みするために丘に着陸しているようだという者もいます……」とゴボウが硬直したまま言った。
「その点、果物町には、しょっちゅう降りてくるんだろう、ムニーカ。なにせフルーツさんたちはニンゲたちのお気に入りだからな……」
ほうれん草が、深くたれた髪の毛の奥の目をにぶく光らせながら言った。
「いや、そんなことないよ。フルーツェンだっておんなじさ……」
とあわててライムは言った。
一度だけ、見たことがあったことを思い出した。ふと見上げた雲の間にやっぱり幻のように浮かんでいた。……だが、それはただの雲だったのかもしれない……
ニンゲ世界に行ってみたら、「おお、これはすばらしいフルーツだ」、とニンゲが手のひらにのせて、とてもやさしく微笑んでくれる、という妄想にふけったものだった。
でもあれは本物だったろうか……。蜃気楼か幻だったのかもしれない。
そのとき、診察室のドアが開いて、「ライーミさーん」と白衣のパセリが顔をのぞかせた。爆発したみたいなふわふわの緑の髪をナースキャップに押し込んでいる。
「ライムくんだよ」とサトパが訂正した。
「失礼しました、ラ、ライムさん、どうぞお入りください」と、パセリ看護師はドアをさらに大きく開いた。ライムを見て目も大きく開いている。サトパは、ライムを抱えて診察室に向かった。里いもの家族もぞろぞろと後に続く。
デスクに向かっていた医者のモロヘイヤは、ふりかえって、目をまるくした。
「ほお、フルーツの患者さんは、はじめてだな。いや、ほんと珍しい」と大きな声で言った。
それからきっぱりとつづけた。「でも心配しなさんな。だれであっても目の前の命を救うのが私のつとめだ」
「ええっ、い、命にかかわることなんですか! 」サトマはさっと青ざめ、悲鳴のような声をあげた。
「いや、まあ、まず、みてみましょう……」眉間にしわをよせて、ライムの全身をじろじろと見た。
「あのぉ……」サトバアは心配そうに、ちいさな声で尋ねた。
「この子、足をくじいちゃったみたいなんですけど、い、命は、だ、だいじょうぶですよね……」
「あ、足か……」モロヘイヤドクターは、椅子からぶらさがったライムの短い小さな足に目をやった。
「ジャンプの着地に失敗して、足くびをぎくっとやっちゃったみたいなんです」とライムの後ろに、家族とともに並んで立っていたサトじいが説明した。
「ほお、わんぱくにあそんどったというわけだ……」
と医者が、もちあげたライムの左の足首をそっとつかみながら言った。
「ええと、遊んでたわけじゃないんだけど……」とライムはつぶやくように言った。
でも、医者がつかんだ足をさらに上に持ち上げたので、「いてっ!」と思わず大声をあげてしまった。
「あ、すまない。でもそんなに腫れてるわけでもないし、それほどひどくはないかんじだな、一応、念のためにレントゲンを撮っておきましょう」と医者はひとりうなずいた。
ライムはレントゲンのある別の部屋につれていかれた。里いも家族もみなぞろぞろとついていく。
「うわあ、まっくら!」とサトミが叫ぶ。
「おい、サトミ、うしろにへんな影が……」とサトチがいうと、きゃー! とサトミの悲鳴がレントゲン室内にひびきわたった。
「あの、」と看護師がふたりをにらむ。「お化け屋敷なんじゃないんだから、しずかにしてください」ときびしい声で言った。
レントゲンをとり終わり、また一同はぞろぞろと診察室に戻った。しばらくしたあと、医者が、ぺらんぺらんとレントゲン写真をふりながら入ってきた。
「うん、骨折などはしとらんよ、でもけっして軽くはない。しばらく安静にしてなきゃだめだな……」といった。
そして足にぐるぐると真っ白い包帯を巻いてくれた。
「痛み止めのお薬も出しておきましょう」
モロヘイヤドクターは処方箋にペンを走らせた。
「ではお大事に」と医者がいったので、ライムはぺこりとおじぎをして、診察室の椅子からおりた。そのままびっこをひきひき歩き出そうとすると、「おいおい、無理しちゃだめだよ」とサトパの声がして、ライムのからだはひょいと持ち上げられた。
「よっこらせ」掛け声をかけて、サトパはひょいとライムを広い背中に回した。
「だ、だいじょうぶだよ、おれっち、包帯でがちがちに足、まいてもらったから」
ライムは、脚をばたばたさせながらいった。また顔があつくなるのを感じた。
「いいから、いいから」サトパはおおらかな声でいって、ライムをやさしくゆすりあげた。
そして、医者や看護婦におじぎをすると診察室を出た。
「ありがとございました。」後の家族も口々にいって、丁寧におじぎをした。そして、サトパのあとに続いた。
