ミッション 2
乙女ゲーム『光の乙女は愛を紡ぐ』の世界に転生した事に気が付いた私の日常は、これまでと全く変わりなかった。最初こそ、風邪をひいて、数日寝込んだものの、今朝も早くから、朝食準備を手伝っている。現代日本に比べ医療技術の非常に劣ったこの世界では、風邪をこじらせて死ぬことだって、普通にある。あのお助けキャラ・肉食系シスターは、殺人未遂の罪に問われてもおかしくない事をしたのだ!ぷんぷん。尤も、私にかけられた聖水は光の乙女・ルミナに被弾する可能性もあったので、お助けキャラ・肉食シスターは後で、滅茶苦茶怒られたらしい、とルミナから聞いた。あの洗礼式以降、ルミナ父のパン屋には、時々、教会の人がパンを買いに来るようになった。
「美味しいもんね。」ってルミナは素直に喜んでるけど、それ、多分違うよ。勧誘だよ。”将を射んとする者はまず馬を射よ”、って諺、この世界には無いから、知らないかもしれないけど。
まあ、それがおかしくはない程、ルミナ父の焼くパンは美味しい。
風邪で寝込んでいる時の新作パンは喉が痛い私にも、苦も無く食べられた柔らかさで、固いパンが一般的なこの世界で、前世並みにふわふわのパンだった。
そんなルミナ父の焼くパンが、食べられるのが、私の宿屋の自慢だ。
我が家は、王都の下町で小さな宿屋を経営している。父と母と私と弟。家族だけで全てを切り盛りしている客室は10人泊まれば一杯の小さな宿屋だけど、大体いつも満室、程度には繁盛している。
「おはようございます!」
その理由の一つが、今、届いたパンだ。
今日は、ルミナが届けに来てくれたみたい。ルミナ父が焼くパンは絶品で、我が宿屋のウリ、である。
「おはよう、ルミナ!まさか一人?おじさんは?」
食堂の掃除をしながら、台所の向こうに声をかける。
「おはよう、ケイティ。ううん、チャルカと一緒。お父さんは仕込みを続けるって。」
「・・・。」
「・・・チャルカもおはよう。」
内心で溜息をつきながら、私はチャルカにもちゃんと朝の挨拶をする。ケイティと言うのは、私の愛称だ。この間、教会でルミナを助けて?から、熱を出して寝込んだ事もあって、ルミナは私にとても懐いている。
チャルカは近所の鍛冶屋の息子だ。鍛冶屋と言ってもよくあるファンタジー物で、剣とかを作るドワーフの職人!って言うんじゃなくて、包丁とか釘とか、日常生活に必要な品物を作っているお店の息子だ。
で、実は、隠し攻略キャラ。将来の凄腕暗殺者。
何で鍛冶屋の息子が暗殺者になるんだ!って思うよね。
私もそう思うけど、主人公のルミナが、光の魔力に覚醒して、誘拐もどきで貴族の養女にさせられた時に、それに抵抗して殴られながらも、馬車を追いかけ力尽きて倒れた所で、暗殺者ギルドの長に助けられ、ルミナを取り戻すには力が必要、と一念発起して暗殺者になる。って、どうしてそこでそのルートを選ぶかなあ。
まあ、それだけ、チャルカはルミナの事が好きなんだろうけどさ。青春、だねっ!
光の魔力に覚醒したルミナは、実は、各方面から注目されている。
その筆頭は教会だけど、貴族の中にも、聖女を手に入れて、王家に献上、その貢献でもって陞爵なんて考えている奴らも多い。流石に高位貴族が直接下町の女の子に手を出す訳にはいかないから、下請けの下請けの下請け、位の、下町に出没しても違和感のない下級貴族がまず、やって来ている。
今はまだ、交渉レベルだけど、直にエスカレートして恐喝・誘拐に発展するのも時間の問題。だから、ルミナはなるべく一人で出歩かないように言われている。かと言って、一日中、家に何もしないでおいておけるほど、ルミナの家も裕福では無い。近所へのパンの配達は子供でも出来る仕事、なのだ。
チャルカは、私やルミナより5つ年上で体も大きい。鍛冶屋の息子だから、包丁とか刃物にも普通の子供より慣れていると言う理由で、ルミナの護衛隊長に任命された。任命したのは私だけど。だってさー、将来の凄腕暗殺者だよ。潜在能力は高いし、本人のやる気もあるんだから、生かさない手はないでしょ。
「二人とも朝ごはん食べてくでしょ。手を洗って来てね。」
この世界が乙女ゲームの世界だと気が付いてから、私は前世を参考に、改革に着手した。
とは言え、10歳の下町の宿屋の娘が、いきなり知識チートで何かを作れる訳もなく、私は自分の周囲の環境を整える事から始めた。そう言えば偉そうに聞こえるけど、実際は、知識チートする程の知識が私に無いからなんだけど。大体、普通に暮らしていた一般人が、薬や自動車、爆薬にチョコレート、ゼロからそんなもの作れる筈、無いじゃん。
とにかく、この世界は汚い。
ゲーム画面では、中世ヨーロッパの街並みで現代日本と変わらない生活が送れていたけど、多分それは、王宮とか貴族街とかのお話。宿屋のある下町では、辛うじてトイレはあるけど、汲み取り式だし、飲み水は井戸から汲まないといけない。下水と上水をきちんと区別しないと、あっという間に病気が発生する。
思い出す前、良く病気にならなかったな、私。思わず遠い目をしたね。
でも、ここでルミナの光の聖女の力が、働いていた事に気が付いた。ルミナ父の作るパンに、光の魔力が籠ってるんよ。なんでも、小さい時から、ルミナが”美味しくなあれ”、の魔法をかけていたらしい。
可愛い盛りの愛娘が自分の作ったパンに「美味しくなあれ」と魔法をかける、本当に魔法がかかるなんてことはないと思っていても、そりゃあまあ、嬉しいわな、ルミナ父。その娘見たさに、全てのパンに「美味しくなあれ」の魔法をかけてもらっていたらしいよ。
お陰で、そのパンを食べている我が家や近所の人たちは病気知らずだった。
だけど、ルミナの聖女の力が教会に知られた以上、これまでみたいに子供の戯言、で「美味しくなあれ」とは言えない。
自分たちの健康は自分たちで守らなければ!
