エピローグ
ルミナの記憶を持って、モンハンナ帝国の港町に着いた私達は、一緒に来ていた冒険者さんたちに、めっちゃ驚かれた。あまりに早く戻って来たものだから、作戦は失敗した、と思われたみたい。
ちゃんと成功したよ、って、巻物を見せたけど、ルミナの髪色のピンクブロンドの表紙の巻物は、どうしても有難みが薄くって、どこかの悪い奴に騙されたのではないか、と心の底から心配された。
流石に、私も自分の記憶が抜かれる様子を間近で見ていなかったら、ひょっとして、と疑問には思ったかも。
兎も角、目的は達したから、一刻も早くルミナの所に帰りたかったけれど、ここに一つ問題が残っている。
アラン様は国外追放の身だ。リンクス王国に帰る事は出来ない。
更にフィッシャー伯爵家から除籍されて、今の身分は平民だ。
どうしてそんな事になっているのか?
確かに最初、うちの宿屋で、アラン様がフライス王太子に提案したのは、魔導師長の解任と王都追放、だった。けれど、魔導師長の解任が発表された直後、アラン様の実家、フィッシャー伯爵家が、自主的に、次男の除籍と引き換えに伯爵家の安泰を王家に願い出た。王都追放の罪では軽すぎる、二度と次男にリンクス王国の土は踏ませません、と国外追放を主張し、その忠誠心に免じて、伯爵家の爵位を死守したんだって。毒親。
その一報を聞いた時も、アラン様は、仕方が無いな、と肩を竦めるだけだったのが、悲しい。
忘れていた訳じゃ無いけど、あの時は、帝国の混乱に乗じて速やかに動く必要があったし、自由に動ける立場が欲しかった。仮に失敗しても、王国に追及が及ばないようにしておく必要もあった。
それに、リリアンお嬢様がフライス王太子と結婚するときに、恩赦として、アラン様の追放を解き、直属の魔導師としての復帰も当初からの計画には含まれていた。
なのに。当然、そんな根回しを知らないフィッシャー伯爵家では、アラン様を切り捨てて保身に走った。
アラン様の実家は、昔、光の乙女を欲し、お助けキャラ肉食シスターにそそのかされて、ルミナと私を誘拐した過去がある。
思えば、その頃から、アラン様は実家とは疎遠だった。
「今更、除籍された所で、何と言う事も無い。あの人達にとって、俺は、最年少の魔導師長だったから、価値があったのだろう。」
そう、冷静に分析して見せても、アラン様、自分を”俺”と言っている段階で、心が荒れている、って分かるよ。
「そんな訳だから、ここでお別れだ。」
そう言って差し出されたアラン様の手を、私は呆然と見つめるしかなかった。
「ルミナに記憶を戻す大役はケイティに任せる。君になら、出来るよ。」
「それは、任せて下さい。でも、ですが、アラン様は、どこへ、行ってしまわれるのですか?」
声が震えるのは仕方が無い。
アラン様はちょっと困った顔で、チャルカを見た。
「決めては・・・、いない。この世界を自分の目で、見てみたい。暫くは冒険者ギルドに世話になろうと思っている。いい年をして恥ずかしいな。」
そういってはにかむアラン様は、確かに32歳とは思えない初々しさだった。昔なら、単純に、貴重なスチルゲット!と喜んでいた私の心は、今は、アラン様がいなくなる、その事実に打ちのめされて、ドンドン沈んでいった。
元々、重なる事など無い筈の私とアラン様の人生だった。それが、ルミナのおかげで、こんなにも長い間、知り合いでいる事を許された。話など出来る筈のない身分の差があった。それが、近しく声をかけて頂き、頭を撫ででもらったり、一緒に食事を摂ったりもした。右腕を失う大怪我をしたアラン様を介抱する、体に触れる事すら許された。この旅の中で、初代龍皇帝から庇うように、抱きかかえられた時、私は不相応にも、自分の気持ちを自覚してしまった。
『アラン様が好きです。』
口にする事は出来ない。思う事ですら、おこがましい。
けれど、前世の乙女ゲーム世界の攻略キャラ:アラン・フィッシャーは私の推しだったけれど、今のアラン様は、見ているだけで幸せ、現実にどうこうなんて考えるのも畏れ多い、そんな”推し”ではなく、ちゃんと息をしてて、ご飯を食べて。トイレにも行くし、興味のある事に夢中になって寝不足でだらしなく欠伸をして、それでも、必要な時には、きっちり、仕事をこなす、スーパーな32歳なんだ。
だから、私は笑って、差し出されたアラン様の手を握り返した。
「お元気で。」
目の前のアラン様の顔が、ぼやけて良く見えないよ。
アラン様をチャルカの仲間たちに託し、私はリンクス王国に帰国した。ルミナと彼女の両親は、リリアンお嬢様と一緒にニッチング公爵領に来ていた。流石に、記憶を戻して光の魔法を思い出したルミナを、只で手放すはずが無いと思うから。リリアンお嬢様の再婚約と引き換えに、その身柄をニッチング公爵家が預かる事になったらしい。
「無事、返してもらえました。」
そう言って、巻物を取り出す。そして気が付いた。ここから記憶をルミナに戻すにはどうやったらいいんだろう?