受付で湿布薬や痛み止めの飲み薬をもらってお金をはらうと、里家族は医院を出た。
「すいません……」ライムはサトパの背中で小さな声で言った。「あとで必ず、返しますから……」
「さすが、クダモノさんだ、礼儀正しいな」とサトじいがほほえんだ。
「いいんだよ、これくらいのこと……」とサトパは、はつらつとした声を出した。「出会ったのもなにかのご縁なんだから……」
「サトミもだっこ、だっこぉ」とサトチの妹が、サトパにまとわりついた。サトパの紺色のだぶっとしたズボンを引っ張る。
「ほらほら、パパを困らせないの」とサトマがいって、サトミを抱き上げた。
「だっことおんぶ。あかちゃんが二人みたいだね……」とサトチがライムと妹ををみあげて笑った。
「すいません……」とライムは、またいちだんと熱くなった顔を隠すようにサトパの広い背中に伏せた。
ゆっくりとサト家族は、帰り道をたどった。サトパが、あまり揺れないように気をつけている様子が背中のライムにも伝わった。狭い迷路のような路地をあちこち曲がりながら、みなでぞろぞろと進む。
ぐねぐね曲がる狭い通りをはさんで連なる黒っぽい家々。軒先にぶらさがる提灯にはあかりがともっているものもある。つらなりのところどころに、こぶりの店もはさまっているのにライムは気がついた。行きには、余裕がなかったせいか、それらの店は目に入らなかったようだった。
店の前に台が置かれて、ちょっとでこぼこしているけど、味わいのある食器などがいくつか並べられていたりする。赤かぶの形をした湯呑ポットや、ナスみたいな茶碗、白菜の葉みたいな皿なんかが見えた。
なんだか、香ばしいにおいが漂ってきた。
「お、だんだ焼、うまそうだな」
食器屋のそばにあった屋台の前でサトパは立ち止まった。
「ここ、甘辛具合が絶妙なんだよ」と背中のライムをふりむくように首を曲げた。
「ほんと、いつかいでも香ばしい香りだな」とサトじいは目をとじて、深呼吸するみたいに、深く息を吸った。「うん、長生きしそうな香りだ」といって目をとじたまま、ひとりうなずく。
「おやっさん、12本ちょうだい。いや、20本だっ」と、網の上の串だんごみたいなものを指さしながら、威勢よくサトパが言った。
「お、きょうは豪勢だね」まっしろい割烹着に身を包み、ひたいにきりりと鉢巻をしたいんげんも威勢よく答えた。
「ま、今日はお客さんもおるから」と、からだをちょっとねじって、いんげんにライムが見えるようにした。
「あ、あれ、どなたさん……」
いんげんはおどろいた顔をして手を止めた。
「ライっちだよ」とサトチが言った。
「くだもの町から来たの」とサトミがママの背中から付け加えた。いつのまにか、だっこからおんぶになっていた。
「ライムのライム君なんだ、よろしくね」と、ひとつ背中を軽くゆすってサトパが言った。
「よろしくおねがいします」サトばあとサトマもそろって頭を下げた。
「お、おう、よろしくさん」いんげんも、何をお願いされたのかよくわからない、といった顔のまま、ぎこちなく頭をさげた。
いんげんは、新聞紙につつんで、だんだ焼きを渡してくれた。
「ほい、二、三本、おまけしといたよっ」と再び威勢を取り戻した張りのある声で、はちまきおじさんは言った。
「くだもんさんも気に入ってくれればいいんだが……」
サトパはポケットから薄茶色のふろしきを引っ張り出して、それを包んだ。
「ありがとうございます」といってサトバあは深々と頭をさげた。みなもそろって頭をさげた。ライムもサトパの背中ではずかしそうに、なんだか中途半端な笑みをうかべながらおじぎをした。
「ありがとさんっ、また、どうぞ!」
いんげんもよく通る声をあげてハチマキの頭をさげた。
すすきが生い茂った空き地にさしかかったところで、ふとサトパが立ち止まった。
「その足の様子じゃ、とても君の町には帰れないだろう……」
「そうね、いくらパパでも、この子を背負って、ぼんだ山を越えるのはちょっとね……」とサトマも言った。
「なんだか、ぼんやりした名前のわりには、ぼんだ山はけっこうけわしいからな」サトじいもそう付け加える。
そのとき、きゅうにサトマがはじけるような大きな声を出した。
「あ、そうだ、ご家族に連絡しなくちゃ!……」
「いや、おれっち、家族いないんだ……」サトパの背中でうつむきながら、ライムは小さな声で言った。
「え、家族いない?、ええと、じゃ、どうやって生活を……」サトじいはそういってから急に口をつぐんだ。
「い、いや、すまん、立ち入ったことを……」
「いや、いいんだ。おれっち、ごみ集めとかの仕事して、なんとか食ってるんです……」
