ミッション 11
「お帰りなさいませ~、裏の水場で手洗いをお願いします。このお茶でうがいをして下さいね~。」
昨日まで降り続いていた雨が上がって、束の間、お日様が顔を出している。そのせいか、今日は朝から、宿泊客に動きがあり、大忙しだ。ちゃんと見張っていないとすぐにうがい・手洗いをさぼろうとする。
「何だよ、ほんのちょっと、馬車の予約に行ってきただけじゃないか、いちいち面倒な事をさせるな!」
数日、足止めされて気の焦る小間物商人が、いらいらと怒鳴り返す。
「お客さんにはちょっとでも、嫌な病が流行っているのは知ってるでしょう?うちで病人が出たら困るし、何より、これから故郷に帰るんでしょう?体調を崩さないようにしてくださいね。」
今では、すっかりうがい・手洗い、衛生管理に慣らされたお父さんが、晴れ間を利用して布団を干そうと、ドンドンと階段を降りてきた。
「そうよ、あなた。ここの宿屋が清潔だと言って選んだ時に、多少の手間は惜しまない、って約束したでしょう。」
食堂で待っていた妻に呆れたように言われ、小間物商人はきまりが悪そうだ。
「今日のは、いつものセージだけでなく、ミントも入れてみたんです。口の中がスースーして気持ち良いですよ。」
「お、おぅ。」
このタイミング、と声をかけて、小間物商人さんに木のカップを差し出す。
ガバリ、と大量に口に含んだ。途端に鼻に抜けるミントの匂いに思わず吐き出しそうになり、目を白黒させている。
「口の中で2,3回くちゅくちゅしてから、吐き出して下さいね~。二口目で喉の奥をガラガラですよ~。」
アドバイスに、慌てて不器用に口の中で水を回した。
この世界、うがい、ってやり方知らないんだよね。
目を泳がせながら、それでも奥さん監修の下、頑張ってうがい・手洗いをしてくれた小間物商人さんに、清潔な布地を差し出す。
「それで、馬車の予約はできたんですか?」
「おう、ありがとよ。丁度、滑り込みで、今日の午後の便に間に合った。」
口の中がスースーすると、落ち着きなく口を開けたり閉めたりするおじさんに、ミントの量はもう少し減らそう、と思う。
長雨が降り始めた頃から、王都でもポツポツと隣国と同じ病気の噂が囁かれるようになった。
2年も早く、乙女ゲームのメインイベントが始まってしまった。
光の乙女ルミナが主役の乙女ゲーム『光の乙女は愛を紡ぐ』は、チュートリアルの選択で二つのメインイベントのどちらかを選ぶ。
ゲーム開始は15歳だけれど、チュートリアルは10歳の洗礼式だ。そこから15歳まで何してるの?とゲームの時は思ったけど、現実となると、当然、普通に生活している。15歳までの命の保証はされていたのは安心だったけど、13歳の今、学園ルートのメインイベント、国を滅ぼしかねない流行病の発生が起きている。これは、ゲームのバグなのか、それとも、今からじわじわと病気が国を侵していくのか。
病が国を侵している状態で、学園いちゃらぶ、してるなんて、能天気この上ない、この国の王族大丈夫か?って思うから、やっぱりバグなのかな。それとも、乙女ゲームだから、能天気な王族でも後2年ぐらいは国が亡びる事も無いのか。
むむむ。
モブ平民の子供である私ですらわかる、いくつかのシナリオから外れてる現実があるから、メインイベントにも、変化が起きた可能性は高いと思う。
学園ルートのメインイベントの始まりはこうだ。
『国王陛下の即位記念式典で○○○○様と二人きりになった時はドキドキしたけど、あの後、生徒会で顔を合わせても○○○○様はいつも通りで、意識しているのは私だけみたい。
そんなモヤモヤした私の気持ちをあざ笑うように、恐ろしい事が起こっていたの。
しばらく前から、隣の国で、流行っていた病気が、とうとうこの国にも入って来たらしいの。かかった人がどんどん亡くなっているって。フライス様が深刻な顔で教えてくれたわ。
「ルミナもなるべく外出を避けるように。」って。
そんな!沢山の人が病気で苦しんでいる時に、自分だけが安全な所で守られているだなんて、そんな事出来ない!』
光の乙女として何かできる筈、と動き出すルミナに周りの攻略対象者たちが巻き込まれて、流行病に立ち向かう。
のだけれど。
○○○○様は、その時に一番好感度の高い攻略対象者だけれど、まあ、ミニゲームをいくつかこなした程度の始まったばかりの好感度だから、対象が誰であっても、あまりメインイベントの進行には影響はない。
それよりも
”かかった人がどんどん亡くなっているって。フライス様が深刻な顔で教えてくれたわ。” だ。