結論から言うと、手渡すだけで良かったんだけど、ルミナの手が触れるか触れないかの段階で、巻物はシュルシュルと解け、そこから、もやっとした何かが浮かび上がって、ルミナの中に吸い込まれていったんだ。だけど、立っていたルミナは、いきなり、記憶が戻って来たショックで、倒れてしまって、慌ててチャルカが抱き留めたから、何事も無かったけど、ほんと、もう、びっくりだよ。危うく大惨事になるところだった。
ちゃんと、方法教えてもらわなかった私も悪いんだけど、急に機嫌悪くした初代様に文句の一つも言いたくなったよ。
しばらくして、目を覚ましたルミナは、揃って自分を心配そうに見下ろす私達に、にっこりと笑いかけ、自分を抱きかかえたままのチャルカからは真っ赤になって飛び降りた。
後は、よく知らない。再会を喜ぶルミナを両親と三人だけにしてあげたからね。
因みに、ルミナ母は、リリアンお嬢様が王宮から、奪い返してくれていた。
「わたくしの婚約者をたぶらかした女狐の母親など、目障りですわ。」
と、ここで悪役令嬢ムーブを発揮して、追い出した所を密かに保護してルミナ父とともに、王都外に連れ出したらしい。
下手に、同情的な態度をとって、ルミナが生きている事がフライス王太子たち以外に知られた時に、身辺を探られれない様に、敵対、とまではいかなくても、憎悪、しているくらいの認識は周囲に与えられた、と、ちょっと得意げだ。
でも、念のため、三人はチャルカの暮らす、冒険者ギルドのある土地へ移っていった。
私はリリアンお嬢様と王都に戻る。
チャルカの無事はチャルカ両親にもまだ秘密にする。もう少し、ルミナの周りが落ち着いてから、自分でちゃんと連絡を入れるから、と頼まれてしまった。
王都に戻って直ぐ、モンハンナ帝国帝都を大規模な落雷が襲って、皇帝を始め国の中枢人物の大部分が失われた。
本当に帝城の一部のみが瓦礫と化し、神の怒りでは無いのか、と噂が立ち、先日帝国全土に響き渡ったの真の皇帝の誕生を告げる龍の鐘は、実は、行方不明の現皇帝への祝福では無い、別に、どこかに本当の皇帝が誕生した事への寿ぎだったのでは?と言う噂がまことしやかに流れた。
今、帝国各地で、我こそが祝福を受けた真の皇帝、を名乗る者達が、挙兵している。
その年の冬。
リリアンお嬢様とフライス王太子は結婚式をあげた。
翌年、私は18歳の成人を迎えた。
王都をでて、リリアンお嬢様の故郷ニッチング公爵領で、お嬢様と一緒に始めたハーブ関連の商会の運営を本格的に学んでいる。いずれ王太子妃となるリリアンお嬢様から、この商会の責任者に任命されたから。宿屋は弟のキートが継ぐので、何の問題も無い。
ニッチング公爵領都の私の家には、時々、不思議な便りが届く。トカゲが運んでくる竜胆の花だ。それが届いた日の夜は、とても楽しい夢を見る。朝になると覚えていないけど、夢ってそんなもんだよね。
そして、もう一つ。
毎年春に、必ず、届く見た事の無い風景を写し取った巻物。綺麗な銀色の表紙のそれは、私の宝物だ。巻物を広げると辺一面に写し取られた風景が再現される。中には美味しそうな食べ物もあって、目の前にあるのに味わえない事に悔しい思いをした事もある。