ライムはとてもはずかしかったが、そう言った。この家族の前ではうそはつけない、となぜか思った。
「ほ、ほお、そうか。そりゃ、働きものだなあ……」
サトじいはいかにも感心したみたいに言った。
「小さいのに立派だねえ」とさとばあも微笑んだ。あとのみなもうなずく。
それ以上はきこうとせずに、サトパは落ち着いた声で言った。
「そうだな、とりあえず、今日は、うちに泊まっていくといい……」
「え」
ライムはびっくりしてサトパの背中で体を固くした。
「そうだよ、それがいいっ」とサトチが叫んだ。
「お泊り、おとまりっ」サトミもぴょんぴょんはねた。
あんまりはしゃいだので、サンダルが片方脱げてふっとんでしまった。
「あ、これこれ……」
さとばあが、あわてて拾いにいく。
「仕事は休んだりできるかい」とサトパが聞いた。
「まあ、かわりの人はけっこういるから……」とライムは小さな声でぼそぼそと言った。
この足で、あの山を乗り越えるのは無理だ、と自分でも思った。
それになんだか急に疲れが襲ってきて、サトパの広く温かい背中にいつまでもいたい、となんとなく思った。
(な、なんでそんなこと思うんだよ……)と焦り、あわてて首を横に振った。
「じゃ、遠慮なんかしないで泊まっていきなさい」とサトパがもう一度言った。
「い、いや、それは悪いから……」ライムはサトパのせなかで、ちいさなからだをもぞもぞさせた。
「そんなことないよ。楽しいお客は大歓迎だよ、よかったらフルツェン町の楽しい話を聞かせてちょうだいな」とサトマが言った。
みなは狭いくねくねした路地を進んだ。
くすんだ土壁の家が並んでいる。そのうちの一軒の前でサトパは立ち止まった。ライムをおぶったまま、がらがらと黒ずんだ格子戸をあけて、中に入った。玄関は、ほくほくとあたたかい土のにおいがほんのりした。
薄暗い、ところどころきしむ廊下を通って居間らしい部屋に入った。畳敷きの部屋のまんなかへんには背のひくい濃い茶色の楕円形のテーブルがあった。サトパは、そのわきにライムをそっと下した。サトチやサトミもテーブルを囲んで座った。ふたりともお行儀よく正座をした。ライムもまるっこいからだをもぞもぞさせ、まねをしようとした。
「いやいや、足は投げ出していいんだよ」とあわてて、サトじいが言った。
「痛くないようにしてな」さとばあも、ゆったりした声で付け加えた。
「うん、だいじょうぶ。かちかちにしてもらったから」とライムはほうたいで固くぐるぐる巻きにされたみじかい青緑の足をもちあげてみせた。
「そんなむりをしなくていいよ」とサトパはほほえみながら言った。「足はおろしておきなさい」
ライムは「はい」とすなおにいって、きずついたほうの足を投げ出した。
しばらくすると、
「はい、お茶ですよお」おぼんにいくつかの湯飲み茶わんをのせてサトマが居間に入ってきた。
「はい、ライムちゃん」
サトマは真っ先にライムの前に湯呑茶碗をおいた。
ライムはのどがかわいていたので、すぐに手を茶碗に伸ばした。
「あちちっ」あわてて湯飲みから指をはなし、自分の口の中につっこむようにした。はふはふと、いきおいよく息をかける。
ライムはお茶というものをほとんど飲んだことがなかった。
「ふうふうしてからのむんだよ」とサトマが、あかんぼうを相手にするみたいに言った。そして自分の湯飲み茶わんにふうふうと息をふきかけてみせた。
ライムははずかしかったけど、まねをして、テーブルに置いた茶碗に息をふきかけた。みなの視線を意識して、うまくふけているかな、と心配だった。そのうち、強くふきすぎて、お茶がとんで、顔にかかり、「あちちっ」また顔をしかめた。
「だ、だいじょうぶ?」とサトマが心配そうに顔をのぞきこむようにする。ライムはなかばひきつったように笑ってみせる。
「はい、おまたせ」
サトバがいくつものお皿を抱えて入ってきた。そのうしろから、おぼんにだんごをのせて、さとばあも続く。
「はい、ベジッタ町の名産、ドトターンでございますっ」
サトバは高級レストランのシェフみたいに、きどった手つきでみなの前にだんごの皿を並べた。さっき、屋台で買ったどとんただだんごだった。
「ほお、玄さんのだんごは町の名産だったんか……」
サトじいがおどけた口調でいうと、みな笑った。
「さあ、食べて食べて」とサトバがライムにすすめた。
ライムはだんごの皿をおそるおそる口にちかづけると、「ふうふう」といきおいよく息をふきかけた。
「おっ、今度はさっそく、ふうふうしてるね。すごいぞ」
とサトパがほめた。
「……でも、それは特に息、かけなくていいよ、もう熱くないから……」と笑う。
