ミッション 13
「ケイティ。」
いつも堂々として、自信と威厳に満ちている声が、泣き出しそうに弱弱しく、耳に届く。
「こんにちは!リリアンお嬢様。ご無沙汰してます。」
私はいつも通り、元気に返事をする。
リリアンお嬢様は、相変わらず、お綺麗だ。金髪はつやつやで輝いているし、抜ける様な肌の白さが、あれ?少し青ざめている?
「お嬢様、お加減が悪いのですか?」
そう尋ねるとふるふると首を振られる。そして、ぎゅっと抱きしめられた。
「お嬢様!」
公爵令嬢がモブ平民を抱き締めるなんて、あって良い筈が無い。どうやってリリアンお嬢様を傷つけないように離れてもらおうかと、わたわたしている私を助けてくれるのは、やっぱりアラン様、だった。
「ニッチング公爵令嬢、ケイティが困っていますよ。」
その声に、ようやく、腕の力を緩めて、リリアンお嬢様は、私の顔を覗き込む。
「ケイティ、ちゃんと眠っている?顔色が悪いわ。」
思わず、視線が下がる。それでも、元気よく答える。
「勿論です!宿屋の仕事は体が基本ですからね。」
私の嘘に、リリアンお嬢様の綺麗な紅瞳から、涙が溢れた。
ルミナが王家の馬車で王宮に連れて行かれてから、既に1週間が経とうとしていた。
リリアンお嬢様はフライス王太子との婚約を解消後、学園を飛び級して、卒業資格を得て、近日中に、公爵家の領地に行く予定だと言う。そこで、予想される流行病対策に取り組もうと言うのだ。
「暫く、会えなくなるわ。」
ルミナに続き、リリアンお嬢様も、私の傍からいなくなってしまう。
ううん、リリアンお嬢様は元々、遠い世界の人だった。これまでが、普通じゃ無かったんだから、何を今更、寂しいなんて・・・。
「手紙を出すわ。」
ニッチング公爵家ご用達の商会を通じて、困った事があったら、直ぐ、助けに行くから。
そう言って、私の手を取るリリアンお嬢様は、泣きそうになる私をじっと見つめて、覚悟を決めた目で問うた。
「最後に、王宮にお暇のご挨拶に行くの。王太子殿下にもご婚約者様にも面会のお時間を取って頂いたわ。あなたも同行する?ケイティ。」
弾かれたように顔を上げる。いいのだろうか?アラン様を見る。
しっかりと頷かれた。
私の、ルミナに会いたい、と言う希望をアラン様はリリアンお嬢様に相談して下さったのだ。
「こんな事になったのは、わたくしのせいでもあるのだから、出来る限りの事はさせて頂くわ。」
ブンブンと首を左右に振る。リリアンお嬢様は何も悪くない。悪いのは、あの肉食シスターだ。
モブ平民に気を使う必要なんて全然ないのに。
「フライス様にも、きっちり償って頂くわ。あれほど、お約束したのに反故にされたのですもの。」
キラリと言うかギラリと言うか。この時ばかりは悪役令嬢の片鱗を見せて、リリアンお嬢様はゆっくりと口元を隠すために扇を広げた。けど、目が、目が、怖い、です。
「でも、私、作法とか。」
「大丈夫よ。わたくし、王宮に王太子妃教育の為にお部屋を頂いていたの。その荷物を引き取りにお伺いするから、大勢、連れて行くのよ。流石に、彼女の御父上をお連れするのは無理なのだけれど。」
言葉の端々にチクリと痛みが入る。
そう、だよね。ルミナ父は流石に、無理だよね。
でも。
「行きます。行きたいです。是非、連れて行ってください。」
そうして、10日後、いよいよ明日、リリアンお嬢様が領地に向かう前日、私はお嬢様と王宮に入った。
リリアンお嬢様が使っていた王太子妃教育の為のお部屋は、もう殆ど片付いていて、荷物の運び出しを待つだけだった。それが全て、馬車に積まれるまでの時間、リリアンお嬢様は国王陛下や王妃殿下、王太后殿下にご挨拶を済ませ、最後に、フライス王太子と新しい婚約者・ルミナに会いに行く。
「ご無沙汰しております、フライス王太子殿下、光の乙女ルミナ様。」
息を呑むほど美しいカーテシーを披露するリリアンお嬢様の後で、私はずっと頭を下げている。
王宮内は、ゲームの画面で見るのと質感が全然違う。圧倒的な存在感の差。本物の凄さに足が震える。ここにある小さな花瓶一つで、多分、うちの宿屋の半年分の収入を越えるんじゃないかな。
「あー、リリー。本当に公爵領に行ってしまうのかい?」
「フライス王太子殿下に申し上げます。わたくしは、既にあなた様の婚約者ではありません。愛称でお呼びになるのは、今のご婚約者様にとって失礼に当たると存じます。ニッチング公女、でお願いいたします。」