と言う訳で、うがい、手洗い、煮沸消毒、マスクに手袋、ゴミの分別等々、手間暇かかっても、病気を発生させない、持ち込まない、為に、色々、やってる所なのだ。
皆、最初は面倒くさがったけど、そこはルミナにお願いしたよ。光の乙女が小首を傾げて、「ね?」ってすれば、大概の人間は落ちた。主人公の影響力を見せつけられました。
そんな訳で、宿に入る前に、うがい・手洗いを終えた二人は、私が綺麗に拭き掃除したテーブルについて、我が家の朝ご飯をたべている。勿論、ルミナ父のパンが籠に盛られて中央にドン、と置かれている。
「「「いただきまーす。」」」
『うまうま~。労働の後の食事は格別だよぉ。』
私とルミナのおしゃべりを、チャルカは口を開かず、いつもほぼ無言でご飯を食べている。けれど、私は知っている。
チャルカが話しかけるきっかけをつかめず、悩んでいる事を。
隠しキャラの過去回想にしっかりとあるのだ。なので、私はチャルカに向かって、こう尋ねる。
「ねぇ、チャルカ、今度、ルミナが教会に行くとき、一緒に付いて行ってくれる?光の魔力をちゃんと使う為に、修行をしてくれるらしいんだけど、ルミナを一人で行かせるのはダメって思うんだ。」
そう、原作乙女ゲームでは、ゲームスタート時点でルミナは光の魔力を使えている。で、どうやって使えるようになったのか。その裏事情がこれ。隠しキャラの過去で明かされる教会での修行。原作ではお助けキャラの清楚系シスターがルミナに魔力の使い方を教える役目を担っている。チャルカルートではその修行中に、ルミナを狙う下級貴族に襲われる、と言う設定だ。
しかし、今、現実のお助けキャラは肉食系シスターなのだ。
あの女にルミナを任せるわけにはいかない。
ルミナも肉食シスターには思う所があるのか、決して、教会での修行に一人で行く事は無かった。
私や、チャルカ、その他、近所の子供達が必ず、誰か一緒に付いて行くので、次第に、肉食シスターの修行は間隔があいていった。
ところが!ここに来て何と肉食系シスターは、攻略キャラを呼び出した。力技だよね。
唯一の大人キャラ、若き魔導師長アラン・フィッシャーだ。今の時点では、将来有望なイケメン魔導師なのだけれど、魔力が開花したばかりの平民の子供が、その修行を断る事などありえない程、地位と身分の高い攻略キャラなのだ。
そんなアラン様が絡んできた段階で下級貴族がルミナを狙えるはずが無い。必然、隠しキャラルートはつぶれる事になる。
お助けキャラ肉食シスターは何が目的なのか?
チャルカにはそれを探ってもらいたい。
本来のアランルートでの主人公との出会いは、教会・学園のどちらを選択しても、最大の難関、魔獣討伐の旅に出るか、王都に疫病が蔓延してか、どちらも、世界が危機に瀕してからだ。じっくりと愛をはぐくむと言うよりは、吊り橋効果的な、激しく燃え上がる恋!って感じ。じゃないと、年齢差15歳は痛いよね。因みに今、アランは25歳。10歳のルミナと恋に落ちるのは犯罪臭がぷんぷんするよ。ゲーム時点では31歳と16歳。良い感じに年齢を重ねたアラン様の同年代の王子たちとは異なる落ち着いた魅力にぐらっとくる訳。後、乙女ゲームをしているユーザーの年齢がまあ、20歳前後、と考えたら、如何に自分の理想を投影した主人公とは言え、年下男子ばかりでは、ちょっとね。
そんな転生前の私の感性からしたら、肉食シスターの狙いは、アラン・フィッシャーだと思う訳。
主人公を餌にアラン様を釣ろうとしてるんじゃないかな。
そうは問屋が卸さない、ってね。
ミッション 2
隠しキャラルートを回避しよう
クリア