ライムは、「あ、そうか」といって、あわててかじると、がり、とへんな音がした。歯が折れそうに痛い。
「あ、くし、くし、くしをとらにゃあ」とあわててサトじいが言った。
見ると、隣のサトチはくしからだんごをはずしていた。さとみもサトマにはずしてもらっている。
「あ、わすれてた」とわざとらしくいって、ライムもみようみまねでだんごからくしをはずした。だんごも食べたことはなかったのだった。
なんだか、いろいろはずかしくて、味はよくわからなかった。
だんごをほおばりながら、サトパが言った。
「まあ、とにかく怪我がその程度でよかったよ。なにしろあいつらは乱暴で、怪力だからな……」ライムの投げ出している短い脚をみている。
野菜レスラーたちの話だった。
「おれっちがわるいんだよ、あんな悪さをしちゃったから……」
ライムはうつむいて、口のはしについただんごのかすをぬぐった。
それから、運動会でしかけたいたずらをすべて正直に話した。話しながらなんでも正直に話せてしまう自分に驚いていた。
この家族の前ではうそはつけない。そうおもった。今日、出会ったばかりなのに、この家族とは長いつきあいで、なんでもいいあえる関係みたいな気がした。
すべて話し終えて、ライムは、サト家族たちが、野菜レスラーたちのように怒り出すと思って、短いくびをすくめた。でも彼らは誰も怒りはしなかった。反対に、野菜たちが、すっぱジュースをぬられた巨大あんぱんを食べた場面など、おなかをかかえて笑った。
「いつも、くだもんさんらに、迷惑かけているんだから、そのくらいの目にあってもしかたないわな……」とサトじいが笑みを浮かべて言った。
サトパは、「醜い嫉妬からいつもそんなひどいことをしていて……まったく申し訳ない……」と頭をさげた。
「いや、それにしても野菜、果物、二つの町は昔はもっとなかがよかったんだがなあ……」と、サトじいがため息まじりに言った。
「そうそう、懇親会といっても、いまみたいに殺伐としたものはありませんでしたよ」とサトバあも言った。「かるた合戦とか、歌合戦とか……」
ちょっとあわてたようにライムの顔を見る。
「合戦っていっても 戦いじゃあありませんよ。それはそれは平和なものでした……」
サトバあは目をつぶり、ちょっとうつむいてくすっと笑った。
「なあんだよ、なあにがおかしい」
とサトじいが笑いながら、サトバあを見る。
「いえ、な、なんでもありません……ちょっと歌合戦のことを思い出して……」
とサトバは笑いをこらえながら言った。
「そうそう、じいさんはこんな感じの歌、歌ったんじゃなかったかね……」
とサトバあは目をつぶり、すこし上を向いた。
「ええと、……」
「メロンさん、つるつるつやつやきれいだね……」
「なんだ、そりゃあ」とサトチがわらいごえをあげた。みなも大声で笑う。
「よくおぼえてるなあ」とサトじいも感心したように笑った。
「きのうのことなんかはわすれても、昔のことは覚えてるんだよ……」とサトバあが笑いながらいった。
「でもなにがおかしい。あみめのないつるつるのキンショウメロンさんのうつくしさをうたった深い歌なんだぞ」
とさとじいは口をとがらせた。
「そもそも。キンショウメロンさんがぼくにこんな歌を歌ってくれたから、そのお返しに、うたったんだ……」
とさとじいはいって、こほんとひとつせきばらいした。それからふしをつくってろうろうとうたった。
「さといもさん、かみのけ、ふさふさうらやましい……」
居間は爆笑に包まれた。
笑いがおさまったとき、ライムのおなかがぐうとなった。
「さっき、おだんご食べたばかりなのにぃ……」とサトミがわらった。ライムははずかしくて、うつむいて自分のまんまるいおなかを両手で押さえた。
それでももう一度、ぐううとなった。
そのときになってはじめて、昼ご飯を食べていなかったことに気づいた。
「まあ、こんな時間」と、薄茶色の壁にかかった振り子時計を見上げてサトマが言った。
「珍しいお客さんがきたから、すっかりわすれてた」
手をひとつ打つと、あわてたように立ち上がった。
「あらあら、たいへん」といってサトバあもよっこらしょ、と立ちあがろうとした。
「あ、おかあさんはすわっててください」とサトマが笑顔で振り返って早口で言う。
「お医者でけっこう待たされたからなあ……」とサトパも言った。
ライムはなんだかそわそわと落ち着かなかった。
どうすればいいかわからず、うつむいたまま、テーブルの下に隠すようにしている自分の手をいじったりしていた。
そのとき、サトチが声をかけてくれた。
「ごはん、待ってる間、すごろくしよっ」
