ミッション 17
魔物討伐が終わったにも拘わらず、光の乙女ルミナとアラン様と聖女を名乗る肉食シスターは、リンクス王国に帰って来なかった。王国からは幾度となく、使者を送ったらしいけど、モンハンナ帝国は、帝国を病の魔物から救った救世主を歓待しているだけだと、いつまでも引き留めているらしい。流石に教会関係者の面会は許されていて、彼女らの無事は確認されていたけれど、いつまでも帰って来ない光の乙女と聖女に、王国では不満の声が上がっていた。
帝国の主張は、光の乙女も聖女も、世界の宝であり、一国が独占して良いものでは無い、と言うのだ。それに元々、光の乙女ルミナは帝国の公爵の血を引いている。保護するならば帝国で、と血のつながりを強調する。
リンクス王国以外の諸国も、モンハンナ帝国の威光もあり、その意見に肯定的だ。光の乙女や聖女がいれば、魔物や病気から守られる、と言うのならば、その恩恵にあずかりたい、と考えるのも仕方が無い。
もし、私が、ルミナを知らず、リンクス王国以外の国に住み、不衛生な環境を押し付けられていたなら、帝国の主張に大いに頷くだろうと思う。
けれど、実際の所、本当のルミナは、いるだけで周囲を浄化するような、そんなすごい子ではない。
私が知っているのは3年前のルミナだから、今では、そんなすごい子になってるかもしれないけど。でも、もしそうなっていたとしても、それは、ルミナが頑張って努力したからであって、決して、便利な道具として使って良い訳では無い。
リンクス王国でも、彼女をそう扱おうとした貴族はいただろうけど、彼女をよく知らないモンハンナ帝国が、ルミナ母を捨てた男が政治の中枢にいる国が、ルミナを大切にしてくれるとは到底思えない。
だから、ルミナとアラン様は、きっと帰りたくても帰れない状況に置かれているのだと思う。
肉食シスターについては、よくわからない。
ルミナに成り替わって、この乙女ゲームのヒロインになりたいのかと思っていたけれど・・・。こういったパターンに多い、ハーレムルートを目指している訳じゃ無いの?
モンハンナ帝国に攻略対象者っていたっけ?
ルミナは、フライス王太子の婚約者だから、フライス王太子が直接迎えに行けば良いんじゃないかと思うけど、それはそれで、何かあったら不味いんだろうなあ。
そんなこんなで、先に帰国した騎士団に遅れる事、数か月。秋の気配が近づいてきた頃。
前日までに降った雨で、石畳で舗装されていない下町の道が、ドロドロのぐちゃぐちゃで清掃がすごく大変な日に、うちの宿屋に二人の草臥れた旅人が現れた。
宿屋のすぐ近くで、傍を走る荷馬車から、盛大に泥水を浴びせられ、最期の気力が尽きたかのように、旅人の一人が膝をつく。
私は思わず、叫んでいた。
「こらー!こんな道をそんなスピードで走るな!」
「うるせー、こちとら急いでんだよー!」
荷馬車の上の男は謝りもせず、むしろスピードを上げて、立ち去った。その行く先々で、街の人たちの叫び声や怒声が上がる。
「大丈夫ですか?」
駆け寄った私に、同行者が倒れてしまわないよう辛うじて腕を掴んだ旅人が、何かを小さく呟いた。
「私のうち、すぐそこの宿屋なんです。裏庭に井戸がありますから、良かったら使って下さい。泥を甘く見ちゃいけませんよ。泥の中は、ばい菌が一杯なんです。どこか怪我でもしていたら、病気になっちゃうこともあるんですよ。」
ついこの間、リリアンお嬢様の所の引退した騎士様から聞いた話を思い出す。
泥の中にいたばい菌が、指先のちょっとした傷口から、体に入って、とても大変な事になったんだって。
はっきりとは言わなかったけど、その騎士様は片足が無かったから、きっと、切り落とさなきゃならない程、だったんだろうなぁ。
そんな事を思い出して、ぞっとする。膝をついてしまった旅人さんの、支えられていない方の腕を取った。凄く細くてちょっと力を入れたら折れてしまいそう。まだ、若い女の人みたい。
「あ?あれっ?」
一瞬自分の目が信じられなくなった。
「ルミナ?」
頭からすっぽりかぶっていたフードからはみ出していた髪の色は、薄汚れた茶色だったけど、その所々がほのかにピンクブロンド・・・。
「ケイティ・・・、すまない、少しで良い、私達を匿ってくれ。」
もう一人の旅人さんは、アラン様だった。
喉を傷めているのか、ざらついてかすれた声で、辛うじてそれだけを言うと、アラン様も力尽きたのか、座り込む。
大声で叫びそうになるのを全力で抑えた。
アラン様は”匿ってくれ”、と言った。それって、この二人がアラン様とルミナってバレちゃいけない、って事だよね。
私は、一緒に宿屋の玄関周りの掃除に出ていた弟のキートにお父さんを呼んでくるように頼んで、少しでも注目を浴びないようにと、動かなくなった二人と話をしているようなフリをする。
「うちは王都でも評判の宿屋なんですよ。食事は美味しいし、お部屋も清潔です。ねえ、泊まってみたくなったでしょう?今なら、その汚れてしまった服の洗濯もサービスしますよ。」
「おいおい、ケイト、こんな所で、営業してるんじゃねーよ。通行の邪魔だぞ。」
近所のおじさんが、笑いながら呆れる。
「それにしても、困った奴らだ。このところ、乱暴者が多くていけねぇ。」
地面に深くえぐられた轍を少しでも整えようと、靴で踏みつけながら、おじさんが言う。
「毎度ありがとうございます!」
それにウインクをして、旅人との約束を取り付けた風を装い、私は、やってきたお父さんに、アラン様を託す。私はルミナの腰にしっかりと腕を回して立たせた。
「先ずは、その汚れを綺麗にしてしまいましょう。」
口調は明るく、楽し気に。でも、目だけは忙しく、ルミナとアラン様の様子を探る。キートは二人の落とした荷物を拾って後ろをついてきた。
弟のキートは無事、洗礼式を終えた。
この子が生きて、洗礼式を迎える事が出来たのは、ルミナのおかげだ。
下町の人々が流行病に倒れず、今も元気で働いて行けるのも、ルミナの浄化の力があってこそだ。
何があったかわからないけど、光の乙女として光の魔力を常に身に纏っているルミナがこんな状態になるなんて、よっぽどのことがあったに違いない。
とにかく、宿の裏庭に連れて行き、湯桶を用意する。流石にこの時期の井戸水は冷たすぎる。
泥水を被ったルミナの顔や手を拭う。髪を拭くとヒロイン特有のピンクブロンドが現れた。
「ルミナ、わかる?私だよ、ケイトだよ。」
ルミナは何処を見ているのかわからないぼーっとした視線を地面に向けたままだ。
「ルミナ!」
精一杯抑えた声で、ルミナ父が駆け寄って来る。
泥だらけの義理の娘を抱き締める。けれど、ルミナは何の反応も示さなかった。
直ぐ近くで、お父さんが息を呑む音がした。
「娘さんを守れなくて申し訳ない。・・・彼女は記憶を失っている。」
そう謝罪したアラン様を振り返った私は、あまりの事に声すら出なかった。
フード付きマントを脱いだアラン様の
右腕
二の腕の真ん中から下が
無かった。