けれど、24歳になった今年、巻物は届かなかった。
送り主もいい加減、モブ平民の私の事を忘れてしまったのなら、全然、問題ない。だけど、もし、誰も知らない所で大怪我でもしていたら・・・。
不安な気持ちで居ても立っても居られなくなり、仕事にもミスが目立ち始め、私はとうとう、目の前の書類を閉じて、窓の外を見た。
リリアンお嬢様はすっかり、立派な王太子妃、二児の母になっていた。今、三人目をご懐妊中で、つわりがきついから、特別なハーブティーの調合を頼まれている。ハーブの中には、胎児によくないものもあるからね。迂闊な物を口に出来ないんだよ。そう言えば、ルミナとチャルカの所も初めての子どもが生まれたばかりだ。
「私も、何か気持ちの落ち着くお茶を飲もうかなぁ。」
「なら、丁度良かった。これなんか、どうかな?」
聞き覚えのある懐かしい声に、だけど、怖くて、振り返る事が出来ない。
窓ガラスに映るのは、ちょっと草臥れた旅装束の男性。長く伸ばした銀髪を三つ編みにして前に垂らし、肩から斜めにかけた鞄から、銀色の小箱と一緒に、銀の表紙の巻物を取り出した。
「ようやく、今年は、直接、渡せる。」
「ただいま、ケイティ。」
「アラン様!」
「俺も四十路を前にして、やっと、覚悟がついた。39と24なら、同じ15歳の年の差でも、犯罪とは言われないだろう?」
「17と32でも、問題なかったですよ!」
流石に拙いか、自分で叫んでいてそう思ったけど、仕方ない。
「魔導師長でも、伯爵家令息でもない、只の、流れの魔導師の俺と、これからの人生を共に歩んでくれないか?」
「遅すぎですよ、アラン様。私、もう、結婚してます。」
そんな声が、直ぐ近くで聞こえて、アラン様も私も真っ青になった。
思わず、机の上を見ると、いつもふらりと現れるトカゲが竜胆の花を咥えている。
「それに、一方的過ぎです。先ずは、お友達から始めましょう?」
思わず、ぐしゃりと竜胆の花を叩き潰した。
『何をするのだ、娘!このように乙女心を理解しない男にはこれぐらい言ってやるべきだ。大体、娘が、この7年間どんな思いでいたかなど、我が子孫は知らぬわけでは無いのだぞ。我が、ちゃんと言い聞かせておったのに、こんなにも時間をかけおって。本当にヘタレだヘタレ。』
「「初代様!」」
トカゲ(石龍子)はふん、と横を向き、アラン様を威嚇する。
『ヒトにとって7年は短くはないぞ。その時間が無駄では無かった、ときちんと娘に証明して見せよ。』
そう言い残して、初代龍皇帝の108番目の分身は、カサコソと机から降りて、窓の隙間から出て行ってしまった。
乙女ゲームは始まりもしないで終わり、モブ平民の私は、チート無双することも無く、平和な毎日を送っている。そこに、旅の魔導師さまが居候したからって、特に話題にもならないよね。各地に出来た学校を卒業した平民の魔導師は、あちこちで活躍しているし、なんならうちの商会の職員にもいるよ。
「お帰りなさい、アラン様。」
アラン様から、頂いたお茶はふんわり甘い匂いなのに、ちょっぴり酸っぱい、微妙な味がした。
終
ありがとうございました。