「サトミ、もってくるっ」サトチの妹はいきおいよく立ち上がると、すごい勢いで走り出した。廊下に飛び出ると、視界から消えた。
(そ、そんなに猛ダッシュしなくてもいいのに……)とライムは思った。
「あわてない、あわてない」サトパがサトミの消えた方向に向かって笑いながら大きな声を出した。
サトミはあっというまに大きなひらべったい箱をかかえて、走ってもどってきた。ふたがよくしまっていなかったらしく、畳敷の床に置こうとしたとたん、こまやサイコロが飛び散った。こまはなす、じゃがいも、トマト……みな野菜の形をしている。
「ほらほら、あわてるから」とサトパがたしなめるようにいう。
サトチはなにもいわずに、さっさと手際よく、慣れた様子で散らばったこまを拾いあつめる。
すごろく盤をひろげると、そのわきに野菜こまを並べる。
「じいちゃもやろ」
とさとみがサトじいをさそう。
サトチは、「はい、みんな、駒、選んで」と言った。
「うーんとね、……」
サトミは畳に並べられたこまに目がくっつくほど近づけて、うなっている。
「このまえは、かぼちゃさんだったからぁ……」
頭をこまに上にめぐらせて悩みつづける。
サトチは、とくにいらいらしたようすもみせずに、そんな妹のようすをみている。
やっと、ラッキョウをえらんで、ちいさな手のひらに、とても大切なもののように乗せた。
「はい、じゃ。つぎ、ライッチ」とライムのほうをみる。
なんだかわからなかったが、ライムはうなずくと、だまってカブのこまをとった。
それから四人でじゃんけんをして順番を決めた。
サトミが勝った。サトミはちいさな両手でさいころをつつみこむと、熱心に何度も何度も振った。それから、「えいっ!」とすごろく盤に転がす。
「あ、五だ!」
サトミはかん高い声をあげる。
「いち、に、さん、……」
おおきな声を出して、元気よくこまをすすめる。
ライムはしまった、と思った。
数があまりよくわからないのだ。
ライムは学校というものには行ったことがなかった。
すごろくもやったことがなく、ルールがよくわからない。
でもつぎの番はライムだった。
ライムは、なにかいいわけをつくって、もうやめる、と言い出そうか迷ったが、いくらなんでもはやすぎる、と思った。
なるようになれ、とさいころをころがした。
たくさんの点のついた面が上になった。
「あ、六だ、いいなあ……」とさとみ。
「いっぱい進めるね……」とサトチもほほえんだ。
ライムはカブのこまをもったまま固まった。
でも、なかばやけくそで、てきとうにますめにそってこまをすすめた。
「あ、いきすぎだよ」とサトチがいった。
「あ、そうだ」あわててこまをうしろにすすめる。
「あ、今度はさがりすぎだよ」とサトじい。
ライムはこまをもったまま固まってしまった。
いつもなら、かんしゃくをおこして、こまをほうりなげるところだった。
でもじっと奥歯をかみしめて、こらえた。
サトじいがそっと手をのばして、ライムのこまをもった手をとった。
「ほら、いいち、にいい……」
とゆっくりかぞえながら、こまをすすめる。そしてむっつ数えたますで、しわだらけの手をはなした。
「あ、そうだった……」ライムはむりにあかるい声を出した。
それからますを進めるときは、サトチたちがいっしょに数えてくれた。そのうち、ライムもひとりでなんとか数えられるようになった。
すると、だんだんとおもしろくなっていった。
ライムは足の痛みも忘れて、すごろく盤をのぞきこんだ。
そのとき、
「ごはんですよお」
サトマのはつらつと澄んだ声がした。
でもサトミは聞こえないふりで、
「はい、つぎ、ライッチだよっ! 」とライムにサイコロをわたした。
「ほらほら、お片付けしなさい。」とおぼんをもって入ってきながらサトマが言う。
「ごはんのあとでやろ……」とサトチがいった。
サトミは口をとがらせていたが、やがてしぶしぶと、食卓のテーブルにむかって、よつんばいでのろのろと向かった。
ライムもサトじいにうながされて、テーブルの前に座った。
サトマは「さあ、めしあがれ」とほほ笑んで、ライムの前におわんやさらをおいてくれた。汁が満たされた赤茶色のお椀からはふわふわと湯気がでている。ごはん茶碗にはまっしろいごはんが盛り上がっている。
お皿には、おいものにっころがしや、いろいろな野菜があふれていた。
家族全員がテーブルを囲み、手をあわせた。「いっただきまーす!」
いいにおいにつられて、おみそしるの茶碗に手を伸ばすと、
「さあ、またふうふうしながら食べるんだよ」とサトバがほほえみながら言った。
「しつこいよ、ばあさん。ちょっとさめるまでに、先におかずを食べてればいいんじゃないか」とサトじいが言う。