この乙女ゲームの世界は、現代日本のご都合主義が反映されているから、実はお医者様がいる。確かに市井にはその数は少ないけど、ちゃんとした医院もあるの。その医院が流行病患者で溢れ、治療法が確立していない為、なす術なく多くの人が亡くなっている、そう言う報告がフライス王太子の耳に届いた、と言う話。
実際、後2年後には、そうなるのかも。だけれど、あの流行病は爆発的に拡がった、って言う設定だった。
それに、リンクス王国に病気が拡がるきっかけになったのは、国王陛下の即位20年記念式典で、各国から大勢の人たちが王国を訪れたから。その時まで、あの流行病は殆ど知られていなかったはず。少なくとも貴族街では。
今、流行り始めている病気が、ゲームの流行病と同じとは限らないのかも。
でも、隣国から来た病人と最初に接したのが、あのお助けキャラ・肉食シスターで、ストーリーを知っている彼女が、流行病の発生元である隣国の病人を王都に招き入れた。
イベントを前倒しにしてるとしか思えない。
ルミナの準備が整っていなかったら、大惨事だよ。
一体どういうつもりなんだろう。
分からないし、わかりたくも無いけど。
あの日、流行病の噂を聞き、それを防ぐ護符を求める旅人さんを、教会に案内して、私は肉食シスターに再会した。そして、こう尋ねられた。
『ねぇ、あんたも転生者なの?あんたが、この乙女ゲームのシナリオをぐしゃぐしゃにした犯人なの?』
日本語で。
いつか、こんな日が来るかも、と思っていた。私は10歳の洗礼式から、彼女が転生者で、自分が主役に成りたがっていると疑っていたから。だから、冷静に対処出来た。
「何を言ってるのかわからないです。私は、あなたの言う、難しい事の分からない平民のただの宿屋の娘だから。だけど、あなたがルミナにもう拘わっちゃダメ、と言われている事は、知ってる。教会の司祭長さまがそう約束して下さった。どうして、あなたがここに帰って来たんですか?」
ふーん、と私を観察するシスターの目から、興味が失せていくのがわかる。
『まあ、こんな貧相な子供に何か出来る訳もないっかぁ。』
「それこそ、あなたが私に絡んで来ているのでしょう?私はただ、挨拶に立ち寄って、たまたま、護符の説明をしたに過ぎないわぁ。」
そう言い捨てて奥に引っ込んだ彼女は、本当にこんな下町では無く貴族街の教会に赴任したと後から聞かされた。
流行病の対応策の提案に加え、隣国との国境で強力な後ろ盾を見つけたらしい。あのお助けキャラ肉食シスターは、今では”光の乙女の導き手として、女神さまから権能を与えられた聖女”と、教会内で確固とした地位を築いていた。
は?
聖女?
何それ?
あの乙女ゲームの世界には”聖女”なんて言葉は存在しない。
確実に肉食シスターが、持ち込んだ概念だ。下手したら、光の乙女の上位互換と認識されているんじゃないかな。女神>聖女(肉食シスター)>光の乙女、みたいな。
例え、彼女がどんな妨害をしてきたとしても、私は、何としても、このメインイベントをクリアする。
家族は、誰も、死なせない。
その為に、その為だけに、ルミナをここ下町に縛り付けたんだから。
病気が流行るのは仕方ない。だって、それがゲームのシナリオだもん。
だけど、だからって、私の家族が死ぬのは許せない。
私は只のモブ平民で、何の権力も無いし、前世でだって、薬の知識も医療の知識も無かった。だから、異世界チートで世界を救う事は出来ない。
でも、それでも、シナリオに書かれた何百万と言う死人の中から、自分の家族を救い出すことはやってみせる。
だから、ごめんね、ルミナ。
私と私の家族の為に、学園ルートも諦めて。だって学園ルートでルミナが救うのは貴族だけだから。ルミナがいない下町は、国にも教会にも見捨てられた。フライス王太子は、”かかった人がどんどん亡くなっている”って知っていた。けど、それは数字としての被害であって、弟のキートやチャルカのお母さんの事じゃない。
だから、この下町で一緒に暮らそう?
下町の平民たちの為に、その浄化の力を光の魔力を使って!
去年、12歳の学園に入学する年になっても、ルミナを学園に特待生入学させる連絡は来なかった。だから、気を抜いていた。ひょっとして、ここは、乙女ゲーム”光の乙女は愛を紡ぐ”の世界では無くて、とてもよく似ているけど、全く別の、世界滅亡の戦争も王国壊滅の病気も流行らない、平穏無事な世界かも、なんて思っていたのに。
ある日、王家の紋章をつけた馬車が下町のパン屋の前に停まった。
私の望んでいた平穏な世界は、壊れた。
ミッション11
学園ルートメインイベントを学園に通わずにクリアしよう