楽にしてよい、と言われないから、リリアンお嬢様はカーテシーの体勢を崩せない。あれって凄く苦しいんだよ。体幹がしっかりしていないとぐらついちゃうの。今回の王宮行のために、私も練習したけど、数秒も持たなかったわ。
それなのに、その体勢を微動だに崩さず、リリアンお嬢様は、フライス王太子を諌める。
「あ、あぁ、わかった。えっと、楽にしてくれ、ニッチング公女。」
そして、ようやく、許可を出した。
実はこの場所は、礼拝堂近くの庭園の中にある東屋だ。
ルミナ母子が移り住んでから、礼拝堂は男子禁制になり、婚約者のフライス王太子も庭園までしか入る事が出来ない。どうしてそんな事になっているのか。政治的なあれこれがあるらしいけど、その辺りの事は私は知らない方が良い。黙って、そう言う物、と納得しておく。
東屋のテーブルにはフライス王太子とルミナ、リリアンお嬢様が座っている。
王太子の護衛にはアラン様。側近の二人は再会早々、ルミナに圧迫面接をして、ただでさえ、情緒不安定になっていたルミナに負担をかけた事で、プライベートでの彼女との接触を禁止されている。
そして、私。
「風魔法で声が拡がらないようにしました。もう普通に話して頂いて大丈夫ですよ。但し、なるべく、仕草は変えないように。見られていますからね。」
アラン様の言葉に、大きく息をつきかけた私は、はっと背筋を伸ばした。
「ケイティ。」
ルミナが泣いている。
「私、どうしたら良いの?こんな所にいたくないよ。家に帰りたい。お父さんに会いたい。」
フライス王太子が、困ったようにリリアンお嬢様を見る。お嬢様は知らん顔だ。
「ルミナ、よく聞いて。今、ルミナが王宮に留め置かれているのは、流行病のせいだと思う。隣国で流行っている病気が、この国でもかかる人が増えてきているの。だから、貴族たちは、自分たちがかからないようにルミナの力を欲しがっている。」
「だから、流行病が収まれば、ルミナは解放されると思う。2年、ううん、3年。3年、頑張って。その頃には、流行病は収まるから、そうなるように、私も頑張るから。ルミナも浄化の力を正しく使って。」
「ケイティ?」
3年、と断言する私をルミナだけでなく、リリアンお嬢様もアラン様も、フライス王太子も不思議そうに見た。
ここで、前世の記憶を引き合いに出して説明する訳にも行かない。
「どんな病気だって、永遠に続く物じゃない。今は、お薬は無いけど、お医者様は必死で探しているんだもの、きっと、効くお薬が見つかる。人から人に移る事がわかっているんだから、施療院を増やして重症な人と軽症な人を分けたらいい。色んな対策をみんなで考えよう。ルミナの浄化の力は切り札だから、安売りしちゃ駄目。」
「「「安売り。」」」
その言葉に、ルミナ以外の三人が同時に反応した。
私は、ここぞとばかりに主張する。
乙女ゲームの世界が基本になっているからか、貴族街には上下水道が完備されている。だから、ルミナの浄化石は本来の使い方をするなら、貴族の間では特に必要のないアイテムだ。
だから、上位貴族である攻略対象のギャバジン・ツィルが、昔、”公衆衛生”がどうの、と言われて、理解できなかったのも、当然と言えば当然なんだ。確かに、ゲームをしている時は、下町の環境なんて、興味も無かったし。
近い将来、教会から売り出される予定の浄化石。ルミナの、光の乙女の魔力が込められている、その意味でのみ、高値が付けられ取引される石。それは、本当に必要な人々の手には届かない。
ねぇ、わかってる?
平民だって生きてる、って事。
ずっと虐げられ、搾取されているからって、いつもまでもそのままだなんて。思ってる?
光の魔力を100%使わないように。
必ず、自分とルミナ母の為に十分な魔力は残しておくように。
ルミナが搾取されないように。
100%を求められても、一人に100%では無く、5人に20%ずつが良いんだよ、って。
だって、その方が大勢助かるから。それに、ルミナの力を過少評価するから。それがルミナを守るから。
ルミナの意志を無視して操ろうとする貴族なんかに、本当の力を見せてやる必要はない。
ルミナを囲い込もうとするフライス王太子の目の前で言う事ではないかもしれない。でも、私は、ルミナには抵抗する力があるんだ、とちゃんとルミナ自身に理解して欲しかった。
「これ。」
そうして、差し出す。
「ルミナのお父さんの焼いたクッキー。」
必死に涙をこらえるルミナに、誰も何も言えなかった。
ミッション 13
囚われのルミナに手を差し伸べよう