ライムは夢中で食べた。初めて食べるものばかりだったが、からだじゅうにしみこむような感じで、とてもおいしかった。
そのうち、「あれ、ライムちゃん、お箸の使い方が……」とサトマがひじきをつまんでいたライムの手に目を向けた。
「はい、このゆびを、おはしの間にはさんでえ……」とライムのちいさなぷよぷよした手をとって、サトマは正しいお箸の持ちかたを教えてくれた。
ライムはけんめいに、教えてもらったとおりにやろうとしたが、なかなかうまくできなかった。「おれっち、指が短いから……」と言いわけを言った。
「いつもは、しゃもじ、つかってるんだ」
それはごみ拾いで手に入れたものとは言えなかった。
「ま、いっぺんに覚えるのは大変だから、すこしずつ慣れていこうね」とサトマがいって、台所からスプーンをもってきてくれた。ライムは「ありがとう」といって受け取ると、自己流のもちかたで、ごはんをかきこんだ。
彼らはよく笑った。いろいろおしゃべりしては笑い、テレビをみては笑った。
テレビでは、「いもねえちゃんといもやろうっ!」とのさけび声が聞こえたかとおもったら、「いもいもいもいもいもねえちゃん♪……」
にぎやかなへんな音楽が流れ始めた。アニメ番組かなにかのようだ。
「おっ、はじまったぞ」
とさとじいがテレビに向き直った。
「今日もきっとおもしろいよ」
とさとみが笑った。
画面には、きらきらとかがやく、まんまるいフルーツが現れる。グレープフルーツみたいなのに、からだにはメロンみたいなあみめ模様がついている。ライムが見たこともない不思議なフルーツだった。口笛をふきながら、丘の上みたいなところを歩いている。
すると、とつぜん、「わあっ」とさけび、なぞのフルーツがはでにころぶ。
丘にねそべっていたじゃがいもみたいないもにつまずいたのだった。みると、近くには、おおぜいのいもがあおむけにねそべっている。ひなたぼっこでもしていたのだろうか。
「なんだ、なんだよお、おまえら土とおんなじ色だから、気がつかなかったじゃんかよお。」
とフルーツはおきあがりながら口をとがらせる。
「おれさまは、フルーツの中のフルーツ、メロンゴールドスペシャル―ゼだぜっ」と胸を張ってなぜか自己紹介する。
すると、いものおねえさんがむっくりとおきあがり、
「ごめん、ごめえん、ごめんちゃーいっ♪」と歌いながら踊りだす。ほかのいももみなすっくとおきあがり、同じように元気よくおどりだす。
「ごめんなちゃーい、ちゃちゃいのちゃちゃーいっ♪」いもたちの大合唱になる。
テレビを見ている里いもの家族は大笑いした。
「え」とライムは絶句する。
なんだか、いも族をばかにしているみたいにみえる番組なのに、里いもの家族はみな大きな口をあけて笑い、夢中になって見ている。
さとみなど、わらいすぎてひっくり返ってしまう。
「はい、ごはんをたべたあとは、歯磨きだよー!」
サトパが元気のいいはつらつとした声をあげた。
「ええーっ」
サトミが両腕をだらんと体のわきにたらして顔をしかめる。
「ライムくんも、歯磨きおねがいね」とサトマがほほえみながら言った。
「ライッチ、はみがきいくよっ」
サトミはちいさな手で、ライムの手をにぎった。あたたかい手だった。
「いっちに、いっちに」、と元気よく、つないだ手を大きくふり、足も大きくあげて、サトミは廊下を行進した。後ろからサトチも続く。
大きくふられた腕がけっこう痛かったが、がまんして、ちいさな声で、「いっち、に、いっち、に」と声を合わせた。
「洗面所、とうちゃくーっ!」とサトミが大きな声を出した。
タイル張りのおおきな洗面所だった。
ふたりは洗面所の前にならんだ。ライムもおずおずと二人の後ろに立つ。
「はい、ライッチは、新しいのっ」
サトチはたんすの引き出しからパッケージに入った新しい歯ブラシを出した。
パッケージをおちついた手つきではずし、「はい」とライムにわたす。
「あ、ありがと……」ライムは受け取ったはぶらしをぼんやりと見つめる。
「何味にしますかぁ」サトミがライムを見上げる。両手に、へこんでいるちいさなチューブがいくつかのっている。
「いろんな味のはみがきこがあるんだよ。ぼくはいつもしゃきっとさわやかなレタス味」とサトチが説明した。
「あたしはかぼちゃ」とサトミがつづけた。
さっきのすごろくでも、こまにかぼちゃを選んでたし、かぼちゃがすきなのかな、とライムは思った。
「ええと……」よくわからないので適当にひとつを選んだ。「にんじん味ね」といってサトチはライムのはぶらしにチューブのなかみをつけてくれた。つづけて、サトミのちいさな歯ブラシにかぼちゃはみがきこをつけた。最後に自分の歯ブラシにレタスはみがきこをつける。
サトイモの兄妹は、大きな鏡にむかって背筋をのばすと、腰に手をあてた。それから反対の手でしゃかしゃかと、歯をこすり始める。いきおいよく手を動かしている。ふたりともそっくりのしぐさだった。ライムも横目でみながら必死に真似をした。
と、突然、サトイモ兄妹は洗面所にかがみこむと、ぺっぺっと、いきおいよく何かを吐き出した。えっと思ってライムが見ると、つばとまじった歯磨き粉のようだった。
ライムは、(にんじん味ってけっこうすっぱいんだな……ま、おれっちのすっぱジュースに比べればたいしたことないが……)などとおもいながら、はみがきこを飲み込んでいたのだった。
きゅうにのどに歯みがきこの残りがからみついて、ライムはごほっ、ごほっとはげしくせきこんだ。
「だいじょうぶ、ライッチちゃん」サトミはせのびして、ライムのまるい背中をぽんぽんとたたいた。
「うがい、うがい」サトチはあわててコップに水をいれて差し出した。
ライムはうがいをして水をぺっぺっとはきだした。
心配そうにライムをみながら、サトイモ兄妹もそれぞれコップをもって、ぶくぶくと音をたててうがいをした。
(まちがって飲み込んでしまった、とおもってくれたらいいな……)とライムは思った。
ちょっと失敗はあったけど、はみがきをしてよかった、とライムは思った。自分の息がすうっと、いい匂いなのにきがついたからだ。
(これをしてたら、ダンスパーティーで「口、くっさーい」なんていわれることもなかったんだな)と思った。
居間にもどると、またすごろくの続きをした。いちばん先にゴールしたのはサトミ。次がライムだった。三位はサトじい。みんなのお世話をしたのに、残念ながらサトチは最下位だった。
(おれっち、はじめてやって二位はすごいな)とライムは自慢したかったが、おさえた。
まあ、わかってしまったかもしれないが、すごろくというものをはじめてやったことをなぜか知られなくなかったからだ。
そのあとも、さらに里芋のこどもたちとトランプをしたり、かるたをしたりしてあそんだ。サトミの相手をしてお手玉やお人形あそび、おままごとにつきあったりもした。
ライムたちが居間で遊んでいる間、大人たちはとなりの部屋にいた。
遊びが一段落して、のぞいてみるとその板張りの広い部屋には、不思議なものがいっぱいだった。
木の香りがぷんと鼻をつく。板張りの床にはなにか木の枝みたいなものがたくさん散らばっている。そこにサトパやサトじいはあぐらをかいて、ながいつるをまげたり、つないだりしてして何かつくっている。
部屋のはしには、いろいろな形や大きさのかごや、ざるなどが置かれてあった。
「藤のつるや枝をあんで、いろんなものをつくってるんだよ」とサトチが説明した。
みるみる長細いわらみたいなものが、皿みたいなものにしあがっていくのをみて、ライムは目をまるくした。みな木の床にすわり、足までつかって編んでいるのだった。
お風呂に入ってから、子供たちだけの部屋で布団を並べて寝た。
ふとんは大きくて、ちょっと重かったけど、ライムは疲れていてすぐに寝てしまった。
ときどきみるへんな夢をみることもなかった。
夜中に一度、サトミになにか大きな声で話しかけられたとおもって起きてしまったが、ただの寝言だった。
翌朝、「足がよくなるまでうちでゆっくりしていけばいいよ」とサトパはあらためていって、みなもほほえんだ。
そうしてサトイモ一家とのくらしがはじまった。
すこしずつ、足がよくなってくるにつれ、サトチたちといっしょに近所を散歩するようになった。最初は野菜たちにびっくりされたり、こわがられたり、顔をしかめられたりした。だが、しだいに近所の人も慣れたのか、とくに目立った反応はみせなくなっていた。
ライムは最初は大きな野菜をみるたびに、(野菜レスラーかっ)とびくっとしたが、幸いなことに彼らとは出くわさなかった。
そんなある日のことだった。曇り空のもと公園に遊びに行ったら、ベンチにダイコン、なす、ジャガイモが並んで座っていた。
まんなかにすわったダイコンをみた瞬間、ライムは、あの相撲大会にいた女レスラーかとおもい、はっと、からだが固くなった。だが、よくみると、ダイコよりかなりちいさな、別のダイコンだった。
ベンチの野菜たちはみな、なかばしおれて、どんよりとうなだれている。
ライムが、(あのひとたちどうしたんだろう、元気ないな……)と見ていたら、ベンチのはしにすわっていたナスが鋭い目つきで見返してきた。
「なんだよ、おまえ、このぼけやすやろうっていいたいのかよっ」
ライムはあわてて手をふった。
「そ、そんなこと思ってないよ……」
「ああ、わるかった……」とナスは、すぐに、ため息みたいな力ない声を出して、うつむいた。
「フルーツさんにやつあたりしても仕方ないよな……」さらに深くうなだれる。
「こんな調子だから、ますますニンゲからばかにされるんだ……」
「ニンゲからばかに……」ライムはナスのことばを、ふしぎそうに繰り返した。
「ああ、おれたちナスは、ニンゲから、軽蔑されているんだ。ニンゲランドでは、ナスはばかの象徴なんだ。ぼけなすだけじゃなく、おたんこなすっていいかたもあるらしい……」と付け加えた。
「おたんこ、おたんこ」サトミは笑いながら繰り返した。
そんなサトミを無視して、ナスはうつむいたままつづけた。
「そう、やさいはみんなそうさ……、ドテカボチャとか、もやしっこ、とか、みんなばかにする言葉さ……ショウガも、しょうがないやつ、なんていわれてるんだ……」
「おらだってそうだ。じゃがいもみたいな顔っていえば、ニンゲランドでは、とても不細工でみっともない顔って意味なんだ……」と、なすと反対のはしにすわったじゃがいもも言った。
「そう、あたしだってよく、わかってる。おでぶちゃんの足は、大根足っていわれるのよ」と大根がヒステリックにさけんだ。「それに、ニンゲ界では、へたっぴな役者のことを、大根役者っていうんだそうよ」といって、大根はとうとう泣き出した。
「い、いや、そんな名前だけで、そんなことは……」ライムはたじたじとなった。
サトミはダイコンに歩み寄って、何もいわずに手をつないであげた。
「反対に、フルーツは、そんな言い方はされないだろう……」となすが顔をあげて言った。「ええと……」ライムは空を見上げて、ううん、とうなった。
「ばななやろうとか、どてめろんとかってきいたことがない気がするが……」となすが言った。
たしかにそうだ。でも、なにかとものをしらない自分だから、自分だけが知らないのかもしれない……とも思った。
「そ、そういえば、フルーツェンにだって、そういう人はいるよ。ええと、たとえば……」
ライムはくびをかしげて、必死に思い出そうとした。
「あ、そうそう、ナシさんなんて、ときどきぼやいているよ。みんなに何かもらえるときも自分だけは、「きみはなしだ」っていわれるって……」。
「でもそれはニンゲから言われた言葉じゃないだろう……」とじゃがいもが言った。
「あ、いや……」
秋風が吹いているのに、ライムのひたいに汗がにじんできた。
「おんなじようなもんさ……それに……」
ライムはさらにつづけた。
「……そんなバナナっていうのは、そんなばかな、って意味とか……」
前にテレビで見たことをおもいだして言った。
「え、そうなの」。大根は目を見開いた。
「じゃ、なまえをつかった悪口みたいのは、あたしたち野菜だけじゃないのね」
「それに、野菜を使った悪口みたいな言葉があるのは、むしろ、野菜がよりニンゲに身近で、親しまれてるからだってきいたことあるよ」
とサトチがいった。
「そうそう」とライムもうなずく。心のなかでは(へえ、そうだったのか)と驚いていた。
ベンチの三人のやさいはそろって顔をあげた。
「健康にいいのも果物より、野菜だってのも……きいたことあるし……」とライムは言った。そして、このまえ病院で話したコビトカバの話をした。
「そ、そうなのかなあ……」
なすが頭をかいた。
「ニンゲにとって、より身近かぁ……」
「健康にもいいのか……」とジャガイモがつぶやくように言う。
「そうだ、水、飲みに行こう……」
なすが元気よく立ち上がった。
「ニンゲを健康にするのに、自分たちが不健康だったら話にならない。それこそ、おたんこなすだっ!」
「たしかにぼくら、ちょっと水分が足りない気がする。うるおいというか……」ジャガイモもいきおいよく立ち上がる。
「おひさまもいっぱいあびましょうっ」ダイコも両うでをおおきく広げ、空をみあげながら立ち上がった。
「よしっ、水飲み場まで競争だっ!」なすがさけんで、突然、走り出した。
「まけないぞっ」「まけないわよっ、あんたたち、このたくましい、がんじょうな足にかなうとおもってるのっ」とさけんでジャガイモとダイコンも猛烈な勢いで続いた。
ライムとサトイモ兄妹は、いきおいよく公園の奥に向かって駆けていく三人の後ろ姿を見送った。
「すごいね、ライッチちゃん、じゃがいもさんたちを元気にしたっ!」さとみが元気な声で叫んだ。「ほんとだ、すごい」サトチもライムのまるい肩をたたいた。
「いや、サトチも野菜のいいところをいってくれて……」ライムはちょっと恥ずかしそうに言った。